「思えば、あの日からなんです。彼女がおかしくなったのは」

 二〇二四年八月二日、そんな切り口で語ってくれたのは、長野県在住二十七歳の会社員Tさんだった。
 以下は、スマートフォンで録音した音声を書き起こしたものであり、彼女が語った全文である。



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 私は彼女の同僚でした。なんで過去形かって言うと、彼女、クビになったんですよね。だから、元同僚です。■■■■■■■■っていうN県に本社を構える各地にあるスーパーマーケットの経理担当として、私と彼女は働いていました。

……クビになった理由は、ちょっと言いづらいんですが。

 別に、彼女が何かしでかしたってわけではないんです。問題があったのは会社の方で。むしろ、よくこんなに頑張れるなあって感心してしまうくらい、仕事に対して真面目でしたよ。

 彼女は中途採用で、どこかの会社からうちに引き抜きにあったっていうことは上司から聞いてました。だから、新卒から働いている私なんかよりずっと仕事は早いし、頼りにされているくらいで。

 私の方が長く働いているのに、どうして彼女ばかり頼られているんだろうって最初は少しムッとしましたけれど……。彼女、本当に一生懸命だったんです。一緒に働いた時間は短かったんですけど、仕事に対してひたむきに努力しているのは誰の目から見ても明らかでした。それがわかるし実際仕事が誰よりもできてしまうので、別にそれ以上のことは何も思いませんでしたよ。頼れるお姉ちゃんという感じで。実際彼女が会社を去った後もLINEでやり取りするくらいでした、ほかの人がどうかは知らないですけれど。社の中で唯一気兼ねなく話せる友達、みたいな感覚でした。少なくとも私は。

 ……だから、クビになった理由はなんていうか。
 まあ少し、真面目すぎるってところもあって。強いて言うならそれがクビになった原因ですかね。

 今日の話は、本当に、絶対に誰にも言わないでほしいんです。私が口外したって社の人間に知られたら、今度は私の首が飛ぶかもしれないですし。でも、ほかの誰かに聞いてほしい気もしていたんです。だから、話すのは怖いけど、話します。

 実は、ある社員の横領が明らかになったんです、彼女によって。何年前からかはわからないんですけど、かなり長い間横領が行われていたみたいでした。うちの会社の社員構成は、本社勤めと店舗勤務の社員とで分かれているんですよね。店舗の責任者……、例えば店長とか、お惣菜とか野菜を売るそれぞれの部門にも責任者がいて、そういうリーダー職に就くのはほとんどが正社員です。他の勤務者は主にパートやアルバイトで成り立っていますね。どこのスーパーも大体同じような感じだと思いますけど。

 それで、うちの出世システムで少し変わってるというか、面白いものがあって。社内コンペとはまた違うんですが、月に一度売り場報告会っていう、メールでの簡易的な店舗紹介があるんですよね。
 店長はもちろんなんですけど、それぞれの売り場を任されている責任者が自分の受け持つ部門の売り場をより良く見せ、どうしたらお客様の目に留まりやすく、より売れるかを追求し、見本になるような優秀な店舗を代表例として紹介するっていうものなんですけど。

 平たく言ってしまうと、この優秀店舗に高頻度で選ばれると出世すると言われてるんです。もちろん上にいくにはそれだけではだめなんですが……。とにかく、実際に優秀店舗に選ばれた方で出世しなかった人はほとんどいないんです。

 どんなお店や売り場が優秀だと評価されるかというと、ポイントがいくつかあります。
 たとえば、陳列の仕方。
 スーパーに行ったことがない人っていないと思うんですけど、売り場を思い出してほしいんです。普通は棚の上にまっすぐ綺麗に品物が置かれてますよね。
 プライスカードがついていて、場合によっては商品を種類ごとに区切るための仕切り版なんかも細かく入ってたりして。あとは賞味期限だったら、手前から古く奥に向かって新しい日付になるように、だいたい並べられていますよね。

 でも、うちの社で優秀店舗に選ばれたお店の総菜部門。そのお店だけは、違ったんです。
 
 普通は唐揚げだったら、唐揚げだけの列を作ります。コロッケだってそうです。
 商品ごとに陳列するのがルールで、決まりなんです。
 同じ列に別の商品が交ざる並べ方なんて絶対しないんです。

 考えてみてほしいんですが、たとえばヨーグルトを買おうと思うじゃないですか。私はギリシャヨーグルトが好きでよく買うんですけど、二つ買おうと思ったら奥の方にあるのはよく似た別の商品でした。同じ商品だと思って買ってしまいました。家に帰ってからそのことに気付きました。なんてことになったらどう感じると思いますか?
 がっかりしますよね?
 同じ棚から取ったのに全然違う別の商品だったら。
 同じ列にあるのは同じ商品だと、普通は思うじゃないですか。
 この場合、確認しないで購入した私も悪いですが、一番問題なのはお店の陳列方法ではないですか?
 売価違いも起こりやすいし、本来ならご法度です。クレームが来たっておかしくない案件なんですよ。 

 だけど、その総菜部門の方はそれをご法度と知りながら、平然とそれをやってのけたのです!

 その店舗はそもそも商品をまっすぐになんて陳列していませんでした。全部ナナメです、ナナメ!
 それに加えて、別の商品と互い違いに並べて、見た目が似ている種類の違う揚げ物を、同じ売り場にあたかも同じ商品であるかのように並べていたんです!
 しかも、低価格な商品と少し高価な商品をあえてまぜこぜにして。

 並べ方自体はとても綺麗でした。芸術的っていうか、綺麗にナナメで統一されていて、客動線にもきちんと沿っていたし。
 でも、総菜ですよ? 揚げ物なんてみんな大体茶色じゃないですか。
 種類や値段が交ざっていても問題ないのか?お客様からクレームはないのか?そもそもこれはタブーではないのか?って、ほかの店舗責任者からクレームが上がりました。こんな基本を守らない店舗が選ばれるなんておかしい、と。
 けれど、その店舗を優秀店舗と決定した店長のさらに上の地区長は、こう言いました。

「ほかの人が思ってもみないことをやってみるのが、失敗を恐れないということです」

 失敗を恐れない、が企業理念なんですよね……。なんでもやってみて、失敗してもいいから色んなことをやってみなさい、っていう。
 でも、総菜部門のそれが正しいことだとほかの人は思えなかったみたいですけどね。もちろん、私だって同じでした。
 やっていいことと悪いことがあるだろう、と。
 一歩間違えればお客様の迷惑になりかねない、と。

 少し話が逸れましたが、選ばれるポイントというのはもちろんそれだけでなくて、これから話すことが彼女の件にも繋がるんですけれど……。

 店舗で使用する備品類……、例えば春だったらお花見など行楽をイメージさせる造花や、商品の見栄えを良くして購買意識を高めるために陳列棚に敷物をしたり、ですね。そういった装飾などのアイデアも各店に任せられていて、自由に売り場を作ることができるんです。先ほどお話した優秀店舗に選ばれるためのポイントにもなっているんです。

 けれど、そういう装飾品を調達したり飾りつけをしたりって、手間がかかるじゃないですか。
 そういうことを面倒に思う責任者ももちろん大勢いますし、上層部の意見としては売り上げが立っていれば文句の言いようがないので、特段そういった目立ったことをせずに出世していく人も同じようにたくさんいます。だけど、リーダー職に就いたばかりの若手は特に、それに選ばれるだけで出世が近づくならと一生懸命に売り場づくりをされる方が多い印象でした。

 あの頃……、彼女が在籍していたあの頃はまだ本社のシステムも十分に整っていなくて、掃除に使用する備品類とかですら本社の方で発注できなかったんですよね。だから社員が時間を割いてわざわざホームセンターに出向いて掃除用具を調達し、そのついでに使えそうな装飾品などを購入する、なんていうことも日常茶飯事だったみたいです。

 それが勤務時間外で行われたりはしょっちゅうだったようで、数人の社員から、これは時間外労働にあたるのではないのかと意見を受けました。それもあって、いまはかなり必要備品などの発注販路も整ってきていて、個人が会社の為にお金を立て替えるってことはほとんどなくなりました。それは今の話であって、彼女が在籍していたあの時はそうではなかったんですけど。資材発注は各店共通で使用する備品のみの話で、季節ごとの販促物などはやっぱり個人で購入しなければいけないんですけどね。

 店舗で使用するために他店で購入した備品類などは本社への領収書の提出に基づいて、その備品を購入した本人に返還される仕組みになっています。
 百円ショップで造花を買った、売り場のカラーコントロールの為に商品の下に敷く布を買った、掃除の為のモップを買った、とか。

 店舗から本社へ上がってくる領収書は、店の現金を管理しているレジの責任者と、その店舗の最高責任者、いわば店長ですね。二人からの承認を得ないと提出できないんです。そのチェックを通って、私たち経理にその領収書が届くんですね。そこで最終判断をし、元の店舗へ領収書の金額分を返還するという仕組みです。こちらに提出されてからおよそ一週間程度で、本人には現金が戻ります。いまはクレカ払いとかコード決済とか、いろいろポイントがつくじゃないですか。だから、現金のみの決済に限っています。会社のお金で買うものなのに個人にポイントが支払われるのも横領と同じですからね。

 数店舗から毎月のように領収書が届くのは、もう当たり前のようになっていました。売り場づくりに熱心な店舗は、季節柄に合わせて売り場を細かく変えますから。人事の定期異動もあって、同じ責任者が同じ店舗にずっといるということはありえません。備品の管理場所をその店舗で決めて後任に引き継いでもらうのが一番いいのですが、当時は引き継ぎ書もなかったし店長含め社員が期間ごとで異なるとなると、店の規模も内装も違いますから、物品のことまで厳しく管理はできないんでしょう。去年も同じような購入があったけどなと思いつつも、紛失したか壊れたのだろうと結論付け、決裁を行っていました。掃除だって、真面目にやっている店舗は当然備品の劣化も早まるだろうし、月一回必ず購入してたとしてもおかしくはないだろうと。

 春には桜の造花、夏にはうちわやかき氷という文字の入った壁掛け、秋はそうですね、ハロウィン関係の小物類。冬はもちろんサンタさんとかツリーとかの装飾物。それに加えてハンディモップや、床掃除の際に便利なのでしょう、ホースなどの領収書が上がっていました。

 問題は、ある日突然発覚しました。

 領収書整理をしていた彼女がそのうちのいくつかを見て、おかしいと言ったんです。
 先月も、先々月もその前も、同じような内容で領収書を出している店舗があると言うんです。
 彼女が確認しているその手元を私も見てみると、確かにそれは妙でした。
 毎月一日に、ある決まったものを購入している。

 なんだと思いますか?

 布でした。調べたら、真っ黒な布。

 それはN県内の手芸店で購入されていて、ほかにもお店の装飾に使うんだろうなと思える品名が並んでいたので、それがおかしいことに気付かなかったのです。
 レシートには布とだけの記載だったので、それがどのようなものかまでは私たちにはわかりませんでした。
 その手芸店に彼女が問い合わせたら、その商品コードは真っ黒な布だったと報告してきたので驚きました。
 布なんて文字を見れば、誰もが売場の装飾に使ったのだろうと想像するでしょう。

 でも、黒ですよ?
 スーパーで黒布を使っているのなんて、見たことありますか?
 私はありませんでした。彼女も同じだったのでしょう。
 その領収書の金額は、決して高くはありません。
 けれど、あまりにも不自然でした。

 それで、やめておけばいいのに正義感の強い彼女がその後独自で調べて、見つけてしまったんです。有名なフリマサイトでそれらしきものが転売されているのを。

 色々なフリマサイトにその人は登録していたようですが、アカウント名が同じだったそうで特定できたみたいです。出品していた日付も毎月一日夜、そのアカウント名が領収書を出してきた方の名前を少し変えただけのようなものだったのも決め手になったようです。

 実際黒布が店舗で使用されていないとの報告も受け、証拠も揃ったところで彼女は一部の上層部にまず訴えました。これは転売、横領では?と。厳正な処罰が必要だと。

 だけど、実際に処分されたのは、彼女の方でした。どうして横領したその社員が守られ、正しいことをしたはずの彼女が解雇されることになったのかは、私も調べたけどわからずじまいでした。

 横領の件は経理部では私と彼女しか真実を知る者はいませんし、彼女が責任を持つと言って一人で行動していたので、この件に私が関わっていたと知る者は社にはいないでしょう。
 おかしい。そう思いつつも、私はただ何もなかったふりをして今日までずっと生きてきました。

 ……ただ、おかしいのはそれだけではないんです。

 その転売されていた黒布、一メートル百五十円の、すごく安価なものだったんです。特別な布では決してないんです。それなのに、出品後わずか十分たたずに毎回売れているんです。買う人も毎回違っていて。しかも、売値一万円ですよ?
 明らかにおかしいですよね?

 まるで、その人が誰かの為に黒布を売ってるみたいで、気持ち悪くて。
 だって、何の為にって思いません?

 ……おかしかった、というか、おかしくなったのはそれからなんです。
 最初は不当に解雇されたショックからなのかと思っていたんです。けれど、思い返したらあの時だなって思いました。
 彼女があんなふうに死んだのは、きっとあれが原因じゃないか、って。

(気丈に話しているようだったが、声が震え始めたTさん)

 彼女は会社を去った後、地元に戻ったみたいです。彼女の母親は入院していて、父親は既に他界、家族を支えているのは彼女の収入だけだったと後から聞きました。引き抜きに快く応じたのも前職より給与が良かったからだ、と。
 
 でも、こういうことになってしまって、収入源はなくなった。彼女は時折投げ槍に「どこかにお金落ちてないかな」とか「風俗で働いた方が手っ取り早いよね」とか言ってました。
 そのうち「死んだ方が楽だ」とも……。
 他界した父親に多額の借金があったようで、かなり苦労していたみたいでした。

 彼女の言葉が冗談には聞こえなくて、彼女の話を聞き、励ます、そんな日々が続いていました。

 そんな時です。



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『見て、これ。こんな貼り紙見つけた。お金もないし、電話してみようかな』

(写真)


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 そんな言葉と共に添付されていた写真は、いつ貼られたのかわからない、古ぼけた手書きのポスターのようでした。

 電柱に貼ってあったようで、ポスターの後ろには電信柱らしきものが写っていたと思います。
 気味が悪くてトークをすぐに削除してしまったので、確証はないんですけど。

 でも、確か内容は娘をさがしていますって感じで、謝礼を支払う、情報提供は下の番号に、という感じでした。
 肝心のポスターは写真の部分は色褪せて原型がわからないし、いなくなった娘さんの特徴みたいなものも書かれてたと思うんですけど、擦り切れて読めない状態でした。

 それからです。彼女と連絡がつかなくなって。

 ……まさか、彼女が。
 佐藤(さとう)さんがあんなことになるなんて。
 もう三年も前になるんですね……。
 今でも信じられません。

(鼻をすすり、涙を溢したTさん)

 絶対、彼女は何かに巻き込まれたんです。
 それか、あの人の報復かもしれません。



 私が話せるのは、ここまでです。



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