シャンシャンと舞い踊る巫女たちが鳴らす鈴の音が響く。
 その向こうで、年老いた大巫女が掠れながらもよく通る声で朗々と祝詞を読み上げている。
 俺は脂汗が滲むくらい心の底から天に祈りつつ、御神木の前で行われている雨乞いの祈祷を睨みつけていた。 
 天を見上げるが、見えるのはどこまでも晴れ渡った青空だけで、小さな雲の欠片すら見えない。
 一昨年から続く干ばつで、去年はほとんど作物が育たなかった。
 今年ももうすぐ稲の種まきをしなくてはならない時期だというのに、雨が降る気配もなく、川もほとんど干上がったような状態だ。
 今年もこのまま干ばつが続いたとしたら、どれだけの餓死者がでるかわかったものではない。
 そうなるのを避けるため、藁にもすがる思いで雨乞いの祈禱をすることになったのだ。
 舞いの動きが激しくなり、鈴の音も大きくなっていく。
 祈祷が終わりに近づいている。

「御屋形様……」

 俺の幼馴染で、右腕でもある(たくみ)が、泣きそうな声で俺を呼んだ。
 わかっている。俺も泣きたい気分だ。
 俺の隣では、白装束に身を固めた妹の果菜芽(かな)が、じっと巫女たちを見つめている。
 幼さの残るその顔は、青ざめながらも自分の運命を受け入れている覚悟がある。
 御神木は、清らかな水を湛えた泉の畔にたっている。
 俺が国主を務める肥賀の国を守護する竜神様の住処とされる、底が見えないほど深い特別な泉だ。

 もし、この祈祷が終わっても、雨が一滴も降らなかったら。
 まだ十五のたった一人の妹を、俺はこの手でその泉に沈め、竜神様に花嫁として捧げなければならないのだ。

 そんなことをしたとて、雨が降るという保証などどこにもないというのに、それでも神頼みでもするしかないところまで俺たちは追い詰められてしまった。
 俺は震える拳をぎゅっと握りしめ、血を吐くような思いで祈った。

(お願いです……どうか、どうか、ご慈悲を……)
 
 俺と巧だけでなく、ここに集まっている皆が同じ思いだった。
 巫女たちは涙で頬を濡らしながらも、鈴を鳴らし袖を翻し、歯を食いしばって懸命に踊っている。
 あの巫女たちは、果菜芽の小さいころからの友人たちでもあるのだ。

 シャン、と一際大きな音がして、巫女たちは一斉に御神木に向かって首を垂れた。
 祝詞の声も、止んでいる。
 祈祷が終わった。終わってしまったのだ。

「兄上様」

 袖を引かれてそちらを見ると、果菜芽は青ざめた顔でうすい笑みをうかべて見せた。
 大丈夫だから、もう覚悟はできているから。
 言外にそう俺に伝えている。
 果菜芽が生まれたのは、俺が七つになった時のことだった。
 小さな妹を腕に抱いて、嫁に行くまで俺が守ってやるのだと心に誓ったのをよく覚えている。
 それなのに。

「私は肥賀の国の姫として、立派にお役目を果たして見せます」
「果菜芽、俺は……」
「兄上様、今までありがとうございました。皆も元気で。兄上様をよろしくね」

 すすり泣きの声がいくつも聞こえる。
 俺だけでなく、肥賀の国のもの皆が果菜芽を愛し、可愛がっていた。
 俺は必死で涙を堪えた。
 国主である俺が涙を見せるわけにはいかないのだ。

「すまない……すまない、 果菜芽……」

 俺は妹の体を抱きしめた。
 
(竜神様!お願いです、どうかお慈悲を!)

 その瞬間。
 なんの前触れもなく目がつぶれるような閃光が走り、同時にドォンという耳をつんざくような轟音がビリビリと空気を震わせた。
 俺はとっさに果菜芽を庇いながら地に伏せ、音がした方に目を向けた。
 そして、俺は信じられないものを目にした。
 樹齢数千年と言われる巨大な御神木の幹に、上から下に一本の黒い筋ができている。 そして、御神木はそこから真っ二つに裂けて、メリメリと音を立てながら左右に倒れたのだ。

 それを見ながら、俺も腕の中にいる果菜芽も集まっている人々も、ただ呆然とすることしかできなかった。
 
 どうやら御神木に大きな雷が落ちたらしいが……
 こんな晴天に雷?

「御屋形様!あれを!」

 御神木に一番近いところにいた巫女の一人が、声を上げて俺を呼んだ。
 巫女は、御神木の裂けた根本のあたりを指さしている。
 そこに、なにか灰色のものがあるのが見える。
 
「兄上様」
「巧、果菜芽を頼む」

 不安気な顔をする妹を巧に託し、俺は御神木に近づいた。
 灰色のものは、どうやら布でできているようだ。
 その上に、黄金色のものが広がっている。
 それから、白い顔と、手があって……

「……女……?」

 そこに横たわっていたのは、見たこともない黄金色の髪をした、女性だった。 
 恐る恐る白い頬に触れてみると、確かな体温を感じた。
 生きている。 
 果菜芽と同じ、生きた女性だ。
 そっと抱え上げてみると、あまりの軽さに驚かされた。
 よく見ると、眠ったままのその顔は窶れているようで、手足も折れそうなほど細い。

「御屋形様……その女性は」

 振り返ると、大巫女殿が皺だらけの顔に困惑の表情をうかべていた。
 
「大巫女殿。このようなことが過去に起こったと聞いたことがあるか」
「ありませぬ。御神木が、このようになるなど……」

 その時、なにかがぽつぽつと地面を打つ音がした。

「あ、雨だ……!」

 空を見上げると、俺の頬にも雨粒があたり、首元へと流れていった。
 数か月ぶりに雨が降ったのだ。
 相変わらずの晴天だが、これも竜神様の御力によるものだとすると、不思議でもないのだろう。

「雨が降った。祈祷は成功だ!」

 泣きながら歓声を上げる人々の中に、巧と抱き合って喜ぶ果菜芽が見えた。
 よかった。本当によかった。
 俺は、まだ眠り続けている女性に視線を落とした。
 黄金色の髪。
 稲穂と同じ色の髪をしたこの女性は、きっと瑞兆だ。
 俺たちの祈りが、竜神様に届いたのだ。
 閉じられたままの瞳は、果たしてどんな色をしているのだろうか。 
 早くそれが知りたい。
 俺はじりじりとした焦燥が胸の中に湧きだすのを感じた。