17日のことを小分けにしてまとめていたら、いつの間にか木曜日になっていた。
次の日曜日は、親友の大学時代の友達で、同じダンスサークルに所属していた加藤さんと、親友のお兄さんである智也さんと会う予定だ。
今週も少しSNSでやり取りしているのだが、どうやら加藤さんは私の親友が行方不明になる二日前に会っていたらしい。しかも、親友のアパートで宅飲みをしていたとのことだ。そんな直近で会っていたのなら、親友がいなくなる直前の行動や様子なんかを聞くことができる。警察にもいろいろ事情を聞かれたらしく、初めての経験ということもあって未だに覚えているようだ。
そして智也さんは、弟である親友が行方不明になる直近に会っていたといったことはないものの、警察が彼の部屋を調べた時に同席し、その後やむなくアパートを引き払うことになった際には片付けをしていたらしい。その時の様子を聞きたいのはもちろんのこと、私が気になっている親友のパソコンなんかも智也さんが管理しているらしいので、それらを見せてもらうことになっている。
次回の調査で、行方不明に関する何らかの糸口が見つかれば御の字だ。
それらをどうにかしてまとめ、一部虚構を交えたモキュメンタリーホラー小説として書き上げればコンテストに出すことができる。書き上げて公開することで不特定多数に読んでもらえる可能性が高まるし、もしコンテストで受賞し書籍化できればさらに多くの人に読んでもらえるはずだ。
そしてもし私の親友がどこかで生きているならば、あの小説好きな彼のことだからきっと目にするはずだ。しかも彼の好きなジャンルはミステリーやホラーやサスペンスといった、ヒリヒリハラハラドキドキするタイプのジャンルなので、きっと注目してくれる。私はそこを目指して、どうしても書き上げないといけない。
ただ、もし調査で糸口がまったく見えなかった場合は、当初の予定通り収集できた噂の情報を題材に小説を書き上げる一方で、別の策も考えている。
それは、この日記そのものを題材に、モキュメンタリーホラー小説コンテストに応募することだ。
日記を見直してみて思ったのだが、この日記は一種のドキュメンタリー式で書かれた読み物だ。ここに虚構を入れ込み、視点を変えたり加えたりすればモキュメンタリー小説になるはずだ。そして探っている内容もまさにホラーそのものだし、私の当初の目的についても達成できるし、実現できるほどの筆力があるかどうかは別としてやってみる価値はある。私は転んでもただでは起きない。
それにしても、モキュメンタリーホラー小説コンテストに参加すると決めてから早くも10日が経った。最初の頃は、モキュメンタリーホラー小説への興味を明言した過去の自分の投稿を省みての参加表明だったが、親友の行方不明の一件を起点にあれこれと情報収集をしていく中で随分と気持ちも変わっていったものだ。
当初、親友の行方不明事件の情報収集は、モキュメンタリーホラー小説の題材探しの付随的な位置づけとして考えていた。つまり、題材探しが主軸にあった。
ところが、今はむしろ親友の行方不明事件の真相解明が主目的になっている。この主目的を少しでも達成に近づけるための、モキュメンタリーホラー小説の題材の在り方を探している。
いつの間にか、副題に考えていたことが主題に取って代わってしまっていたのだ。普段書いている小説ならテーマぶれもいいところだが、これは日記だ。現状の私の内心を、素直な気持ちを、ありのままに綴っている。おおよそ人とはこんなもので、行動していくうちに本当にしたいことが見つかるんだろう。この心境の変化を見返すのも日記の醍醐味のひとつだ。
とまあ、そんなこんなの思索・思惑もさることながら、まずはしっかりと調査した結果についてまとめきりたい。
今日は最後、親友の実家に訪問し、彼のお母さんから聞いたことをもとに私の考えをまとめていく。
そもそも、親友の行方不明事件にはいくつか気になる点があった。
まず、親友が何の手掛かりも残さずにいきなり消えてしまったことだ。
普通、行方不明になる時(そもそも行方不明になること自体が普通ではないが)には、何か普段と異なっている前兆があることが多いらしい。
例えば、何かに悩んでいる様子だったとか、あるいは身近な人に相談事を持ち掛けていたといったことだ。
しかし、こと親友の一件に限っていえば、そういったことは全くなかった。
「あの子、いなくなった日の前の週も普通だったわ」
彼のお母さんは、ゆっくりと私に最後に会った時のことを教えてくれた。
親友はいなくなった前の週の日曜日に、実家に帰ってきていたらしい。バイト先の後輩に貸すとかで、昔使っていたボードゲームを取りにきたようだった。それから実家でそのまま昼ご飯を食べていったが、その時の親友は普段通り大学生活のことやバイト先のこと、そして私のことを話して楽しそうに笑っていたらしい。悩みがあるとか、何かに怯えているだとか、そうした「異常」はまったくなかったみたいだった。
それはつまり、親友が何か個人的な悩みを持っていて今の生活から逃げたり、あるいは何らかの計画的な事件に巻き込まれたりした可能性は低いことを物語っている。おそらくは、「突発的な何か」によって行方をくらませてしまったのだ。
それでは、「突発的な何か」とは何か。
人為的な事件であれば、親友の行動範囲や彼の住んでいたアパートの付近で何かしらの手掛かりが得られるはずだ。そこで私は、なくなっていた彼の車に目を付けた。彼が、車でどこかに出かけた際に事件か事故に巻き込まれた可能性だ。
しかしこの可能性はすぐに潰えた。
なんでも、私が親友のアパートを訪れた前々日にバイト先の後輩に貸しており、親友がいなくなった数日後にその後輩が慌てて返しにきたらしい。(ちなみに、先ほどのボードゲームを貸したのもこの後輩だった。)
念のため、車は警察が一通り調べたが不審な点はなく、すぐに実家の元へ帰ってきたようだった。その話を聞いて案内された車庫には、まさに親友の車があった。
次に手掛かりがあるとすれば、もぬけの殻となっていた親友のアパートの部屋だ。
彼の行方不明は、私が彼の両親に電話をしたことで判明した。つまり、行方不明のきっかけとなる出来事が起こった後に、あの部屋に最初に立ち入った部外者は私のはずだ。だから、手掛かりがあるとすれば必ず見ているはずだった。
あの時、私が彼の部屋に入った時、玄関のドアの鍵は開いていた。コーヒーは冷めた状態だったが半分以上残っていたし、パソコンの電源もついていた。まるで、部屋でくつろぎながら課題をしていた時に何かが起こって、慌てて部屋から飛び出したみたいだった。
しかも、親友のお母さんに聞いたところによると、彼のスマホはソファの上に置きっぱなしになっていたらしい。中身は見ておらず、そのスマホは智也さんが保管しているとのことだった。(日曜日にそのスマホも見せてくれるように智也さんには頼んだ。)
さらには、財布やキーケースといった貴重品類もそのままになっていたとのことで、ここでようやく私の推測は固まりつつあった。
しかし。だとするならば、あの部屋で何が起こったのだろうか。
その手掛かりがありそうなのはスマホだ。誰かから電話があったとか、メッセージが送られてきたとか、そういった連絡によるものが一番可能性としては高い。また同じ理由として、彼のつきっぱなしになっていたパソコンにも手掛かりがあるかもしれない。(どちらも次の日曜日に確認する予定。)
だが、その肝心のスマホに加え、財布も持たずに部屋を飛び出す出来事とはなんだろうか。
それほどの性急さを要する出来事なんて、それこそ災害とか命の危機に関わることしか思い浮かばない。
彼のお母さんとも、日曜日にその辺りまで話をし、あれやこれやと推測を論じた。しかし、結局私たちはこれといって納得できるような結論には至れなかった。そして最後に、彼の自室を見せてもらうことになった。
彼の自室は、まさしくあの時のアパートの部屋と同じ、彼の性格が表れている場所だ。あの時私が見た彼のアパートの部屋に何か手掛かりがあったならば、実家の彼の自室と比較することで思い出すかもしれない。そんな、すがるような気持ちで私は彼の自室に入った。
実家にある彼の自室は、アパートの部屋と同じく散らかっていた。彼がいなくなって6年経った今でも、ほとんどそのままにしてあるらしかった。
ローテーブルの上には何かの書類が乱雑に積まれており、ベッドやソファーには衣服が散乱していた。壁際には、綺麗に小説や漫画が並べられた本棚が3つも置いてあった。
そしてそこで、私はようやく思い至った。
12日の日記にも書いたが、私の心には手がかりとも呼べない引っかかりがあった。
あの時、私はアパートの彼の部屋に、なんらかの違和感を覚えていた。
けれど、それが何かは言語化できずにいた。なんとなく彼らしくない、そんな程度だった。
私が覚えた違和感。それは、小説や漫画が床にもテーブルにも置かれておらず、床に平積みにされていたことだ。
親友は本を大切にしていた。小説も漫画も、必ず読まない時は本棚に綺麗にしまっていた。
一方で、親友にはひとつの癖があった。小説や漫画を読み耽った後、それらをすぐ傍に平積みにして眺め、余韻に浸る癖だ。
あの時、確かに小説や漫画が平積みにされていた。
つまり、親友の身に何かが起こったのは、その余韻に浸っている最中だったということだ。しかも、すぐ傍にあったそれらの本が高々と積まれていたままということは、急いで飛び出した可能性も低くなる。スマホや財布すらも置いて出ていくほど焦っていたのであれば、すぐ近くにある高積みにされた本はほぼ間違いなく床に散乱していたはずだからだ。
そして。それほどまでに普段通りの部屋であるにもかかわらず彼がいなくなったということと、私がこれまで調べてきた「あの噂」を照らし合わせるとひとつの可能性が浮上する。
正直、ありえないと思う。
今すぐにでもそんな考えは振り払いたい。
日曜日はおろか、その噂についてまとめている時でさえ、私は必死に考えないようにしてきた。
私が今なお平静でいられるのは、それが「ありえない」とまだ本気で思えているからだ。
いずれにせよ、私はこの考えを日曜日に加藤さんと智也さんに話してみようと思う。
二人とも、「ありえない」ときっと言ってくれると信じて。
そうだ。大丈夫だ。
ヨミクイなんて、いるはずがない。
次の日曜日は、親友の大学時代の友達で、同じダンスサークルに所属していた加藤さんと、親友のお兄さんである智也さんと会う予定だ。
今週も少しSNSでやり取りしているのだが、どうやら加藤さんは私の親友が行方不明になる二日前に会っていたらしい。しかも、親友のアパートで宅飲みをしていたとのことだ。そんな直近で会っていたのなら、親友がいなくなる直前の行動や様子なんかを聞くことができる。警察にもいろいろ事情を聞かれたらしく、初めての経験ということもあって未だに覚えているようだ。
そして智也さんは、弟である親友が行方不明になる直近に会っていたといったことはないものの、警察が彼の部屋を調べた時に同席し、その後やむなくアパートを引き払うことになった際には片付けをしていたらしい。その時の様子を聞きたいのはもちろんのこと、私が気になっている親友のパソコンなんかも智也さんが管理しているらしいので、それらを見せてもらうことになっている。
次回の調査で、行方不明に関する何らかの糸口が見つかれば御の字だ。
それらをどうにかしてまとめ、一部虚構を交えたモキュメンタリーホラー小説として書き上げればコンテストに出すことができる。書き上げて公開することで不特定多数に読んでもらえる可能性が高まるし、もしコンテストで受賞し書籍化できればさらに多くの人に読んでもらえるはずだ。
そしてもし私の親友がどこかで生きているならば、あの小説好きな彼のことだからきっと目にするはずだ。しかも彼の好きなジャンルはミステリーやホラーやサスペンスといった、ヒリヒリハラハラドキドキするタイプのジャンルなので、きっと注目してくれる。私はそこを目指して、どうしても書き上げないといけない。
ただ、もし調査で糸口がまったく見えなかった場合は、当初の予定通り収集できた噂の情報を題材に小説を書き上げる一方で、別の策も考えている。
それは、この日記そのものを題材に、モキュメンタリーホラー小説コンテストに応募することだ。
日記を見直してみて思ったのだが、この日記は一種のドキュメンタリー式で書かれた読み物だ。ここに虚構を入れ込み、視点を変えたり加えたりすればモキュメンタリー小説になるはずだ。そして探っている内容もまさにホラーそのものだし、私の当初の目的についても達成できるし、実現できるほどの筆力があるかどうかは別としてやってみる価値はある。私は転んでもただでは起きない。
それにしても、モキュメンタリーホラー小説コンテストに参加すると決めてから早くも10日が経った。最初の頃は、モキュメンタリーホラー小説への興味を明言した過去の自分の投稿を省みての参加表明だったが、親友の行方不明の一件を起点にあれこれと情報収集をしていく中で随分と気持ちも変わっていったものだ。
当初、親友の行方不明事件の情報収集は、モキュメンタリーホラー小説の題材探しの付随的な位置づけとして考えていた。つまり、題材探しが主軸にあった。
ところが、今はむしろ親友の行方不明事件の真相解明が主目的になっている。この主目的を少しでも達成に近づけるための、モキュメンタリーホラー小説の題材の在り方を探している。
いつの間にか、副題に考えていたことが主題に取って代わってしまっていたのだ。普段書いている小説ならテーマぶれもいいところだが、これは日記だ。現状の私の内心を、素直な気持ちを、ありのままに綴っている。おおよそ人とはこんなもので、行動していくうちに本当にしたいことが見つかるんだろう。この心境の変化を見返すのも日記の醍醐味のひとつだ。
とまあ、そんなこんなの思索・思惑もさることながら、まずはしっかりと調査した結果についてまとめきりたい。
今日は最後、親友の実家に訪問し、彼のお母さんから聞いたことをもとに私の考えをまとめていく。
そもそも、親友の行方不明事件にはいくつか気になる点があった。
まず、親友が何の手掛かりも残さずにいきなり消えてしまったことだ。
普通、行方不明になる時(そもそも行方不明になること自体が普通ではないが)には、何か普段と異なっている前兆があることが多いらしい。
例えば、何かに悩んでいる様子だったとか、あるいは身近な人に相談事を持ち掛けていたといったことだ。
しかし、こと親友の一件に限っていえば、そういったことは全くなかった。
「あの子、いなくなった日の前の週も普通だったわ」
彼のお母さんは、ゆっくりと私に最後に会った時のことを教えてくれた。
親友はいなくなった前の週の日曜日に、実家に帰ってきていたらしい。バイト先の後輩に貸すとかで、昔使っていたボードゲームを取りにきたようだった。それから実家でそのまま昼ご飯を食べていったが、その時の親友は普段通り大学生活のことやバイト先のこと、そして私のことを話して楽しそうに笑っていたらしい。悩みがあるとか、何かに怯えているだとか、そうした「異常」はまったくなかったみたいだった。
それはつまり、親友が何か個人的な悩みを持っていて今の生活から逃げたり、あるいは何らかの計画的な事件に巻き込まれたりした可能性は低いことを物語っている。おそらくは、「突発的な何か」によって行方をくらませてしまったのだ。
それでは、「突発的な何か」とは何か。
人為的な事件であれば、親友の行動範囲や彼の住んでいたアパートの付近で何かしらの手掛かりが得られるはずだ。そこで私は、なくなっていた彼の車に目を付けた。彼が、車でどこかに出かけた際に事件か事故に巻き込まれた可能性だ。
しかしこの可能性はすぐに潰えた。
なんでも、私が親友のアパートを訪れた前々日にバイト先の後輩に貸しており、親友がいなくなった数日後にその後輩が慌てて返しにきたらしい。(ちなみに、先ほどのボードゲームを貸したのもこの後輩だった。)
念のため、車は警察が一通り調べたが不審な点はなく、すぐに実家の元へ帰ってきたようだった。その話を聞いて案内された車庫には、まさに親友の車があった。
次に手掛かりがあるとすれば、もぬけの殻となっていた親友のアパートの部屋だ。
彼の行方不明は、私が彼の両親に電話をしたことで判明した。つまり、行方不明のきっかけとなる出来事が起こった後に、あの部屋に最初に立ち入った部外者は私のはずだ。だから、手掛かりがあるとすれば必ず見ているはずだった。
あの時、私が彼の部屋に入った時、玄関のドアの鍵は開いていた。コーヒーは冷めた状態だったが半分以上残っていたし、パソコンの電源もついていた。まるで、部屋でくつろぎながら課題をしていた時に何かが起こって、慌てて部屋から飛び出したみたいだった。
しかも、親友のお母さんに聞いたところによると、彼のスマホはソファの上に置きっぱなしになっていたらしい。中身は見ておらず、そのスマホは智也さんが保管しているとのことだった。(日曜日にそのスマホも見せてくれるように智也さんには頼んだ。)
さらには、財布やキーケースといった貴重品類もそのままになっていたとのことで、ここでようやく私の推測は固まりつつあった。
しかし。だとするならば、あの部屋で何が起こったのだろうか。
その手掛かりがありそうなのはスマホだ。誰かから電話があったとか、メッセージが送られてきたとか、そういった連絡によるものが一番可能性としては高い。また同じ理由として、彼のつきっぱなしになっていたパソコンにも手掛かりがあるかもしれない。(どちらも次の日曜日に確認する予定。)
だが、その肝心のスマホに加え、財布も持たずに部屋を飛び出す出来事とはなんだろうか。
それほどの性急さを要する出来事なんて、それこそ災害とか命の危機に関わることしか思い浮かばない。
彼のお母さんとも、日曜日にその辺りまで話をし、あれやこれやと推測を論じた。しかし、結局私たちはこれといって納得できるような結論には至れなかった。そして最後に、彼の自室を見せてもらうことになった。
彼の自室は、まさしくあの時のアパートの部屋と同じ、彼の性格が表れている場所だ。あの時私が見た彼のアパートの部屋に何か手掛かりがあったならば、実家の彼の自室と比較することで思い出すかもしれない。そんな、すがるような気持ちで私は彼の自室に入った。
実家にある彼の自室は、アパートの部屋と同じく散らかっていた。彼がいなくなって6年経った今でも、ほとんどそのままにしてあるらしかった。
ローテーブルの上には何かの書類が乱雑に積まれており、ベッドやソファーには衣服が散乱していた。壁際には、綺麗に小説や漫画が並べられた本棚が3つも置いてあった。
そしてそこで、私はようやく思い至った。
12日の日記にも書いたが、私の心には手がかりとも呼べない引っかかりがあった。
あの時、私はアパートの彼の部屋に、なんらかの違和感を覚えていた。
けれど、それが何かは言語化できずにいた。なんとなく彼らしくない、そんな程度だった。
私が覚えた違和感。それは、小説や漫画が床にもテーブルにも置かれておらず、床に平積みにされていたことだ。
親友は本を大切にしていた。小説も漫画も、必ず読まない時は本棚に綺麗にしまっていた。
一方で、親友にはひとつの癖があった。小説や漫画を読み耽った後、それらをすぐ傍に平積みにして眺め、余韻に浸る癖だ。
あの時、確かに小説や漫画が平積みにされていた。
つまり、親友の身に何かが起こったのは、その余韻に浸っている最中だったということだ。しかも、すぐ傍にあったそれらの本が高々と積まれていたままということは、急いで飛び出した可能性も低くなる。スマホや財布すらも置いて出ていくほど焦っていたのであれば、すぐ近くにある高積みにされた本はほぼ間違いなく床に散乱していたはずだからだ。
そして。それほどまでに普段通りの部屋であるにもかかわらず彼がいなくなったということと、私がこれまで調べてきた「あの噂」を照らし合わせるとひとつの可能性が浮上する。
正直、ありえないと思う。
今すぐにでもそんな考えは振り払いたい。
日曜日はおろか、その噂についてまとめている時でさえ、私は必死に考えないようにしてきた。
私が今なお平静でいられるのは、それが「ありえない」とまだ本気で思えているからだ。
いずれにせよ、私はこの考えを日曜日に加藤さんと智也さんに話してみようと思う。
二人とも、「ありえない」ときっと言ってくれると信じて。
そうだ。大丈夫だ。
ヨミクイなんて、いるはずがない。