詰め所から上総出張所へは馬で走って三刻。馬を替えることを考慮して三刻半。
街道が整備されており、特段問題無く出張所に着いた。
時刻は酉の刻になろうというところ。日の入りだ。
出張所に転がり込むと夜勤の所員に寝床を提供してもらう。出発前に送った電報のお陰で陽射には個室が用意されていた。他は全員男なので広間で雑魚寝だ。
明けて、人が働き出した時間帯。
二人一組で悪鬼の目撃情報があったあった地域で聞き込みに当たる。
結果、人型で角があった、単独だが強大に見えた、海辺の洞窟で見た、夜になると出る、といった証言が集まった。
最近になって見るようになったという話なので、何処からか落ち延びてきたのだろう。
念の為、洞窟を見に行くが気配がない。ただ何かいた痕跡はある。夜に祟るのなら夜に行くまで。
正午までには出張所に戻り、近隣地区の住民へ夜間の外出禁止を通達してもらった。
実働隊は仮眠に一刻、準備に一刻を割き、日没の頃に洞窟に向かう。
戌の刻。辺りはすっかり暗くなっていた。
前衛を一人斥候とし、洞窟の中へ攻撃し悪鬼を引きずり出す作戦である。
悪鬼はより高位の鬼を嫌う。今回は出張所にあった手投げ弾に陽射が気を込めた。斥候がそれを投げ込むと嫌がって出てくるという算段だ。
目論みは当たった。
手投げ弾が炸裂する音がした後、凄まじい叫び声を上げながら悪鬼が飛び出してくる。
「前衛、突撃!」
剣冴の声に前衛が突っ込んで行った。
陽射は悪鬼に影縫いの術を掛ける。足止めだ。
動きの取れなくなった悪鬼は三者から斬り付けられる。後衛が身体能力強化の鬼術を使っているのでさぞ痛かろう。
咆吼しながら悪鬼は両手に二刀を振り回す。前衛は一撃、二撃と貰っているが致命傷ではない。
直に決着をすると思われた、その時。
悪鬼の一刀が陽射目掛けて投擲された。
咄嗟のことに回避行動の足が砂に取られる。
陽射の腸を凶刃が貫いた。
「ぐっ、は……!」
呻く。
「陽射!!」
驚き駆け寄ろうとする剣冴が見えた。
しかし、今優先すべきはただ一つ。
悪鬼討滅。
「ぉ……勤めを果たしなさいま、せ、旦那様」
声を振り絞った。
我に返った剣冴が、悪鬼に向かってとどめの一撃を放つ。
叫声を上げ、悪鬼が黒い霞になって消えていくのを見る。
討滅したことを見届け、陽射は気絶した。
陽射は目を覚ますと上総出張所の救護室だった。
微かに寝息が聞こえ首を横へ向けると、剣冴が座ったまま眠っている。
時刻が判然としないが、腹の傷は恐らく塞がっていた。鬼の血を引いていて本当に良かったと思う。
身体を起こすと物音に反応したのか剣冴が飛び起きた。
今にも泣き出さんばかりに目を見開き、思い切り陽射を抱き締める。
「無事で良かった……!」
「お勤めご苦労様でした、旦那様」
こんな時まで、と言葉に詰まる剣冴に笑ってみせた。
「鬼を侮ってはいけません。すっかり治ってます。それに私は旦那様をお支えする妻でありたいのです」
「陽射さんを失うのではないかと思った時、俺は貴女に政略だからと腐らず想いを伝えていれば良かったと……思ったのです」
予想外の言葉に目を瞬かせる。
「政略ではなかったのですか?」
「政略でした。しかし陽射さんは、可憐で、強くて、上昇志向で、俺の家族が陽射さんを大好きで、心を傾けない理由があるでしょうか」
ひし、と訴えてくる剣冴に陽射は考えた。
まず、格好良い。仕事でも家でも頼れる。何より守って差し上げたい。
この気持ちは、きっと。
「剣冴様、お慕いしております」
きょとん、と剣冴は固まる。たっぷり四呼吸待って、破顔した。
「俺の背中を貴女に預ける。軍務でも、家庭でも」
遠回しだな、と思う。
だが、最高の“愛”だと思った。
「何処までもお供致します」
二人の祝言はそれはもう豪華に行われる。
篠ノ雨邸の彼方此方に錦が飾られ、篠ノ雨家と深田家両家から親戚が一堂に会するのだ。
陽射は白無垢を着付け、いよいよ綿帽子を被ろうと言うところで剣冴がやってくる。
彼は青ざめてあわあわとして、何故だかいつもより歯切れが悪い。
不思議に思っていると意を決したのか口を開いた。
「俺、全く考えていなかったんですが結婚すると篠ノ雨陽射になるでしょう。苗字に雨が入ってると陽射の名前と語呂が悪くないですか?」
「祝言の間際に言うことがそれですか?」
呵呵大笑。
邸中に響き渡る声で笑ってしまう。
「雨のち陽射し! 雨粒も陽の光を彩る輝きですよ」
苗字が変わると決まった時から考えていたことだ。
例えば雨の後、葉の先に留まる水滴に射す陽光に美しさを見出すこと。
その美しさを分かち合っていけるだろう。
剣冴を見上げると、目尻を綻ばせ頷いた。
「嗚呼、そうだな」
願わくば雨が降った後の陽射しのような、輝かしい日々が待っていることを祈って。
街道が整備されており、特段問題無く出張所に着いた。
時刻は酉の刻になろうというところ。日の入りだ。
出張所に転がり込むと夜勤の所員に寝床を提供してもらう。出発前に送った電報のお陰で陽射には個室が用意されていた。他は全員男なので広間で雑魚寝だ。
明けて、人が働き出した時間帯。
二人一組で悪鬼の目撃情報があったあった地域で聞き込みに当たる。
結果、人型で角があった、単独だが強大に見えた、海辺の洞窟で見た、夜になると出る、といった証言が集まった。
最近になって見るようになったという話なので、何処からか落ち延びてきたのだろう。
念の為、洞窟を見に行くが気配がない。ただ何かいた痕跡はある。夜に祟るのなら夜に行くまで。
正午までには出張所に戻り、近隣地区の住民へ夜間の外出禁止を通達してもらった。
実働隊は仮眠に一刻、準備に一刻を割き、日没の頃に洞窟に向かう。
戌の刻。辺りはすっかり暗くなっていた。
前衛を一人斥候とし、洞窟の中へ攻撃し悪鬼を引きずり出す作戦である。
悪鬼はより高位の鬼を嫌う。今回は出張所にあった手投げ弾に陽射が気を込めた。斥候がそれを投げ込むと嫌がって出てくるという算段だ。
目論みは当たった。
手投げ弾が炸裂する音がした後、凄まじい叫び声を上げながら悪鬼が飛び出してくる。
「前衛、突撃!」
剣冴の声に前衛が突っ込んで行った。
陽射は悪鬼に影縫いの術を掛ける。足止めだ。
動きの取れなくなった悪鬼は三者から斬り付けられる。後衛が身体能力強化の鬼術を使っているのでさぞ痛かろう。
咆吼しながら悪鬼は両手に二刀を振り回す。前衛は一撃、二撃と貰っているが致命傷ではない。
直に決着をすると思われた、その時。
悪鬼の一刀が陽射目掛けて投擲された。
咄嗟のことに回避行動の足が砂に取られる。
陽射の腸を凶刃が貫いた。
「ぐっ、は……!」
呻く。
「陽射!!」
驚き駆け寄ろうとする剣冴が見えた。
しかし、今優先すべきはただ一つ。
悪鬼討滅。
「ぉ……勤めを果たしなさいま、せ、旦那様」
声を振り絞った。
我に返った剣冴が、悪鬼に向かってとどめの一撃を放つ。
叫声を上げ、悪鬼が黒い霞になって消えていくのを見る。
討滅したことを見届け、陽射は気絶した。
陽射は目を覚ますと上総出張所の救護室だった。
微かに寝息が聞こえ首を横へ向けると、剣冴が座ったまま眠っている。
時刻が判然としないが、腹の傷は恐らく塞がっていた。鬼の血を引いていて本当に良かったと思う。
身体を起こすと物音に反応したのか剣冴が飛び起きた。
今にも泣き出さんばかりに目を見開き、思い切り陽射を抱き締める。
「無事で良かった……!」
「お勤めご苦労様でした、旦那様」
こんな時まで、と言葉に詰まる剣冴に笑ってみせた。
「鬼を侮ってはいけません。すっかり治ってます。それに私は旦那様をお支えする妻でありたいのです」
「陽射さんを失うのではないかと思った時、俺は貴女に政略だからと腐らず想いを伝えていれば良かったと……思ったのです」
予想外の言葉に目を瞬かせる。
「政略ではなかったのですか?」
「政略でした。しかし陽射さんは、可憐で、強くて、上昇志向で、俺の家族が陽射さんを大好きで、心を傾けない理由があるでしょうか」
ひし、と訴えてくる剣冴に陽射は考えた。
まず、格好良い。仕事でも家でも頼れる。何より守って差し上げたい。
この気持ちは、きっと。
「剣冴様、お慕いしております」
きょとん、と剣冴は固まる。たっぷり四呼吸待って、破顔した。
「俺の背中を貴女に預ける。軍務でも、家庭でも」
遠回しだな、と思う。
だが、最高の“愛”だと思った。
「何処までもお供致します」
二人の祝言はそれはもう豪華に行われる。
篠ノ雨邸の彼方此方に錦が飾られ、篠ノ雨家と深田家両家から親戚が一堂に会するのだ。
陽射は白無垢を着付け、いよいよ綿帽子を被ろうと言うところで剣冴がやってくる。
彼は青ざめてあわあわとして、何故だかいつもより歯切れが悪い。
不思議に思っていると意を決したのか口を開いた。
「俺、全く考えていなかったんですが結婚すると篠ノ雨陽射になるでしょう。苗字に雨が入ってると陽射の名前と語呂が悪くないですか?」
「祝言の間際に言うことがそれですか?」
呵呵大笑。
邸中に響き渡る声で笑ってしまう。
「雨のち陽射し! 雨粒も陽の光を彩る輝きですよ」
苗字が変わると決まった時から考えていたことだ。
例えば雨の後、葉の先に留まる水滴に射す陽光に美しさを見出すこと。
その美しさを分かち合っていけるだろう。
剣冴を見上げると、目尻を綻ばせ頷いた。
「嗚呼、そうだな」
願わくば雨が降った後の陽射しのような、輝かしい日々が待っていることを祈って。