3か月ほど経った頃、シンアルが訪ねてきた。すでに俺の家事への想いは家の中だけでは満たされず、家の外壁の掃除から庭の草取りにいたるまで、屋外での作業も増えていた。今日は少し花壇のようなものでも作ろうかと準備をしていたところだった。

「ルイ、久しぶりだね」
「シンアル!来てくれたのか」

 相変わらず神父風の服に身を包み、柔和な笑顔を浮かべているが。

「どうした?微妙な顔して」
「いや、家の様子があまりに変わってしまったので、道を間違えてしまったのかと思ってね」
「あぁ、少しは綺麗になっただろ?屋根の上の作業をやらせてもらえないのが不満なんだけどな」

 危ない、落ちたらどうするんだ、屋根がボロくたって死にゃしないとか散々反対されたのだ。

「まぁ屋根の上にあがっての作業となれば、もはや家事じゃなくて大工仕事だね」
「うん。そう言われると少しやる気が削がれるな」
「それは良かった。あまりバルバラに心配をかけないようにね」

 そう笑いあって、家の中に案内する。

「バルバラー、シンアルが来てくれたぞー」

 工房に声をかけると、すぐに返事があった。

「今は手が離せないから、少し待たせておきなー」
「だ、そうだよ。…シンアル?」
「いや、いや、これはおかしいだろう。バルバラの家がこんな、こんなに片付いている訳がない。これは夢だ、そうに違いないんだ」

 わなわなと震えているが、そんなには…変わったか。だいぶ時間が経ち、今の様子に慣れてしまったが、初めて見たときには本当に足の踏み場も座る場所も無かったもんな。

「こんな綺麗な部屋にしてしまったらバルバラが体調を崩してしまうんじゃ…」

 シンアルもけっこうひどいこと言うな。部屋を掃除したら体調を崩すとか、いや、バルバラならありえないことも・・・

「何失礼なこと考えてんだぃ、この馬鹿どもが!」
「ぐぁっ!」
「痛ぅ!」

 超スピードで工房から飛び出したバルバラに、二人そろって叩かれる。ていうか、何で俺まで。

「お前の考えてることなんざ、お見通しだよ」
「くっ、魔女ババァめ」
「はっはっは、仲良くやってそうで安心したよ」

 シンアル、相変わらず斜め上の解釈をするやつだ。

「で、今日は何の用事だい?あぁ、立ちっぱなしもなんだ、そこへ座んな。ルイ、茶だよ」
「はいよ。バルバラは熱めのやつな」
「あたしゃ猫舌だよ!」

 叩かれる前に台所へ引っ込む。居間から楽しそうなシンアルと、不機嫌そうでどこか柔らかいバルバラの声がするのを聞きながら、お湯を沸かしてお茶に注ぐ。茶器も湯飲みも街で一通り揃えてきた。そんなものに金を使うなんて、とバルバラはぶつぶつ言っていたが、茶器を揃えてからはお茶のオーダーが増えたので、そこはお察しだ。

 茶葉は家にあったものを使っている。バルバラは猫舌なので、いったん熱湯で煮出したものを冷まして飲んでいたようだが、茶はそもそも、煮出す時のお湯の温度を茶葉に応じて変えてやる必要がある。バルバラ家のお茶も実は低温のお湯を使った方が良い種類だったため、淹れ方を変えてあげたのも気に入ったようだ。

「はい、どうぞ」
「あぁ、ありがとう。…乳鉢じゃ…ないんだな…クッ…」

 シンアル、泣くほど嬉しいのか。今まで乳鉢で出されていたお茶が湯飲みで出てくるようになったら確かに嬉しいかもしれんが、それ冷静に考えたら普通の出来事だからな?

「ふん。毎度毎度大げさなやつだよ」
「おぉ、すまんすまん。つい、な。あぁ、美味い茶だ。淹れ方も上手だね」
「まぁお茶くらいならな」

 美味いお茶が淹れられるのは日常生活が豊かになるスキルだと思う。難しい料理などは特殊な材料や調理器具、時間も必要になるが、お茶ならもう少し気軽だし。

「料理はしないのかな?」
「ごく簡単なものならできるけど」
「そうか。実は、今日訪ねてきたのは他でもない、ルイに食堂の手伝いをしてもらえないか、お願いしに来たんだよ」
「え?」

 突然の話に驚いて、シンアルを見る。自然と視界にバルバラが入るが、やはり目を見開いて驚いているようだ。

「何だい急に。まぁた厄介ごとを持ち込んだんじゃないだろうね」
「いや、厄介ごとと言うほどでもないんだがね。バルバラも知ってるだろう?ヌルの街の”どんぐり亭”だよ。コナが身ごもってね。クヌ一人では食堂を続けるのが難しいから当分閉めようかって言ってるんだ」
「あぁ、クヌとコナかい。確かに知らない仲じゃあないが。他にも人はいるだろうに」

 バルバラがお茶をすすって渋い顔をするが、味のせいではあるまい。嫌というほどでもないが何で俺を貸し出すのか、少しだけ納得がいかないといった様子。

「ほら、クヌが少し気難しいだろう?誰でもってわけにもいかなくてね。ルイなら料理の手伝いもできるだろうし、バルバラの紹介だと言えば断らないだろうから。あの店が閉まると困る人も多いし私もあの夫婦には世話になってるから、できれば何とかしてやりたいんだよ」
「事情は分かったが、ルイはどうなんだい?」
「手伝うのは構わないけど、上手くできるかは分からないぞ?クヌさんとやらが気難しいならなおさらだ。仲良くやれる自信はないな」

 自慢じゃないが、俺はそれほど社交的なじゃない方だ。仕事となれば割り切って丁寧語で社交的な雰囲気を装うが、それ以上のお付き合いは求めない。友人関係は深く狭くが基本で、友達100人欲しいタイプじゃないのだ。

「ルイなら大丈夫。私はうまくやれると思うよ」
「またそんな、根拠のないことを」

 食堂は主人のクヌ、奥さんのコナの二人でやってるそうだ。娘のアラカがフロアの手伝いをしているが、まだ10歳と小さいので調理場には入れてなかったらしい。俺も12歳なのだが、即戦力で料理を教える必要がないなら問題ないだろうとのこと。

「根拠ならあるとも。バルバラと一緒に暮らせてるんだから、ルイは竜の巣でも生きていけるに違いないよ。私が保証しよう」
「シンアル、あんただって竜の巣で生きていけるだろうよ。あたしが今から連れて行って放り込んでやるから、自分の体で証明するがいいさ」
「いや、バルバラ、今のはちょっとした言葉の綾というか、あ、お茶、お茶がこぼれるから!」

 じゃれ始めた二人は放っておくとして。確かにこの家で3か月過ごして、家事はひと段落ついたところだ。それでも洗い物やバルバラの身の回りの世話など日々発生する家事があるし、週に1度くらいは掃除や片付けをやっておきたい。

 ただ、食堂の手伝いにも魅力を感じる。例えば料理だ。この家には無い調理器具を使って料理をさせてもらえるなら、むしろこちらからお願いしたいほどである。だとしてもバルバラに対して不義理はしたくない気持ちの方が大きいのだが。

「ルイ、行っておやり」
「え?」
「クヌとコナは昔、少し面倒を見てやったことがあるんだ。店がつぶれたりなんかして、これ以上迷惑かけられるなんざ、たまったもんじゃないよ。あんたが行って、適当に助けておやり」

 バルバラ、お前、ツンデレする時は髭が震えるんだな。しゃべるだけでも動くけど、少し特徴的にピクッてするのに今気づいた。教えてあげないけど。

「ん、分かった。できるだけやってみる、けど、この家のことはどうするんだ?」
「あんたが来るまで独りでやってたんだ。居なくったって何の問題も無いよ」
「ちゃんと片付けられるか?たまには掃除もしろよ。魚以外もちゃんと食べろ?生水は飲むんじゃないぞ?茶は俺が淹れたやつを瓶に溜めておくから。あとは…」
「アンタ、あたしを何だと思ってるんだい?」
「家事できない猫婆ちゃん」
「よし、あんたもシンアルと一緒に竜の巣に放り込んでやるから、そこを動くんじゃないよ」

 おいバルバラ、その手に持ってるのは、お前が絶対に触るなって言ってた薬瓶じゃないか。それを何に使うつもりだ。

「あぁ、バルバラ、ルイ、心配いらないよ。食堂の手伝いは通いで大丈夫だ。もちろん週休二日で、家の用事がある時は休んでかまわないそうだよ」
「え?そうなのか?それならウチの家事とも両立できそうだから助かるけど、食堂の方もそれで良いのか?」
「実は、クヌには少しだけ話をしておいたんだ。家の手伝いをしてる子なら、そちらも大事にして欲しいってさ」

 さっきは気難しいって言われてたけど、悪い人じゃなさそうだ。

「ちっ。こうるさいのが居なくなると思ったのに」

 残念そうなバルバラのために、食堂の手伝いに行く前に工房の大掃除をしといてやろう。