目を覚ました朱莉が連れられたのは、豪華絢爛な畳敷きの大広間だった。

 朱色の円柱が何本も並び、梁部分には金色の装飾がふんだんに施されている。
 都心には似つかわしくない広大な敷地に、見事な和風の庭もあった。

 まるで神様がまつられているようなお屋敷だ。

「なるほどねえ」

 そして何より上座席にゆったり腰掛けるその人物は、明らかに「人間」ではなかった。

「つまり、追っ手から逃れて湖に落ちたはずが、気づけばこの國の上空で落下していた──と。君の説明はおおよそこんなところかな」
「はい。その通りです」

 素直に頷いた朱莉に、上座席の人物は満足げに頷き返した。

 その人物を、周囲の者は「お狐様」と呼んだ。

 名は体を表す。
 呼び名通り、頭上には狐を思わせる二つの三角耳が生えていた。
 腰元からは毛並みの美しい尾が悠然と揺れ、薄茶色の髪は背中を隠すほどまで伸びている。
 とはいえ顔は美しい人間そのもので、肌はまるでおしろいをはたいたように白い。
 中性的な外見で一瞬判断に迷ったが、声から察するに恐らく男性だろう。
 優美ながらも威厳のある佇まいが、この地の権力者であることを物語っていた。

「事情は分かったよ。では次に、君自身のことについてもいくつか質問させてもらってもいいかな」
「はい。もちろんです」
「でははじめに。君は人間だね」
「はい。その通りです」

 再び素直に頷いた朱莉に、周囲の空気がざわっと揺れた。
 今居る大広間には壁がない。
 そこから見える中庭からは、遠巻きにこちらを見つめる聴衆で埋められていた。

 聴衆たちにそっと視線を馳せる。
 お狐様と同様、獣に似た特徴を持った者。身体の大小が極端な者。鋭い牙や爪を持つ者。もちろん人間に似た外見の者もいるが、朱莉はすでに一つの答えを出していた。書物の中で幾度か目にしたことがある。

 この國はどうやら人ならざる者が生活を営む──「あやかしの國らしい」と。

 ドン!
 そのとき、後方から何かで床を付く音が響く。
 朱莉はもちろん、周囲の野次馬たちも驚きに肩を揺らした。

「黙って見ていられない野次馬は即刻出て行ってもらおう。今はお狐様の引見中だ」
「あ……」

 振り返った先には、最奥の柱にもたれた男の姿があった。
 刀の柄を床に突き立て、周囲に一瞥を送る。

 その言葉に周囲のあやかしたちはぴしっと姿勢を正し、口を真一文字に締めた。

「こら龍海(たつみ)。あまり皆を脅かしてやるんじゃない。この子も驚くだろう」
「失礼しました」

 タツミ。タツミ。タツミ。
 龍海様、と仰るのか。

 偶然にも耳にできた名を脳内で繰り返す。
 凜々しい名前だ。素敵な御方は名前まで素敵なのだ。

 落命寸前だった朱莉を抱き留め、救ってくれた人。
 今まで見たどの殿方よりも美しく、強く──魅力的な人。

 後方に体勢を向けたままうっとりとしている朱莉に気づき、青年は怪訝そうな顔をした。

「さて。話の腰を折ってしまって申し訳ないね。それでは、君の話の続きを」
「……きっと私は、捕縛されるのでしょうね」

 ぽつりと零れ出た言葉だった。
 正体の知れない者が空から降ってきた。ましてや朱莉はあやかしでなく人間。
 この國では最も警戒すべき、異端の存在だろう。

「君の目的と正体如何では、その処置もやむを得ないだろうね」
「承知しております。命が下れば、どんな罰も甘んじて受け入れる覚悟もございます」

 自由を奪われるのは慣れている。
 なにせ十五年間、養親の屋敷の一部のみが朱莉の生きる場所だったのだから。

「ただ──誠に勝手ながらひとつだけ、後生の頼みがございます」

 すっと手を床につき、朱莉は床につくまで深い最敬礼を見せた。

「龍海様を、私の監視役に指名して頂けないでしょうか」
「……」

 はあ?
 至極真剣な頼みごとに、男はもちろん野次馬のあやかしたちも目一杯の間を開けて首を傾げた。