さて、そんなおり、メグから連絡が着た。
 見慣れぬ着信に出るか出まいか迷っていると、誤タップしたのか、電話が繋がった。

『もしもし、諒?』
「メグ!?」

 声のトーンですぐに判断した私は、思わずそう声を上げた。

『今……明倉町に戻ってきてるの』
「そうなんだ!? 元気にしてた? あ、いや、その、えっと」

 元気にしていなかったら悪い問いだったと思い、私は口ごもった。

『子供がちょっとね』
「そ、そっか」
『だから……血が必要なんだ。辛い』
「……そうなんだ」

 貧血系の疾患だろうかと考えて、私は言葉を探した。するとメグが続けた。

『諒、会える? 私を助けて』
「私に出来ることならするけど、それに私も会いたいけい、今どこにいるの?」
『明倉神社わきの公園に行くから』
「今?」
『うん』
「分かった、すぐに行くよ!」

 私が同意すると、ブツンと電話が切れた。私はこれは、藍堂くんに言うべきか迷った。過去に一方通行だが大恋愛していた相手の帰省だ。複雑な心境になるかもしれない。それに明倉神社は、私の家から徒歩で行ける。

「とりあえず黙っておいて、様子を見て改めてかな」

 うんうんと自分の考えに満足した私は、明倉神社へと向かった。境内の前を通り過ぎると、公園がある。小さな四阿があるのでそこのベンチに座ってみた。今のところ人気がない。メグはまだ到着していないのだろう。

 そう考えていると、メッセージアプリの通知が届いた。見れば、藍堂くんからだった。

《今何してる?》
《ん、ちょっと外。どうかした?》
《実は色々考えて、話したいことがあって》
《なになに?》
《直接話したい》
《ごめん、今は無理かも》
《どこにいるんだよ?》
《えっとね》



 私は公園の遊具を撮った。そして、仕方がないと判断し、メグのことを告げることにした。

《メグと待ち合わせ。メグと小さい頃によく遊んだ場所だよー!》

 そう送った時、がさりと木の葉を踏む音がしたので、私はスマホをしまった。すると着信音がしたから、メグと折角会うのだからと、通知音を全て切る設定に変更した。藍堂くんから通話が着ていると分かったが、まずはメグだ。

「メグ?」

 メグは、白いワンピースに模様が入っている出で立ちだった。黒い髪が長く垂らされている。もう秋の入り口だが、まだまだ残暑が厳しいので、少し涼しいが不思議な服装ではない。手には、なにやらクマのぬいぐるみを持っている。そちらは黒い。

「諒。来てくれたんだね」
「当然! 久しぶりだね」

 私が満面の笑みを浮かべると、歩み寄ってきたメグが、私のテーブルを挟んで正面に座った。そしてテーブルの上にクマのぬいぐるみを置いた。どす黒い茶色のクマのぬいぐるみを見て、リボンの部分が薄汚れていることに気づく。

「これは?」
「娘を助けるために必要なの」
「娘さん、そういえば具合、どうなの?」

 電話の内容を思い出して尋ねると、メグがカッターを取り出した。何故そんなものを持っているのかと、私は首を傾げた。

「血があれば助かるの」
「血?」
「お願いしたの、健康祈願してくれるって人に。そうしたら、このクマのぬいぐるみに、血を吸わせれば治るって」

 それを聞いて、私は顔を引きつらせそうになった。
 どう考えても詐欺業者だと思ったからだ。だが、我が子が病気になったら、縋りたくなるのも分かる気がした。

「諒の血、頂戴? 少しカッターで傷を付けて、このクマに吸わせて」
「……っ、メグ。冷静になって? それでメグの気が済むなら、私は構わないけど、絶対に詐欺だよ」
「お願い。私たち、親友だよね?」
「……」

 それは間違いない。私はメグの親友だ。それからカッターを見る。
 別に少し、たとえば手を傷つけて血を落とすくらい、痛いかもしれないが、それでメグの気が楽になるのならば、抵抗はなかった。

「いいよ。分かった。でも、私は繰り返すけど、詐欺だと思ってるからね?」

 私は苦笑して、カッターを手に取った。そして親指の付け根に薄らと傷を付けて、血が滲んできた時、クマのぬいぐるみの手を握った。すると。

「っ!?」

 なにかが体からごっそりと抜けていくような感覚がした。何が起こったのか分からない。ぐらりと目眩がして、ベンチに座っていられなくなり、私はぬいぐるみのわきのテーブルに上半身を預けた。コトンと音がして、カッターがテーブルの上で手から離れる。

「足りない」
「っ、あ」
「まだ足りないの」

 メグがカッターを手にした。そして立ち上がると、ぐったりしている私の横に立った。
 朦朧とした意識の中で、私は隣に立つメグを見上げる。

「諒の、血。全部頂戴」
「っ……」

 声が出てこない。カッターが首に近づいてくる。

「水鳴!!」

 その時、藍堂くんの声がした。それはメグがカッターを振り上げた時と同じ瞬間で、私がぼんやりとそちらを見た時、藍堂くんはメグがカッターを持つ右手首を握りしめていた。ギリギリと強く握り、メグを睨み付けている。

「恵実、なにやってるんだよ」
「藍堂……離して。血が、血がいるのよ」
「お前の子供は死んでる。それに、お前も。思い出せ、お前は子供が交通事故で出血死した後、その後! お前は犯罪を犯して、愛西病院の精神科に入院して、退院してすぐに自殺したんだ! そのクマのぬいぐるみ、は! 俺が供養に行った時に、お前の子供の供養にと渡したものだろ! 確かに俺は言った。この白かったクマのぬいぐるみが、多くの者の精気を少しずつ吸収し、それであの世で、お前の子供は出血した記憶から解放されると。こんなに黒くなるまで、お前は世界を呪って、精気が宿る血を吸わせてきたんだな。もうお前は、立派な“呪い”だ。恵実じゃない!」

 藍堂くんが何か言っていたが、私はほとんど聞こえておらず、こう言っていたように思ったというおぼろげな記憶をここに記載している。

「郡山市の駐車場で、連続で連れ込み事件が発生して、それはこのクマに血を吸わせたら子供が助かると、俺の言葉から盲信して、殺傷事件を連続で起こしただろ? それでお前は精神科に鑑定入院させられただろ!」
「違う、違うの」
「確かにお前の遺体はまだ見つかってない。でも、俺には分かるんだよ。お前はもう、生きていない。“呪い”そのものだ。お前の見た目が、二十代半ばから変わってないのもその結果だ」
「煩い! 煩い! 藍堂は私を好きなんでしょう!? なんで邪魔をするの!?」
「確かに俺はお前が好きだった。でもそれは、人間だったお前だ。そして――今じゃ、お前よりもずっと大切な相手が呪い殺されそうになってるのを見逃せるか!」

 藍堂くんが懐から何かを取り出して、クマのぬいぐるみにはり付けたのを、私は確かに見たと思う。だが直後、私の意識は完全に暗転した。


 次ぎに目を覚ました時、私は病院のベッドに寝ていて、点滴をされていた。
 これが夏の入院であり、SNSで私と繋がりがあった皆様は、私が入院していたことは記憶に新しいと思う。私が入院先から、時々SNSにスマホでアクセスしていたからだ。

「水鳴さん、気分はどうですか?」

 すると私の意識が戻ったことに気づいた看護師さんが、主治医の先生を呼んでくれた。
 会津若松市のとある総合病院のベッドの上にいて、公園で倒れていた私を発見した藍堂くんが救急車を呼び、ここまで搬送されたのだと教わった。私は重度の貧血であり、各種検査が必要だし、日常生活にも難が出るほどのはずだと言われた。

「メグは……」
「メグ? 誰です?」
「……えっと。なんでもないです」

 おぼろげに、藍堂くんはメグが死んでいると話していた気もしたが、私は確かに電話をしたし、カッターを渡されたので、半信半疑だった。

 その後個室から四人部屋へと移り、私はスマホを確認したのだが、見知らぬ番号からの着信など無かった。首を捻っていると、数日して、藍堂くんがお見舞いに来てくれた。

「よぉ、水鳴。調子は?」
「重度の貧血というけど、体感では普通なんだよね。たまに目眩がするといえばする」
「――そりゃ、呪物に血を吸われたからだ。バカが」
「呪物って、あのクマのぬいぐるみ?」
「そうだ。俺が丁重に供養して燃やしたから、すぐによくなる。俺が気づいてなかったら、今頃お前は貧血どころの騒ぎじゃなかったぞ」
「メグはどうなったの?」
「少なくとも生者じゃない」
「カッターを渡されたし、死者には体が無いはずだよ」
「恵実は“呪い”と化していたから、姿を現しては、時々親しい相手――生前の記憶が曖昧になっていくから、覚えている相手のところに姿を現していたみたいだな。もう生きてはいないが、死んでもいないんだ。どこかに、カラダはあるんだろうが、それが何処なのかは俺にも分からない」

 藍堂くんの言葉に、私は呆然とした。

「そもそも、俺は連絡が取れないと話しただろう? 前に」
「う、うん」
「――あの時点で、俺は全部分かってた。なにせ恵実の子供の供養に呼ばれたことがあったからだ。その後の恵実の傷害事件も全部知っていて、それを隠したくて恵実の家族が、明倉町の人間の連絡先を全部消して連絡先も変えたんだ。俺だけが知っていた」
「っ」
「俺だってお前に負けず劣らず口は硬い方って事だな。お前に……真実を伝えたら、傷つくだろうと俺は思ってた。だから、言わなかったんだよ」

 唖然とした私は、何を告げればいいのか分からなかった。ただ、郡山市で傷害事件があったという話は、所謂都市伝説のように語り継がれているし、私でも聞いたことがあった。

「恵実も、お前からだけは血を採りたくないと思ってたみたいだな。さすがは親友だ。でも、もう“呪い”になりすぎて、恵実はお前のことしか覚えてなかったのかもしれないな。お前のことも忘れたら、あとは第三者から血を求めるんだろう」

 藍堂くんはそう言ってから、十五分しかコロナの影響で面会は許されないので、立ち上がった。本当は家族以外禁止なのだが、私が遠方の病院に入院しているため、病院側に交渉して、荷物を持ってきてもらうということで、面会が許可された形だ。

「メグは、じゃあ死んでいるとして、今は……居場所は分からないの?」
「主に明倉と郡山の知人のところに出てきてるみたいだな。確認したら、恵実の周囲は何人も原因不明の貧血で亡くなってる」
「……そうなんだ。メグのことは、供養したりできないのかな?」
「クマのぬいぐるみを持つ、白いワンピースに血飛沫がついてる、黒い長髪の女。これが今の恵実の姿だ。カッターを持ってる。この条件の“怪奇”を見た直後に貧血になった相手を片っ端から当たっていけば、また遭遇できるかもしれない、が。俺は勧めない。“呪い”はどんどん強くなる存在だ。もう、俺はお前が危険な目に遭うのを見たくないんだよ」
「……」
「だから、俺がやる。お前は、安心して療養しろ」

 そう言って苦笑した藍堂くんは、まじまじと私を見て、一度大きく頷いてから帰っていった。そうして、私が退院する頃、新聞には一つの記事が載った。曰く、とあるダム湖の底から、一人の女性の遺体が発見されたのだという。身元は――高橋恵実。白いワンピースを纏っていて、魚に体を食い荒らされており、何年も前に死んでいたのだろうという話だった。ただ、真新しいお札が彼女の持ち物の中にあり、さらに木の杭が胸に刺さっていたという噂が、退院後私の元に黎くんからもたらされた。ほぼ同時に、明倉神社の杉の木に、五寸釘で胸を穿たれた藁人形とお札が見つかったという話も聞いた。

「藍堂くん、何か知ってる?」

 冬。
 長期入院を終えた私は、初雪の日に退院した。既に退院しているとSNSでは話していたのだが、実は退院したのは、初雪が降ったついこの前の事で、そこはフォロワーさん達に嘘をついていたのを詫びたい。その日は、藍堂くんが迎えに来てくれた。



「呪いは、呪いを持って制するのが早いからな。“呪い”となった者を葬るには、呪詛が一番楽なんだよ」
「それってどんな? たとえば藁人形に五寸釘を打つみたいな?」
「一般論だ。俺はなにも知らない」

 藍堂くんはそう言って笑っていたが、私は信じていない。

「藍堂くん、ところでそういえば」
「ん?」
「『直接会って話したいことがある』って言ってたけど、あれはなんだったの?」

 結局聞かずじまいだったなと思い、私は尋ねた。すると藍堂くんが、はぁっと息を吐いてから、ちらりと私を運転席から見て、苦笑した。

「俺は今回の件もそうだけどな、お前と例えば恵実がどういう幼少期を過ごしたのかも知らない」
「うん」
「だから探すのに苦労した。とにかく必死だった」
「ありがとう……」

 なんとも友人甲斐があるなと思っていると、藍堂くんが車を停めた。

「でも、俺とお前は、出会ってもう十五年だ。出会った時より、長い時間に等しいくらいを知り合ってから過ごしてるだろ?」
「うん」
「俺はその間、お前の事が気にならない日が無かった」
「そうなんだ?」
「俺の中では、とっくにお前は特別になってたんだ。だから、お前の母親に聞いたんだけどな?」
「うん?」
「お前車の免許を取る気なんだって?」
「そうだよ。藍堂くんに運転をお願いするのも、そろそろ悪いかなと思って」

 私が頷くと、藍堂くんがくすくすと笑った。

「悪くねぇんだよ。俺は、好きでやってるからな。お前の取材旅行、俺にとっては、俺達の小旅行は、全部『大切』なんだからな」
「へ?」
「俺にとっては、デートだって意味」

 藍堂くんが、またちょくちょく言う冗談を述べた。私は半眼になった。

「まーた、そうやって私を揶揄う」
「揶揄う? じゃあ、これでどうだ?」

 そう言った藍堂くんが、ポケットから小箱を取り出した。ヴェルベット張りの灰色の小箱の蓋を、ぱかりと開ける。そこには銀色のシンプルな指輪が入っていた。

「……っ、これ」
「趣味じゃなくとも受け取れ」
「右手の人差し指とかに嵌めてもいいの?」
「婉曲的に断るのはやめてくれ」

 藍堂くんの声を聞きながら、取り出した指輪を見て、私は頬が熱くなってきた。


 現在。
 その指輪は、私の左手の薬指に鎮座している。もうすぐ、十二月。私の誕生日が来るのであるが、その日に籍を入れようと話している。私も、いつから藍堂くんを好きだったのかは分からないが、決して嫌ではない。

「藍堂くん、次の取材先は、ね?」
「おう」
「――結婚式場なんてどうかな? といっても、友達だけ呼んでレストランで食べる系の」
「そうだな」

 このようにして、私と藍堂くんの取材旅行は、今も続いている。
 私だって、好きじゃなかったら、そもそも祖父の家に連れていったりしなかったのかもしれないし、御薬園にも行かなかっただろう。そんな、私たちの顛末である。水鳴諒は無免許ですが、この度無事に、結婚します。



 ※このお話は、モキュメンタリー作品です。実在の物事はなるべく仮称を用いておりますが、一つだけ。クマのぬいぐるみを持つ、白いワンピースに血飛沫がついてる、黒い長髪の女。これが今のメグの姿みたいだ。カッターを持ってる女性を見た後、貧血になった方がいたら、情報提供をお願い致します。既に、遺体は見つかっておりますが、藍堂くん、曰く。

『“呪い”は制したけれどな、まだ、歩いているかもしれないからな』

 どうぞ、見かけたら、お気をつけを。


 ―― 終 ――