一九九九年発刊某月刊誌 毎年恒例!夏のホラー大特集 夏の増刊号より抜粋
タイトル:堕ちていく(H県在住会社員Aさん)
以下は当時の記事の全文である。
———————————————
あの日の出来事は、きっと一生忘れられないと思います。
あれは、私の知らないうちに刻まれた、一生涯付き纏う枷だったものかもしれませんから。
その枷が私にはもうないことだけを祈ります。
その日自分が寝ていた場所は、実家の座敷でした。木目の天井を見つめながら、一日にあった出来事をぼーっと思い返していました。
その年、私は何年振りかわからないほど久しぶりに、実家があるN県へと盆休みを使って帰ってきていたのです。これまでなぜ足が遠のいていたかというと、うんざりしていたからというのが理由です。古い町並み、古いしきたり、古い家。どれをとってもこの場所に帰る理由などひとつも見当たらなかった。都会の空気に一度触れてしまえば、良いように言えば『趣のある町』のこの場所になんか、お世辞すら言えなくなる。それくらい古臭い町でした。こんな場所二度と帰らない、そう思うくらいには。
それでも今年は、どうしても帰らなければならなりませんでした。
母は足が悪くパーキンソン病という病気を患っていました。それも数年のうちにみるみる悪くなり、要介護となりました。それまでは近所の方たちやデイケアの協力で日常生活を送れていたようですが、どうもそうはいかなくなりました。要介護認定を受け、その年の秋から病室に空きが出たとのことで、他県の病院への入院が決まったのです。
この家に住んでいたのは母だけでした。父は食道がんで既に亡くなっており、懇意にしている親戚も私たちにはいませんから、母がいなくなれば家は完全に空き家になります。私ももちろんこの家に帰るつもりは端からありませんでしたので、母の意向もあり長年住んでいた家は引き払うことに決めました。
元来物は少ない家でしたので、盆休みの一週間もあれば家中片付くだろうという見込みでした。だから、渋々ながらも帰ってきたのです。嫌々帰ってきたものの家を片付けていくうちに、生まれ育ったこの家がなくなるという実感が出てきて、ほんの少し寂しい気持ちが湧きました。しかし、やっと縁を切ることができるという安堵の方が大きかった気がします。それくらい、嫌な感じのする町なのです。私は淡々と家中の片付けを進めていきました。
久しぶりに戻った地元は、当たり前のように自分を迎えてくれました。古い付き合いのご近所さんが町でとれた野菜や果物を片手に顔を見せにやってきては、「おかえり」と自分の家族同然に声をかけてくれる。「元気だったかい」「あんたが帰ってきたならかあちゃんも安心だ」など、独特の田舎訛りで私に次々と声を掛けていきました。その言葉に少しも引け目を感じないほど薄情でもなかったので、母が病気でここにはもう住めないこと、家を引き払うこと、自分ももうここに戻ることはないことを心苦しくはありましたが正直に伝えました。要するに、町と縁を切るということです。こんなに優しくしてくれる人が周りにたくさんいるというのに、自分はこの町を出たいと思っている。そんな自分は、周りから見れば薄情という他ないでしょう。
それでも、きちんと伝えればきっとわかってもらえるはずだと私はそう信じていました。
だけど、私のそんな考えは甘かった。
私が皆にそう伝えると、それまでにこにこと和やかに喋っていたご近所さんの顔つきが、一瞬にして変わりました。まるで能面のように色のない表情だったと思います。だけど、そこから確かにふつふつとした怒りの感情が伝わってくるのです。
心の中で「まずい、まずい」と焦りながらも、口を開くことはできませんでした。
どうして自分がそんなに焦っていたのかは今でもうまく説明はできないのですが。
ご近所さんたちはやがて、口々に聞き取りにくい声でぶつぶつと呟き始めました。
「村のたたりが」「橋の神さんが」「やっぱり外からきたもんは」「あすこの病院は信用できねえから入院さ取り止めるべきだ」
じめじめぼそぼそと呟かれる言葉を全部聞き取るのは無理でしたが、それはもう恨みがましい目つきでこちらを見ながらしわがれた声で文句を垂れていました。私の気持ちなど何も知らず小言を言うだけ言ったその後は、先ほどまでの表情が嘘かのように「まあ外で暮らすのもしかたのねえことだな」と各々納得したように頷いていました。先ほどまでの表情が嘘かのように、怖いくらいの貼りつけた笑みで。こういうところが、昔から嫌いでした。
いまでこそ町と名を変えていますが、合併する前はここは村で、部落とも言われていたような狭い集落でした。少ない人々が密に連携を取り合っているような小さな取り決めなどが細々とある、面倒な村でした。父はこの村の生まれで、今回入院することとなった私の母は、外から嫁入りしてきました。私は、そんな二人のもとに生まれました。
やがて近所の方たちは「あすこの外れの子も帰ってきている」と不気味な笑みを貼りつけたまま冷たく私に言いました。そのまま皆は帰っていったのですが、なんともまあ嫌な言い方だなと思いました。「外れ」とは言葉の通りです。この村の血を引いていない者は皆、「外れ」になる。私は父の血を引いているので外れではありませんが、私の母は「外れ」です。差別的な意味で使われているのです。その本当の意味合いはいまだにわかっていませんが、とにかくこの町のこういう部分からずっと離れたかったのです。
「あすこの外れの子」は、私の数少ない同級生でした。彼もまた私と同じようにこの場所を離れたくちでしたので、私の気持ちも汲んでくれるだろうとその晩飲みに誘いました。彼は快諾してくれて、片付けたばかりの私の実家で酒を酌み交わすことになりました。町になったとはいえ飲食店が栄えているわけでもなく、夜九時にはもう闇に落ちるような、徒歩圏内にコンビニすらない辺鄙な場所です。昼間に家を片付けている最中に父が生前飲むために買ったのであろうとっておきの酒、『獺祭』を見つけていたので、それを二人で飲むことに決めて友人が自宅に来るのを待っていました。
後ろがすぐ森のような場所に建っている実家は、ほんの少し窓を開けただけでも虫がすぐに入り込んできます。ムカデにゲジゲジに蚊なんか出るのはしょっちゅうで、子供の頃は大騒ぎしていたものです。古い木造の家なので障子戸はたてつけが悪いし、冬は隙間風がびゅうびゅう吹き込んで寒い。だけど、夏場の今時分は夜風くらい少しは涼しいだろうと障子と網戸を全開にして、ちょうど満月の明かりもあるから月見酒もいいなと、縁側に酒とつまみを用意して友人を待っていました。
けれど、待てど暮らせど友人は現れませんでした。田舎の夜は早く、長い。「じゃあ今晩酒でも飲もうか」と話しはしましたが、具体的な時間など決めてはいませんでした。だけど、その時はもう夜の九字を回っていたので、さすがにまだ来ないのはおかしいなと思い始めたのです。
だからと言って、わざわざ向こうに電話をかけて確認するのも、わざわざ家まで迎えに行くのもなんだかなあという気持ちがしたので、そのうちには来るだろうと先に私は酒を煽りはじめました。
結局、あいつは来ませんでした。
二十三時までちびちび酒とつまみを食いながら待っていましたが、姿を見せることはありませんでした。
時間も時間だったし、だいぶ長く飲んでいたためすっかり酔いが回っていました。
母は奥の部屋でもう眠っているのか、物音一つしません。
私は開け放した窓をそのままに、そこに続いている床の間に乱雑に敷いた布団の上へと寝そべりました。
木目の天井を見つめながら、一日にあった出来事をぼーっと思い返していました。
そんなことをしている間に眠ってしまったようでした。
どれくらい眠ったのかはわかりません。
どこかじめっとしていて蒸し暑く、寝心地の悪さを感じて目を覚ましたように思います。まだ辺りは真っ暗だったのできっと朝には程遠いだろうと、もう一度眠りにつこうとしたんです。まだ獺祭のアルコールが体内に十分残っていたので、すぐに眠れるだろうと瞼を閉じました。
だけど、何とも言えない気持ち悪さが自分の中に渦巻いて、なかなか眠ることができませんでした。
二日酔いだとか、そういった類のものではありません。
漠然と、どこか、何かが、気持ち悪いのです。
違和感に気付いたのは、突然でした。
右に左にとごろごろ寝返りを打ちながら、ふと思ったんです。
何かがおかしい。
窓を開けて寝たはずなのに、そういえば少しの風も通らない。
あれだけ大きく煌々と輝いていたはずの月の光さえ、部屋に落ちてこない。
母は自分の足で歩くことももう困難なので、母が窓を閉めたとは考えにくい。
じっと目を凝らして周りを見てみるものの、どこまでも暗闇が続いていた。
そして極めつけは音でした。
この時期ならカエルの鳴き声や虫の声がうるさいほどに響いているのに、驚くほどの無音。
それに気付いた瞬間に、全身の毛が逆立ち、酔いはすっかり醒めました。まるでこの場所だけ異世界のような、おかしな世界なのではないかと錯覚するような、度し難い恐怖が私を襲ったのです。その瞬間に、さっきまで動いていた私の身体は硬直したように、突然動かなくなりました。たぶん、金縛りだったと思います。まだこの家で暮らしていたときにも何度か金縛りになったことはありましたが、こんなに恐怖感でいっぱいだったのは初めてのことでした。
すると、さっきまで蒸し暑かったはずの部屋が急に寒くなってきて、いよいよこれはまずいぞと、必死で体を動かそうともがきました。けれど、動きたいと思えば思うほど、私の身体は固く小さくなるようでした。暗闇に目が慣れてきてもいい頃なのに、開けたままの目は天井の木目を映すことはありませんでした。
それくらいの深い闇の中に、私はいつの間にか浮かんでいました。
膝を抱え込んで、まるで胎児のような姿だったと思います。
年甲斐もなく涙が出る思いでした。
いつまでこのままなんだろう。早く、早く元に戻れと、何度も何度も胸の内で念じていると、ようやく体が動かせるようになったことに気付き、そして開けていたと思っていた自分の目は本当は開いていなかったのだとその瞬間に気付きました。
瞼を上げたその瞬間飛び込んできたものに、思わず声を上げました。
目の前に、いくつもの能面のような顔が浮かんでいたのです。
五か、六は浮かんでいたと思います。
どれも同じ、貼りつけた嘘くさい笑みを浮かべています。
それが私をあざ笑うように周りをくるくる回りながら、言葉とも言えない何かを話していました。
呪文のような、何かを。
あまりにも怖くて、私は目をきつく閉じました。
夢なら早く覚めろ!覚めてくれ!と。
心の中で叫びました。
「 」
そのとき、耳元でしわがれた声が響きました。
その声が聞こえた直後、私の体はどこまでもどこまでも落ちていきました。
暗闇に吸い込まれるように、どこまでも。
「おい! おまん、生きてるか!?」
次に目が覚めたのは、昨晩酒を飲むと約束したはずの友人に体を揺すられた時でした。
外からは明かりが漏れていて、あの長い夜を抜けたのだとほっと息をつきました。
障子戸は締め切っていたらしく部屋の中には熱がこもり、私は熱中症寸前だったようです。
中で倒れている私を友人が見つけて、助けてくれたとのことでした。
先ほどまでの悪い夢か現実かわからない気持ちの悪い出来事を隠したまま、私は友人にどうして昨晩来なかったのか問いました。
すると友人はひどく怪訝そうな顔をして
「来るも来ないも、おまんがこっち来とるのなんか先刻きいたばかりだわ」
と、言い放ちました。
「おまんは、ここ出るらしいな。俺はもう腹くくったわ」
そう言った友人の横顔がいまでも忘れられません。
私が体験したあの日の出来事は、夢だったのでしょうか、現実だったのでしょうか。
でも、いまでもはっきりと耳に残っているのです。
「堕ちろ、堕ちろ」
——という、しわがれた低く掠れた声が。
<終>
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タイトル:堕ちていく(H県在住会社員Aさん)
以下は当時の記事の全文である。
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あの日の出来事は、きっと一生忘れられないと思います。
あれは、私の知らないうちに刻まれた、一生涯付き纏う枷だったものかもしれませんから。
その枷が私にはもうないことだけを祈ります。
その日自分が寝ていた場所は、実家の座敷でした。木目の天井を見つめながら、一日にあった出来事をぼーっと思い返していました。
その年、私は何年振りかわからないほど久しぶりに、実家があるN県へと盆休みを使って帰ってきていたのです。これまでなぜ足が遠のいていたかというと、うんざりしていたからというのが理由です。古い町並み、古いしきたり、古い家。どれをとってもこの場所に帰る理由などひとつも見当たらなかった。都会の空気に一度触れてしまえば、良いように言えば『趣のある町』のこの場所になんか、お世辞すら言えなくなる。それくらい古臭い町でした。こんな場所二度と帰らない、そう思うくらいには。
それでも今年は、どうしても帰らなければならなりませんでした。
母は足が悪くパーキンソン病という病気を患っていました。それも数年のうちにみるみる悪くなり、要介護となりました。それまでは近所の方たちやデイケアの協力で日常生活を送れていたようですが、どうもそうはいかなくなりました。要介護認定を受け、その年の秋から病室に空きが出たとのことで、他県の病院への入院が決まったのです。
この家に住んでいたのは母だけでした。父は食道がんで既に亡くなっており、懇意にしている親戚も私たちにはいませんから、母がいなくなれば家は完全に空き家になります。私ももちろんこの家に帰るつもりは端からありませんでしたので、母の意向もあり長年住んでいた家は引き払うことに決めました。
元来物は少ない家でしたので、盆休みの一週間もあれば家中片付くだろうという見込みでした。だから、渋々ながらも帰ってきたのです。嫌々帰ってきたものの家を片付けていくうちに、生まれ育ったこの家がなくなるという実感が出てきて、ほんの少し寂しい気持ちが湧きました。しかし、やっと縁を切ることができるという安堵の方が大きかった気がします。それくらい、嫌な感じのする町なのです。私は淡々と家中の片付けを進めていきました。
久しぶりに戻った地元は、当たり前のように自分を迎えてくれました。古い付き合いのご近所さんが町でとれた野菜や果物を片手に顔を見せにやってきては、「おかえり」と自分の家族同然に声をかけてくれる。「元気だったかい」「あんたが帰ってきたならかあちゃんも安心だ」など、独特の田舎訛りで私に次々と声を掛けていきました。その言葉に少しも引け目を感じないほど薄情でもなかったので、母が病気でここにはもう住めないこと、家を引き払うこと、自分ももうここに戻ることはないことを心苦しくはありましたが正直に伝えました。要するに、町と縁を切るということです。こんなに優しくしてくれる人が周りにたくさんいるというのに、自分はこの町を出たいと思っている。そんな自分は、周りから見れば薄情という他ないでしょう。
それでも、きちんと伝えればきっとわかってもらえるはずだと私はそう信じていました。
だけど、私のそんな考えは甘かった。
私が皆にそう伝えると、それまでにこにこと和やかに喋っていたご近所さんの顔つきが、一瞬にして変わりました。まるで能面のように色のない表情だったと思います。だけど、そこから確かにふつふつとした怒りの感情が伝わってくるのです。
心の中で「まずい、まずい」と焦りながらも、口を開くことはできませんでした。
どうして自分がそんなに焦っていたのかは今でもうまく説明はできないのですが。
ご近所さんたちはやがて、口々に聞き取りにくい声でぶつぶつと呟き始めました。
「村のたたりが」「橋の神さんが」「やっぱり外からきたもんは」「あすこの病院は信用できねえから入院さ取り止めるべきだ」
じめじめぼそぼそと呟かれる言葉を全部聞き取るのは無理でしたが、それはもう恨みがましい目つきでこちらを見ながらしわがれた声で文句を垂れていました。私の気持ちなど何も知らず小言を言うだけ言ったその後は、先ほどまでの表情が嘘かのように「まあ外で暮らすのもしかたのねえことだな」と各々納得したように頷いていました。先ほどまでの表情が嘘かのように、怖いくらいの貼りつけた笑みで。こういうところが、昔から嫌いでした。
いまでこそ町と名を変えていますが、合併する前はここは村で、部落とも言われていたような狭い集落でした。少ない人々が密に連携を取り合っているような小さな取り決めなどが細々とある、面倒な村でした。父はこの村の生まれで、今回入院することとなった私の母は、外から嫁入りしてきました。私は、そんな二人のもとに生まれました。
やがて近所の方たちは「あすこの外れの子も帰ってきている」と不気味な笑みを貼りつけたまま冷たく私に言いました。そのまま皆は帰っていったのですが、なんともまあ嫌な言い方だなと思いました。「外れ」とは言葉の通りです。この村の血を引いていない者は皆、「外れ」になる。私は父の血を引いているので外れではありませんが、私の母は「外れ」です。差別的な意味で使われているのです。その本当の意味合いはいまだにわかっていませんが、とにかくこの町のこういう部分からずっと離れたかったのです。
「あすこの外れの子」は、私の数少ない同級生でした。彼もまた私と同じようにこの場所を離れたくちでしたので、私の気持ちも汲んでくれるだろうとその晩飲みに誘いました。彼は快諾してくれて、片付けたばかりの私の実家で酒を酌み交わすことになりました。町になったとはいえ飲食店が栄えているわけでもなく、夜九時にはもう闇に落ちるような、徒歩圏内にコンビニすらない辺鄙な場所です。昼間に家を片付けている最中に父が生前飲むために買ったのであろうとっておきの酒、『獺祭』を見つけていたので、それを二人で飲むことに決めて友人が自宅に来るのを待っていました。
後ろがすぐ森のような場所に建っている実家は、ほんの少し窓を開けただけでも虫がすぐに入り込んできます。ムカデにゲジゲジに蚊なんか出るのはしょっちゅうで、子供の頃は大騒ぎしていたものです。古い木造の家なので障子戸はたてつけが悪いし、冬は隙間風がびゅうびゅう吹き込んで寒い。だけど、夏場の今時分は夜風くらい少しは涼しいだろうと障子と網戸を全開にして、ちょうど満月の明かりもあるから月見酒もいいなと、縁側に酒とつまみを用意して友人を待っていました。
けれど、待てど暮らせど友人は現れませんでした。田舎の夜は早く、長い。「じゃあ今晩酒でも飲もうか」と話しはしましたが、具体的な時間など決めてはいませんでした。だけど、その時はもう夜の九字を回っていたので、さすがにまだ来ないのはおかしいなと思い始めたのです。
だからと言って、わざわざ向こうに電話をかけて確認するのも、わざわざ家まで迎えに行くのもなんだかなあという気持ちがしたので、そのうちには来るだろうと先に私は酒を煽りはじめました。
結局、あいつは来ませんでした。
二十三時までちびちび酒とつまみを食いながら待っていましたが、姿を見せることはありませんでした。
時間も時間だったし、だいぶ長く飲んでいたためすっかり酔いが回っていました。
母は奥の部屋でもう眠っているのか、物音一つしません。
私は開け放した窓をそのままに、そこに続いている床の間に乱雑に敷いた布団の上へと寝そべりました。
木目の天井を見つめながら、一日にあった出来事をぼーっと思い返していました。
そんなことをしている間に眠ってしまったようでした。
どれくらい眠ったのかはわかりません。
どこかじめっとしていて蒸し暑く、寝心地の悪さを感じて目を覚ましたように思います。まだ辺りは真っ暗だったのできっと朝には程遠いだろうと、もう一度眠りにつこうとしたんです。まだ獺祭のアルコールが体内に十分残っていたので、すぐに眠れるだろうと瞼を閉じました。
だけど、何とも言えない気持ち悪さが自分の中に渦巻いて、なかなか眠ることができませんでした。
二日酔いだとか、そういった類のものではありません。
漠然と、どこか、何かが、気持ち悪いのです。
違和感に気付いたのは、突然でした。
右に左にとごろごろ寝返りを打ちながら、ふと思ったんです。
何かがおかしい。
窓を開けて寝たはずなのに、そういえば少しの風も通らない。
あれだけ大きく煌々と輝いていたはずの月の光さえ、部屋に落ちてこない。
母は自分の足で歩くことももう困難なので、母が窓を閉めたとは考えにくい。
じっと目を凝らして周りを見てみるものの、どこまでも暗闇が続いていた。
そして極めつけは音でした。
この時期ならカエルの鳴き声や虫の声がうるさいほどに響いているのに、驚くほどの無音。
それに気付いた瞬間に、全身の毛が逆立ち、酔いはすっかり醒めました。まるでこの場所だけ異世界のような、おかしな世界なのではないかと錯覚するような、度し難い恐怖が私を襲ったのです。その瞬間に、さっきまで動いていた私の身体は硬直したように、突然動かなくなりました。たぶん、金縛りだったと思います。まだこの家で暮らしていたときにも何度か金縛りになったことはありましたが、こんなに恐怖感でいっぱいだったのは初めてのことでした。
すると、さっきまで蒸し暑かったはずの部屋が急に寒くなってきて、いよいよこれはまずいぞと、必死で体を動かそうともがきました。けれど、動きたいと思えば思うほど、私の身体は固く小さくなるようでした。暗闇に目が慣れてきてもいい頃なのに、開けたままの目は天井の木目を映すことはありませんでした。
それくらいの深い闇の中に、私はいつの間にか浮かんでいました。
膝を抱え込んで、まるで胎児のような姿だったと思います。
年甲斐もなく涙が出る思いでした。
いつまでこのままなんだろう。早く、早く元に戻れと、何度も何度も胸の内で念じていると、ようやく体が動かせるようになったことに気付き、そして開けていたと思っていた自分の目は本当は開いていなかったのだとその瞬間に気付きました。
瞼を上げたその瞬間飛び込んできたものに、思わず声を上げました。
目の前に、いくつもの能面のような顔が浮かんでいたのです。
五か、六は浮かんでいたと思います。
どれも同じ、貼りつけた嘘くさい笑みを浮かべています。
それが私をあざ笑うように周りをくるくる回りながら、言葉とも言えない何かを話していました。
呪文のような、何かを。
あまりにも怖くて、私は目をきつく閉じました。
夢なら早く覚めろ!覚めてくれ!と。
心の中で叫びました。
「 」
そのとき、耳元でしわがれた声が響きました。
その声が聞こえた直後、私の体はどこまでもどこまでも落ちていきました。
暗闇に吸い込まれるように、どこまでも。
「おい! おまん、生きてるか!?」
次に目が覚めたのは、昨晩酒を飲むと約束したはずの友人に体を揺すられた時でした。
外からは明かりが漏れていて、あの長い夜を抜けたのだとほっと息をつきました。
障子戸は締め切っていたらしく部屋の中には熱がこもり、私は熱中症寸前だったようです。
中で倒れている私を友人が見つけて、助けてくれたとのことでした。
先ほどまでの悪い夢か現実かわからない気持ちの悪い出来事を隠したまま、私は友人にどうして昨晩来なかったのか問いました。
すると友人はひどく怪訝そうな顔をして
「来るも来ないも、おまんがこっち来とるのなんか先刻きいたばかりだわ」
と、言い放ちました。
「おまんは、ここ出るらしいな。俺はもう腹くくったわ」
そう言った友人の横顔がいまでも忘れられません。
私が体験したあの日の出来事は、夢だったのでしょうか、現実だったのでしょうか。
でも、いまでもはっきりと耳に残っているのです。
「堕ちろ、堕ちろ」
——という、しわがれた低く掠れた声が。
<終>
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