性というのはいつだって欲に溺れている。
 中学生に上がった頃、小学校から近い場所を選ばず、別の学校に変更。
 その時に出会った先生としたことが初めてだった。
 クラスの担任で二十代半ば。
 とても綺麗なその教師は国語を教えていた。
 勉強ができないわけじゃなかったが、その教師は少しでも減点があると僕を呼び出した。
「空くん、ここできてないよ。前、教えなかったっけ?」
「すみません。わかんなくて」
 中学に上がりみんな初めましてだったおかげで、いじめもないし、すんなりと仲良くなれた。
 幼い頃に出会った愛香とは別の中学だ。
「わかんないって。教えたのに」
 なぜか僕にだけ子供っぽい様子を見せる彼女に色っぽさを覚えた。
 どうしてなのかはわからない。だけど、中学生の僕には大人の余裕を感じたのだろう。
 とても興味が湧いていた。
「教えてください」
「また?」
「お願いします」
「しょうがないなぁ」
 口を尖らせる彼女。
 しょうがないと教え始める彼女の授業はとてもわかりやすくて、何度でも聞きたい気持ちになる。
 それから何度かまた呼び出されて勉強させられて、それでも苦ではないので通っていた。
 部活もあるけれど、顧問には伝えとくと顧問からのお叱りはなかった。
 ある日、当たり前のように呼び出された教室に到着すると彼女はいなかった。
 机に教材を出して待つ。
 外ではサッカー部が声を出して練習している。内では吹奏楽部の演奏が聞こえる。
「ごめんね、待たせて」
「呼び出したの先生なのに、待たせるんですね」
「怒ってる?」
「いえ、別に」
「そんな怒んないで」
 と、肩に手を置く彼女。
 綺麗な笑顔には裏がない。そんな人見たことがなかったから新鮮だった。
 母さんも父さんも目の奥は死んでいる。
 それを指摘する気もなくて言葉にはしていない。
「怒ってないですよ」
「またまた」
 大人に揶揄われるのは何だか不快だった。
 選択肢として何かないか頭の中で探す。
 ふと父さんの文芸作品を思い出す。大人向けで子供には早い作品。
 キスをする。
 呆気に取られた先生は、思いの外嬉しそうにキスを返してきた。
 大人が求めているのはこういうものなのかと知った。
 両親譲りの顔の良さを芸能界でも使わないかという話があったのを思い出す。
 父さんが必死に止めていたけれど、今の僕にはできてしまう気がした。
 先生の手が胸に触れ、肩を撫で、後頭部を抑えて離さない。
 失敗したのだと思った。
 黙らせるだけで良かった。でもこの人は、僕をそういう対象だと思って見ていた。
 しまいには最後までしてしまう。
 この教室に誰も来なかったから良かった。
 大した快楽もないままに終えた行為には何も得られるものがなかった。
 制服を着ながら先生に問う。
「いつから僕のこと好きだったんですか?」
「……ずっと前から」
「前から?」
「会った時から、いいなって」
「……僕もだよ」
 もう一度唇にキスをした。
 先生は嬉しそう。
「今日はもう部活に行きます」
「顧問に伝えておくね」
「お願いします」
 教室を出る最中、彼女は後ろから抱き締める。
「また、しよ?」
「うん」
 彼女の腕が離れると今度こそ教室を出た。
 一年生一学期の最後、三者面談があった。
 それまでも何度かしていたけれど、この日は足元で先生が戯れてくること以外はなかった。
 しかし、その後で部活に行く予定が母さんに止められてくるまで家に帰った。
「母さん、部活サボるのはまずいって」
 どうしてか怒っている母さんの背中に言う。
 食卓の向かいに座るように合図を送られてため息をつきながら座った。
「なに?」
「先生とはどういう関係?」
 母さんの目つきは恐ろしく何もかも見透かしているよう。
「どうって生徒と教師」
「そうは見えなかった」
「見えないって?」
 下手に否定しても意味ないので答えを求めた。
「あなたより、先生に問題があるように見えたの」
「問題?授業はわかりやすいよ。前のテストもいい点数だったし」
「それは知ってる」
「なら、先生は僕の成績の良さを買ってるんじゃない?僕はそう思ったけど」
「……」
「他に何かある?」
「……そうは見えない」
「見えないって、なんか別の見方があるの?大人からしてみればわかるような?」
 追撃すると母さんは口を閉ざした。
 空気を悪くしたくないのか、愛香の名を口にした。
「あの子、最近元気にしてる?」
「会ってないからわかんないな」
「そう。会っても普通でいられる?」
「……普通か」
 中学生にもなればそういう行為くらいしていそうなもの。愛香もしているだろう。それにとやかくいうつもりはない。
「今度あったらどんな感想を抱くのか教えてね」
 やはりバレていてそれを確認するために名前を出したのか。
「いいよ。わかった」
 リビングに父さんが来た。
「どうした?帰り早くない?」
「父さん、小説は?」
「提出した」
 締切を過ぎて謝罪の電話をしていた父さんがついにやっと提出したらしい。
「今日もいつも通りに帰ってくるって」
 時計を見ると二時半過ぎ。面談の日は昼間、部活になるけれどそれでも早い。
「ちょっと話したいことあって帰るようにいったの」
「そか。何の話?」
「先生とどんな関係か聞かれたけど、何もないよって」
 先に伝えると母さんは不服そうな顔をしていた。
「まあ、いいや。せっかくだしどっか行くか?」
「飯」
 即答すると予約しておくよとリビングから出ていった。
 今日の夜は飯を食べに行くらしい。
 母さんの顔は見れなかった。

 部活を始めて新人戦のレギュラーに抜擢されるとチヤホヤされる。
 モテるのはあまりいい思いはしないけれど、モテないよりはマシだと聞くので口にはしない。
 ヘイトを買いそうであまりよろしくない。
 そんな中、ある女子生徒と一緒に帰ることが増えた。
 同じ部活の女子生徒であまり強くないけど、健気な子。
 優しいし、ドジっぽいのがいいと評判。
 狙ってやってるだけだということは、誰にもいってないし、騙されたふりをしてる。
 顔が可愛いとこういうことするだけで許される。
 自分のことじゃないから興味がないけれど、いいことなのだと思う。
「ねぇ、今日も全然上手くできなかったよぉ」
「……」
「聞いてるぅ?」
 腕をグイグイ引っ張ることも可愛いと思ってやっているのだろう。
 疲れている体にはきつい。
「毎日頑張ってるよね」
 面倒だけれど共感しておく。
 先生に対しても共感しておくだけで何とかなったのでこれは最善手なんだと思う。
「うん……でも」
「努力が実るのってこれからじゃない?僕はできるって思ってる」
「本当?」
「うん。毎日頑張ってるじゃん」
 泣きそうな顔でうんと頷く彼女は狙っている。
 本気で僕を恋させようと必死だ。
 かっこ悪い。ダサいし、うざい。
 愛香の劣化版だ。
 それでも使い勝手が良さそうであだ名をつけて呼ぶことにした。
「姫、そろそろ帰らない?」
 そう、姫というあだ名だ。
 バカには十分すぎるくらいの塩梅。
「ねぇ、姫って、他の人の前で呼ばないでぇ!」
 恥ずかしそうにいう彼女には、このまま何か奢らせて仕舞えばいい。
 親のお金で奢るだなんて馬鹿げているけれど。
 愛香に奢る時は基本、親のお金なのでバカなのはお互い様だ。
「思ったんだけどさ、なんで国語の先生とあんなに仲良いの?」
「仲?」
「だって、いつも一緒じゃん」
「一緒って。わかんないところ聞いてるだけだし」
「私、国語得意だから教えようか?」
 女子の独占欲は醜い。
 邪魔だし、恩を感じさせようとしていて面倒。
「今度教えてよ。今教材持ってないし」
「任せてよ」
 胸にポンと手をやる彼女。
「姫、可愛いよ」
「どこがよ」
 と笑う彼女に合わせて笑う。
「ちょっとコンビニ寄ってかん?部活の後って喉乾くんだよね」
 家の近くのコンビニを指差す。
 いつもここで別れてる。
「うん、行こうよ」
 ドリンクを手に取る。彼女も手に取ったやつをレジに出す。
 財布を出していると彼女が財布を取り出して。
「出すよ」
 と、いうのでお言葉に甘えた。
「じゃあ、また」
「あ、うん」
 彼女からもらったドリンクを飲み、鍵を開ける。
「ねぇねぇ」
 と、肩を叩かれ振り向くとそこには愛香がいた。
「懐かしい。久しぶりじゃん」
「久しぶり。懐かしくはないでしょ」
「そうかな」
「さっき、誰と歩いてたの?」
 横に並ぶ彼女と歩くのはいつぶりだろうか。
「同じ部活の子で家近いから」
「そうなんだ。好きなの?」
「好きじゃないよ。部活仲間」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「まぁいいや。私も気にしないでおくね」
「付き合ったらどうすんの?」
「え!?付き合うの!?うわ!?」
 そんな驚かなくてもいいじゃないかと思う。
 大声で話す内容じゃない。
「真里さんに報告だ!」
「いやいや」
 つい最近、危なかったのにそこまでしなくてもいいのではないだろうか。
「いないの?」
「いるけど」
「じゃあ、上がるね!」
 勝手に玄関を開けると真里さん!と騒ぐ。
 続いて入る僕は靴を並べてシャワーを浴びてからリビングに戻った。
「きた!この人、浮気するんですって!私という可愛い子がいながら!」
 指差す彼女に苛立ちを隠せない。
「別に」
「うわ、ほら!」
 母さんを見て同情を買おうとする。
「ひどい人ね、困ったわ」
「何でいっしょになってんの?てか、家いれちゃっていいのかよ」
「いいのよ。だって、可愛いもの」
 隣に座る彼女の髪を撫でる母さん。
「もういいから。帰んなよ」
 タオルで髪をふく。
 父さんの様子がないということは、出版社にでも行っているのだろう。
「ねぇ、ちゃんと乾かしなよ」
「ドライヤー洗面所にあるわ」
 くだらねぇと椅子に座るとスマホをいじる。
 姫からLINEが来ていたので、雑に返しておく。
 勝手にコンセントをつなげて乾かし始めるのでスマホは伏せた。
 姫からの通知が来たらまた騒ぐだろうことは予想済み。
「部活、何やってるの?」
 会話した方がいいのかなと思い彼女に聞く。
 中学校に進学して会うのは久々だから色々聞いてみた気持ちもなくはない。
「やってないよ」
「何で?」
 ドライヤーするせいで声をデカくしないといけない面倒臭さに苛立つ。
 彼女の手が髪の毛に触れては頭皮にあたる。
「ドラマとかあるから」
「芸能界まだいるのか?」
「そりゃいるよ。今は、自分がやりたいって思ってるから」
 以前、彼女は芸能界を辞めたそうにしていた。
 家に帰ったら演技のことばかりで辟易していたのだが、今では違うらしい。
 やりたいと思えたのはとてもいいことだと思う。
 母さんが夕飯の準備を始めた。
「僕も行こうかな」
 意外と向いていたりしないかとふと思う時がある。
「え?」
「芸能界」
 髪が乾いてきたと同時にドライヤーのスイッチを切った。
「今、芸能界って」
「うん」
「入りたくないって」
「うん、嘘」
 背中をバシンっと叩かれた。
「嘘つき!最低!ひどい!」
 いつもの如くひどいという言葉を浴びながら、変わらないなと思う。
 前に母さんが求めていた感想にはなんて返すべきだろうか。
 変わらないの一言で済みそう。
 キッチンにいる母さんと目が合う。
 今まで通りの顔をすると母さんは負けたように肩をすくめた。
 解決したのだろう。
「叩かれてるのに笑みを浮かべるなんて!ドMだ!」
 隣に座る彼女は変わらず子供っぽい。
 大人の世界で生きている彼女がどうして子供っぽくなるのかわからない。
 いつか知りたいとは思うけれど、知らなくてもいいのではないかと思う自分もいる。
 決定的な何かが壊れてしまいそうで踏み込めないだけなのかもしれない。
 彼女が子供っぽいままでいいというのならそれでいいのだと思うことにした。
 騒がしい彼女と一緒にいられる時間は、嫌いではないのだから。
 彼女と目が合う。
 頬に触れるとえ?と大人しくなった。
「久々に会えて嬉しくてさ」
 目を細めると彼女は目線をキョロキョロとさせて下を向く。
「ずるい」
 だけど、それをみているのは母さんだけではなく。
「あら、父さんおかえり」
 母さんの言葉にリビングに入るための扉に顔を向ける。
「あ、ごめん」
 それは家族に見られたわけで。
「ち、ちが、違うんだこれは!」
 勢いよく飛び立つ僕は父さんに必死になった。
「いいムードを壊してすまない。そうか、空もそういう歳か」
「待て待て待て」
「空、愛香ちゃんがいる前で否定するのはよくないんじゃないか?」
 至極真っ当な意見を聞き、愛香に目をやるとじっと睨みつける顔がそこにはある。
「愛香、違うんだ。そうじゃなくて」
 彼女の元に駆け寄って弁明する。プイッと顔を背ける愛香。
「不倫がばれた旦那みたいな反応」
 母さんの言葉に力尽きた僕は膝をつく。
 誰とも付き合ってないから浮気もクソもないというのに。
 どうして部活から帰った後、精神的にも疲れを感じないといけないのだ。
「さっき、一緒に帰ってたあの可愛い子は誰なの!」
「いらん場所で演技しなくていいから!」
「最低、私はあなたのこと」
「だから、マジで」
 修羅場というのはこのことみたいで、一生経験したくないと心に誓った日だった。

 姫と会う。国語を教えてもらう。
 そんな時間を姫を嬉しそうにしていたし、何より一人で楽しそうにしていた。
 目があって、目を細めて愛でるような顔をすると彼女は恥ずかしそうにしていた。
 人のいない空き教室でこんなことするのは国語の教師以来。
「ここの、いとをかしってどんな意味なんだろう」
 教える側の姫がそんなことを問う。
「とても可愛いじゃなかったっけ?」
「えへへ」
 狙ってやっている彼女。
 そろそろきてよと言わんばかりに耳に髪をかける姿。
 そっと後頭部を触れて、髪を撫でる。
 目を丸くする彼女。受け入れたように待っている顔にそっとキスをする。
 誰もいないか確認するのは当たり前。
「ばれたらまずいか」
 キスをしたものの人が来ないとも限らない。
 国語の教師がきたら修羅場確定だし、あんな経験したくない。
「ねぇ、うちくる?抜け出さない?学校」
「……いいね」
 それから家に戻る前にコンビニに寄って買うもの買って姫の家に行った。
 その道中に愛香がいなくてよかったと思う。
 隠れてみていたなんて話が出なければ問題ない。
 家族問題になりかねない。
 愛香がいるというのにどうしてそんなことをしたのかと何度も問われてしまうのだろう。
「おいで」
 ベッドに手招きする彼女。
 隣に座ると両手で僕の頬に触れる。
「やっぱり正面から見ても綺麗だよね」
 顔がいいと得をするのは事実だ。
 実際、父さんの書籍にもそんな内容の話があった。
 悪いことも生々しく描くのが父さんの作品の良さだけれど。
 いじめを受けると愛を求めたくなるというのは父さんの書籍の教え。
 どう考えてもその通りなのだけれど、見透かされているのは癪にさわる。
「姫、こそ。とても綺麗だ」
「これからどうしてくれるの?」
 彼女の望む通りにキスをして抱く。

 二学期が始まり国語の教師に呼び出される。
「お母様にばれてない?」
「ばれてないですよ。何とかなりました」
 教師と行為に及んだことは何とかなったけれど。
「もうやめようって話ですか?」
 大体察しがついた。
 首を縦にふる教師の様子を見て、学校側で問題になる前に終わらせたいのだと気づいた。
「わかりました。でも、なんで僕だったんですか?」
 顔のいい人はこの学校にもたくさんいるだろうに。
「そうね。もう終わりだし、伝えるね」
 彼女が僕を見ることはしない。
「佐野宏哉の息子さんって聞いたから。すごく似てるし、ついね」
 出来心でと彼女はいう。
 父さんの子供っていうだけでいじめられてきた。
 普通じゃないからと除け者にされた。
 でもここでは欲望をむき出しにしたものたちが僕の体を求めた。
 愛でも何でもなくて、欲でしかない。
 なのに、そんな欲のおかげで愛を感じられた。
 それを教えてくれたのは国語の教師。
 しかし、何だか気分が悪い。汚くなったような気がしてならない。
 こいつをどうにかできないだろうか。少し懲らしめてやりたい。
 何度も四六時中、物語を考えた。
 父さんのように緻密な作品は描けない。
 だけど、どうにか後味の悪いエンディングを国語の教師に味わわせてやりたい。
 性の玩具にされたのだから。それくらいやり返したっていい。
 そして、思いついたのだ。
 秋を感じ始める季節。
 職員室に勢いよく入って、息を切らして、生徒指導の先生に縋り付く。
「助けて……!助けてぇ……!」
 この時間に国語の教師がいないのは、授業の後で職員室から一番遠い教室だから来るのも遅い。
 セリフを考えてきたので、それを後は時間内にいう。
 メモしたセリフは部屋にある。
「どうした、空」
「怖い、怖いよ、助けて!」
「な、なんだ、落ち着け」
 椅子に座っていた生徒指導の先生は、僕と同じ目線にするためかしゃがんだ。
「先生に……、国語の先生に……っ!その……」
 吐きそうな演技をすると袋、袋と焦り出す。
 その様子が気持ちいい。
「されて……、なんか、されて……。怖くて、気持ち悪くて……」
 職員室の扉が開く。そこにきたのは、国語の教師だった。
 流れ通り、職員室から飛び出す。
 ついてくる生徒指導の先生に捕まり、別室に入れられる。
 ガクガクと震えていると温かいお茶を用意してくれた。
 何があったのか話すまで一分以上時間かけて淡々と伝えた。目は死んだように。
 ここまで考えるのに時間がかかり演技も鏡を見てやってみたけれど、うまく行っているだろうか。
「このこと、誰にも言わないでください。親にバレたくない」
 我ながらいい演技じゃないだろうか。
 そして、この件があって国語の教師は免許停止、除籍としてこの学校にはいなくなった。
 また何かあったら伝えて欲しいと生徒指導の先生はいう。
 その一件が両親に伝えられることはなかった。学校側がもみ消してくれたみたいだ。
 それからもまだ姫と遊んで、他にも手を出して、三年生になった。
 いじめられていた自分にも愛される未来が待っていると思うと生活はしやすい。
 生きやすい。
 そして、将来も真剣に考えられるような気がしている。
 自分で考えた脚本に演技。
 あれだけうまく行くのなら芸能界もいいだろう。
 父さんが必死になって止める理由も無くなってきた。
 そろそろ本格的に考えたい。
 部屋に入るとそこには父さんの姿があった。
「なんで、部屋にいるの?」
 手にノートを持って広げている。
「これは、なんだ?」
 それは国語の教師を少し懲らしめるために考えた脚本の数々。
「何を考えてる?」
 洞察力のある父さんは、きっとこの短い間であらゆる通りの推測がたっている。
「脚本だよ。僕もそろそろ進路を考えないとって」
「脚本家?」
「うん。頑張ってみようと思う」
「……下手な嘘はやめろ」
 ピシャリと切り捨てられては否定しようものもない。
 返しようがないことには雑に切り抜けることもできない。
「これ、誰かを嵌めただろ」
 ノートを広げわざわざ見せてくる。
「何をした。誰が空にしたんだ?」
 これまで父さんが怒りを露わにすることがなかったせいかその気迫に圧倒された。
 我が子を傷つけた相手を許さないと憤慨している。
「こんなものを考えるほどに空は疲弊していたんだろ?最近帰りが思っているより遅いのはそれが理由か?」
「……」
「無理しなくていい。ちゃんと言って欲しいだけだ」
「僕のこと、そんなに大事?」
「大事だ。だから、聞いてる。無理しないで、落ち着いてからでもいい。何か飲むか?お茶でもコーヒーでも」
「いや、何もそこまで」
「空は、もしかしたら自分がされたことに実感がないだけかもしれない」
「ないことないけど」
 こんなにも親身になってくれる父さんには申し訳なさもあった。
 ちょっと遊ばれた気がしてやり返しただけ。復讐でも何でもない。
 行為に及んだこと自体は不快ではないのだ。
 ただ、家族にバレるのは嫌だった。
「じゃあ、言えないなら、カウンセリングにでも」
「いいよ、そこまでしなくて」
 僕は大丈夫だからと、伝える。
 本棚にある父さんの書籍の一冊目と四冊目を手にする。
「これ、僕の考えを一新させてくれた本。父さんの考えを学べたんだ。どちらも性愛について触れた作品」
 感謝を伝えようと思ったけれど、それ以上に苦しく歪む顔を見てしまっては言えなかった。
「いつ……この本を……」
「父さんの部屋にあったじゃん。読みたかったら読んでいいって小学生の時に」
 目が合ったと思ったけれど揺れて焦点が合わなくなっている。
「まだわからないと思うって言われてたから中学生になったタイミングでもう一度読んでみたんだよ。スマホもあったし、より理解を深められた」
 力が抜けたようにスッと膝をつく父さんの肩に触れた。
「何だかすごく理解できたんだ。いじめを思い出した時、埋められない愛という欲を埋めてくれるのは性である。それを立証することになるとは思ってなかったけどさ。でも、何だか今はすごくいじめから立ち直れた気がするんだ。他に先に進みたいな」
「……空、違うんだ」
「満たしてくれるのは、性だけだよ」
「フィクションだ……」
「ううん。現実に起こり得ることだよ。作品に勇気づけられるってこういうことだと思うんだ。父さんの作品が評価されるのはこういうのも理由に含まれるんじゃないかな」
 わかんないけどさ、と笑う。
 父さんの表情は暗くてよく見えない。
 しかし、いつかいうことになると思っていた感謝の気持ちを今言えてとても嬉しかった。
「子供であるうちに読ませちゃいけなかった」
「なんで?父さんは、子供の時からこの考えだからより深く小説を描けたんじゃないの?」
「違う。父さんにそんな過去はない。ないけど、でも、空が味わう必要はなかったものだ」
「父さんによく似てかっこいいって言ってくれたのは、間違いなく父さんなのに?」
「……空」
 この時、決定的に何かが瓦解したのだと思う。
 親と子の間には得体の知れない亀裂があって、それを補ってくれたのは母さんだけだった。
 特に何かが変わったわけでもない。
 しかし、この頃から会話は減っていった。
 やりたいことをやっているだけだからと言っていた父さんは、スランプに陥ったのか作品を書けない日々が続いた。
 そして、事件は起きた。
 父さんが自殺した。
 父さんの部屋から鈍い音が聞こえて、扉を開けた時には泡を吹いて死んでいた。
 すぐに救急車を呼んだものの搬送先で死亡が確認された。
 部屋には僕宛に短い手紙があった。『空、すまない』そんな端的な文だけが残されていた。
 受験も終わり高校に向けて勉強を勤しむ時期だった。
 だが、そんな気力も湧かなかった。
 どうして、謝っているのか僕にはわからないからだ。
 何一つ解決することはなかった。モヤモヤする気持ちを抱えながら手につくはずのない勉強は集中力を欠いていくばかり。
 母さんに頼んで通信制の学校に変更。
 学校側は事態を知っていたためかすぐに対応してくれた。
 どんなに父さんの作品を読んでも理解できることは少ない。
 浜松を舞台に繰り広げるヒューマンドラマや恋愛など。
 そこに込められた想いなんてものはどこにあるのか。
 たった一つ理解できたのは、僕が父さんの作品を読んではいけなかったということだけ。
 何がダメだったんだろうか。
 貞操観念がないことだろうか。
 キスは好きな人とかそういうのは大事なのだろうか。
 ならば、どうして父さんはそう言った作品を書かなかったのだろう。
 わからない。
 父さんは、過去に何を得て何を訴え何を伝えたかったのだろう。
 過去をよく知る人物に会いたい。
 浜松に行けば何かわかるんじゃないか。
 ヒントになり得るものはピックアップしておこう。
 最悪、美苗に聞いてみよう。
 僕の何がダメだったのか、どうしても知りたい。
 使えるものは使うと父さんは作品で書いたじゃないか。
 同じような気持ちだと思ってた。どっかでわかりあっていた気がした。
 全部違った。
 また、愛香に出会う。高校三年生になった頃。
 変わらず子供っぽく見せる彼女に合わせる顔がない。
 面倒だなんて思って逸らそうとした。彼女がそれを許してくれるはずもないのに。
 母さんが言っていた言葉は、これを意味していたんだと後になってわかった。
 だけど、反省するどころか日に日に増していた謎を父さんの死の真相として愛香を利用した。
 父さんのことが知りたかったんじゃない。
 父さんが僕をどう思っていたのか知りたいのだ。
 なぁ、父さん。教えてよ。
 僕の何がおかしいのか。