ほとんど爆発と言ってもよかった。

膨れあがった赤い閃光が、周囲の空気を押し流す。球状に広がった衝撃波が地面を叩き割り、その反作用で『カリバーン』の巨躯が空高く吹き飛んでいく。

トツカがまばたきした視界に、『2』と印字された肩と、白っぽく輝く残像がわずかに映った。

「なにが――」
エンジンが起動したのは分かる。9Gはかかっているような急加速だった。
あの女学生が何かを弄った様子は無かった。
安全装置が外れていたのか。それともマシントラブルによる誤作動か。
「トツカくん」
ヘルメットにシズの声が響いた。
「あ、ああ。こいつ脱がないと……」
「今の、『銀色』に光ってなかった?」
シズがバイザーを跳ね上げる。蒼白になった顔が震えていた。
銀色。棄械(スロウン)の色だ。

「……冗談だろ?」
「追いかけなきゃ」
シズはハバキ教官を向いて、声を張り上げた。
「エンジンスタータとアビオニクスの起動スイッチはどこ!」
「それでしたら右のアイコンから――」
ハバキ教官はもろに泥を引っかぶってひどい有様だった。途中まで言いかけたところで、はっと気が付き、大慌てでシズに駆け寄ろうとする。
「嘘。今の嘘です!シズさん、おやめなさい!無茶です!いけません!」

だが既にシズは酸素マスクを着けていた。
背面のベクタードスラスターが左右に首を振り、脚のブースターからも光が迸る。
もうひとつ爆発が起こり、シズの姿も空に消える。
「オレ、止めてきます」
トツカも視線操作でエンジンを始動しようとした。

バイザーの向こうで、ハバキ教官が通信機を耳に当てたのが見えた。
「ああもう。ウルミさんの二番機は南南西に向かっております。森林地帯ですわ」
「……オレは止めないんスか」
「だって、あなただけはお話を聞いてくださいますもの!」
「嫌な信頼ですね、それ……」
プリフライトは最低限に済ませた。シズの機体が飛べたなら、こちらも行ける。

装着した酸素マスクからは強いゴムのにおいがした。
計器を見るに、脚部に充填された燃料はほぼ満タンのようだった。移送ポンプを動かして、エンジンにケロシン燃料を飲み込ませる。間もなくブレードが回転を始めて、出力計の数字が跳ね上がる。
「離陸出力でブン回します。五分なら続くんですよね!」
「え、ええ」
火器管制システムが、空っぽのウェポンベイを知らせてきた。追い付いたら、体当たりしかない。

「本当に三機とも非武装なんですか、ハバキさん」
「ええ。そのはず……」
弱々しい声だった。この人も怖気づいてる。
「はずじゃ困るんだよ。教官なら決めつけてください!」
「……非武装ですわ」
「その言葉、信じますよ」
回転数をさらに上げたところで、アフターバーナーを起動した。
地面が一瞬で離れていく。

関節が自動でロックされ、装甲が身体を覆うようにスライドした。
すぐに音の壁に衝突する感覚があって、風の音が消える。外部カメラからの映像が出力されると、シズの機体が遠くに見えた。
シズは先行する二番機の周りをバレルロールで旋回していた。
あの機動なら出力を落とさずに速度だけ合わせられる。アフターバーナーも点けっぱなしだった。

向こうの搭乗者は、離陸時のショックで気絶したらしい。
迷彩柄の装甲の隙間から、ケーブルに覆われた腕がだらりと下がっていた。
そして腕が抜けた隙間を縫うように、銀色のかたまりがせり出しているのが見て取れる。
「ターゲット、高度(FL)0600、加速度ゼロで巡航中。こちらからの呼びかけに応答なし。一番機、ターゲットに接触します」
シズが通信してきた。
棄械(スロウン)か?」
「うん。もう駆動部をやられてる」
トツカも暴走機に近付いて、さっきより銀色が侵食する部分が広がっているのを見た。
シズの機体が急制動をかけ、腕部マニピュレータを展開させる。
「一番機、相対速度(RV)ゼロ……取り付きました。教官、次の指示を!」
「脚を払ってくださいまし」
ハバキの声がした。自動車で追いかけているのか、通信にエンジン音が混じっている。

「推進ベクトルを発散させて、まずは速度を落とすのです」
「脚部へ衝撃、一番機コピー。攻撃に移ります」
「三番機、コピー。こちらも仕掛けます!」
トツカは機体姿勢を『巡航(クルーズ)』から『戦闘(コンバット)』に遷移させた。
装甲が跳ね上がり、関節のロックが外れる。機体が一回転すると、遠心力で四肢を構成するマニピュレータが広がった。
機体が安定を取り戻した瞬間、外部カメラからの映像が消え、照準システムがレーダー追尾から肉眼の視線追従(アイリンク)に切り替わる。
表示された照準円が暴走機を捉えた。フレンドリーファイアの警告表示が視界に躍る。

「三番トツカ機、ターゲットロック!いつでも合わせられるぞ」
「一番機、了解!ファイヴカウントで行くよ。四、三、二……」
ベクタードスラスターが横に振れ、機体が横滑りしていく。
暴走機の脚部が目と鼻の先まで近付いた。マニピュレータを引いて、握りこぶしを作る。いくら正式採用された量産機でも、精密機器の推進器だけは変わらず脆い。ただ壊すだけなら簡単だ。
「今!」
ほぼ同タイミングでこぶしを繰り出した。風音が響き、マニピュレータが迫っていく。

あと数センチ、というところで急に手応えが消えた。
暴走機の姿が無くなっていた。目で探す間もなく、銀のニードルが下方から飛んでくる。
「くっ」
ブレイク。蹴り出した脚の反動でロール機動をかけ、すんでのところで回避する。
ぐるぐると回る視界に、森を背にした機体が映った。
茶色と緑だった機体はすっかり棄械(スロウン)に侵食されて、もはや銀色の部分の方が多い。
バイザーを覆った金属塊がごぼごぼと泡立ち、巨大な一つ目を形成する。湿り気を帯びた赤い瞳孔が開くと同時に、暴走機は大きく右手を振り上げた。

光線が目の前に迫った。
とっさにトツカが上げたマニピュレータが、火花を散らして切断される。
チェーンソーを思わせる甲高い切削音が聞こえた。
その音と共に伸びてきた光線がゆらめき、長大な刀身の姿を現す。
蛇腹状に繋がった刃が鈍く光り、(むち)のように空中を縦横に切り裂いていった。残心を取った暴走機が腕をひと振りすると、刃先がヨーヨーのように右腕へと収納されていく。

一つ目がトツカを見て、細くなった。
笑った――こいつ、遊びで戦ってやがる。
「トツカくん!」
「あの野郎、即席でカタナを作りやがった……」
マニピュレータの切り口は赤く融解していた。切れ味は悪いようだが、斬撃がそれ以上に速い。まともに受ければ摩擦熱で溶断されてしまう。

シズが高度を取った。トツカも急加速で距離を置く。
敵は残心を取ったまま動かない。追ってこないのは、得物の間合いを悟らせないためだ。
ゆるくサークルをかけながら、トツカは舌打ちした。
あの刃の連なったワイヤー、どこまで届くか全く読めない。さっきは目測で五十メートルだった。そこが限界射程かもしれないし、やろうと思えば何キロメートルでも届くかもしれない。

「ハバキ教官」
トツカは回線を開いた。
「『カリバーン』のパワーユニットはどこに」
「主電源はグリーンウェアからの直流ですわ……今の音は?」
「腕をやられたんです。グリーンウェアさえ外せば良いんですよね」
「え、いま腕と申されました?」
「メカの方です。サバイバルパックはまだ無事です!」
「パックって、あなたまさかナイフを――」
通信を切って、深呼吸する。

装着者さえORBSから引き離せば、なんとでもなる。
グリーンウェアと外装はハーネス三本で繋がっているだけだ。そこを切れば動力の供給も断たれる。
トツカは計器を確かめた。現在高度、800。空戦機動における加速は、落ちるときの運動エネルギーを利用する。損傷した機体でマッハは出せないが、取り付く速度くらいなら出せる。

「シズ、たぶん痛いぞ」
「何するの」
上空でシズは旋回を続けている。
位置エネルギーを考えると、彼女の方が早く接敵できるだろう。
「二分の一だ。同時に仕掛けて、先に取り付いた方がハーネスを切って、助ける」
「でも武器が……」
「あるんだよ、一本だけ」
トツカは後ろに手を回した。思った通り、厚みのあるサバイバルナイフが差してあった。
本来はパラシュートの絡まったストラップを切るためのものだが、握り手が絶縁してあるから大電力のハーネスもきっと切り離せる。
シズもナイフを取り出していた。互いにハンドサインを交わし、三秒を数える。

「行くぞ!」
同時にアフターバーナーを起動して下降する。
見る間に地表が迫った。ソニックブームで森がなぎ倒され、散った木の葉が排熱で燃えていく。パワーダイヴで運動エネルギーを稼いだところで、動翼(エレベータ)を一気に引き起こす。
「ぐ……ッ」
視界が一瞬だけ真っ黒になった。
ふたたび視力が戻ってくると、目の前に銀色の刃が連なっていた。敵が腕からワイヤーを射出しながら上昇を始める。引っ張られた刃がトツカの胸に当たって、ざりざりと装甲を裂いてきた。
ゆうに百メートルは離れているのに、届かせてきた。やはり奥の手を隠していた。

「まだ……!」
構わず垂直上昇を続ける。
曇り空をバックに、二機のORBSが駆け上がっていく。
ふたたび襲ってきたワイヤーが、大きくトツカの装甲をえぐった。
回避しなければ――脚を動かしかけて、すんでのところで思いとどまる。
既に両機とも超過上昇(ズームクライム)の姿勢に入っている。ここで回避マニューバを取れば上昇するために必要な運動エネルギーが失われ、敵の離脱に付いていけなくなる。
最後の装甲板も()かれ、グリーンウェアのケーブルが弾け飛んだ。チタン装甲の破片がバイザーに当たって視界に亀裂が入る。無数のダメージ報告がポップアップし、電源が予備系統に切り替わる。

だが、もう敵はすぐそこに見えた。手が届くまであと数メートル。
雲に突っ込んだ瞬間、胸から刃が離れた。
「お願い!トツカくん!」
雲を抜けた先の青空では、シズがマニピュレータでワイヤーの刃を握っていた。ワイヤーが伸びた先では、敵が機首を倒した姿勢に入っていて、今にも地面へと落ちそうになっている。

シズは、奇襲のために先回りしていた。体当たりは紙一重で回避されたようだが、もはや敵に上昇できるだけのエネルギーは残されていない。
敵が腕を引いた。
シズ機のマニピュレータが切断され、ばらばらと落ちていく。だがシズも装甲任せに胴体に巻き付けて離さない。装甲と刃がかち合い、派手なオレンジの火花が咲き乱れた。

「了解!」
トツカはエンジンを叩き起こした。
ほとんど吸気できずにあえぐチャンバーが、最後の空気を潰して吐き出す。
ぶつかった瞬間は、ほぼ交通事故のようなものだった。ワイヤーを掴まれてもがく敵を、横合いから限界出力で突き上げる。傷ついたバイザーが外れ、数センチの距離に棄械(スロウン)の一つ目が炯々(けいけい)と輝く。
マシンとケーブルにまみれてもつれ合いながら、トツカは右手のナイフを握り直した。

女学生は装甲と推進器に守られて無事だった。紫色になった唇が動き、何かを呟く。
「オレだ、助けに来た!動けるならアウトフィットを外せ!」
女学生はわずかに身じろぎしたが、それだけだった。
酸素マスク無しで対流圏をひと息に上昇したのだ。低酸素と減圧症のせいで血中の窒素が沸騰してしまっている。
「くそっ」
暴れる敵のマニピュレータを殴り飛ばし、背中にナイフを挟み入れる。手当たり次第に切り刻んでやると、ある瞬間に重さが消えた。

「あ……」

ORBSの音が静かになる。
女学生の、白い顔がゆっくりと下方へとスライドしていく。
抱き留めていたはずのトツカの腕から、彼女の痩せた身体だけがすり抜けていった。
あとには、さあっと血が引いていく感覚だけが残った。
彼女のヘルメットからは、耐Gフラットケーブルがへその緒のように機体へと繋がっていた。伝達ハーネスを切られ、機能を失った『カリバーン』が重力に引かれて落ちていく――女学生の身体を接続したまま。
ぱっと銀色の破片が散らばった。落ちるにつれて流星のようにみるみる小さくなって消えていく。動力を失ったフレームがゆらゆらと光を反射した。
自壊する『カリバーン』から棄械(スロウン)の欠片が次々と剥がれていく。むき出しになった矮躯(わいく)を風が包み込むと、ひゅうひゅうと笛のような音が鳴った。

それを空から追うものがあった。

まっすぐ地面へと直撃コースを取って、刀傷だらけのORBSが噴射炎を棚引かせる。
硬いものが割れる音が、数秒遅れて機体から飛び出した。
何が起こっているか理解した瞬間、トツカは叫んだ。
「シズ、やめろ!」

音速に達した瞬間、風防装甲が吹き飛んだ。むき出しになったブースターユニットが次々に分解し、翼の前縁が赤熱しながらひしゃげて、わずかに残ったアクチュエータが動翼をばたつかせる。
落下するORBSに抱き着くと、シズは逆噴射をかけた。
それでも半壊した推進器では二機分の重量は支えられず、バランスを失ったきりもみ飛行が始まる。緊急用の制動傘(ドラグシュート)が展開したが、もう遅い。
土煙があがった。

殺しきれなかった衝撃で、木々が重なり合って倒れていく。のたうつように地面がめくれ、気化した燃料があちこちで爆炎を上げた。爆風はトツカの高度まで及び、鼓膜が裏返るような痛みが走った。
終わってみると森には一文字の道が出来ていた。
道の続く先で、真っ黒に焦げた鎧がふたつくすぶっている。女学生の方はまだ原型を残していたが、かばったシズはグリーンウェアまで裂けていた。

「……シズが墜落した」
トツカは酸素マスクを脱ぎ捨てた。凍えるような風が頬を撫ぜていく。
「二人分の担架をお願いします。生きてるか分かんねえけど……とにかく、お願いします」
ハバキがどう答えたか、覚えていない。
救護班がやってきたとき、トツカはシズの手を握っていた。血まみれになった指にはまだ握り返すだけの力があって、ひとまず安堵できた。
「私……」
彼女が口を開く。
「なんでだよ!馬鹿なことしやがって!」
耳が聞こえていないらしく、彼女は安堵したように微笑んだ。
「よかった。あのね……」
すぐに救急車両にかつぎ込まれて最後まで聞くことはできなかったが、シズが言いたいことはトツカにも理解できた。

演説で彼女は語っていた。
――『私が務めを果たすことで、未だ名も知らぬ戦友がいつかの安息を得られるのなら、進んでこの身を捧げましょう』――
この人は、躊躇(ちゅうちょ)なく実行した。総毛だった腕を、トツカはこする。
兄も同じようにやっていたのかもしれない。遺伝か、それとも学んだのか。
どっちでもいい。
彼女は自分の命を簡単に捨てられる。もはや化け物だ。英雄の妹というだけで、この人は意思ひとつであそこまでやってみせるのだ。