ハバナイスデイズ!!~きっと完璧には勝てない~

 ニィナは扉をひしゃげながら、無理矢理電車から降りる。彼女の行動に、覚悟を決めたケンスケの顔もついでにひしゃげた。

「えぇぇぇぇ!?」
「ふぅ……存外硬いんだな。電車のドアって」
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ!?何降りてきちゃってんの!?僕が決死の覚悟で乗せたのに何降りてきちゃってんの!?」

 ケンスケは対峙する緊張感など忘れ、熱烈な講義をした。それもそのはず、彼からすれば一世一代の格好をつけるチャンスだったのだ。
 男なら誰でも憧れるシチュエーション。それは女の子の為にその身を犠牲にしてでも守り抜くこと。
「勢い任せの無謀」とも言えるその行為はロマンティックの塊だ。
 けれどいつの時代もリアリストに邪魔をされてしまう。今回に限っては、現実(リアル)を超越した筋肉少女(リアリスト)が、文字通りの力任せでロマンに割り込んんできたという稀有なケースなのだが。
 だとしても格好をつけた側はたまったもんじゃない。全身の体毛の片側だけ剃り落とし、俗世を捨て山に籠らねば生きていけぬほど、恥ずかしいのだ。

「ケンスケ格好つけすぎ。私が戻らなきゃ殺されてるから」

 あろう事かこの女は、1番触れては行けない場所をノータイムで逆撫でする。ケンスケは身の毛がよだつ気恥しさに、全身を掻き毟りたい衝動に駆られた。事実、現在進行形で発狂しながら身体を悶えさせ、掻き毟っている。

「ち、ちげーし!そんな格好つけたいとかじゃねーし!たまたま電車が来て、たまたま押したら、たまたま助けた形になっただけだしぃ?」
「あんな必死な顔して?」
「やめてぇぇぇ!?これ以上、僕の繊細な心を踏みにじらないでぇぇ!?」
「その気持ちは嬉しかった。ありがとう」

 ニィナは悶えるケンスケに感謝を述べ、オコイエに向き直った。

「短い別れだったようだね。だが、悲しいかな。感動の再開も短いようだ。私が君をこの手に収めるのだから」
「私は物じゃない。お前の策略のこともどうでもいい。私も戦う決心がついた。逃げることにも飽きたんだ」
「ロック族最強の私に歯向かうと?」
「同族同士が争うなら国際問題にもならない。ただの内輪もめだ」
「私としても有難い。追求される様な泥は今のうちに跳ね除けたいですから」

 オコイエが身構えた途端、空気が変わる。その場に居るだけで、彼の目の前から逃げ出したくなる様な威圧感が肌で分かった。
 身体が芯から凍りつくことがケンスケには分かった。

「僕……あんなのと戦おうとしてたの?」
「ようやく気付いたか鈍感ケンスケ。少し離れてろ。私が相手をする」

 ニィナも身構える。すると彼女からも威圧感が放たれた。
 目には見えないはずの互いの威圧感がぶつかり合い、まるで結界の様に2人を囲った。
 まるでその空間は格闘家が戦う神聖なリングだった。

「なんだこれ、近づけない……」
「前言撤回。ケンスケは感度がいい。これはロック族同士が互いの優劣を付ける時に行う儀式。1対1で己の肉体をぶつけ合う、所謂『タイマン』だ」

 オコイエは大きく拍手をし、高笑いをした。

「素晴らしい!!私と張り合える程の気を放つとは。そこのボンクラボーイに教えてあげよう。ロック族は互いが放つ気をぶつけ合い、他の者に干渉を禁ずる絶対領域を作り出す。そこで行われる行為にジャッジは不要。どちらかが負けを認めるか、死ぬか。シンプルかつ最も分かりやすい私好みの儀式だよ」
「そんな!?」
「ボンクラボーイ、君はニィナを守るんじゃない。ニィナに守られているんだ」

 始めに仕掛けたのはニィナだった。ケンスケとの会話に意識を割いたオコイエに強烈な前蹴りを放つ。
 彼は両腕で攻撃をガードする。しかし、 衝撃までは抑え切れず、その巨体は少しばかり後方に押し込まれた。

「おや?その技はルアでは無さそうですね」
「技術だけが戦いじゃない」

 ニィナは間髪入れずに距離を詰め、密着状況を作り出す。右腕による肘打ちをかますが、オコイエは左腕を使い綺麗に防ぐ。
 ニィナは肘打ちをガードされたことを気にせず、オコイエに瞬時に左フックを叩き込んだ。ルア特有の二度打ちである。
 オコイエも彼女の攻撃パターンを理解し、カウンターを狙う。その為の左片腕だけでの防御だったのだ。両腕を使い隙が生じた脇腹目掛け、右腕で強烈な一撃を与えようとする。
 だが不思議なことが起こった。
 ニィナの身体は目にも止まらぬスピードでオコイエの顎を蹴りあげた。それは予備動作など全く無く、コンピューターの様に()()()()()()()()()()()()()()のでは無いかと思うほどに瞬間的に起こっていた。

「がぁっ!?」

 掟破りの3発目をモロに食らったオコイエは思わず顔が歪む。ニィナがそれを見逃すわけでもなく、すぐさま宙に飛び上がり、体重と落下速度を乗せたかかと落としをくらわした。

「ま、まるで格闘ゲームのコンボだ……!!」

 ケンスケは思わず拳を握る。彼の言う通り、ニィナの攻撃は、後に生じる隙を無視し、更なる攻撃へと転換するものだった。
 その不可解かつ不可能な行動を可能にしているのは、ロック族の超人的な肉体だからこそだ。常人倍の筋肉密度を持つロック族はそのバネを使い、行動の隙を無視し、連撃《コンボ》を生み出す。
 つまり連撃に割り込もうとしたオコイエが、ニィナの攻撃に当たってしまうのは必然だったのだ。

「ロック族秘伝の荒業『動作解除(キャンセル)』。入れ込み安定の技の出し切り。(キャラ)対策出来てないんじゃない?」

 倒れ込むオコイエに、ニィナは無表情ながら得意気に言い放った。
 煽る為なら、起き攻めなど捨て置いて構わない。傲慢ささえ滲み出るその行為は、的確にオコイエの心理に怒りの種を撒き散らした。
 
 ゆらりとオコイエが立ち上がる。首をコキコキと鳴らし、大きく深く危機を吐いた。余裕さえ感じるその態度が示す様、彼の体にこれといった外傷は見当たらない。

「いやぁー流石お姫様と言った所か。してやられたよ。君が、行動解除まで理解しているとは。だが、この空間に発生する『力場』を使いこなせるかな?」
「力場?」
「例えばこれだ」

 オコイエは両腕をグッと引き、気合いを溜める。すると腕の周りに赤い火花が散り始めた。それはバチバチと音を立て、腕に赤いオーラを纏わせる。

「ヘキリ・ペレェ!!」

 溜めた気を解放するかの如く、両腕を前に突き出すと、赤い閃光が轟音で放たれた。
 ニィナはガードを固めようとする。だが、瞬時に受けては行けないことを悟り、ギリギリで身を翻した。
 閃光は気の結界に当たると爆発し、周囲の空気を感電させ、焼け焦げた匂いを漂わせた。

「これが高密度のエネルギーで埋め尽くされた結界内だからこそ使える人知を超えた力『ヘキリ・ペレ』だ。気を圧縮し、電気に変換する私の力。いかがかな?」

 ニィナは自分の呼吸が予想以上に乱れていること気付く。予想外の攻撃を避けることに大幅な脳のリソースを使ったのだろう。
 高水準な近接格闘。それに加えて遠距離をカバーする飛び道具(ヘキリ・ペェレ)
 その存在は密着して戦うことを主とするニィナにとって、この上なく厄介極まりないことだった。

「我が雷光に為す術なく焼かれたまえよニィナ」
「……近付けば関係ない」

 ニィナは距離を詰めるため、一思いに駆け出した。それを黙って見過ごす程オコイエは甘くない。赤い閃光がニィナに向けて容赦なく襲いかかる。
 全身のバネを使い前方に跳び、閃光を掻い潜る。じわりじわりと距離は縮まり、オコイエまであと一跳びの所まで漕ぎ着けた。
 閃光を撃つか、はたまた密着しての攻防に持ち込むか。瞬間的な読み合いが発生する。

「ここだッ!」

 ニィナは跳び上がる。それは今までのジャンプとは違っていた。
 彼女はへキリ・ペレが発生してから跳んだのではなく、撃つことを見越した上で跳んだのだ。ニィナは空中でオコイエの動きを確認する。否、確認ではなくヘキリ・ペレを撃つ()()があったのだ。
 空中からの急襲を仕掛けようとする彼女の目に映ったのは、()()()()()オコイエだった。
 彼はただニヤリと笑った。

「マヌ・ストライクゥ!!」
 
 オコイエは空中から仕掛けたニィナに向け、両腕を額の前で交差し、そのままミサイルの様に突っ込んだ。
 そして強力なクロスチョップがニィナの喉元に突き刺さった。

「ガァァァッ!?」
「予想に違わぬ行動をありがとう姫様」
 
 落下点を目掛け飛んで降りたニィナ自身の体重に、オコイエの攻撃力が加算される。彼女の身に訪れた破壊力は想像するのも容易いだろう。
 ニィナは重力に任せて翼を失った鳥の様に自由落下する。片方が意識を失ったのか、気で作られた領域も消失し、倒れ落ちた彼女の元にケンスケが駆け寄った。

「ニィナちゃん!ニィナちゃん起きて!!」
「……」

 ニィナの身体はピクリとも動かない。ケンスケは急いで脈を調べる。

「生きてはいる……!よかった……」
「はたしてそれはどうだろう」
「なんだとっ!?」
「敵を前に意識を失うことは死と同義。彼女の負けだ。ロック族の仕来りに従い、彼女の身は勝者である私が頂こう」
 
 1歩、また1歩とオコイエが2人に近付く。明確な危機に、ケンスケの身体はガタガタと震え始める。ニィナを連れ、一刻も早くこの場から逃げ出さなければならない。だが振動するばかりで芯に力が入らなかった。自分の身体のはずが、微塵も言うことを聞かない。

「クソっ!動け……動けよ僕っ!!」

 身体中の汗が吹き出し、カラカラと乾いた喉。ケンスケの口から掠れた空気の漏れる音が一定間隔で聞こえる。自分はなんて愚かなのだ。あまりにも大きな力を前にした事実が、今更彼の脳を恐怖で支配する。もはやここまでなのか。ケンスケに『諦め』の2文字が突きつけられる。
 しかし極限の緊張感の中、彼は気付く。己の腕の中の温かみに。目覚める気配の無い少女を護れるのは誰か。
 ケンスケは、ニィナから手を離し彼女を護る様に前に立った。

「しっかりしろ僕!」
 
 武市ケンスケは己を奮い立たせる為、両頬を叩いた。
 ニィナを救い、脅威を退けるのは自分自身しかないのだと心に、脳に、身体に痛みで伝える。

「ニィナちゃん、絶対に護るからゆっくり休んでて」
「君は相当愚かだね。ロック族のニィナでさえ敵わないこの私に歯向かうのだから」
「愚かでもなんでもいいっ!僕はニィナちゃんから依頼を受けた。それを、彼女を護るためならお前なんか怖くも何ともない!!」

 ケンスケの身体に震えは無かった。奮い立ったのは彼の心だ。
 気の持ちようで絶対的な実力差が覆ることは、戦いの世界では起こりえない。オコイエの言う通り、ケンスケは愚者であり蛮勇を晒している。
 だが、ケンスケに迷いはなかった。己が生命と引き換えても、護りたい者のために彼はただ駆け出した。
 
 肉と肉がぶつかる重く鈍い音。それは時折骨を軋ませ、臓腑を震えさせた。
 ケンスケの身体は至る所に痣を作り、瞼は酷く腫れ上がり、擦り切れた口内から絶え間なく血を流し続けている。
 それでも彼は、決してニィナの前から退くことはしなかった。

「いい加減にしてくれないか?私はサンドバックでストレスを発散しに来たわけじゃないんだ。時間も有限じゃない。仕事の邪魔をしないでくれないか?」

 オコイエはほとほと呆れ果てていた。目の前のゴミ虫は何故こうも敵わない自分に歯向かうのか。自分の身を犠牲にしてまで、出会って数日の女を守るのか。
 ケンスケの合理性の欠片も無い行動に、オコイエはただ頭を抱えた。

「ハァー……ハァー……!僕が、僕が守るんだ……」
「あーもういいよ。殺さないように加減していたが、どうやら君には必要ないようだ。弱さを悔いて死んでゆけ」

 オコイエは高く拳を上げた。
 ケンスケはもはや無いような意識をギリギリ保ち、強くその様を睨みつける。彼はこれが最期だとしても目を離す気は無かった。
 自分が倒れてもきっとナギヨシがニィナを救うと確信していた。後悔があるとすれば、姉を1人にしてしまうことだが、その後悔ももう遅い。
 そして、処刑台のギロチンの如くオコイエの拳が振り下ろされた。

「なんだよ。まだこんな所でまごついてたのか?依頼はデートじゃねぇんだぞ」

 オコイエは自分の拳に走る感触に違和感を覚えた。
 硬い。けれど人の頭蓋の硬さでは無い。
 次の瞬間オコイエの目に映ったものは、デッキブラシを抱えた黒髪の怪しい男の姿だった。

「ッ!?」
 
 その姿に突如悪寒が走る。思わずその巨体を後退させた。それは捕食者を前にした非捕食者であるかの様な感覚。今までオコイエの感じたことの無い弱者の感覚だった。

「ナギさん……!」
「全くよぅ、テメーもニィナも勝手にするんなら俺に迷惑かけんな。結局俺が出ずっぱらにゃならんじゃねーか」
「すみませんでした……」
「だがまぁ……岩戸屋の社訓、『依頼は守る』ってのは身についたみたいだな」
「でもニィナちゃんが……」
「いいんだよ。コイツも多少痛い目に合えば人を頼るってのも分かんだろ」
「……それ、依頼主相手に言うことじゃないです」
「大人としての説教だバカタレ。テメーもおねんね時間だ。よくやったよ。後は任せとけ」
「ありがとう……ございます………」

 酷く腫れた顔でふわりと笑いケンスケは力なく倒れ込む。ナギヨシはそっと彼を抱え、優しく地面に下ろした。ナギヨシは満足気な表情をして眠るケンスケを呆れたように笑い、オコイエに向き合った。

「よぉ。ウチのバイトと依頼主が随分世話になったみたいだな」

 その言葉にオコイエはようやくハッとした。自分は今まで何をしていたのかと自問自答する。
 あれだけ隙のあった時間を何故有効に使えなかったのか。否、答えなど問わずともオコイエには分かっていた。
 ()()()()()()()のだ。
 誰もが畏怖する力も持つ己が、たった1人の存在により認識から書き換えられた事実。
 時間にして数十秒の硬直。オコイエがそれを受け入れる為の時間は、彼にとってとても長い年月の様に思えた。

「君がボンクラボーイの雇い主かい?躾はちゃんとしてくれないと困るなぁ」
「躾なんて時間はねーよ。こちとら事務所の掃除するための買い出しで忙しいんだ」
「躾は大事だぞ?自分の駒としてより良く使うためには教育あってこそだ。ところでどうかね?」

 オコイエはわざと大袈裟なジェスチャーを用いた。敵意は無いことを示すために、両腕をひらひらと見せる。
 
「君は金のためにニィナを守るんだろう?だったらその倍額、いや2倍どころか3倍出してもいい。彼女をこちらに渡してくれないか?」
「オイオイ……ンな映画の悪役みたい台詞言うやつがいるかぁ?」
「僕も初めてだよ。だが、建設的な話をするには随分とこの台詞は都合がいい」
「なんならワインでも用意しようか?マフィアのボス役ならお似合いだぞ」
「私は酒が飲めない口でね。トマトジュースなら大歓迎だ」

 ナギヨシとオコイエは互いに笑い合う。高揚を隠さない2人の声が駅のホームに響き渡った。
 都合よく人はいない。まるで西部劇のワンシーンの様に、一陣の乾いた風が2人の頬を撫でた。

「お断りじゃボケェェ!!」
「だと思ったよぉ!獣がぁぁ!!」

 突如2人は激突した。その強烈な衝撃に空気は震え、小規模な暴風を引き起こす。
 ナギヨシは手に持ったデッキブラシで、間髪入れず大胆に攻める。オコイエも場を荒らす動きに慣れているのか、釣られずに冷静に一つ一つを対処する。
 傍から見れば防戦一方だが、心理的優位に立っているのはオコイエだ。
 そして不思議なことに、ロック族同士でしか起こりえない領域が2人の周りを取り囲んでいた。本来有り得ない現象にオコイエは距離をとる。そして気付いた。

「さては貴様……『異排聖戦(いはいせいせん)』経験者だな?日本人である貴様が身につけられる気じゃない。その気はロック族と多く対峙せねば身につかないはずだ。……貴様、何人の同胞を手にかけた!!」

 オコイエから余裕の表情が消えている。怒りに顔を歪め、燃え盛る炎に包まれたと錯覚するほどの、強烈な闘気が漏れ出している。

「だから受けたくなかったんだよ。ニィナがロック族って聞いた時から悪い予感がしてたンだ。ロック族(テメーら)めんどくせぇからな」

 ナギヨシの黒く濁った瞳に、赤みがかった光が写る。それは紛うことなき狂気を孕んでいる。血塗られた過去を持つ者特有の光は、煌々と獲物(オコイエ)を逃さんと捉えて離さなかった。
 
 20年前。かつて異排聖戦と呼ばれる戦いがあった。
 それは歴史における英雄と称された者を影で支えた人物や、中世に行われた魔女狩りの生き残り、その他の異端者と扱われ、人ならざる者として世界に淘汰されかけた者たちの子孫たちが発起した戦いである。
 つまるところ彼らの先祖は間違いなく異能力を持っていたのだ。
 その子孫たちが求めたものは過去の精算。そして受け継いだ異能による権利と地位の向上。()()()として、現人類より尊い存在だということを事を確固たるものとして世間に認めさせようとした。
 そして、この戦いにロック族も参加していたのだ。

「私の祖父がよく語っていたよ。酷い戦争だったと」
「そうか?俺には戦争の善し悪しなんざ分からねーよ。ただ生き残るのに必死だったね」

 異能者に対し人類が取った行動は、歴史に塵すら残さないことだった。
 異排聖戦自体の完全秘匿。故に世間はこの戦争そのものを知らないし、今後も明かされることは無いだろう。
 人類は、異能者たちが集結したドウェン・ジョン島に先制攻撃を仕掛けた。世界の意志により行われたこの行動に参加する部隊は各国の軍隊ではなく、口封じの効く傭兵や、彼らの元で育てられた少年兵が主だった。

「私は先祖の誇りを国諸共汚された。第一次開戦時のことだ。私は若く、族長に島民を連れハワイに逃げ込んだ。そこで異様な光景を見たよ。我らが必死に戦争をしている中、テレビではノリの良い音楽とともにバラエティが流れ、人々は生を楽しんでいた。戦争の『せ』の字さえなかったよ」

 無論、異能者たちも有り余る才と能力を使い抵抗をした。使い捨ての兵による人海戦術で攻め込む人類を迎撃し、異能者側優勢で戦いは進行していた。
 だが、使い捨てには理由があった。それは大規模な部隊を投入して行う陽動作戦。大軍に対し、少数精鋭である異能者が優勢に事を進めたことで何が起こるのか。
 それは慢心だった。故に政府は、最初からそれを狙っていた。

「核……貴様らは我が祖国に戦術核を使ったッ!やっては、行けないことをッ!!……島は消滅し、戦争さえ無かったことになっている。私はそれが許せない。だからこそニィナを祭り上げ、異排聖戦を歴史の明るみにするのだ!!そして、今度こそ我々異能者を優勢とし、世界を作り替えるッ!!」

 オコイエは高らかに宣言する。祖国、文化、社会さえ失ったこの男の目的はただ1つ。
 異排聖戦の再来、第二次異排聖戦を引き起こすことだった。

「長い」
「……は?」

 雄弁なオコイエに対し、ナギヨシはそんな一言を放り投げた。

「話が長いんだよ。校長先生の話かってんだ」
「いや、こういうのって流れがあってだね?私の熱い意志を過去の怒りと共に明かす重要な場面じゃないか」
「長いと聞く気が失せるんだよ。15文字以内にしろ。ちなみに俺にはできる」

 突然の制約にオコイエは頭を悩ませる。根本的真面目さがここに来て彼の頭を苦しめる。
 額に手を当て考えること十数秒。オコイエはハッと閃き答えた。

「戦で歴史に誇りを刻むゥ!」

 オコイエはキメ顔でポーズを取り、強く宣言した。きっかり15文字。靄がかった思考が晴天の如く晴れる。我ながら分かりやすい。オコイエは心の中で自画自賛をした。
 対するナギヨシは、フッと笑みを浮かべ返答する。

「そうかい。でもなぁ、人をテメーのエゴに巻き込むんじゃねぇ。ニィナは自由に生きたいと願っていた。もう滅んだ国のお姫様なんだ。今更関わらせるなよ。過去の精算なんざ、誰だってしたいさ。失敗したこと、上手くいかなったことなんざ数えれば数えるだけあるんだ。俺だって何度も失敗した。あの時はまだ屁で済むと思っていたんだ。だが、俺は目測を誤った。ちょっと出ちゃったんだよ。実が。成人してから漏らすことなんざないと思っていたがな。パンツが、少し、黄ばんでたんだ。あの何とも虚しい気持ちを今でも昨日の様に思い出す。分かるか?パンツについたウン……」
 
 ナギヨシの語りを遮るって、オコイエが襲いかかった。赤い閃光を纏った拳を、ナギヨシは瞬時にデッキブラシで防ぐ。赤い閃光は周囲の空気を感電させ、バチバチとその凄まじさを物語った。
 青筋の立ったオコイエ。涼し気なナギヨシ。対称的な両者が今、戦いの火蓋を切った。

「出来てないじゃないかァ!10文字以内の説明がァ!!」
「良かったな。俺の気持ちが分かったろ?」

 ナギヨシは得意の棒術でオコイエと間合いを取る。2人の距離は約10メートルと言ったところだ。だが、その間合いはオコイエの得意とする距離でもあった。
 オコイエはロック族の領域内でのみ使える秘技、ヘキリ・ペレを撃ち込む。至近距離から放たれた2発の閃光は時速約90キロ。わずか10メートルという距離を考えると、体感速度は言わずもがな速くなる。
 しかし過去に積み重ねた経験で、ナギヨシの勘は冴え渡っていた。得物(デッキブラシ)を使い、1()()()()()()()器用に受け流す。
 あえてのこの1歩こそ値千金だった。踏み込みによって少なからず慣性の乗った身体は、コンマ数秒と言えど素早く動く。
 つまり、オコイエのヘキリ・ペレの予備動作の隙を与えず、攻撃することが出来たのだ。

「これが最適(ジャスト)(パリィ)じゃんねぇ……」

 ナギヨシはデッキブラシの柄を長く持ち、遠心力を乗せ、フルスイングする。勢いのままにデッキブラシの角がオコイエの(こめかみ)にクリーンヒットした。

「まちゃぼッ!?」
 
 ヘキリ・ペレを撃つことに意識を多く割くことによって、防衛本能が薄くなった瞬間を捉えた強烈な一撃は、身構えている時の倍以上のダメージを体感するだろう。
 格闘技のカウンターヒットに相当する攻撃は、いくら鋼の肉体を持つロック族と言えど、甚大な被害は免れない。
 無理矢理引き起こされた脳震盪(のうしんとう)にオコイエの視界が細かくブレた。
 彼のチカチカと小刻みに発光する視界は、更に驚くべき事実を目の当たりにする。
 それはナギヨシが既に次の予備動作に入っていたことだった。
 本来『フルスイング』という大きな動作には、それ相応の後隙がある。次に行動しようにも、咄嗟に対軸を戻さなければ気の抜けた一撃となり、下手をすれば防がれ手痛い仕返しを受けてしまう。
 だが、ナギヨシの予備動作はそれを感じさせない。それどころか、先程よりも強く深く踏み込み、大きく腰を捻っている。ゴルフスイングの要領で、前のめりに倒れかけたオコイエの顎を()ち上げる。
 同時にデッキブラシはついに耐久力を失い、べキリッと軋む音を立て雑に割れたのだった。
 
 後隙を無くし、次の動作へ繋げる一連の流れをナギヨシはやってのけたのだ。それはまさにロック族秘伝の技術『動作解除(キャンセル)』だったのだ。
 
「オイオイ、新品だってのに。こりゃ職務妨害の罰金込み込みでテメーに要求しなきゃだなァ!」

 あのヘキリ・ペレを2度受け、ようやく折れたのだから、このデッキブラシはむしろ頑丈な方だろう。
 一方、高く宙に舞い上がったオコイエの脳裏は解を求め脳に酸素を多く集めていた。
 何故一般人が動作解除を使えるのか。一般人の人体にかかる不可は。それよりも私は何故こうも顎に攻撃を食らうのか。
 濁流の様に流れ込む情報が彼を冷静にする。受身を取り、猫のような軽やかな着地を魅せ、すぐさま構えを取る。
 己を律し、即座に状況を把握する。そして気付く。
 相対するて(ナギヨシ)の息は大きく上がっていた。
 
「さては貴様……だいぶ無理して動作解除をしたな?肩で息をするようじゃ、所詮猿真似ってところか。だが、身体の作りまでは真似出来ないようだな」

 察しの通り、ナギヨシは相当な無理をしていた。大きな動作に大きな動作を繋げることは、本来不可能な領域にある。
 それを肉体に狂れた負荷をかけ、動作解除を行うことはロック族だからこそ出来ことだ。
 そんなことをただの人間がするとどうなるか。それは火を見るより明らかで、ナギヨシの今の姿が物語っていた。
 初速計算、肉体の反応速度、物理干渉、その他諸々を無理やり再現するためにかかる情報の猛火に脳は焼かれ、鼻と目からは血を流している。
 筋肉は断裂し、骨は骨折とまではいかないが、ヒビが入り軋んでいる。

「まともな感性じゃテメーら戦闘民族にゃ勝てねーんだよ。ったく、嫌なこと思い出させやがる」

 ナギヨシの言葉に強がりは見えなかった。実際、不意をついたこの攻撃で倒し切りたかったのだ。
 長引けば長引くほど、肉体の差が如実に現れる。だからこそ仕留めるなら1回で。それが対異能者の心だった。

「ならもっと味わって貰おうか」
「グゥッ!?」

 当然オコイエがこの期を見逃す訳がない。話を長引かせ、回復を測るナギヨシに打撃の嵐を浴びせる。ナギヨシは折れたデッキブラシを二刀流に見立て、必死に凌ぐも徐々に領域の端に追いやられていく。
 針に糸を通す様に、隙を見つけては仕掛けるも、オコイエの間合管理と緩急のいやらしさにペースを掴むことが出来ない。

「っ!?」
「貴様が画面端ィ!!」

 ナギヨシは遂に隅に追い込まれてしまった。領域の作用により、これ以上下がることは出来ない。
 脳裏に浮かぶ択の数々。打撃、グラップ、様子見、ヘキリ・ペレ。パッと思いつくだけでも4つの手段をオコイエは持っている。1つ1つを枝分かれにすれば、その倍以上はあるだろう。

「いい加減に……しやがれッ!」
「フッ……!」

 ナギヨシの選択は上段への薙ぎ払いだった。
 オコイエの選択は……無情に下段へのタックル。
 結果ナギヨシの攻撃は空を切り、オコイエの突進を食らってしまう。体重の乗った重い一撃をくらい地面に叩きつけられてしまった。圧倒的優位のマウントポジションを築き上げたオコイエは好機を逃すまいと、両腕に強烈に(ほとばし)る赤い光を溜める。
 必死にもがくも、ナギヨシは熊のような威圧感と重さに身動きが取れなかった。

「ヘキリ・ペレ・ラパウィラァァァァァァ!!」

 最大火力を両拳に纏わせ、零距離から相手に叩き付ける非情の大技。オコイエの全てを用いた必殺技は、赤い稲妻を轟音とともに走らせ、2度大きな爆発を起こした。
 オコイエは爆風に身を委ね、反動を殺すようにくるくると地面で回転し、華麗なる受身を取った。
 爆発の後は黒煙を上げ、大気を赤い雷光がバチバチと瞬いている。

「肉体ごと消し飛んだか……私の両腕も当分使い物にならないがね。罪なヤツめ。あの世で先祖に詫び続けろ。……ッ!?」

 勝ちを確信したオコイエに、突如稲妻の様な悪寒が走った。同時に黒煙を引き裂き、1人の獣が飛び出してくる。

「な、何ィィィィィィ!?」

 体は黒く焦げ、焼け落ちた服の隙間から、無数の火傷跡が垣間見える。見るからに痛々しい姿だ。だが(ナギヨシ)は痛みなど度外視した動きでオコイエを狩りに向かった。

「ぬぐぅぅぅ!?あの一撃を受け、なぜまだ動ける!?」
 
 間一髪攻撃を受け止めるも余裕はない。一方ナギヨシは狂気じみた笑みを浮かべ、より強く得物に力を込めた。

「俺ァ、掃除する道具を買いに来たんだよォ!懐に入れたゴム手袋のおかげでギリギリ助かったぜぇ!!」
「ンな馬鹿な話があるかァ!!」

 事実馬鹿な話である。いくらゴムで出来ていようと不可思議パワーの雷が防げるはずは無い。
 つまるところ根性である。
 では何故、生きていたのか。それは、ニィナとの1戦が起因していた。
 オコイエは彼女の強烈な蹴りを腕で防いでいた。たとえ致命傷にはならずとも、蓄積されたダメージはいずれ可視化される。それがヘキリ・ペレ・ラパウィラの威力減衰に繋がったのだ。
 気づかぬ間に掛けた負荷が、ここに来て悪魔のほほ笑みを見せたのだ。
 いずれにせよオコイエがそれに気付くことは無いだろう。格下と舐めてかかった相手が、牙を突き立てたのだから。

「死に損ないがァァァ!!」
「勝手に決めつけんじゃねェ!このかりん糖ハゲがァ!!」

 ナギヨシは思い切りオコイエの顎を蹴りあげた。本日3度目の脳震盪が彼を襲った。
 流石に膝に来たのか、ガクガクとその場で痙攣する。だが、目だけはナギヨシから離さず、恐ろしい眼力で睨みつけている。その眼から感じる凄まじい執念を吹き飛ばす様に、ナギヨシは両腕の折れたデッキブラシを構える。

「俺も必殺技……見せねぇとなァ!?」

 デッキブラシの切っ先を向け、オコイエに狙いを定める。そして天高く響く大きな声で叫んだ。

(せい)……爆発流乱斬(ばくはつりゅうらんざん)ンンンンンンッッ!!!」

 ナギヨシは思うまま気の向くままにオコイエの体を得物で殴る、もとい斬りつける。
 胴を、脚を、腰を、首を呼吸を止めひたすらに斬る。斬る。斬る。
 星が瞬く一瞬の如く素早く、流れる様な連撃は爆発的な威力を生み出し、オコイエに反撃の暇を与えない。

「これでェ終わりィィ!!」

 最後の一振は両刀からなる袈裟斬り。『X』の文字を描いた一撃に、オコイエは遂に膝を着いた。

「な、何故そんなにダサい必殺技名なのだ……?せめて英語に……」

 辛うじて意識を保つオコイエの疑問にナギヨシは答える。

「『なんたら(ざん)』ってのは日本男児の憧れなんだよ。それに……英語だと色々まずい」
「ンな……アホな……」

 オコイエの巨体が大きな音を立て、地に伏した。領域も消失し、ナギヨシはリングから降りることを許された。

「過去の遺恨、それも異排戦争の被害者とはな。俺も嫌な役回りしたもんだ。ほんと、過去ってヤツは嫌いだ。忘れたくても忘れさせてくれねぇ」

 オコイエに目を向けながら、悔いるような顔でナギヨシはボヤいた。

「全くもって呪いだよ、ホント。俺も死人(ミコちゃん)に縛られ続けられてるんだから。いや、好きで縛られてんだろうな」

 オコイエの企てが、亡き婚約者を思うことに通じたのか、ナギヨシは自嘲した。彼はまだ悲しみに浸り、水面の見えない過去に沈んでいる。前に進むどころか、振り切ることは出来ていないのだ。
 そして上がらない脚を無理矢理引き摺りながら、未だ意識の無い2人の方へ向かった。

「たくよぉ……俺が一番重症だってのによォ……なんで荷物持ちまでやんなきゃいけねぇンだコノヤロー」

 寝込む2人をかつぎ上げ、ナギヨシは脚を引きずりながら文句を言う。
 起きたら説教と心に決め、駅を後にするのだった。
 オコイエとの一悶着から数日、未だ癒えぬ傷を湿布と鎮痛剤で誤魔化すナギヨシの姿が岩戸屋にあった。動きはあからさまにぎこちなく、見兼ねたケンスケが方を貸してやっと動けるといった様子だ。
 かくいうケンスケも頬の腫れは治まりきっていない。
 ナギヨシはヒリヒリと痺れる火傷跡に顔を(しか)めながら、とある待ち人を待っていた。
 呼び鈴がなり、岩戸屋の戸が開かれる。

「来たか……具合は?」

 ナギヨシの目の前には、美しい銀髪を携えた褐色の少女、ニィナが立っていた。

「ニィナちゃん退院おめでとう」
「ありがとう。私が倒れてる間、ケンスケが守ってくれたって聞いた」
「いや、僕なんてほんとただのサンドバックで……」
「顔面全体を蜂に刺されたみたいな面してたもんな。マンガでしか見たことねーよ」
「ふふっ、私も見たかったな」

 ニィナは柔らかい笑みを見せる。その笑顔のために体を張ったのだと、ケンスケは改めて思った。

「で、ニィナ。お前、これからどうしたい。アイツらのことだ。なんとでも理由を付けて、また連れ戻そうとしてくるぞ?」

 あの後、オコイエの姿は駅の中から消えていた。本人が目覚め、身を隠したのか。はたまた協力者がいたのかは沙汰科では無い。
 しかし大きな野望を持つ者があの程度で引き下がるとは到底思えない。
 ナギヨシの懸念は当然のものだった。

「私は目が届かないうちに天逆町から出ていこうと思う」
「ニィナちゃん……ほんとにそれでいいの?」
「うん。2人にも迷惑をかけた。この後、オウカにも挨拶してくる」
「アテはあんのか?」
「無い。でも、それなりに上手くやる……つもり」

 ニィナの選択は孤独だった。ここから立ち去り、誰にも迷惑をかけず1人で生きていく。それは10代の娘が選ぶにはとても苦しく重いものである。
 それが彼女の強い覚悟であり、意思だった。
 寂しげに『サヨナラ』と告げると、ニィナは背を向け岩戸屋の出口に歩み出した。
 口を紡ぐケンスケは引き止めて良いものか未だ決めきれずにいる。
 気まずい沈黙。時を刻む音だけが岩戸屋に響く。

「待ちやがれ」

 ナギヨシは椅子を2、3度軋ませ、眉間に皺を寄せそう言った。
 ニィナはビクッと一瞬驚き、目を向ける。ナギヨシは真剣な眼差しで彼女を見ていた。

「俺はな、決めてたんだよ。お前の目が覚めたら真っ先に何するかを」
「な、何するの?」
 
 ニィナは不安そうに答えた。誰だって身構えてしまう状況である。次に何を言われるドキドキと心臓の音が身体中を駆け巡っている。

「説教だ!!」
「え?」
「だから説教だよ。説教」

 ナギヨシの口からは意外な言葉が出た。引き止めるでも、見送るでもなく自己満足の塊、エゴの象徴、善意の押しつけ。使い方次第ではパワハラ(刃物)に該当する説教をこれからしようというのだ。
 
「俺ァ説教されるのは嫌いなんだけどよぉ、するのは大好きでね」
「マジで終わってんなこの人」

 間髪入れずにケンスケはツッコミをする。だが、ナギヨシの耳には届かない。

「ニィナ。単刀直入に言うぞ……お前はもっと人を頼れ!!」
「でも……皆の迷惑になる」
「うるせー!そんなのはなぁ、誰かを守る立場になってから言いやがれ。ケンスケ、テメーもだ」
「僕ゥ!?」

 突然の飛び火に焦るケンスケは、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

「お前らはな、まだガキンチョなんだよ。大人に迷惑かけんのは当たり前なの。そりゃ、できる範囲の責任は取るべきだよ、ウン。でもな、命とか意地とか、しんどい時とかはな。大人をもっと頼りやがれ」

 ナギヨシは真剣な目で2人を見つめた。
 しかし、1人には思うところがあるようですぐさま反論の声が上がる。
 
「ていうか!そもそもナギヨシさんがやらないから僕がニィナちゃんの依頼引き受けたんでしょーが!」
「そいつが助けてって言ったか?」
「え?」
「ニィナ、どうなんだ」

 ニィナはバツが悪そうに頷いた。彼女もまた反省をしている。もし、最初から助けを求めていたら何か変わっていた筈だ。それこそ、3人とも大きな怪我を追わずにすんだかもしれない。

「結果は何とかなったけどな、もしかしたらお前ら2人とも死んでたかもしれないんだぞ。テメーら早死にしたいのか?」

 2人はハッと気付き、首を横に振った。上手くいったから今こうして居られる当たり前のことを忘れていたのだ。眼前に迫った危機というものは、去ってからその脅威が分かるものである。
 ナギヨシの言葉にようやく自覚を覚えたのだ。

「まーなんだ。俺も捻くれて素直に助けてやらなかったのは反省してる。保護者としては失格だ。でもな、ババァも俺も関わったガキを見捨てる真似は絶対にしない」

 ナギヨシは照れくさそうに頭をかいた。

「だからな、あれだ。ニィナ、テメーがちゃんと蹴りつけられるまでババァに面倒見てもらう様約束を取り付けた」
「えっ?」
「だからな。今帰ったら歓迎ムードだ。もう別れの挨拶なんざ出来る空気じゃねーよ。残念だったな。お前にゃ断る権利すら与えねぇ」

 ナギヨシは意地悪そうな顔でニィナに笑いかけた。勝手な行動は彼女にとっては迷惑なことだろうか。
 それは彼女の目から零れた大粒の涙が否定していた。

「私……1人で生きていこうって!皆の迷惑にならないよう、隠れて生きていくって決めたのにッ……!!」
「悪いな。大人はみーんな意地悪するために必死になるんだよ」
「ほんとに、ずるい……私の覚悟全部踏みにじるなんて……ほんと大人ってサイテー……!!」
「サイテーになってでもテメーを助けたい物好きが沢山いたってこった。……気の済むまでこの町にいりゃあいい。ここにいる限りはテメーは岩戸屋が責任もって守ってやる。だろ?ケンスケ」
「はいっ!一度受けた依頼は最後まで守る!それが岩戸屋のモットーですから!!」

 目を何度擦ってもニィナの涙は収まる気配が無かった。止まっていた栓が決壊し、溜め込んだ弱さを全てさらけ出す。
 だが、その弱さは決して悪いものでは無い。ニィナはそれに気付いたのだ。

「私、ほんとに迷惑かけるからね……」
「安心しな。テメーの迷惑なんざ、少年スクワッドの打ち切り打率に比べたら可愛いもんだ」
「嫌な打率だなオイ。ニィナちゃん、僕も迷惑かけてばっかだし、多分ニィナちゃんにも迷惑かけると思う。だかさ、いっそお互いに掛け合っていこうよ。そうしたらお互い支えられるんだから。そっちのが絶対丈夫になるよ!!」

 ケンスケもつられて涙を流し、諭すようにそう言った。
 同じ年頃の彼らにだからこそ分かち合える物もある。
 分かち合いの出来る者同士こそ、友達と言うのだろう。
 
「……うん、うん!ケンスケ、ナギヨシ。本当にありがとう。少し羽を休めるよ。また飛べるように……!」

 今まで溜め込んでいた孤独と、苦しみを全て流すかの様に溢れる涙は、美しく清らかなものだった。
 ならば、それを流しながら満面の笑みを浮かべる彼女は、世界で1番綺麗な姿をしているだろう。
 逃げ、隠れ、苦しみ抜いた日々は少しばかりの終わりを告げる。
 そして、心の奥底でずっと望んでいた彼女の素敵な日々が今始まろうとしていた。
 ナギヨシくんにサインを書いた日。彼は飛び跳ねて喜んだことを覚えている。
 私の拙い文章にそれほどの価値があるのかは分からない。でも彼にとってそれは、高価な物より価値があるのだろう。
 意外だったのはそれからだ。
 サインに満足して、もう来ることも無いだろうと思っていた私の店に、いまだナギヨシくんは足繁く通っている。
 私との雑談が大半を占めるが、たまに本を買っては、店の前に置いてあるベンチで日が暮れるまで読み耽る。
 本を読むことが楽しいのは分かるが、何が面白くてこんな女の相手をしているのかそれだけはさっぱりだった。

「雨降ってきちゃった」

 そんなことを出先で考えていると、予想外の雨に当たってしまった。案の定、傘は持ってきていない。
 たまには濡れて帰るかとも一瞬考えたが、生憎私は身体が弱い。少し冷やしただけでも風邪を拗らせる軟弱者だ。

「仕方ない。落ち着くまで少し待つか」

 雨避けに身を寄せ、雨粒の奏でるオーケストラに耳を傾ける。
 土砂降りの喝采の合間に聴こえるパラリ、パラリと落ちる水滴の音が好きだ。何処か落ち着くこのアンバランスなリズムは、天気とは真逆に私の心を晴れやかにする。
 ナギヨシくんもこの雨を見ているだろうか。そう思うと不思議と、彼に今の状況を話したくなる。
 『あの雨が降った日、君は何をしていたの?私は出先で足踏みくっちゃって』なんてたわいもない話でも、彼は聞いてくれるんだろう。
 もしかしたら彼も同じ様に雨宿りをしているかもしれない。なんてことの無い共通点を探したくなる程に、私とナギヨシくんの関係は出来上がっていることに気付き、少しばかり恥ずかしくなった。

「顔あっつ!……私は何考えてんだか。彼は友達、お客さん。雨が降るとよくないわ。おセンチな気分になるもの」
「どんな気分になるって?」
「何って……え!?」

 私は驚いてギョッと目を開いた。そこに居たのは傘を差すナギヨシくんだったのだから。

「どうしてナギヨシくんがここにいるの?もしかしてストーカー?」

 私は照れ隠しに冗談で煮詰めた暴言を吐いた。
 彼はすぐさま否定する。
 
「ちげーよ!頼まれごと済ませてたまたま通ってただけだっての」
「そっか、ごめんね。ていうか傘、なんで傘持ってるの?予報も何も無かったのに」
「今日は髪の毛が嫌に跳ねてた。だから雨が降るって思った」

 ナギヨシくんの髪の毛に目をやると、確かに普段より跳ねている。まるで猫のヒゲの様だ。

「アッハッハッ!何それ迷信?」

 私は素っ頓狂な回答に笑い声を上げてしまう。おばあちゃんの知恵袋でも今日日言わない事をアテに、傘を持って晴天の中歩いてる彼を想像すると、どうにも面白かった。

「うるせーやい。百発百中なんだよ俺の髪の毛は。もういい。入れてやんねー。風邪ひくまで雨が止むの待ってな」
「ごめんごめん。ナギヨシくんにお菓子あげるから、その傘に入れてくださいな」
「俺は子供かっ!」

 そうは言いつつ、ナギヨシくんはスっと身を逸らし、私のスペースを確保する。
 私も素直に彼に身を寄せ、雨の大合奏の中、岩戸屋に歩みを進めた。

「ナギヨシくん、ありがとうね。私、このまま雨が降り止まなかったらどうしようかなって思ってた」
「ったく、貸し1だ。チョコでも飴でも奢ってくれ」
「なんだよー。食べたかったなら最初から言ってよー」
「それじゃ格好がつかないだろうが」

 ナギヨシくんはやれやれと言った顔を見せる。そして、雨に濡れない様に私の肩に手を添え、より近くに引き寄せた。
 なんだ紳士じゃん。子供っぽいかと思えば、大人らしい所が彼の魅力なのかもしれない。
 私たちが岩戸屋に着くと、雲間から太陽が顔を出した。
 水溜まりに反射した日差し妙に眩しい。青々とした空には虹がかかっていた。

「ナギヨシくん!ほら見てよ!虹!!」
「おーそうだな」
「すごい微妙な反応だ」
「虹程度じゃそんなもんだろ」
「女の子が喜んでるんだぞ。もっとはしゃげよーう」
「女の『子』ではねーだろ」
「いやまぁ、その通りだけど」

 口ではそう言ってても、ナギヨシくんの目はキラキラと輝いていた。
 よかった。彼も私と同じなんだ。

「素直じゃないなー()()()()は」
「なんだその呼び方」
「私のことも()()()()()って呼んでいいんだゾ」

 彼は少しばかり考え込んだ。私は何か迷わせてしまったのだろうか。
 普段の彼なら一蹴するような冗談なのに。

「ミコちゃん……ほら呼んだ!もう終わり!!なんか恥ずかしい」
「……!!」

 ダメだ。これは非常に良くない。ナギくんの真剣な眼差しで名前を呼ばれるのはこう、恥ずかしさと()()()()()()()
 麻薬の様な響きがこれ以上耳に入るときっと中毒患者になってしまうだろう。

「そ、そうだね。うん。いやーなかなか良かったけどなぁ」
「俺ばっかり恥ずかしい思いをした気がする」
「そんなことないよー!ミコちゃんうれしかったなぁ?」
「やめてー?思い出して全身掻きむしりたくなるからやめてー?」
「すごいカッコつけてたもんね」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!俺を殺してくれぇぇぇぇぇ!磔にして市中を引きずり回してくれぇぇぇぇ!!」

 悶え狂うナギくんに私は笑いが止まらなかった。これからもこういう彼を見るんだろう。どこかそんな確信が私にはあった。
 2人のバイトを雇いはじめた1ヶ月間は嘘のように依頼が舞い込んできた。岩戸屋はより一層の騒々しくなっており、特にニィナが雇われてからというもの、色気の無い岩戸屋には花が咲き、彼女目当ての客も少なく無い。
 しかし大きな依頼は無く、やれウチのラウンドガールをやってくれだの、1日看板娘をやってくれだの、下心甚だしい依頼が殆どだった。
 だが人間生きるためには金が必要である。稼げる時に稼ぐナギヨシの方針としては、『セクハラ厳禁』『コンパニオン依頼料金割増』を掲げそれらに着手した。
 当のニィナは特に気にせず、むしろ彼女に手を出そうものなら3倍返しのお仕置が返ってくる。
 知る限りでも2、3人は病院送りにされたらしい。
 ケンスケもまた、書類仕事や依頼の整理など雑務に追われ、忙しなく働いている。彼のおかげで、ナギヨシが今までどれだけ雑な後処理をしていたのかも明るみになった。
 それもそのはず。訴訟を起こされた十中八九負ける過去の案件が見つかったのだ。要するに資金繰りも含め、岩戸屋店主はギリギリの綱渡りでこれまで生きていたのである。
 つまるところ岩戸屋3人衆は、懐に余裕は生まれど、心に余裕は無い。そんな日々を各々が過ごしていた。
 激動の1ヶ月が過ぎ、美しい少女新加入バフも収まったそんなある日、ケンスケが1つの疑問を呈した。

「ナギさんって何で『何でも屋』を始めたんですか?」

 確かに最もな疑問である。雇われの身としては、己が成している仕事のルーツは気になる物。ニィナもスマホを触る手を止め、そわそわと聞き耳を立て始める。

「何でかってそりゃあ……人の為に働きたいと思ったから」
「はいダウト」
「否定がはえーよ」
「あの雑っぷりを見てれば、流石に分かりますよ。ナギさんのことだ。もっと短絡的な理由でしょ」

 ケンスケに同調する様にニィナは首を縦に振る。
 そして渋い顔をするナギヨシに畳み掛ける様に追求した。
 
「私も気になる。ナギがこの仕事してる理由。私が居なかったら多分今もカツカツな生活してる。だいたいケンスケを雇えてたのが不思議」
「ニィナちゃん聞いてよ。僕最初この人のせいで前のバイトクビになったんだから」
「それは酷い。ナギは2人の人生を変えちゃったんだね。罪な人」
「言い方に悪意があンだよテメーらはっ!……ったくよぉ、自己弁護の為にもここは1つ話してやるか。『ゆりかごから墓場まで。なんでもござれの岩戸屋』創設エピソードを」

 ゴホンッとひとつ咳払いをし、仰々しい面持ちでナギヨシは2人を見つめた。
 なんとも言えない緊張感が部屋を包む。これから一体何が明かされるのか。ミステリーが解明される手前のCM、または最終回1話前の高揚感を2人は抱いていた。

「それはな……」

 全貌が明かされる1秒前。オーディエンスのムードは最高潮に達していた。

「俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったからだ」

 先程までとは違った静まり方をしている室内。サッと波が引くように、高揚感は消え去っていた。

「は?」
「いやだから……俺が愛して止まない『少年スクワット』で、万事屋漫画が始まったから」
「聞こえてない訳ではないです。ほんとにそんな理由なんですか?漫画に触発されたからなんですか?」
「ウン」
「じゃあそれが教師だったら教師仕事にしてたの?」
「ウン」

 ケンスケとニィナは顔を見合わせる。その気持ちはさながらミステリーの解明は次週への先延ばし、最終回は打ち切りエンドと言ったところだ。

「しょーもな」
「期待して損した」
「お前らが聞いてきたんだろーが!え、コレ俺が悪いの?期待に寄り添えなかった俺がいけないの?」

 期待に目を輝かせていたあの時とは打って変わって、2人は濁った目を向ける。
 『残念』という単語を検索したら、きっとこの2人の顔写真が出てくるだろう。
 
「もっと何かある雰囲気してたじゃないですか。師匠的な人がいて、その人の代わりに店主やってるとか」
「それだったら『帰ってきた師匠編』とか出来るのに」
「そんな都合の良い師匠はいねーよ?」
「『闇堕ち師匠』からの『サイボーグ化師匠』とかの話も拡げられるのに……勿体ないですよナギヨシさん!」
「うーん……イマドキ復活系は流行らない。どうせなら師匠は殺しておいて『師匠の過去編』スピンオフで同時連載が熱いかもしれない」
「ニィナちゃんそれ採用!!」
「勝手に作り上げた師匠を勝手に殺すなよッ!お前らは俺の人生の編集者かッ!!」

 パチンッと指を鳴らすケンスケにナギヨシは怒りをぶつける。コイツらは俺にどんな過去があれば満足するのか。ナギヨシは2人を雇ったことに少しばかりの不安を覚える。

「俺は根っからの()()()()()なの!人生で必要なことは全部スクワットから学んで来たからいいの!!」
「ならもっとドラマッチックな仕事してくださいよ」
「いっそ異世界転生とか追放とかされてて欲しい」
「お前ら救った時はだいぶドラマチックだったと思うけどなぁ僕ァ!?」

 難癖が止まらない2人にナギヨシはタジタジになっていた。誰か俺を救ってくれ。いやいっそころしてくれ。今から異世界転生させてくれ。そんな思いがナギヨシを駆け巡る。
 たった一言の『漫画に憧れた』発言は徐々に体内から燃え上がるような、嫌な気恥ずかしさを呼び起こした。

「私、実は起きてた」
「え?」
「ナギヨシがオコイエと戦ってた時、実は起きてた。身体が痛すぎて起き上がれなかったけど」

 ここに来て更なる爆弾が投下される。ニィナがあの戦いを見ていたということは、取ってつけた()()()()()も耳に入っていたということだ。
 ナギヨシの額に一筋の汗が滲み出る。脳裏に浮かぶのはオコイエとの掛け合いだった。
 古今東西掛け合いという文化は素晴らしい。ゲームしかり漫画しかり小説しかり関係値が分かり、熱狂するポイントである。
 だが現実はどうだろうか。対面している者同士ならその熱さも心地良かろう。
 それを傍から見る者にとっては如何だろうか。
 結論は1つ『なんか冷める』だ。
 例えば体育で行うバスケットボールの授業。相手のボールをカットする際に『甘いッ!』やら『そこだッ!』やら、漫画さながらの熱演をしていた男子がいたとしよう。おそらくその男子は、授業が終わった途端にいじられキャラへと変貌してしまう。ことある事に発言を咎められ、なんなら手を上げただけで背後から「ここだッ!」なんて声が聞こえてくるだろう。
 要するに()()()()()案件なのある。

「その時……叫んでたの」
「な、何を?」
 
 ケンスケはゴクリと唾を飲み、ニィナに言葉の先を促す。
 俯き、顔に影が落ちるナギヨシを他所に、ニィナは続ける。

「『星爆発流乱斬(せいばくはつりゅうらんざん)』って叫んでた」
「え、何?」
「『星爆発流乱斬』……ひ、必殺技だって、ぷくく、きっと……ぷっはっはっはっ!!」

 耐えきれずニィナは吹き出してしまう。ケンスケも一瞬考えた後、すぐさま理解し大声で笑いだした。
 更に酷いことに、物真似までし始めたのである。
 ナギヨシは反論の余地など無く、ただただ沸騰する血液にふるふると震え赤面するだけだった。
 刮目せよ。これがテンションに身を任せた者の末路である。この瞬間こそ、いじめと学内カースト制度が始まるワンシーンなのだ。

「コラコラ、ナギさんをそんなに虐めちゃダメじゃない。大人だからこそ、童心に帰りたいのよ」

 その時現れた一筋の光。言い換えるなら蜘蛛の糸。カンダタさながら、必死に掴み取ろうと顔を上げたナギヨシの前に立っていたのは、ケンスケの姉、武市ソラである。

「ソ、ソラァァァァァ!!」
「お邪魔しますね、ナギさん。いつもの差し入れ持ってきました。ほらほら2人とも謝りましょ。ナギさんったら目を腫らしてますよ」

 今のナギヨシにはソラの姿が聖人君子に見えた。ドキツイ油の塊(からあげ)を毎度の如く差し入れに来る彼女の到来に、今ばかりは心底感謝する。

「話は聞いてました。ケンちゃんも戦隊ヒーローに憧れてた時期があるでしょ?それと一緒なのよ。卒業するのが遅いか早いかの違いなの」
「ウッ……!!」

 突然のダメージに胸を抑えるケンスケ。思い当たる節は誰にだってあるものなのだ。
 一方のニィナはピンと来ていないといった顔をしている。
 
「ソラ。私、そういうの分からない」
「そうねぇ。ニィナちゃんで言えば……『実は亡国のお姫様である自分に特別感を感じていた』とか?」
「ウッ……!!」

 またもや被弾。ソラの見立ては百発百中である。
 いくら気にしない素振りをしていても、誰かと違う特別な物を持っていれば浸りたい。それが人なのだ。

「でもね、そう言った経験を経て1歩1歩大人になっていくんだよ。だから安心してね」
「ソ、()()()()〜!!」

 ニィナはソラのフォローに一瞬で虜になる。心の弱った時、誰かに縋りたくなるのもまた人である。あんどしたのか、ケンスケとニィナは差し出された唐揚げに手を付け、一服しはじめた。

「アッハッハッ!人の事言えねぇじゃねぇかテメーらも!!」
「もうっ!ナギさんったらすぐ調子に乗るんだから……」
「じゃあ何だ?ソラもなんかに憧れてた時期はあるのか?」
「そりゃあありますよ。ただし、皆と違ってもう恥ずかしさを感じる時期は過ぎましたけど。私22ですよ?いい歳して恥ずかしがってるナギさんのが恥ずかしいです」
「ウッ……!!」

 3人目の被害者を生みながら、ソラは話始めた。

「私もナギさんと一緒で漫画のキャラクターには憧れたわ。私、根っからの『月刊少女シュシュ』の愛読者だったんですもの。確かに少女漫画だと『ガーターベルト』とか『生と胸』とか大人向けのが流行ってたけど、私はピュア一辺倒だったから」

 月刊少女シュシュとは高学年女児向けの少女漫画である。青臭い10代特有の青春模様や、敵国同士の許されざる禁断の恋と言った、女の子の理想が描かれた漫画雑誌である。男子が『スクアット』や『バカチン』に憧れるなら、女子の目指す姿勢はこれに描かれているだろう。

「だから私、少しニィナちゃんが羨ましかったのよ?だって本物のお姫様なんだもの」
「フフン」
「ちょっと得意げな顔するの止めろ」
「だからかな。理想が行動にはんえいされたのかしら。私、学生時代は周りから『お姫様』扱いされてたの」

 ナギヨシに嫌な直感が走る。
 この()()()の意味とは何なのだろうか。世間知らずと馬鹿にされてのものだろうか。それならば、そうと素直に教えてやるべきなのだろう。だが、彼女がそれを良い思い出として捉えていたら、きっと傷付けることになる。だからこそフォローせねばなるまい。
 わずか0.3秒の間に身の振り方を考えたナギヨシは、ソラの次の言葉に備えた。

「私が登校するとね、皆が私にひざまづいたの」
「は?」
「私をかつぎ上げて、教室まで連れて行ってくれたのよ。まるで毎日お祭りみたいだったな」
「いやいやいや!!どこのお姫様!?」
「だから言ったじゃない。お姫様扱いされてたって」
「そう言えば、姉さんの脚を疲れさせたくないって理由で、柔道部の部長が毎朝担ぎに来てたよね。あの人優しかったな」
「ケンスケは何で順応してんの!?」
「ほ、本物のお姫様だ……!?それに比べたら私の特別感なんてノミの心臓より小さかった……!!」
「ニィナの方がお姫様エピソード強いだろうが!?何がそこまでの敗北感を味あわせてんだよ!!」

 2人の反応に狼狽えるナギヨシは、自分の認識を疑った。一体何が現実的なのだろうか。己だけがアウェーなこの空間で途端に不安に駆られる。

「ていうか何したらそうなったんだよ」
「うーん。思い当たる節があるとすれば……そう、丁度連載してたのよ!『中毒姫(ホリック・プリンセス)』!!」
「何その少女漫画じゃ絶対お目にかかれない作品は」
「あれは悲しいお話だったな……」

 ソラが語るに『中毒姫』とは、敵国に家臣と民を食事に混ぜられた毒物で皆殺しにされた若い姫がいた。
 天涯孤独の身となった姫は、復讐のため敵国に食事係として勤める。
 そこで出会う男との恋。復讐との葛藤。全て抱き抱えた姫のとった行動は食事に、霊薬を混ぜて振る舞う事だった。
 その効果は絶大で、国の誰しもが彼女の食事の虜となり、彼女に従った。
 勿論、恋した男さえも。
 ラストシーンは、作り上げた恋人を侍らせ、己の手料理を前にほくそ笑む姫の姿で終わる。

「怖ッ!?お前はそれの何処に惹かれたの!?」
「成り上がる強いお姫様像かしら?」
「成り上がり方に問題があるだろ!!」
 
 当時からしても、その作品は賛否両論だった。はたして、女児向けの少女漫画で連載してよい作品だったのだろうか。倫理観が問われる問題作としての世間の認知とは裏腹に、確固たる自身を貫く強さを語ったメッセージ性は、今尚少女漫画界隈では伝説となっている。

「だからね。私も振舞っちゃったの……当時好きだった男の子に」
「な、何を?」
「霊薬入りの唐揚げ」

 ナギヨシは困惑していた。フィクションであるはずの霊薬を唐揚げに混ぜたこの女の行動に。

「へ、へぇー……き、聞くまでも無いけど、け、結果は?」
「次の日からその人が私に(かしず)いたわ」
「誰かァァァ!誰か逮捕してェェェェ!!この女と中毒姫の作者逮捕してェェェ!!」
「大袈裟ですよ、ナギさん。きっと皆私のことからかってたのよ。世間知らずって」
「嘘つきも大概にしないと本当になるって習わなかったァ!?」
「3年間も私のお姫様ごっこに付き合うなんて、随分熱心に嘘をついていたのね」
「お前の神経も大概おかしいよ!!」

 あらあらと笑う目の前の女に、ナギヨシは改めて恐怖を覚えた。悪意の無い悪意ほど怖い物はこの世に存在しない。
 先程までの聖人君子は、もはや無差別に人を捌く神に変わっていた。

「だからね。それを確かめるために私、今日の差し入れ頑張ったのよ」
「ま、まさか……」
「フフッ、趣向を凝らしてみました。本日の差し入れは『中毒姫再現唐揚げ』です!」

 ナギヨシの背筋をゾクゾクとした悪寒が走る。自分はまだ食べていない。だが、バイト共はどうだろうか。
 彼の記憶が正しければヤツらは……()()()()()()()()()()

「ソラ姉様。なんなりと弟の背に脚を乗せてください」
「ソラ姉様。私めの様な偽物の姫にどうかお慈悲を。臀部を背にお乗せ下さい。我ら2人が貴女様を運ぶ車となります。いや、ならせてください」
「やっぱりだあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!」

 案の定の様である。ケンスケとニィナはソラの前に傅き、身を捧げている。ナギヨシはその光景に、大きく口を開け、発狂するしかなかった。

「ケンちゃんもニィナちゃんもお馬さんごっこ?流石に私も恥ずかしいわよ」
「いえ、恥ずかしさなど微塵もありません。私めにとってこれこそが至極の喜びであります」
「ソラ姉様は疲れない。我々は喜びを感じることが出来る。故に、この行為には意味があり、利益が生じます」

 2人は四つん這いになり、今か今かとソラの搭乗を待ち望んでいる。
 人はこうも変貌するのだろうか。もはやナギヨシの疑問に答えられる者はこの場にはいなかった。
 
「なら、お言葉に甘えちゃおうかしら。ナギさん、私これから買い出しに行きますけど、2人を借りて行ってもいいかしら?」
「ドウゾ」
「ありがとうございます。ナギさんも唐揚げ食べてくださいね?」
「ハイ」
「では今日はお暇させて頂きます。さようなら」
「サヨウナラ」

 ソラを乗せた2人は、四足で軽快に岩戸屋の外に出て行った。もはや彼らを表すために『人』という単語を使うことは、間違っているのかもしれない。
 1人取り残されたナギヨシの目はただ濁っていた。自分の享受していた世界は、実は間違っていたのかもしれない。狂気に触れた彼は、もはや放心せざるえなかった。
 そして部屋の隅に無造作に置いてある少年スクワットをおもむろに手に取った。

「卒業するか。スクワッ子……」

 今週号。読み進めてまだ半ページ。彼はそっとゴミ箱に捨てた。
 茹だる暑さに気が遠くなりそうな季節が今年もやって来た。
 古いエアコンが壊れてしまい、買いに行かねばと思うものの、溶けて蒸発してしまいそうな直射日光を浴びてまで外出する気は起きない。
 だがしかし扇風機と風鈴で誤魔化すには、既に手遅れな現状。懐は涼しくなるが、快適を得るためだ。
 私は諦めて外出の支度を始める。

「コンニチワー!アンタぁ勇魚ミコトさん?」

 出鼻をくじくように来店客が現れた。
 いや、おそらく客では無い。黒い革ジャンに派手な柄シャツ、そして極めつけはサングラス。絵に書いたようなガラの悪い男がドシドシと敷居を跨いできたのだ。

「そう……ですけど、何か用ですか」
「いやぁねぇ?ミコトさぁん。アンタんトコに()()()()が入り浸ってるって聞いて来たんだけどォどこに隠してんのォ?」
「あの野郎……?誰のことですか?」

 男はニヤリと金歯を見せつけた後、突如豹変する。

「しらばっくれンじゃねぇよ(アマ)ァ!テメェがナギヨシの()()ってんのは割れてんだよッ!!さっさと吐かねぇとどうなるか分かってんのか?」
「し、知らない……!早く出ていって!!」
「テメェこの状況でよくそんな態度が出来るな。アイツはなぁ?俺たちの態度が悪ぃって店から無理矢理追い出したんだよォ!俺たちのバックに誰がいるか分かるか?あの金城組だぞ?」

 金城組と言えば、天逆町に根を張るヤクザだ。街の治安活動が主な仕事だと聞いていたけど、コイツらはその真逆だ。
 私にはすぐ分かった。名前を語るだけのチンピラだと。おおよそ余所者が、幅を効かせるための嘘だろう。怖いことに変わりは無いけれど。

「いいから出て行きなさい。今なら警察にも言わない」
「あ?立場わかってんのか?テメェが指図出来るわきゃねぇだろうが!……オイ、入ってこいや」

 男が声をかけると3人の男たちがゾロゾロと岩戸屋に入り込んでくる。手に入るバールや、バットといった露骨な鈍器が握られている。三者三葉のその姿は、悪のバーゲンセールと言ったところだ。
 強気に出たものの、私の内心は恐怖で支配されている。膝は笑っており、これから起こる最悪の1つ1つが脳裏にうかびあがる。

「お前ら、店のモンぶっ壊せ。俺は先にこの女で楽しんどくわ」
「えー、アニキずりぃっすよぉ。ていうか、兄貴が使った穴使うとか嫌っすよ。変な病気貰いそう」
「清潔だわ!清潔すぎてむしろか弱いくらいだわ!」
「ちっさいっすもんねぇ」
「お前らがデカすぎるんじゃい」

 私の事など気にせず下世話な会話をするこの男たちから、どうすれば逃げ切れるだろうか。
 出口はひとつしかない。それも塞がれてしまってる。それよりも、本屋はどうなるのだろうか。このまま燃やされてしまえば、自分の身よりも価値のある物さえ無くなってしまう。

「……けて」
「あん?」
「助けて……ナギくん……」
「……ぶわっはっはっはっはっ!!おい、聞いたか?『助けてナギくん』だってよォ!!いいねぇ!気丈な女、それに人の女ってのがたまんねぇなぁ!!」

 しまった。やってしまった。
 私の恐怖と混乱に支配された脳は、ついぞ無意識に彼に救いを求めてしまった。
 案の定、下卑た笑いに押し潰される。こんなところをこんなヤツらに見せたくは無かった。
 悔しい。悲しい。チクショウ。涙まで出てきた。私は最後の抵抗にキツく睨みつける。
 ヤツらにとってはそれすらも状況を楽しむ一材料になってしまうだろう。それでもするしかないのだ。

「ザァーンネェン!!テメェのナギくんは来ねぇよぉ?きっと今頃コンクリ詰めで海に沈められてるぜぇ?あーあ、見たかったぜぇ。ヤツの命乞いをよォ!」

 男はそう言って私の口元を無理矢理押さえつける。薄目で外を見ても、誰も歩いていない。
 男は力任せに服に手をかけ、無理矢理脱がそうとしてくる。決死の抵抗をするにも、勝ち目が無いことは明白だった。
 諦めの色が私のキャンパスを黒く染め上げていく。こんなことになるなら、もっと早く色々すべきだったのかもしれない。

「テメーら、その人に何してやがる」
 
 後悔に溺れそうになったその時、聞き馴染んだ声が聞こえる。

「ひ、平坂ナギヨシッ!?テメェなんで生きて――ボフェァ!?」

 男の声は空気を裂く音にかき消された。男の顎と鼻はひしゃげ、それを顔と呼ぶにはあまりにも醜く変貌していた。

「ヒィィィィッ!!」
「逃げんな」
「ごぼぶぉっ!?」

 身体が危険信号を察知したのか、反射の如く逃げかけた男の襟元を掴み、膝蹴りを食らわせる。男から発せられた鈍い音は、おそらく骨が割れる音だ。

「いい加減にしやがれっ!!」
「……」

 大振りに振り回されたバットは軽くいなされる。
 そして避けた動作の勢いのまま、遠心力の乗った強烈な後ろ回し蹴りが男の側頭部を捉える。
 袈裟斬りめいたカカト落としは、そのまま男の意識を飛ばした。
 彼はわずか数十秒の間に3人の男を蹴散らす。前髪の隙間から見える彼の瞳は背筋の凍る冷たさを放っていた。
 私は彼に初めての感情を覚えた。
 それは恐怖だった。

「その人を離せ」
「テ、テメェ調子乗りやがって!テメェのせいでこうなったんだからなぁ!?」
「知らねーよ。俺は仕事しただけだ。テメーがワダツミで女に手ェ出した結果だよバカタレが」
「おおおお俺のバックには金城組が……」
「テメーみたいな小物、かねしろ金城(あちらさん)からも願い下げだろうよ」

 男は明らかに焦っていた。目が泳ぎ、手と口元も震えている。それほどまでに彼の圧力は凄まじいものだった。守られる私でさえ、鳥肌が立ってしまう。

「でもな……俺がそれ以上に怒ってんのは、テメーがその人に汚ぇ手で触れたからだ」

 より強烈な威圧感が私の身を包んだ。真夏だと言うのに肌に突き刺さるような凍てつきを感じる。
 恐怖という身が縮む寒さに耐え切れなくなったのか、狂った様に男が動いた。
 
「ひぃらぁさぁかぁナァギィヨォシィィ!!――ゴエェッ!?」

 彼は男の首もノータイムで掴み、呼吸を遮る。そして無言でただ殴り付け始めた。男は声も発せず、抵抗も出来ない。ただ鈍い骨の擦れる打撃音がゴツリ、ゴツリと聞こえる。
 躊躇いという文字が彼の辞書には無いのか、作業の様に行われる暴力。それは私の生きる現実とは、あまりにも乖離した光景だった。
 放心状態の私は、それが異質ということを認識しようやく正気に戻る。

「ナギくんダメっ!!その人死んじゃう!!」
「……」

 冷たい目をしたナギくんが私の方を見る。彼は目が合ったことを数秒おくれで認識し、その瞳には徐々に温かみが戻ってきた。

「ごめんなさい」

 彼の第一声は暗いトーンの謝罪だった。

「俺のせいで……ミコトが……」
「ナギくん……大丈夫。私は何もされてないよ。それより、手を止めてくれてよかった。さっきまでのナギくんすごい、怖かった」
「……悪い」

 ナギくんは脅えていた。それが人を殺めることに対する恐怖じゃないことくらい私にも分る。
 彼が恐れているのは、本性をさらけ出したことにより、人が離れて行くことだ。
 私はナギくんを抱きしめた。それは決して私自身を守るためでも、一過性の感情に身を落とすためでもない。
 心の底から、本気で彼の恐怖を振り払いたいと思っての行動だった。

「ナギくん大丈夫。大丈夫だよ。私は何処にも行かないから。今のナギくんは怖くないよ。本当に。助けてくれてありがとうね」
「ミコト……俺は……お前を失うのが怖くて……」
「馬鹿だなぁナギくんは。私はちゃんと生きてるから。どんだけ私のこと好きなんだよぉ」

 何を言ってるんだ私は。この言い方だと私が気があるみたいじゃないか。
 そもそも聞き方がずるいだろ。それじゃ好きって答えろと言ってる様なものじゃないか。
 だいたい状況を考えろ勇魚ミコト。
 変な輩に襲われかけた後だし、それに血飛沫だって壁についてる。なんなら、死にかけの男たちが4人も転がってるんだ。抱き合ってないで警察を呼べ。
 私の中の冷静な私が、猛烈に指摘を始めだした。それ以上に、ロマンチックな私がナギくんの反応を気にしてしまっている。

「ミコト……」
「は、はいっ!?」
「俺、お前のことが好きだ。何処にも行って欲しくない」

 お父さん、お母さん。私はズルく酷い常識知らずな女です。こんな目にあった直後なら、怖くて全てを拒絶するのが普通の感性でしょう。
 でも私は、彼を試すようなことをしました。はしたない女だとも思います。
 でも、けれど、どうやら、そんなものが吹っ飛ぶくらい彼の好意がたまらなく、とんでもなく、果てしなく嬉しいのです。
 結論をまとめます。私も大概イかれた女でした。

「私も好きだよ」
「……ほんとか?」
「うん」
「ほんとに?」
「本当だよ」
「あんな俺を見てもか?」
「どんだけ確認すんよぉ。女々しすぎ。確かにさっきのナギくんは怖かった。でも私を守るために必死になったんでしょ?」
「あぁ……」
「なら怖くないよ。それに私がナギくんをちゃんと止めるよ。今日みたいなことがあっても、今日みたいにね」

 シュンと雨に濡れた子犬の様に、頭を垂れるナギくんは純粋に愛おしかった。
 恋愛というのは、こうも脳みそをピンクの花畑に書き換え、メルヘンにしてしまうのか。二十歳半ばの女が、こうなってしまうのだ。もう誰かの恋愛を見て、痛々しいなんて口が裂けても私は言えないだろう。

「ミコト愛してる」

 どうやらナギくんも馬鹿になるタチらしい。両者共に馬鹿になるならお似合いだ。ならいっそ2人でとことん楽しむしかない。

「私も愛してるよナギくん」

 警察も、説明も、掃除も全部後回しにしよう。今ばかりは、私たちが世界でいちばん幸せだ。
 だから、あとほんの少しだけ、2人の体温を混ぜ合わせて馬鹿になっていたい。
 その後はちゃんとするからさ。