「そのようなことよりも、閣下、あれをご覧下さい」

 優雅な指の先を海賊船へ向ける。

「サンダーバードが海賊船に近づき、すぐに離脱いたしました。おそらく海賊船に隻眼のレオンを送り届けたのでしょう。いちいち大袈裟な男です」

 宿敵の名前に、バスターははたと我に返って唇を一直線に結んだまま海の向こうを振り返る。空でイナズマが光ったが、大きな雷鳥はあっという間に地平線の空へ消え失せた。

 話は冒頭に戻る。

「如何いたしますか、閣下」

 望遠鏡をキャッスルフォードへ手渡すと、ハックフォードは次なる命令を待つ。

「無論、追うぞ!」

 バスターは噛みつく勢いで下知する。

「すぐに進路をあの海賊船へ固定せよ。逃げ足の速い連中だ。今度こそ行方をくらます前に捕まえる!」
「畏まりました」

 ハックフォードは背後にいるキャッスルフォードへ目配せする。キャッスルフォードは心得たように返事をすると、即座に身を翻して航海士や海兵たちへ命令を伝えに行く。

 バスターは手すりギリギリまで身を寄せて、肉眼で小さく見える海賊船を精一杯睨みつけた。絶対に逃さない――バスターの脳裏には初めてレオンと出会った場面が否応なしに括りつけられてある。

 ――俺とセックスをしよう――

 バスターの顔が怒りと恥辱に染まる。一騎打ちで負けた自分へ海賊が求めたことはそれだった。

 ――何たる侮辱だ。

 バスターは息をするのも苦しいくらいに奥歯を噛み締める。だから部下にまでくだらない戯れ言を言われるのだと苦々しくなる。思い出したくもない光景だが、隻眼のレオンはバスターの人生において恐ろしいまでに鮮烈で強烈だった。

 ――何がスペクタクルでファンタジックな千夜一夜の始まりだ。誰がワクワクするか。

 と、レオンに言われた台詞がよどみなく浮かんできて、腹正しいとばかりに両手で手すりをぐっと掴んだ。

 ――あの男を捕まえて縛り首にしなければ。そうしなければ悪夢が終わらない。

 バスターは脳裏に括りつけられてある腹が立つこと甚だしいレオンを睨みつける。そうでもしなければ自分の意思に関係なく、深い海の底へ引きずり込まれていくような気がした。

「必ず、縛り首にする」

 声に出すと、すっきりした。

 記憶のレオンではなく、眼前の海賊船へ鼻息を荒くして強く見据える。見失わないように瞬きもしないで凝視した。

「――ハックフォード」

 しばらくもしないうちに、バスターは隣にいる副官に声をかける。

「何でしょう、閣下」
「なぜか私の目がおかしくなっているようだ。海賊船はどうしているか」
「こちらへ向かってきております」

 ハックフォードもバスターと同じ方向を向きながら平然と応答する。

「やはり、そうか」

 バスターは姿勢を正すと、全速力で接近してくる海賊船へ向かって驚きと共に吐き出した。

「なぜだ!」

 逃げる海賊船を追いかける気満々だった提督へ、面の皮が厚くて敏腕なる副官が答えを出す。

「おそらく、閣下の大切なものを奪う気なのでしょう」
「――どこかで聞いたことがある台詞だ」
「わずかに脚色しております」

 ハックフォードはぬけぬけと宣うと、バスターへくるりと向き直り努めて真剣に進言する。

「閣下は御身を大切になさって下さい。あの男の狙いは閣下です。あの男は閣下がいまだ童貞であることを知りません。閣下もその重大さをもちろん認識しておられると解釈しております。何度も申し上げますが、相手は海賊です。愉快なエンターテイメント集団ではありません。閣下の重要な初夜を奪うのが目的である極悪非道な海賊団なのです。何よりもそのことをお忘れなきよう、閣下の汚れなき貞操が危機に瀕して――」

 と、舞台演者のように両腕を広げて延々と語り、聞いている提督閣下の精悍な顔が茹でダコのように真っ赤っ赤になっているところへ、空気を知らないサンタ・マリア海賊団の帆船が元気いっぱいにやってきて、ロイヤル・ネルソン号にぶつかることなく並列した。

「バスター!!」

 あやうく大事な血管が一つ二つぷっつんしそうになったバスターは唇を苦々しく引き結んで、その能天気に呼ぶ声を振り返る。途端に口から火が噴いた。

「レオン!!!」
「そうだ! 元気そうだな! お前の顔を見ると俺も最高な気分になる! さあ! 準備は整ったか! 俺とセックスをしよう!」

 レオンは青い海空で輝く太陽の光を浴びながら、魅力たっぷりにウィンクをする。

「おのれ!! いつまで私を侮辱するか!!」

 バスターはまさに火に油を注がれた格好で、手すりを下で支える棒状に足をのせて怒りのままに飛び掛かろうとする。だがどう考えても向こうの船に飛び乗る前に海へ落ちるのは馬鹿でもわかるので、キャッスルフォード以下が総出で提督に飛びつき甲板へ引きずりおろした。

「そうか! まだ準備は整っていないか! 残念だ!」

 とレオンは眩しく俺流解釈して、ひょいと横に首を曲げる。そこを一発の銃弾が飛んでいった。

「相変わらず嫌な奴だな! せっかくバスターと楽しく喋っているんだぞ!」
「楽しくお喋りしているのはお前の口だけだ。死体になればいい加減に黙るだろう」

 ハックフォードはどこからか取り出した銃の標準を、レオンへ合わせている。

「閣下をお守りせよ」

 集まった海兵たちは、おお! と勇ましい掛け声をあげて、甲板の床に尻もちをついているバスターに上から覆いかぶさっていこうとしたが、バスターが身の危険を感じたウサギよりも素早く逃げたため、何もない甲板にどどどん! と人間の山が出来てしまった。

「私のことよりも、あの海賊どもを討ち取れ!」

 バスターは揺れる甲板に仁王立ちになると、海を挟んで海賊船にいるレオンと対峙する。

「我が国から奪ったランスロットとガラハットを返してもらうぞ!!」

 それに対して、レオンは片手で自分の胸を叩いて、蕩けるような溜め息を洩らした。

「本当にいい男だ! お前の船に飛び乗って押し倒したいが、それは良い男のすることじゃないから我慢する!」

 全く人の話を聞いていないため、バスターは激怒した。

「お前を捕まえて縛り首にする!」
「ああ、いいとも! 縛り首だろうがギロチン刑だろうが俺はお前の全てを受け入れる! いつだって俺は両腕を広げている! この胸はお前のものだ! いつか俺の全てがお前のものになる! どうだ! ワクワクするだろう!!」

 またダーンと銃声が鳴り、レオンは舞うように身をひるがえして弾を避けた。

「あの男に釣られて、三文芝居のような会話はお止めいただきたい」

 銃を撃ったハックフォードは学生を叱るように冷ややかな口調になっている。

 うっと、バスターは押し黙った。

「よし! バスターと会って声を聞けただけで俺はハッピーになった! さあ行くぞ!」

 後ろの方で、どこかくたびれた顔色になっているマルコとニヤニヤしている仲間たちを笑顔で振り返る。

「全速前進! この場から逃げるぞ!!」

 イエーイと明るい返事があがり、海賊船はゆっくりと離れ始める。マストにいるヴァイオは白髪交じりのダンディな姿になっていて、空でタクトを振る。

「じゃあなバスター! そのうちにランスロットとガラハットは返してやる! それまで俺を追い続けろ! 待っている!」

 バスターは正気に返った。

「今すぐに返せ! 海賊め!!」
「それは駄目だ! 俺はまず追いかけられてトキメキたいんだ!」

 子供のような駄々を捏ねて、レオンは情熱的に投げキッスをする。

 提督は逆上した。

「おのれ海賊!! 我々も追うぞ!!」
「もう追っております」

 ハックフォードは冷静に状況を報告する。

「ですが、追いつけないようです」

 サンタ・マリア海賊団の帆船はブラッディ・フラッグをはためかせて、いきなりジェット戦闘機並みの高速さで海の上をびゅんびゅんと荒立てながら、滑るように走り去っていく。あーーーっという間の出来事だった。

 バスターは口をポカンと開ける。わずか数秒でいったい何が起こったのか、思わず目をこするが、大きな帆船はもはや影も形も見当たらない。

「おそらくは、あの魔術師(プログラマー)が」

 バスターはふらっと立ち(くら)んだ。またかと眩暈がしたが、ハックフォードに皆まで言わせず、気力を振り絞って命令を出す。

「海賊たちを追うぞ! 我々も前進だ!」

 ――逃がすものか。

 バスターの瞼には先程のレオンの姿がべったりと貼りつけられている。それを剥がして大海原へ投げ捨てようとするように声の限り叫んだ。

「隻眼のレオン! 必ずお前を縛り首にする!! 必ずだ!!! 必ず!!!」 

 心からの絶叫は海の上を波のように泳いでいった。

                       【追いかけっこ編1 終わり】