穏やかに夏が過ぎ、稲は順調に育ち続け、ついに収穫の時を迎えた。
トラ様が言っていた通り、緑色だった稲は私の髪と同じような色になり、重たげに穂を垂らして少し涼しくなった秋風に揺れてる。
まるで黄金の絨毯がいくつも広げられているような美しい光景に、私は胸を躍らせた。
私は竜神様に感謝の祈りを捧げつつ、巫女の修行の傍ら米や野菜の収穫を手伝ったりして、楽しく有意義に過ごしていた。
トラ様は相変わらず忙しいようだが、そんな中でも私に時間を割いてくれる。
優しい笑顔を向けら甘やかされるれるたびに、どんどんトラ様のことが好きになってしまう。
きっと私のそんな気持ちは、トラ様にも伝わっていると思うが、今のところトラ様は私になにも言わない。
私が天女と呼ばれる存在だからなのかもしれないが、この国の習慣を完全には理解していない私には、判然としない。
かといって、こちらから尋ねる勇気もないので、現状維持が続いている。
そんな私だが、一番気になるのはトラ様と私のことではない。
間近に迫るカナメとタクミの祝言だ。
結婚すると巫女は卒業なのだそうで、カナメが舞うのはカナメ本人の祝言が最後になる。
少し寂しい気もするが、カナメはとても幸せそうで、タクミのことでからかわれると頬を赤くして恥じらうのが可愛らしい。
二の明るい未来を願い、心を込めて祝福の舞を舞うために、私は毎日練習を重ねた。
竜神様。
今年は米も野菜も果物も、大豊作なのだそうです。
皆が竜神様に深く感謝しています。
本当に、ありがとうございます。
豊かに実った稲は全て刈り取られ、脱穀などの段階を経て無事に蔵へと収められた。
私がこの国に来たときはほぼ空だった蔵に、今は米がいっぱいに詰まった袋が積み上げられている。
カナメとタクミの祝言も、もうすぐです。
祝言に参加するのは初めてなので、とても楽しみです。
収穫を祝うお祭りと同時に行われることになったので、とてもおめでたいと皆が言っています。
私も舞いを奉納することになっています。
精一杯舞いますので、どうか見守っていてくださいね。
最近は、嬉しいことも竜神様に報告するようになった。
なんとなくだが、竜神様もそれを喜んでくださっている気がする。
お祈りが終わると、トラ様と二人で雨宿りをして、手を繋いで城へと続く道を下る。
近頃のトラ様は忙しく、一緒にいられるのはこの時だけなので、私にとってはとても大切な時間だ。
繋いだ手を離すのが名残惜しくて、いつもこの道がもっと長ければいいのにと思う。
もうすぐ城に着いてしまう。
また明日の朝まで会えないのかな。
寂しい気持ちを堪えて歩いていると、なにやら城が騒がしいことに気がついた。
「兄上様!」
なにやら緊迫した表情のカナメがこちらに駆けて来るのが見えて、トラ様の表情はぐっと険しいものになった。
「エリ、今日は大巫女殿のところに行くのは中止だ。果菜芽から決して離れないように」
「は、はい、わかりました」
トラはそう言うと、私と果菜芽を残して走り去った。
「エリ、落ち着いて聞いてね。東にある佐岐という国が、攻め込んで来たの」
「え……それって」
「肥賀と佐岐の間で戦が起きた、ということよ」
私はさぁっと血の気が引くのを感じた。
そういえば、隣の国も干ばつにより不作続きだと以前に聞いた。
きっと、豊作に恵まれた肥賀の食料を狙っての戦なのだろう。
「さあ、呆けている時間はないわ。私たちも行くわよ!」
青ざめて立ち尽くすだけの私と違い、兄とよく似たカナメの瞳には強い光が灯っている。
私はカナメに手を引かれ、トラ様が向かったのとは別の方向に駆けだした。
私は全く知らなかったが、トラ様たちはこうなることを予想してたらしい。
東の国境近くにある集落からは女性や子供は予め避難させてあり、収穫したばかりの食料も手元には最低限だけ残して、大部分は城に預けられている。
佐岐が攻め込んできたら、集落の男衆は抵抗せずに逃げた後、トラたちと合流して一気に叩くという手筈になっているのだそうだ。
「城の近くの集落の女性と子供は、城に避難してくることになっているの。いざとなったら、ここで籠城することになるわ」
私はカナメに教えられながら、トラ様がいつも着ているような袴を穿き、襷で小袖の袖を抑えた。
これでかなり動きやすくなった。
「エリ様!姫様!御屋形様たちが出立なさいますよ」
またカナメに手を引かれて城の前に行くと、そこにはトラ様と見たことがないほど大人数の男衆がいた。
全員、胴体を覆う鎧と脚絆や籠手などの戦装束で身を固めている。
トラ様はそれに加えて、下が広がった形をした兜を被っており、鎧も他よりは立派な造りになっているのが私にもわかった。
事前にしっかり準備をしてあったから、これだけ短時間で出立できるのだろう。
「エリ」
ピリピリとした空気を纏い引き締まった顔をしていたトラ様の表情が、私を見るとふと和らいだ。
「肥賀の男は強い。必ず帰るから、きみは果菜芽と待っていてくれ」
「トラ様……」
涙が溢れ、トラ様の凛々しい顔がはっきり見えない。
「天女様。皆に声をかけてくれないか」
見ると、男衆だけでなく、その場にいる全員が期待をこめて私を見ていた。
そうだ。私は竜神様に遣わされた天女なのだ。
今の私の役目は、竜神様の威を借りて彼らを勇気づけることだ。
「どうか、誰一人欠けることなく、無事にお戻りください。竜神様にお力添えをくださいますよう、私は祈りを捧げます。皆さま、どうか御武運を!」
私がそう声を張り上げると、晴れている空からぱらぱらと雨粒が落ちてきた。
「竜神様の祝福だ!これで我らが負けることはない!」
トラ様がよく通る声を張り上げると、わぁっと歓声が上がった。
「ありがとう、エリ。これで百人力だ」
そう言うと、トラ様はひらりと馬に跨った。
「果菜芽!エリを頼む!後は任せたぞ!」
「はい、兄上様!安心して暴れてきてください!」
トラ様の周囲に、さきほどよりも明るい顔をした男衆がさっと集まった。
「出立!」
トラ様の後にはタクミを含む十名ほどが騎馬で従い、その後ろから百名ほどの男衆が駆け足でついていく。
城に残る私たちは、それを手を振りながら見送った。
涙が止まらない私の肩を、 カナメがぽんと叩いた。
「エリ。泣いてはいけないわ」
カナメは青ざめてはいるが、私のように泣いてはいない。
カナメだって、トラ様やタクミが心配だろうに。
「私は国主の妹で、エリは天女様なのよ。私たちが動揺したら、皆にそれに伝わってしまうわ」
カナメの言う通りだ。
実際、皆が私たちに注目している。
私が涙を拭って頷くと、カナメはにっこりと笑って皆を振り返った。
「さあ、籠城の準備を!兄上様たちが戻るまで、私たちで城を守るのよ!」
『はい!』
女衆も、元気にカナメに応えた。
肥賀は男だけでなく、女も強い。
私も負けてはいられない。
「私は、御神木のところに行くわ。竜神様に祈らなくては」
「それなら、私がお供いたしましょう」
そう声を上げたのは、大巫女様だった。
私と大巫女様はカナメたちと別れ、二人で御神木までの道を登った。
途中で城に残った年配の男衆が、鉈をふるって竹を切っているのが見えた。
「あれは、竹槍にしますのじゃ。いざとなったら、あれで女たちも戦います」
それはつまり、トラ様たちが敗れて佐岐の兵がこの城まで到達してしまった場合の話だ。
そうなったら、カナメも友達になった巫女たちも、迷わず竹槍を手に戦うのだろう。
そんな光景を想像してしまい、心臓にヒヤリと冷たいものが触れたような気がした。
トラ様もカナメも、その他の人たちも、誰にも傷ついてほしくない。
私は御神木の前に跪き、祈りをささげた。
竜神様、お願いです。
トラ様たちをお守りください。
皆、私の大切な優しい人たちなのです。
どうか、どうか、お守りくださいますよう––––––
私は時も忘れて一心に祈った。
雨がしとしと降り、髪も小袖がすっかり濡れてしまったのも気にならないくらい、ひたすらに祈りを捧げ続けた。
トラ様が言っていた通り、緑色だった稲は私の髪と同じような色になり、重たげに穂を垂らして少し涼しくなった秋風に揺れてる。
まるで黄金の絨毯がいくつも広げられているような美しい光景に、私は胸を躍らせた。
私は竜神様に感謝の祈りを捧げつつ、巫女の修行の傍ら米や野菜の収穫を手伝ったりして、楽しく有意義に過ごしていた。
トラ様は相変わらず忙しいようだが、そんな中でも私に時間を割いてくれる。
優しい笑顔を向けら甘やかされるれるたびに、どんどんトラ様のことが好きになってしまう。
きっと私のそんな気持ちは、トラ様にも伝わっていると思うが、今のところトラ様は私になにも言わない。
私が天女と呼ばれる存在だからなのかもしれないが、この国の習慣を完全には理解していない私には、判然としない。
かといって、こちらから尋ねる勇気もないので、現状維持が続いている。
そんな私だが、一番気になるのはトラ様と私のことではない。
間近に迫るカナメとタクミの祝言だ。
結婚すると巫女は卒業なのだそうで、カナメが舞うのはカナメ本人の祝言が最後になる。
少し寂しい気もするが、カナメはとても幸せそうで、タクミのことでからかわれると頬を赤くして恥じらうのが可愛らしい。
二の明るい未来を願い、心を込めて祝福の舞を舞うために、私は毎日練習を重ねた。
竜神様。
今年は米も野菜も果物も、大豊作なのだそうです。
皆が竜神様に深く感謝しています。
本当に、ありがとうございます。
豊かに実った稲は全て刈り取られ、脱穀などの段階を経て無事に蔵へと収められた。
私がこの国に来たときはほぼ空だった蔵に、今は米がいっぱいに詰まった袋が積み上げられている。
カナメとタクミの祝言も、もうすぐです。
祝言に参加するのは初めてなので、とても楽しみです。
収穫を祝うお祭りと同時に行われることになったので、とてもおめでたいと皆が言っています。
私も舞いを奉納することになっています。
精一杯舞いますので、どうか見守っていてくださいね。
最近は、嬉しいことも竜神様に報告するようになった。
なんとなくだが、竜神様もそれを喜んでくださっている気がする。
お祈りが終わると、トラ様と二人で雨宿りをして、手を繋いで城へと続く道を下る。
近頃のトラ様は忙しく、一緒にいられるのはこの時だけなので、私にとってはとても大切な時間だ。
繋いだ手を離すのが名残惜しくて、いつもこの道がもっと長ければいいのにと思う。
もうすぐ城に着いてしまう。
また明日の朝まで会えないのかな。
寂しい気持ちを堪えて歩いていると、なにやら城が騒がしいことに気がついた。
「兄上様!」
なにやら緊迫した表情のカナメがこちらに駆けて来るのが見えて、トラ様の表情はぐっと険しいものになった。
「エリ、今日は大巫女殿のところに行くのは中止だ。果菜芽から決して離れないように」
「は、はい、わかりました」
トラはそう言うと、私と果菜芽を残して走り去った。
「エリ、落ち着いて聞いてね。東にある佐岐という国が、攻め込んで来たの」
「え……それって」
「肥賀と佐岐の間で戦が起きた、ということよ」
私はさぁっと血の気が引くのを感じた。
そういえば、隣の国も干ばつにより不作続きだと以前に聞いた。
きっと、豊作に恵まれた肥賀の食料を狙っての戦なのだろう。
「さあ、呆けている時間はないわ。私たちも行くわよ!」
青ざめて立ち尽くすだけの私と違い、兄とよく似たカナメの瞳には強い光が灯っている。
私はカナメに手を引かれ、トラ様が向かったのとは別の方向に駆けだした。
私は全く知らなかったが、トラ様たちはこうなることを予想してたらしい。
東の国境近くにある集落からは女性や子供は予め避難させてあり、収穫したばかりの食料も手元には最低限だけ残して、大部分は城に預けられている。
佐岐が攻め込んできたら、集落の男衆は抵抗せずに逃げた後、トラたちと合流して一気に叩くという手筈になっているのだそうだ。
「城の近くの集落の女性と子供は、城に避難してくることになっているの。いざとなったら、ここで籠城することになるわ」
私はカナメに教えられながら、トラ様がいつも着ているような袴を穿き、襷で小袖の袖を抑えた。
これでかなり動きやすくなった。
「エリ様!姫様!御屋形様たちが出立なさいますよ」
またカナメに手を引かれて城の前に行くと、そこにはトラ様と見たことがないほど大人数の男衆がいた。
全員、胴体を覆う鎧と脚絆や籠手などの戦装束で身を固めている。
トラ様はそれに加えて、下が広がった形をした兜を被っており、鎧も他よりは立派な造りになっているのが私にもわかった。
事前にしっかり準備をしてあったから、これだけ短時間で出立できるのだろう。
「エリ」
ピリピリとした空気を纏い引き締まった顔をしていたトラ様の表情が、私を見るとふと和らいだ。
「肥賀の男は強い。必ず帰るから、きみは果菜芽と待っていてくれ」
「トラ様……」
涙が溢れ、トラ様の凛々しい顔がはっきり見えない。
「天女様。皆に声をかけてくれないか」
見ると、男衆だけでなく、その場にいる全員が期待をこめて私を見ていた。
そうだ。私は竜神様に遣わされた天女なのだ。
今の私の役目は、竜神様の威を借りて彼らを勇気づけることだ。
「どうか、誰一人欠けることなく、無事にお戻りください。竜神様にお力添えをくださいますよう、私は祈りを捧げます。皆さま、どうか御武運を!」
私がそう声を張り上げると、晴れている空からぱらぱらと雨粒が落ちてきた。
「竜神様の祝福だ!これで我らが負けることはない!」
トラ様がよく通る声を張り上げると、わぁっと歓声が上がった。
「ありがとう、エリ。これで百人力だ」
そう言うと、トラ様はひらりと馬に跨った。
「果菜芽!エリを頼む!後は任せたぞ!」
「はい、兄上様!安心して暴れてきてください!」
トラ様の周囲に、さきほどよりも明るい顔をした男衆がさっと集まった。
「出立!」
トラ様の後にはタクミを含む十名ほどが騎馬で従い、その後ろから百名ほどの男衆が駆け足でついていく。
城に残る私たちは、それを手を振りながら見送った。
涙が止まらない私の肩を、 カナメがぽんと叩いた。
「エリ。泣いてはいけないわ」
カナメは青ざめてはいるが、私のように泣いてはいない。
カナメだって、トラ様やタクミが心配だろうに。
「私は国主の妹で、エリは天女様なのよ。私たちが動揺したら、皆にそれに伝わってしまうわ」
カナメの言う通りだ。
実際、皆が私たちに注目している。
私が涙を拭って頷くと、カナメはにっこりと笑って皆を振り返った。
「さあ、籠城の準備を!兄上様たちが戻るまで、私たちで城を守るのよ!」
『はい!』
女衆も、元気にカナメに応えた。
肥賀は男だけでなく、女も強い。
私も負けてはいられない。
「私は、御神木のところに行くわ。竜神様に祈らなくては」
「それなら、私がお供いたしましょう」
そう声を上げたのは、大巫女様だった。
私と大巫女様はカナメたちと別れ、二人で御神木までの道を登った。
途中で城に残った年配の男衆が、鉈をふるって竹を切っているのが見えた。
「あれは、竹槍にしますのじゃ。いざとなったら、あれで女たちも戦います」
それはつまり、トラ様たちが敗れて佐岐の兵がこの城まで到達してしまった場合の話だ。
そうなったら、カナメも友達になった巫女たちも、迷わず竹槍を手に戦うのだろう。
そんな光景を想像してしまい、心臓にヒヤリと冷たいものが触れたような気がした。
トラ様もカナメも、その他の人たちも、誰にも傷ついてほしくない。
私は御神木の前に跪き、祈りをささげた。
竜神様、お願いです。
トラ様たちをお守りください。
皆、私の大切な優しい人たちなのです。
どうか、どうか、お守りくださいますよう––––––
私は時も忘れて一心に祈った。
雨がしとしと降り、髪も小袖がすっかり濡れてしまったのも気にならないくらい、ひたすらに祈りを捧げ続けた。