2人のバイトを雇いはじめた1ヶ月間は嘘のように依頼が舞い込んできた。岩戸屋はより一層の騒々しくなっており、特にニィナが雇われてからというもの、色気の無い岩戸屋には花が咲き、彼女目当ての客も少なく無い。
しかし大きな依頼は無く、やれウチのラウンドガールをやってくれだの、1日看板娘をやってくれだの、下心甚だしい依頼が殆どだった。
だが人間生きるためには金が必要である。稼げる時に稼ぐナギヨシの方針としては、『セクハラ厳禁』『コンパニオン依頼料金割増』を掲げそれらに着手した。
当のニィナは特に気にせず、むしろ彼女に手を出そうものなら3倍返しのお仕置が返ってくる。
知る限りでも2、3人は病院送りにされたらしい。
ケンスケもまた、書類仕事や依頼の整理など雑務に追われ、忙しなく働いている。彼のおかげで、ナギヨシが今までどれだけ雑な後処理をしていたのかも明るみになった。
それもそのはず。訴訟を起こされた十中八九負ける過去の案件が見つかったのだ。要するに資金繰りも含め、岩戸屋店主はギリギリの綱渡りでこれまで生きていたのである。
つまるところ岩戸屋3人衆は、懐に余裕は生まれど、心に余裕は無い。そんな日々を各々が過ごしていた。
激動の1ヶ月が過ぎ、美しい少女新加入バフも収まったそんなある日、ケンスケが1つの疑問を呈した。
「ナギさんって何で『何でも屋』を始めたんですか?」
確かに最もな疑問である。雇われの身としては、己が成している仕事のルーツは気になる物。ニィナもスマホを触る手を止め、そわそわと聞き耳を立て始める。
「何でかってそりゃあ……人の為に働きたいと思ったから」
「はいダウト」
「否定がはえーよ」
「あの雑っぷりを見てれば、流石に分かりますよ。ナギさんのことだ。もっと短絡的な理由でしょ」
ケンスケに同調する様にニィナは首を縦に振る。
そして渋い顔をするナギヨシに畳み掛ける様に追求した。
「私も気になる。ナギがこの仕事してる理由。私が居なかったら多分今もカツカツな生活してる。だいたいケンスケを雇えてたのが不思議」
「ニィナちゃん聞いてよ。僕最初この人のせいで前のバイトクビになったんだから」
「それは酷い。ナギは2人の人生を変えちゃったんだね。罪な人」
「言い方に悪意があンだよテメーらはっ!……ったくよぉ、自己弁護の為にもここは1つ話してやるか。『ゆりかごから墓場まで。なんでもござれの岩戸屋』創設エピソードを」
ゴホンッとひとつ咳払いをし、仰々しい面持ちでナギヨシは2人を見つめた。
なんとも言えない緊張感が部屋を包む。これから一体何が明かされるのか。ミステリーが解明される手前のCM、または最終回1話前の高揚感を2人は抱いていた。
「それはな……」
全貌が明かされる1秒前。オーディエンスのムードは最高潮に達していた。
「俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったからだ」
先程までとは違った静まり方をしている室内。サッと波が引くように、高揚感は消え去っていた。
「は?」
「いやだから……俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったから」
「聞こえてない訳ではないです。ほんとにそんな理由なんですか?漫画に触発されたからなんですか?」
「ウン」
「じゃあそれが教師だったら教師仕事にしてたの?」
「ウン」
ケンスケとニィナは顔を見合わせる。その気持ちはさながらミステリーの解明は次週への先延ばし、最終回は打ち切りエンドと言ったところだ。
「しょーもな」
「期待して損した」
「お前らが聞いてきたんだろーが!え、コレ俺が悪いの?期待に寄り添えなかった俺がいけないの?」
期待に目を輝かせていたあの時とは打って変わって、2人は濁った目を向ける。
『残念』という単語を検索したら、きっとこの2人の顔写真が出てくるだろう。
「もっと何かある雰囲気してたじゃないですか。師匠的な人がいて、その人の代わりに店主やってるとか」
「それだったら『帰ってきた師匠編』とか出来るのに」
「そんな都合の良い師匠はいねーよ?」
「『闇堕ち師匠』からの『サイボーグ化師匠』とかの話も拡げられるのに……勿体ないですよナギヨシさん!」
「うーん……イマドキ復活系は流行らない。どうせなら師匠は殺しておいて『師匠の過去編』スピンオフで同時連載が熱いかもしれない」
「ニィナちゃんそれ採用!!」
「勝手に作り上げた師匠を勝手に殺すなよッ!お前らは俺の人生の編集者かッ!!」
パチンッと指を鳴らすケンスケにナギヨシは怒りをぶつける。コイツらは俺にどんな過去があれば満足するのか。ナギヨシは2人を雇ったことに少しばかりの不安を覚える。
「俺は根っからのスクワッ子なの!人生で必要なことは全部スクワットから学んで来たからいいの!!」
「ならもっとドラマッチックな仕事してくださいよ」
「いっそ異世界転生とか追放とかされてて欲しい」
「お前ら救った時はだいぶドラマチックだったと思うけどなぁ僕ァ!?」
難癖が止まらない2人にナギヨシはタジタジになっていた。誰か俺を救ってくれ。いやいっそころしてくれ。今から異世界転生させてくれ。そんな思いがナギヨシを駆け巡る。
たった一言の『漫画に憧れた』発言は徐々に体内から燃え上がるような、嫌な気恥ずかしさを呼び起こした。
「私、実は起きてた」
「え?」
「ナギヨシがオコイエと戦ってた時、実は起きてた。身体が痛すぎて起き上がれなかったけど」
ここに来て更なる爆弾が投下される。ニィナがあの戦いを見ていたということは、取ってつけたあの必殺技も耳に入っていたということだ。
ナギヨシの額に一筋の汗が滲み出る。脳裏に浮かぶのはオコイエとの掛け合いだった。
古今東西掛け合いという文化は素晴らしい。ゲームしかり漫画しかり小説しかり関係値が分かり、熱狂するポイントである。
だが現実はどうだろうか。対面している者同士ならその熱さも心地良かろう。
それを傍から見る者にとっては如何だろうか。
結論は1つ『なんか冷める』だ。
例えば体育で行うバスケットボールの授業。相手のボールをカットする際に『甘いッ!』やら『そこだッ!』やら、漫画さながらの熱演をしていた男子がいたとしよう。おそらくその男子は、授業が終わった途端にいじられキャラへと変貌してしまう。ことある事に発言を咎められ、なんなら手を上げただけで背後から「ここだッ!」なんて声が聞こえてくるだろう。
要するにイタタタタ案件なのある。
「その時……叫んでたの」
「な、何を?」
ケンスケはゴクリと唾を飲み、ニィナに言葉の先を促す。
俯き、顔に影が落ちるナギヨシを他所に、ニィナは続ける。
「『星爆発流乱斬』って叫んでた」
「え、何?」
「『星爆発流乱斬』……ひ、必殺技だって、ぷくく、きっと……ぷっはっはっはっ!!」
耐えきれずニィナは吹き出してしまう。ケンスケも一瞬考えた後、すぐさま理解し大声で笑いだした。
更に酷いことに、物真似までし始めたのである。
ナギヨシは反論の余地など無く、ただただ沸騰する血液にふるふると震え赤面するだけだった。
刮目せよ。これがテンションに身を任せた者の末路である。この瞬間こそ、いじめと学内カースト制度が始まるワンシーンなのだ。
「コラコラ、ナギさんをそんなに虐めちゃダメじゃない。大人だからこそ、童心に帰りたいのよ」
その時現れた一筋の光。言い換えるなら蜘蛛の糸。カンダタさながら、必死に掴み取ろうと顔を上げたナギヨシの前に立っていたのは、ケンスケの姉、武市ソラである。
「ソ、ソラァァァァァ!!」
「お邪魔しますね、ナギさん。いつもの差し入れ持ってきました。ほらほら2人とも謝りましょ。ナギさんったら目を腫らしてますよ」
今のナギヨシにはソラの姿が聖人君子に見えた。ドキツイ油の塊を毎度の如く差し入れに来る彼女の到来に、今ばかりは心底感謝する。
「話は聞いてました。ケンちゃんも戦隊ヒーローに憧れてた時期があるでしょ?それと一緒なのよ。卒業するのが遅いか早いかの違いなの」
「ウッ……!!」
突然のダメージに胸を抑えるケンスケ。思い当たる節は誰にだってあるものなのだ。
一方のニィナはピンと来ていないといった顔をしている。
「ソラ。私、そういうの分からない」
「そうねぇ。ニィナちゃんで言えば……『実は亡国のお姫様である自分に特別感を感じていた』とか?」
「ウッ……!!」
またもや被弾。ソラの見立ては百発百中である。
いくら気にしない素振りをしていても、誰かと違う特別な物を持っていれば浸りたい。それが人なのだ。
「でもね、そう言った経験を経て1歩1歩大人になっていくんだよ。だから安心してね」
「ソ、ソラ姐ェ〜!!」
ニィナはソラのフォローに一瞬で虜になる。心の弱った時、誰かに縋りたくなるのもまた人である。あんどしたのか、ケンスケとニィナは差し出された唐揚げに手を付け、一服しはじめた。
「アッハッハッ!人の事言えねぇじゃねぇかテメーらも!!」
「もうっ!ナギさんったらすぐ調子に乗るんだから……」
「じゃあ何だ?ソラもなんかに憧れてた時期はあるのか?」
「そりゃあありますよ。ただし、皆と違ってもう恥ずかしさを感じる時期は過ぎましたけど。私22ですよ?いい歳して恥ずかしがってるナギさんのが恥ずかしいです」
「ウッ……!!」
3人目の被害者を生みながら、ソラは話始めた。
「私もナギさんと一緒で漫画のキャラクターには憧れたわ。私、根っからの『月刊少女シュシュ』の愛読者だったんですもの。確かに少女漫画だと『ガーターベルト』とか『生と胸』とか大人向けのが流行ってたけど、私はピュア一辺倒だったから」
月刊少女シュシュとは高学年女児向けの少女漫画である。青臭い10代特有の青春模様や、敵国同士の許されざる禁断の恋と言った、女の子の理想が描かれた漫画雑誌である。男子が『スクアット』や『バカチン』に憧れるなら、女子の目指す姿勢はこれに描かれているだろう。
「だから私、少しニィナちゃんが羨ましかったのよ?だって本物のお姫様なんだもの」
「フフン」
「ちょっと得意げな顔するの止めろ」
「だからかな。理想が行動にはんえいされたのかしら。私、学生時代は周りから『お姫様』扱いされてたの」
ナギヨシに嫌な直感が走る。
このお姫様の意味とは何なのだろうか。世間知らずと馬鹿にされてのものだろうか。それならば、そうと素直に教えてやるべきなのだろう。だが、彼女がそれを良い思い出として捉えていたら、きっと傷付けることになる。だからこそフォローせねばなるまい。
わずか0.3秒の間に身の振り方を考えたナギヨシは、ソラの次の言葉に備えた。
「私が登校するとね、皆が私にひざまづいたの」
「は?」
「私をかつぎ上げて、教室まで連れて行ってくれたのよ。まるで毎日お祭りみたいだったな」
「いやいやいや!!どこのお姫様!?」
「だから言ったじゃない。お姫様扱いされてたって」
「そう言えば、姉さんの脚を疲れさせたくないって理由で、柔道部の部長が毎朝担ぎに来てたよね。あの人優しかったな」
「ケンスケは何で順応してんの!?」
「ほ、本物のお姫様だ……!?それに比べたら私の特別感なんてノミの心臓より小さかった……!!」
「ニィナの方がお姫様エピソード強いだろうが!?何がそこまでの敗北感を味あわせてんだよ!!」
2人の反応に狼狽えるナギヨシは、自分の認識を疑った。一体何が現実的なのだろうか。己だけがアウェーなこの空間で途端に不安に駆られる。
「ていうか何したらそうなったんだよ」
「うーん。思い当たる節があるとすれば……そう、丁度連載してたのよ!『中毒姫』!!」
「何その少女漫画じゃ絶対お目にかかれない作品は」
「あれは悲しいお話だったな……」
ソラが語るに『中毒姫』とは、敵国に家臣と民を食事に混ぜられた毒物で皆殺しにされた若い姫がいた。
天涯孤独の身となった姫は、復讐のため敵国に食事係として勤める。
そこで出会う男との恋。復讐との葛藤。全て抱き抱えた姫のとった行動は食事に、霊薬を混ぜて振る舞う事だった。
その効果は絶大で、国の誰しもが彼女の食事の虜となり、彼女に従った。
勿論、恋した男さえも。
ラストシーンは、作り上げた恋人を侍らせ、己の手料理を前にほくそ笑む姫の姿で終わる。
「怖ッ!?お前はそれの何処に惹かれたの!?」
「成り上がる強いお姫様像かしら?」
「成り上がり方に問題があるだろ!!」
当時からしても、その作品は賛否両論だった。はたして、女児向けの少女漫画で連載してよい作品だったのだろうか。倫理観が問われる問題作としての世間の認知とは裏腹に、確固たる自身を貫く強さを語ったメッセージ性は、今尚少女漫画界隈では伝説となっている。
「だからね。私も振舞っちゃったの……当時好きだった男の子に」
「な、何を?」
「霊薬入りの唐揚げ」
ナギヨシは困惑していた。フィクションであるはずの霊薬を唐揚げに混ぜたこの女の行動に。
「へ、へぇー……き、聞くまでも無いけど、け、結果は?」
「次の日からその人が私に傅いたわ」
「誰かァァァ!誰か逮捕してェェェェ!!この女と中毒姫の作者逮捕してェェェ!!」
「大袈裟ですよ、ナギさん。きっと皆私のことからかってたのよ。世間知らずって」
「嘘つきも大概にしないと本当になるって習わなかったァ!?」
「3年間も私のお姫様ごっこに付き合うなんて、随分熱心に嘘をついていたのね」
「お前の神経も大概おかしいよ!!」
あらあらと笑う目の前の女に、ナギヨシは改めて恐怖を覚えた。悪意の無い悪意ほど怖い物はこの世に存在しない。
先程までの聖人君子は、もはや無差別に人を捌く神に変わっていた。
「だからね。それを確かめるために私、今日の差し入れ頑張ったのよ」
「ま、まさか……」
「フフッ、趣向を凝らしてみました。本日の差し入れは『中毒姫再現唐揚げ』です!」
ナギヨシの背筋をゾクゾクとした悪寒が走る。自分はまだ食べていない。だが、バイト共はどうだろうか。
彼の記憶が正しければヤツらは……狂った様に貪っていた。
「ソラ姉様。なんなりと弟の背に脚を乗せてください」
「ソラ姉様。私めの様な偽物の姫にどうかお慈悲を。臀部を背にお乗せ下さい。我ら2人が貴女様を運ぶ車となります。いや、ならせてください」
「やっぱりだあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!」
案の定の様である。ケンスケとニィナはソラの前に傅き、身を捧げている。ナギヨシはその光景に、大きく口を開け、発狂するしかなかった。
「ケンちゃんもニィナちゃんもお馬さんごっこ?流石に私も恥ずかしいわよ」
「いえ、恥ずかしさなど微塵もありません。私めにとってこれこそが至極の喜びであります」
「ソラ姉様は疲れない。我々は喜びを感じることが出来る。故に、この行為には意味があり、利益が生じます」
2人は四つん這いになり、今か今かとソラの搭乗を待ち望んでいる。
人はこうも変貌するのだろうか。もはやナギヨシの疑問に答えられる者はこの場にはいなかった。
「なら、お言葉に甘えちゃおうかしら。ナギさん、私これから買い出しに行きますけど、2人を借りて行ってもいいかしら?」
「ドウゾ」
「ありがとうございます。ナギさんも唐揚げ食べてくださいね?」
「ハイ」
「では今日はお暇させて頂きます。さようなら」
「サヨウナラ」
ソラを乗せた2人は、四足で軽快に岩戸屋の外に出て行った。もはや彼らを表すために『人』という単語を使うことは、間違っているのかもしれない。
1人取り残されたナギヨシの目はただ濁っていた。自分の享受していた世界は、実は間違っていたのかもしれない。狂気に触れた彼は、もはや放心せざるえなかった。
そして部屋の隅に無造作に置いてある少年スクワットをおもむろに手に取った。
「卒業するか。スクワッ子……」
今週号。読み進めてまだ半ページ。彼はそっとゴミ箱に捨てた。
しかし大きな依頼は無く、やれウチのラウンドガールをやってくれだの、1日看板娘をやってくれだの、下心甚だしい依頼が殆どだった。
だが人間生きるためには金が必要である。稼げる時に稼ぐナギヨシの方針としては、『セクハラ厳禁』『コンパニオン依頼料金割増』を掲げそれらに着手した。
当のニィナは特に気にせず、むしろ彼女に手を出そうものなら3倍返しのお仕置が返ってくる。
知る限りでも2、3人は病院送りにされたらしい。
ケンスケもまた、書類仕事や依頼の整理など雑務に追われ、忙しなく働いている。彼のおかげで、ナギヨシが今までどれだけ雑な後処理をしていたのかも明るみになった。
それもそのはず。訴訟を起こされた十中八九負ける過去の案件が見つかったのだ。要するに資金繰りも含め、岩戸屋店主はギリギリの綱渡りでこれまで生きていたのである。
つまるところ岩戸屋3人衆は、懐に余裕は生まれど、心に余裕は無い。そんな日々を各々が過ごしていた。
激動の1ヶ月が過ぎ、美しい少女新加入バフも収まったそんなある日、ケンスケが1つの疑問を呈した。
「ナギさんって何で『何でも屋』を始めたんですか?」
確かに最もな疑問である。雇われの身としては、己が成している仕事のルーツは気になる物。ニィナもスマホを触る手を止め、そわそわと聞き耳を立て始める。
「何でかってそりゃあ……人の為に働きたいと思ったから」
「はいダウト」
「否定がはえーよ」
「あの雑っぷりを見てれば、流石に分かりますよ。ナギさんのことだ。もっと短絡的な理由でしょ」
ケンスケに同調する様にニィナは首を縦に振る。
そして渋い顔をするナギヨシに畳み掛ける様に追求した。
「私も気になる。ナギがこの仕事してる理由。私が居なかったら多分今もカツカツな生活してる。だいたいケンスケを雇えてたのが不思議」
「ニィナちゃん聞いてよ。僕最初この人のせいで前のバイトクビになったんだから」
「それは酷い。ナギは2人の人生を変えちゃったんだね。罪な人」
「言い方に悪意があンだよテメーらはっ!……ったくよぉ、自己弁護の為にもここは1つ話してやるか。『ゆりかごから墓場まで。なんでもござれの岩戸屋』創設エピソードを」
ゴホンッとひとつ咳払いをし、仰々しい面持ちでナギヨシは2人を見つめた。
なんとも言えない緊張感が部屋を包む。これから一体何が明かされるのか。ミステリーが解明される手前のCM、または最終回1話前の高揚感を2人は抱いていた。
「それはな……」
全貌が明かされる1秒前。オーディエンスのムードは最高潮に達していた。
「俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったからだ」
先程までとは違った静まり方をしている室内。サッと波が引くように、高揚感は消え去っていた。
「は?」
「いやだから……俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったから」
「聞こえてない訳ではないです。ほんとにそんな理由なんですか?漫画に触発されたからなんですか?」
「ウン」
「じゃあそれが教師だったら教師仕事にしてたの?」
「ウン」
ケンスケとニィナは顔を見合わせる。その気持ちはさながらミステリーの解明は次週への先延ばし、最終回は打ち切りエンドと言ったところだ。
「しょーもな」
「期待して損した」
「お前らが聞いてきたんだろーが!え、コレ俺が悪いの?期待に寄り添えなかった俺がいけないの?」
期待に目を輝かせていたあの時とは打って変わって、2人は濁った目を向ける。
『残念』という単語を検索したら、きっとこの2人の顔写真が出てくるだろう。
「もっと何かある雰囲気してたじゃないですか。師匠的な人がいて、その人の代わりに店主やってるとか」
「それだったら『帰ってきた師匠編』とか出来るのに」
「そんな都合の良い師匠はいねーよ?」
「『闇堕ち師匠』からの『サイボーグ化師匠』とかの話も拡げられるのに……勿体ないですよナギヨシさん!」
「うーん……イマドキ復活系は流行らない。どうせなら師匠は殺しておいて『師匠の過去編』スピンオフで同時連載が熱いかもしれない」
「ニィナちゃんそれ採用!!」
「勝手に作り上げた師匠を勝手に殺すなよッ!お前らは俺の人生の編集者かッ!!」
パチンッと指を鳴らすケンスケにナギヨシは怒りをぶつける。コイツらは俺にどんな過去があれば満足するのか。ナギヨシは2人を雇ったことに少しばかりの不安を覚える。
「俺は根っからのスクワッ子なの!人生で必要なことは全部スクワットから学んで来たからいいの!!」
「ならもっとドラマッチックな仕事してくださいよ」
「いっそ異世界転生とか追放とかされてて欲しい」
「お前ら救った時はだいぶドラマチックだったと思うけどなぁ僕ァ!?」
難癖が止まらない2人にナギヨシはタジタジになっていた。誰か俺を救ってくれ。いやいっそころしてくれ。今から異世界転生させてくれ。そんな思いがナギヨシを駆け巡る。
たった一言の『漫画に憧れた』発言は徐々に体内から燃え上がるような、嫌な気恥ずかしさを呼び起こした。
「私、実は起きてた」
「え?」
「ナギヨシがオコイエと戦ってた時、実は起きてた。身体が痛すぎて起き上がれなかったけど」
ここに来て更なる爆弾が投下される。ニィナがあの戦いを見ていたということは、取ってつけたあの必殺技も耳に入っていたということだ。
ナギヨシの額に一筋の汗が滲み出る。脳裏に浮かぶのはオコイエとの掛け合いだった。
古今東西掛け合いという文化は素晴らしい。ゲームしかり漫画しかり小説しかり関係値が分かり、熱狂するポイントである。
だが現実はどうだろうか。対面している者同士ならその熱さも心地良かろう。
それを傍から見る者にとっては如何だろうか。
結論は1つ『なんか冷める』だ。
例えば体育で行うバスケットボールの授業。相手のボールをカットする際に『甘いッ!』やら『そこだッ!』やら、漫画さながらの熱演をしていた男子がいたとしよう。おそらくその男子は、授業が終わった途端にいじられキャラへと変貌してしまう。ことある事に発言を咎められ、なんなら手を上げただけで背後から「ここだッ!」なんて声が聞こえてくるだろう。
要するにイタタタタ案件なのある。
「その時……叫んでたの」
「な、何を?」
ケンスケはゴクリと唾を飲み、ニィナに言葉の先を促す。
俯き、顔に影が落ちるナギヨシを他所に、ニィナは続ける。
「『星爆発流乱斬』って叫んでた」
「え、何?」
「『星爆発流乱斬』……ひ、必殺技だって、ぷくく、きっと……ぷっはっはっはっ!!」
耐えきれずニィナは吹き出してしまう。ケンスケも一瞬考えた後、すぐさま理解し大声で笑いだした。
更に酷いことに、物真似までし始めたのである。
ナギヨシは反論の余地など無く、ただただ沸騰する血液にふるふると震え赤面するだけだった。
刮目せよ。これがテンションに身を任せた者の末路である。この瞬間こそ、いじめと学内カースト制度が始まるワンシーンなのだ。
「コラコラ、ナギさんをそんなに虐めちゃダメじゃない。大人だからこそ、童心に帰りたいのよ」
その時現れた一筋の光。言い換えるなら蜘蛛の糸。カンダタさながら、必死に掴み取ろうと顔を上げたナギヨシの前に立っていたのは、ケンスケの姉、武市ソラである。
「ソ、ソラァァァァァ!!」
「お邪魔しますね、ナギさん。いつもの差し入れ持ってきました。ほらほら2人とも謝りましょ。ナギさんったら目を腫らしてますよ」
今のナギヨシにはソラの姿が聖人君子に見えた。ドキツイ油の塊を毎度の如く差し入れに来る彼女の到来に、今ばかりは心底感謝する。
「話は聞いてました。ケンちゃんも戦隊ヒーローに憧れてた時期があるでしょ?それと一緒なのよ。卒業するのが遅いか早いかの違いなの」
「ウッ……!!」
突然のダメージに胸を抑えるケンスケ。思い当たる節は誰にだってあるものなのだ。
一方のニィナはピンと来ていないといった顔をしている。
「ソラ。私、そういうの分からない」
「そうねぇ。ニィナちゃんで言えば……『実は亡国のお姫様である自分に特別感を感じていた』とか?」
「ウッ……!!」
またもや被弾。ソラの見立ては百発百中である。
いくら気にしない素振りをしていても、誰かと違う特別な物を持っていれば浸りたい。それが人なのだ。
「でもね、そう言った経験を経て1歩1歩大人になっていくんだよ。だから安心してね」
「ソ、ソラ姐ェ〜!!」
ニィナはソラのフォローに一瞬で虜になる。心の弱った時、誰かに縋りたくなるのもまた人である。あんどしたのか、ケンスケとニィナは差し出された唐揚げに手を付け、一服しはじめた。
「アッハッハッ!人の事言えねぇじゃねぇかテメーらも!!」
「もうっ!ナギさんったらすぐ調子に乗るんだから……」
「じゃあ何だ?ソラもなんかに憧れてた時期はあるのか?」
「そりゃあありますよ。ただし、皆と違ってもう恥ずかしさを感じる時期は過ぎましたけど。私22ですよ?いい歳して恥ずかしがってるナギさんのが恥ずかしいです」
「ウッ……!!」
3人目の被害者を生みながら、ソラは話始めた。
「私もナギさんと一緒で漫画のキャラクターには憧れたわ。私、根っからの『月刊少女シュシュ』の愛読者だったんですもの。確かに少女漫画だと『ガーターベルト』とか『生と胸』とか大人向けのが流行ってたけど、私はピュア一辺倒だったから」
月刊少女シュシュとは高学年女児向けの少女漫画である。青臭い10代特有の青春模様や、敵国同士の許されざる禁断の恋と言った、女の子の理想が描かれた漫画雑誌である。男子が『スクアット』や『バカチン』に憧れるなら、女子の目指す姿勢はこれに描かれているだろう。
「だから私、少しニィナちゃんが羨ましかったのよ?だって本物のお姫様なんだもの」
「フフン」
「ちょっと得意げな顔するの止めろ」
「だからかな。理想が行動にはんえいされたのかしら。私、学生時代は周りから『お姫様』扱いされてたの」
ナギヨシに嫌な直感が走る。
このお姫様の意味とは何なのだろうか。世間知らずと馬鹿にされてのものだろうか。それならば、そうと素直に教えてやるべきなのだろう。だが、彼女がそれを良い思い出として捉えていたら、きっと傷付けることになる。だからこそフォローせねばなるまい。
わずか0.3秒の間に身の振り方を考えたナギヨシは、ソラの次の言葉に備えた。
「私が登校するとね、皆が私にひざまづいたの」
「は?」
「私をかつぎ上げて、教室まで連れて行ってくれたのよ。まるで毎日お祭りみたいだったな」
「いやいやいや!!どこのお姫様!?」
「だから言ったじゃない。お姫様扱いされてたって」
「そう言えば、姉さんの脚を疲れさせたくないって理由で、柔道部の部長が毎朝担ぎに来てたよね。あの人優しかったな」
「ケンスケは何で順応してんの!?」
「ほ、本物のお姫様だ……!?それに比べたら私の特別感なんてノミの心臓より小さかった……!!」
「ニィナの方がお姫様エピソード強いだろうが!?何がそこまでの敗北感を味あわせてんだよ!!」
2人の反応に狼狽えるナギヨシは、自分の認識を疑った。一体何が現実的なのだろうか。己だけがアウェーなこの空間で途端に不安に駆られる。
「ていうか何したらそうなったんだよ」
「うーん。思い当たる節があるとすれば……そう、丁度連載してたのよ!『中毒姫』!!」
「何その少女漫画じゃ絶対お目にかかれない作品は」
「あれは悲しいお話だったな……」
ソラが語るに『中毒姫』とは、敵国に家臣と民を食事に混ぜられた毒物で皆殺しにされた若い姫がいた。
天涯孤独の身となった姫は、復讐のため敵国に食事係として勤める。
そこで出会う男との恋。復讐との葛藤。全て抱き抱えた姫のとった行動は食事に、霊薬を混ぜて振る舞う事だった。
その効果は絶大で、国の誰しもが彼女の食事の虜となり、彼女に従った。
勿論、恋した男さえも。
ラストシーンは、作り上げた恋人を侍らせ、己の手料理を前にほくそ笑む姫の姿で終わる。
「怖ッ!?お前はそれの何処に惹かれたの!?」
「成り上がる強いお姫様像かしら?」
「成り上がり方に問題があるだろ!!」
当時からしても、その作品は賛否両論だった。はたして、女児向けの少女漫画で連載してよい作品だったのだろうか。倫理観が問われる問題作としての世間の認知とは裏腹に、確固たる自身を貫く強さを語ったメッセージ性は、今尚少女漫画界隈では伝説となっている。
「だからね。私も振舞っちゃったの……当時好きだった男の子に」
「な、何を?」
「霊薬入りの唐揚げ」
ナギヨシは困惑していた。フィクションであるはずの霊薬を唐揚げに混ぜたこの女の行動に。
「へ、へぇー……き、聞くまでも無いけど、け、結果は?」
「次の日からその人が私に傅いたわ」
「誰かァァァ!誰か逮捕してェェェェ!!この女と中毒姫の作者逮捕してェェェ!!」
「大袈裟ですよ、ナギさん。きっと皆私のことからかってたのよ。世間知らずって」
「嘘つきも大概にしないと本当になるって習わなかったァ!?」
「3年間も私のお姫様ごっこに付き合うなんて、随分熱心に嘘をついていたのね」
「お前の神経も大概おかしいよ!!」
あらあらと笑う目の前の女に、ナギヨシは改めて恐怖を覚えた。悪意の無い悪意ほど怖い物はこの世に存在しない。
先程までの聖人君子は、もはや無差別に人を捌く神に変わっていた。
「だからね。それを確かめるために私、今日の差し入れ頑張ったのよ」
「ま、まさか……」
「フフッ、趣向を凝らしてみました。本日の差し入れは『中毒姫再現唐揚げ』です!」
ナギヨシの背筋をゾクゾクとした悪寒が走る。自分はまだ食べていない。だが、バイト共はどうだろうか。
彼の記憶が正しければヤツらは……狂った様に貪っていた。
「ソラ姉様。なんなりと弟の背に脚を乗せてください」
「ソラ姉様。私めの様な偽物の姫にどうかお慈悲を。臀部を背にお乗せ下さい。我ら2人が貴女様を運ぶ車となります。いや、ならせてください」
「やっぱりだあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!」
案の定の様である。ケンスケとニィナはソラの前に傅き、身を捧げている。ナギヨシはその光景に、大きく口を開け、発狂するしかなかった。
「ケンちゃんもニィナちゃんもお馬さんごっこ?流石に私も恥ずかしいわよ」
「いえ、恥ずかしさなど微塵もありません。私めにとってこれこそが至極の喜びであります」
「ソラ姉様は疲れない。我々は喜びを感じることが出来る。故に、この行為には意味があり、利益が生じます」
2人は四つん這いになり、今か今かとソラの搭乗を待ち望んでいる。
人はこうも変貌するのだろうか。もはやナギヨシの疑問に答えられる者はこの場にはいなかった。
「なら、お言葉に甘えちゃおうかしら。ナギさん、私これから買い出しに行きますけど、2人を借りて行ってもいいかしら?」
「ドウゾ」
「ありがとうございます。ナギさんも唐揚げ食べてくださいね?」
「ハイ」
「では今日はお暇させて頂きます。さようなら」
「サヨウナラ」
ソラを乗せた2人は、四足で軽快に岩戸屋の外に出て行った。もはや彼らを表すために『人』という単語を使うことは、間違っているのかもしれない。
1人取り残されたナギヨシの目はただ濁っていた。自分の享受していた世界は、実は間違っていたのかもしれない。狂気に触れた彼は、もはや放心せざるえなかった。
そして部屋の隅に無造作に置いてある少年スクワットをおもむろに手に取った。
「卒業するか。スクワッ子……」
今週号。読み進めてまだ半ページ。彼はそっとゴミ箱に捨てた。