昨日に続き、雪乃と花山と教室で昼食をとった。花山の席に集まり三人で机を囲む。
 花山は購買で買ったパンだが、私と雪乃はお弁当を机に並べた。この光景がなんだか青春ぽい。
 この三人で集まってるのが珍しいからか、周りの視線を感じる。
 一番は花山の存在だろう。私と雪乃は事情を知っているが、周りの人たちは『中学の時にクラスメイトを殴った怖い奴』という認識だと思う。
 花山も自分がどう思われているかは分かっている。
 雪乃が「今日は教室で食べよう」と言った時も、「お前たちの印象が悪くなる」と断ってきた。
「それならそれでいいよ」
 雪乃がそう返すと、花山は照れ臭そうに「勝手にしろ」と言った。
 その言葉が嬉しかったのだろう。自分が傷つかないように他人を突き放していたが、心の底では人と繋がりたかった。
 そして今、解かれた糸が友達という結び目を作ろうとしている。
 それは花山と同じく、私も嬉しかった。
 スマホを取り出し、二人に紗奈ちゃんの描いた絵を見せた。
 『向日葵を抱えた少女が月を見上げる絵』は写真でも美しい。
「綺麗」
「上手いな」
 二人は感嘆の声を漏らし写真を眺めた。
「この絵に何か意味があるような気がするんだけど、どう思う?」
 昨日の電話で紗奈ちゃんに聞けば良かったのだが忘れていた。これだけで連絡するのも憚られたので二人に聞いてみた。
「これは制服?」
「うん。私が通ってた中学のもの。絵を描いた子も同じ中学」
「じゃあモデルがいるってことか」
「たぶん」
 花山は机に置いたスマホを自分の方に向けた。
「なんで向日葵なんだろ?」
 と言い、画面をピンチアウトさせて向日葵の部分を拡大させる。
「長袖ってことは夏ではないよね」
 雪乃は自分の方にスマホを向けてピンチインさせ、再び絵の大きさを戻す。
「夏を過ぎても枯れない向日葵……」
「向日葵より月が主役じゃない?」
「月の方が目立つけど、俺は女の子あっての月だと思う」
「なんで?」
「なんとなく」
 しばらく議論を交わしていると、チャイムが鳴った。
 答えは出なかったが、二人が話し合っているのを見てなんだか嬉しくなった。
 少し前までは外から見ていた景色だったのに、今は目の前にある。孤独の淵で枯れていた青春に雪が降り花が咲いた。
 その光景を見て、美月ちゃんを独りにさせてはいけないと思った。
 私のように他人を嫌いになり世界を歪ませれば、自分が苦しむだけだ。
「向日葵のこと調べてみたら」
 自分の席に戻ろうとした時、雪乃が言った。
 今まで絵の表面だけで意味を探ろうとしていが、裏側を見るには花のことを知る必要があるのかもしれない。
 五限目、教師にバレないよう教科書でスマホ隠し、向日葵について調べてみた。
 育てかた、特徴、花言葉、種類などが書かれており、その中に一つ引っかかるものがあった。
 紗奈ちゃんが言っていた言葉を反芻しながら、頭の中で絵と言葉を重ね合わせる。
――彼女の描く月が好きだから
 この言葉が何度か頭をよぎったとき、ふと思いつく。もしかしたら……
 明日、直接聞いてみよう。この絵の奥にあるものが、何か導いてくれるかもしれない。

「無理だよ」
 学校が終わってから蒼空の家に来た。美月ちゃんと話すためだ。
 部屋に入ってすぐ「紗奈ちゃんが来てほしいと言ってる。だから明日、美術室に行こう」と言うと、言下に断られた。
「紗奈ちゃんに絵を描かなくなった理由を言った。彼女は知らないといけないから」
「……」
「本心を言ってほしい。絵をやめたい?」
 美月ちゃんは座っている椅子を回転させ、机の上に置いたあったトロフィーに視線を向けた。
 画材などは段ボールに仕舞ったのに、トロフィーだけは見えるところに置いてある。きっとまだ迷いがあるんじゃないかと思う。
「好きって気持ちだけでいいと思う。絵を描く理由を他と結びつけるから苦しいんじゃないかな? 美月ちゃんが自分らしくいられるなら続けるべきだよ。『絵を描いていて良かった』、描き続けた先でそう思える瞬間があるかもしれない」
「純粋に絵を楽しめるならそうしていたい。でもできないの。絵がきっかけで友達ができた。私は絵がないと何も手にすることができない。絵で自分のすべてを測ろうとしてしまうの。手放したいのに離れてくれないんだよ。だから描かない、これ以上苦しみたくないから」
 今苦しんでいる人は、何かに縛られているんだと思う。才能、トラウマ、コンプレックス、その悩みや苦悩が足枷となり足を止めてしまう。
 私もそうだった。苦しみかたは違うけど、その痛みは理解できる。
「私の好きな作家は、よく酷評されてた。自分に向けられた言葉でいくつも傷を作り、苦しかったと思う。だけど最後に書いた作品は多くの人に賞賛された。今までは自分のためだけに書いていたけど、その作品だけは読んでくれる人のために書いたらしい。思い描く理想だけが正解じゃない。追い求めていた道から外れて迷ったとしても、その道が間違ってるわけではない。新しい可能性を見つけるために必要な道なんだよ。立ち止まっていたら迷うことはない。前に進もうとしてるから迷うんだよ。だから今は成長の過程にいるの。自分の積み重ねてきたものが、否定されたわけじゃないよ」
 枯木青葉は想いの方向性を変えたことで、読者の人生に影響を与えた。
 最後の作品が評価を得たということは、その想いが否定されていたのではなく、伝え方が批判されていんだと思う。
 大切にしているものは捨てなくていい。だけど自分だけに寄り添う想いは、いずれ枯れていく。そういうメッセージも込められていたのかもしれない。
 美月ちゃんは俯いたまま黙っていた。萎れた月のように。
「『心に抱えているもので世界の映り方が変わる。同じものを見ていても、誰かにとっては美しく、他の誰かにとっては苦しめるものになる。だから自分と向き合うこと大事だと思んだ』、蒼空が私に言った言葉。私は過去の出来事で人を嫌いになった。だから人を避けて生きてきたの。でもいつかは変わらないといけない。でないとずっと苦しさが続いてしまう。逃げるのがダメなことではないけど、自分のことを自分で支えられるようにならないと、この先ずっと何かに背を向けたまま生きることになる。蒼空はそういう意味で私に言ったんだと思う」
 でも目を背けたくなる気持ちは死ぬほど分かる。ずっと逃げ続けてきた人間だから。
「明日、紗奈ちゃんに会いに行こう。絵をやめるかどうかはそのあと決めればいい。判断するにしても、今じゃないと思う」
「……分かった」
 美月ちゃんは力なく頷いた。
 再び描くためには、絵に対しての価値観を変える必要がある。それを変えられるのは……

 中学校の校門の前に着くと紗奈ちゃんが待っていた。私と美月ちゃんを見るなり、綺麗なお辞儀をして出迎えてくれた。
 美月ちゃんは帽子を深く被り顔を隠す。それは紗奈ちゃんに対してどういう顔で会えばいいのか分からないのと、他の生徒に見つかりたくないからだと思った。
 私が来ることは牧野に報告してあるらしく、挨拶は帰りだけでいいとのことだ。
 ちなみに美月ちゃんが来ることは言わなかったらしい。「先生に言うとややこしくなりそうなので」と紗奈ちゃんは言った。
 牧野は私がいた頃から土日も学校に来ていた。これは噂だが、家族からも毛嫌いされているらしく居場所が学校にしかないらしい。ソースは分からないが、信憑性は高いと思う。
 美術室までの道程に会話はなかった。
 先頭を歩く紗奈ちゃんの後ろを付いていってるのだが、美月ちゃんは私の背中に隠れるように歩いている。
 なんだが中間管理職のような気持ちになってきた。なにかあったら私がなんとかしないと、という気持ちがプレッシャーとなる。
 世のお父さんたちに敬意を払っていると美術室に着いた。
 中に入ると『向日葵を抱えた少女が月を見上げる絵』がイーゼルに立てられていた。
 美月ちゃんは俯いている。絵を見れないのかもしれない。
 紗奈ちゃんが絵の方に向かったので付いていこうとするが、美月ちゃんはその場から動かない。私は促すように袖を引っ張り歩かせる。
「千星さんから聞いた。なんで絵をやめると言ったのか」
 紗奈ちゃんは絵の前で立ち止まると、そう言った。
 美月ちゃんは帽子で顔を隠している。というより絵を視界に入れないようにしている。
「あなたには才能がある。だから絵をやめる必要はない。また描くべき」
 この絵の前でそれを言うのは酷なように感じたが、この絵と向き合わないと前には進めない。紗奈ちゃんからのメッセージのように思えた。
「才能なんてないよ。秋山さんみたいな天才に私の気持ちなんて分からない」
「なんで自分の描いたものを信じないの。今まで積み重ねてきたならもっと胸を張ればいい。あの月の絵は素晴らしい絵だよ」
「信じたいよ。だってあの絵は私自身だから。でもぜんぶ失った。秋山さんが奪っていったんだよ」
「私は何も奪ってない。自分で捨てたんでしょ。描きたいなら自分の意志で描けばいい」
 そう言われた美月ちゃんは帽子を取り、感情が剥き出しになった表情で反論した。
「誰かの影で描くなんてできない。あんなに好きだったのに今は筆すら握りたくない。積み上げてきたものが簡単に超えられていく辛さを、秋山さんが理解できるはずない。才能なんて軽々しく言わないでよ。天才を追いかけて苦しむより、夢を捨てた方が楽になれる。秋山さんがいなかったら今も絵を描けてた。私の絵だってもっと褒めてもらえてた」
 美月ちゃんは全身から振り絞るように感情をぶつけた。荒げた声は目の前の女の子を殴りつけるようだった。
「牧野先生の言い方は酷かったと思う。でも絵をやめるって決めたのは奥村さんでしょ。それを私のせいにしないで。他人に左右されるくらいのことなら、それを夢とは言わない。私より上手い人なんて外の世界にはたくさんいる。その度に誰かのせいにするの? 周りのせいにしたって何も変わらない。悔しいと思ったらその人の絵を見て学ぶ。それを自分の絵に還元してもっといいものを描く。私はずっとそうやってきた。今まで必死に描いてきたのは私だって一緒。才能って言葉だけで片付けないで」
 表面に見えるものがすべてではない。それを知っていても、人は見える部分で判断してしまう。私もそうしてた。
 紗奈ちゃんの絵を見て、どれだけ努力をしたのかまでは考えていなかった。天才と言われる人たちは才能の一言だけでもてはやされ、その裏にある血の滲んだ努力を語られずに羨望を浴びる。圧倒的な実力を持つ人間は、理解されない孤独を抱えているのかもしれない。
 美月ちゃんも何か受けとったのか、視線は絵に向いている。
「私も挫折しかけたことがある」
 紗奈ちゃんがそう言うと、美月ちゃんは「え?」と驚いた表情を浮かべた。
「SNSで自分より上手い人の絵を見て、心が折れそうになったことがあるの。それも一人ではなく何人もいたから。そのときは本当に辛かった。いずれこの人たちの中に入って、自分の絵を評価してもらわなといけない。私には無理だって思ったし、自分に才能なんてないと思った。でも絵が好きだったから諦めたくなかった。だからもっと上手くなるって決めたの。『今の自分を認めてもらうこと』より『どうやったらもっと上手くなれるか』を優先することにした。自分の実力ではトップにいる人間には敵わない。だけど、いずれ全員超えて見せる。今は成長段階だからどっちが上手いかなんて考えてない。でもいつか、私は日本一の絵師になる。そのためには学ばないといけない。たとえ心が折れそうになっても、もがきつづけるつもり」
 こんなすごい絵を描く人でも、才能の壁を感じることがあるのかと驚いた。でも一番は彼女の絵を描く姿勢だ。
 創作する人間でなくとも承認欲求はある。だけどそれを隅に置いて、成長を一番上に持ってこれる十三才なんて中々いない。そして心が折れかけたところから、学ぼうとする意識に向かった。本当の才能とは、こういうところを言うのかもしれない。
「だから奥村さんからも学びたいし、色々教えてほしい」
 先程とは打って変わり、落ち着いた声で美月ちゃんに声を向けた。
「私が教えられることなんてないよ。私が持ってるものを秋山さんは全部持ってるから」
 会話が止まり、沈黙が二人の間に佇む。
「この絵に描いてある女の子って紗奈ちゃんじゃない?」
 私が沈黙を押し退けて問いかけると、紗奈ちゃんはゆっくりと頷いた。
「そうです。でもよく分かりましたね」
 冷静に答える紗奈ちゃんは、ミステリーでたまに出てくる、バレたのに全然動じない犯人みたいだと思った。
「最初の引っ掛かりは制服だった。ここの学校の制服を着てること、そして向日葵を持っているのに冬服なこと。この季節のズレに違和感を覚えた。そのあとに向日葵の花言葉を調べたの。そしたら『憧れ』って書いてあった。私が初めてこの絵を見たとき、美月ちゃんの描く月が好きって言ってたでしょ? それでもしかしてと思って考えてみた」
 なんだかトリックを暴くシーンみたいになっているが、気にせず話を続ける。
「憶測だけど、この絵の女の子は月に憧れていて、そしてこの月は美月ちゃんを表している」
 隣にいる美月ちゃんが目を丸くして私を見た。
「千星さんが言った通りです。この絵の女の子は私で、月は奥村さんです」
 紗奈ちゃんは月の絵を見ながら言った。その声に哀愁を纏わせて。
「あともう一つ意味があります。千星さんが言った通り、この絵は冬です。本来なら枯れているはずの向日葵が夏を超えても咲き続ける。憧れは枯れない。奥村さんが描いた月の絵は、私の中で美しく在り続ける。その瞬間だけなく、この先もずっと。そういう意味でこの絵を描きました」
 この絵に惹かれる理由が分かった。ただ上手いだけだけではなく、込めた想いが表面に表れているからだ。
 枯木青葉の最後の作品も、紗奈ちゃんが描いたこの絵も、誰かのために描かれている。それが作品の奥行きを作っているから心に響くんだ。
「奥村さんに憧れていた。人と話すのが苦手な私からしたら、絵も描けて友達も多いあなたが羨ましかった。絵が上手いだけでは友達は作れない。あくまできっかけでしかないの。奥村美月っていう人間に惹きつけるものがあるから、人がそこに居続ける。あなたの価値は絵だけじゃない。それを放棄しちゃダメ。私はずっと一人だったけど、奥村さんが笑った方が可愛いって言ってくれたから笑うようにした。そのおかげで友達もできた。無理して笑わなくてもいいけど、奥村美月は笑顔のほうがいい。それに、絵を描いているから人が集まったんじゃないよ。絵を描いてるときが一番輝いてるから人が集まって来るの。だからやめるべきじゃない。自分らしくいるためにも」
 紗奈ちゃんがそう言ったあと、私の隣から鼻を啜る音が聞こえてきた。
「絵を描きたい……大好きだから……私の夢だから……もう一度……描いてもいいかな」
 涙を拭いながら、美月ちゃんは奥底の言葉を吐き出した。自分の心にきつく縛りついていた足枷が、涙腺と共に緩んでくように見えた。
「自分のことだから、自分で決めな」
「描く!」
 紗奈ちゃんの笑顔に釣られて、美月ちゃんも笑顔になった。太陽が月を照らして輝くように。

 そのあと三人で職員室に行った。数人の教師がおり、自分の席で何か作業をしていたが、ドアが開く音で一斉にこちらに振り向く。
 美月ちゃんがいることに気づくと、先生たちは驚いた顔をしていた。その中に担任の先生がいたらしく、少しのあいだ美月ちゃんと話をしていた。
「月曜日から学校に行きます」
 美月ちゃんがそう言うと、担任の先生は安堵の表情を浮かべていた。
「最近のやつは……」
 牧野がおじさんの定型分を携えて私たちのところへ来た。
 こういう類の人間は自分が言うことはすべて正論だと思っているから、簡単に人の心を折ってくる。
「ちょっと何かあったくらいで学校を休んでたら、社会では通用しないぞ。もっと自分と向き合っていかないと……」
「牧野先生」
 紗奈ちゃんが説教の冒頭に言葉を挟んだ。こいつの説教はプロローグが長く、本編は二、三ページで終わるくらい薄い。だから序盤で止めてもなんら問題はない。
「もう少し生徒を見た方がいいと思います。その人が大切にしてるものを知ろうとしないから、自分の価値観を押し付けて人を傷つけるんです。私たちはまだ未熟です。一人で生きていくことはできません。だから大人の力は必要だと思います。でも、子供から才能を奪わないで下さい。奥村さんの絵は素晴らしいし、コンクールに出しても賞を取れます。だから簡単に否定しないで下さい。大人からしたら何でもない言葉でも、私たちにとっては人生が変わる一言になるかもしれないんです」
 他の教師はなんとなく察したのか、牧野に視線を向けた。だが当の本人はなんのことか分かっていない様子だ。この鈍感さが安易に人を傷つける。
「いや、お前らはまだ子供だろ。大人の言うことは聞いとけ。俺の方が長く生きてるんだから」
 話が通じてない。通じないから周りは何も言わなくなり、こんなモンスターが産まれてしまったのだろう。そう言った意味ではこいつも被害者なのかもしれないが、だからと言って人を傷つけていい理由にはならない。
「自分と向き合うのは生徒だけじゃないってことを紗奈ちゃんは言ってるんです。大人になるから人を理解できるようになるんじゃなく、自分と向き合い続けてきた人が、他人を理解できるようになる。外だけに意識を向けてたら、表面に映るものしか見えなくなりますよ。自分を知ることで、見えない痛みに気づくことができる。これは私の考えですけど」
 牧野にはたぶん理解されてない。今もポカンと口を開けたままこちらを見てる。でも二人がこの先の人生で躓いたときに、この言葉が何かのヒントになってくれればと思った。

「もっと上手くなりたいから、絵を教えてほしい」
 三人で校門を出たとき、美月ちゃんが言った。
「じゃあ私にも教えて。月の描き方」
「うん、じゃあ教え合いっこしよう」
 隣を歩く二人のやりとりを微笑ましく思う。なんだか保護者みたいな気持ちだ。
「千星ちゃんありがとね」
 美月ちゃんが私を見上げながら言う。
「もしかしたら、ずっと部屋に引きこもってたかもしれない。千星ちゃんが何度も来てくれたから、私はまた外に出ることができた」
「私は何もしてないよ」
 多少のきっかけは作ったかもしれないが、変えたのは紗奈ちゃんだ。
「遅かれ早かれ私はどこかで挫折してたと思う。今回みたく、それを他人のせいにしてたかもしれない。自分のためだけに絵を描いていたから、歪んだ見えかたになっていた。いつか私も誰かを笑顔にさせる絵を描く」
 美月ちゃんはそう言ったあと、急に立ち止まった。私と紗奈ちゃんも釣られて立ち止まる。
「ごめんなさい。絵をやめることを秋山さんのせいにして。それと……ありがとう。これからは、もっと絵を好きになれそうな気がする。秋山さんがいてくれて良かった」
 紗奈ちゃんはその言葉を微笑みで受け止めると、美月ちゃんの前に立った。
「自分のために描くことも必要だと思う。それが支えになるから。両方をバランスよく持って。偏りすぎないように」
「うん。あと……」
 美月ちゃんは指をモジモジとさせながら、何か言いたそうにしている。
「何?」
「下の名前で呼んでいいかな?」
 美月ちゃんは、恥ずかしさを頬に灯して聞いた。
「いいよ。私も美月って呼ぶ」
「私も紗奈って呼ぶ!」
 そのあと二人は好きな絵師の話をして盛り上がっていた。
 その光景を微笑ましく思う。なんだか保護者みたいな気持ちだ……いやこれさっきも言ってたなと思いつつ、笑顔が咲く二人を静かに見ていた。
 降り積もった雪は溶け、二人の間に新しい芽が生まれる。その芽はいつか美しい花を咲かすだろう。枯れることのない久遠の花を。