夜の天逆(あまさこ)町は違った一面を持つ。昼には下ろされていたシャッター街がこぞって舞台の幕を開く。露希(あらわき)市最大の歓楽街としてその顔を輝かせるのだ。
 数日前までは、金城グループの店が大手を振って営業していたが今は姿も見えない。逆に彼らに邪険に扱われていたもの達が活気づいている。故に、金城グループの崩壊前と後を比べても、さして賑わいに変わりはなかった。
 だが悪質な客と薬物の横行は著しく減り、歓楽街を素直に楽しむ者にとっては良い環境になったと言えるだろう。
 しかしながら、金城グループが幅を効かせていたことで寄り付かなかった者たちも押し寄せている。日が浅く、まだ問題は起こっていないが、新しいトラブルが露見するのもまた必然だろう。
 それでも今宵も飽きずに欲望の七変化は始まる。威勢よく客を呼び込む黒服に、恰幅の良い男を見送るホステス。下は1万、上は10万超えと格差の激しい風俗店。往来する人々はまるで灯りに魅せられた蛾の様である。
 岩戸屋(いわとや)店主、平坂(ひらさか)ナギヨシもまたその1匹であった。

「だーかーらー、謝ったじゃん!バイクが壊れたのは俺のせいじゃないんだって!バイトくんのせいなんだよ!てか店にもお金落としてんじゃん!」
「謝罪で済んだら警察はいらないんだよバカヤロー!それにテメェが頼む酒なんざ、安酒オブ安酒。キングオブ安酒じゃないのさ!ほんとに謝罪の意思があるならドンペリ10本頼まんかいっ!!」
「てーめ、ババァコラァ!こっちが下に出たら足元見やがって!」

 (ナギヨシ)の止まった灯りはキャバクラ『ワタツミ』。数人のキャバ嬢と、それを従えるママ『(ひな)オウカ』が切り盛りする小規模なキャバクラだ。
 先程からナギヨシとアグレッシブに言い争っている老婆こそオウカその人である。

「人殺す前にさっさと免許返納しやがれ。もう80だろうが」
「サバ読みすぎじゃボケェ。まだ68だわ」
「悪ィな。小ジワと小言多すぎて高く見えたわ」
「ならお前は小学生だね。そんなに髪伸ばして!バリカンあるからスポーツ刈りにしてやる。男に1番人気の髪型さね」
「ちょ!?まっ!?いつの時代の話してんだババァ!手を離しやがれェェェ!!」

 生意気な口を聞くナギヨシの頭部を掴み、オウカはバリカンを押し当てようとする。ナギヨシは慌てふためいて抵抗した。

「ご注文の酒。ドーゾごゆっくり」
 
 2人に割って入る様に1人の少女が酒を置いた。その少女は、褐色の肌に目を引く白髪。さらに宝石の様に美しく青い瞳を持っていた。絵から飛び出してきたと言われても嘘に聞こえないその容姿は、嫌でも目を惹く。
 ナギヨシには高く見積っても10代後半にしか見えなかった。

「ババァ、アレ誰?」
「あぁ、紹介してなかったね。ウチの新入りだよ。店の前で倒れてたの拾ったんだ。そしたら懐いちまって」
「その顔面に?有り得ねぇだろ」
「テメーの顔面もそうしてやろうか?」
 
『ニィナ』とオウカが呼ぶと、少女は振り向き、無愛想な顔でナギヨシの前に立った。

「常連のナギヨシだ。今後も顔合わせるだろうから紹介しとくよ。ほれ、挨拶しな」
「『雛ニィナ』。よろしく」

 ニィナと呼ばれた少女はペコリと頭を下げる。
 
「なぁババァ。法律って知ってる?」
「年齢かい?バレなきゃ犯罪じゃないんだよ。それに、やらせてるのは給餌だけだ。男の相手はさせてないさ。アタシにも倫理観はある」
「……オウカ、もういい?」
「あぁ、いいよ。客足も落ち着いてきた頃だ。アンタも裏で休んどきな」
「こりゃまた随分とクールでいらっしゃる」

 ニィナは言われるままに裏に下がって行く。動く度に靡く白髪は、光が当たることでより美しく輝いていた。
 
「愛想の無い子でねぇ。誰に似たんだか」
「少なくともテメーの股からは産まれてねぇからテメーじゃねぇ。……また自分の苗字名乗らせて、相変わらず行き倒れの女拾ってんのか」
「そうさね。あの子らの過去は知らないけど、この店に居るうちは娘として扱ってやらんとね」

 ここワダツミの従業員は、皆オウカに拾われた身である。元犯罪者、元ヤク中、元詐欺師……洗えばいくらでも錆が出てくるだろう。
 しかし破滅は誰にでも訪れる。結果、立場も金も親さえ頼ることが出来ず、自死さえ考えていた彼女たちを救ったのはオウカだった。
 店主として、親として『雛』の姓と仕事を与え、最低限生きてくのに困らぬよう面倒を見ている。まさに蜘蛛の糸。当然ながら、彼女たちもオウカのことを親として慕っている。

「アタシゃ随分と身勝手な女だろう?」
「んにゃ、それがババァのやりたいことなら一客の俺はなにも言わんさ。アンタ責任が取れる大人なんだから」

 ナギヨシは運ばれた酒を飲み少し寂しげな顔をする。オウカは紫煙を燻らせながら、棚に飾られた1枚の写真を眺めていた。
 写真の中で今は亡き勇魚(いさな)ミコトが微笑んでいる。

「……アンタは吹っ切れたのかい?」
「吹っ切れたら死にたいなんぞ思ってないさ。あの3年間は俺の人生で最もかけがえの無い素敵な日々だったから」
「アンタさえよければ、ウチの娘なんざいくらでもくれてやるのに。惚れてんの気付かないフリしてるだろ。悪い男だね」
「なら尚更やれんでしょうが。こんな悪い男にテメーの娘渡せねぇだろ。俺が親父だったらぶん殴ってでも別れさせるね」
「ククク、よく分かってるこった」

 2人はクツクツと笑い、身体に毒素を流し込む。たまには悪い物を取り込こまねば生きていていけない。夜の天逆町は毒を毒で制し成り立っていた。

「全員手を後ろに回せ!!」

 それは突然の出来事だった。夜を楽しむワダツミの店内に、銃を構えた者たちが押しかけてきたのだ。目出し帽を被り、如何にも強盗と言った雰囲気を醸し出している。

「ババァの知り合いか?」
「いんや、アンタ以上に無作法なヤツは知らないよ」
「そいつは光栄なこって」

 ナギヨシは残りの酒をのみながら様子を伺う。店内の人々は目出し帽たちに従い、手を挙げ店の隅に固められた。

「おい、オマエらも早く動け!!」

 目出し帽の1人が、酒を飲むナギヨシと煙草を吸うオウカに詰め寄る。脅しているはずなのだが、当の2人は依然変わらぬ態度を取っていた。

「立場わかってんのかァ!!」

 カウンターに思い切り銃を打ち付ける行為は、脅しを超え恐喝になった。
 店内の空気が緊張に包まれる。

「立場も何も、ここは酒飲んでおっぱい揉む店だぞコノヤロー」
「お触り禁止だよ」
「禁止だそーだコノヤロー」
「何をふざけてっ!」
「ふざけてねーよ。場違いなのはテメーらだって言ってんだよッ!」

 ナギヨシはほぼ予備動作の無い流れる様な回し蹴り放った。目出し帽の男は攻撃されたことにさえ気付かず、地面に大穴を開けめりこんだ。

「ナギヨシ、器物破損だよ。ちゃんと金払いな」
「残念ながら請求する相手を間違えてるぜ。領収書はコイツらに切ってれや」
「な、何しやがるんだ!!人質がいるって分からねーのかっ!!」

 残りの目出し帽たちもナギヨシ目掛け銃を構える。彼らの目は血走り、今すぐにでも発砲しそうだった。
 身構えるナギヨシの横をフッと何かが通り過ぎる。視界の隅を一度見たら忘れない白髪がチラついた。

「な、なんだァ!?」

 裏から飛び出してきたニィナが、銃を構える目出し帽に組み付く。彼女は右腕を目出し帽の首に回し、左手で下顎に掌底を当てた。体勢が崩れた男の脇腹にすかさず膝蹴りを入れる。一瞬にして力なく男は倒れた。

「まだやる?」

 ニィナが他の目出し帽に問うと、彼らは圧に負けバダバタと逃げ帰っていった。
 すぐにキャバ嬢たちがニィナに駆け寄り、店内は歓声の渦に包まれる。ニィナは鬱陶しいそうにしていたが満更でも無さそうだった。

「まさかあの娘にあんな特技があったなんてね」
「ありゃ『ルア』だな。カプ・クイアルアっていう『禁じられた2度打つ技』。初めて見たが、2手で相手を沈めるってのは嘘じゃねーみたいだ」
「じゃあ、元はハワイに住んでたってことかい?」
「さーね?もしかしたら滅んだ王国のお姫様とかなんじゃね?」
「そうだ」

 ゲラゲラと笑う2人に、ニィナが声をかける。

「え?」
「私は姫だ。日本に亡命したんだ。さっきのヤツらは雇われた追っ手だろう」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 驚愕の事実に酔いも醒める。どこぞの姫が働くキャバクラがあってたまるか。何より国際問題で全員指名手配になるのではないかと、ナギヨシとオウカの頭はぐるぐると最悪を考える。

「ど、どこの国のお姫様なんだい?」
「ハワイ島の隣。地図から消された小さな島国。ドウェイン・ジョン島の姫」
「なにその島民全員ムキムキそうな名前の島」
「通過の代わりに筋肉量で支払うの」
「それでどうやって成り立ってんの?てか筋肉量で支払うって何!?」

 オウカは力こぶを作り、自身の力を示す。ナギヨシは、それがどれくらいの価値になるのかを推し量ることは出来なかった。
 
「オウカに迷惑をかけるつもりは無かったけど、バレたなら仕方ない。これ以上ここには居られない。迷惑をかけた。ごめんなさい」

 ニィナはそう言うと踵を返し、ワダツミから立ち去ろうとする。彼女がどれだけ追われていたのか。なぜ追われているのか。日本に来る前にも他の国を転々としていたのだろうか。その苦労は彼女本人にしか分からない。ただ、立ち去るのが当たり前の様に動いている。
 だが、その背には寂しさを背負っていた。

「待ちな。ニィナ、勝手に出ていくじゃないよ」
「でもここに居ても迷惑をかける。オウカも怪我する」
「自分の仕事ほっぽる馬鹿が何処にいるかってんだ。アタシたちにはアンタの手が必要なんだよ」
「でも……」
「でももヘチマも無い。手前の娘に何もしないで追い出す親がいるかね。安心しな、ウチにゃたぁーぷりツケがあるアホがいる。そいつの仕事は()()()()だ。」

 オウカはソロりと店から出ようとするナギヨシに声をかける。ナギヨシは冷や汗を垂らし、オウカと視線を合わせた。

「ニィナのこと頼んだよ。ナギヨシ」

 ニンマリと笑うその顔が、ナギヨシには悪魔に見えた。