お互いの気持ちを理解し合うことは大事らしい。
たった一つの言葉ですれ違ってしまう。
愛香は何を思ったのかどんどん距離が近づいていく。
可愛いとは思うけれど、何もそこまでしなくてもいいのではないだろうか。
僕らは友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。
彼女もまた父さんの死の真相を知りたいと協力してくれる。
これ以上、彼女が傷つくような言葉は言わないようにしたい。
大人だと思っていた分、見落としていたことが多かった。
彼女が素直でいられるのは、僕と幼馴染で友達だから。
それを忘れちゃいけない。
五作目の舞台である浜名湖は綺麗な円の形をしているわけもなく入り組んでいて、それなのにツーリングのために道が整備されている。綺麗な道を走るのはとてもいい気持ちなのだろう。
そんな街中を歩く主人公の気持ちは綺麗ではないし、澄んだ海のような輝きもない。
濁っていて、汚い。
気賀駅の方は綺麗に見えるけれど、父さんが見たのはこの辺のはずなのにどうして不一致なのだろう。
そして六作目である舞台は細江町。
井伊谷で有名なイメージがあるけれど、それも随分と前の話。
今は過疎化が進んでいる。
六作目にも気賀が出るのでやはりこのエリアと父さんは何かしらの接点があるはず。
浜名湖よりも海をテーマにしているあたり、訴えたいものがあるのだろう。
『家にいるのに、帰りたいと思う。帰りたいくせに、海に行きたいと思ってしまうのはどうして』
この文章が、主人公の本来の想いが込められているとしたら。
浜名湖を見るだけじゃ足りない何かがある。
モデルが自分として描かれているのなら、父さんのこれまでの行動に何かにヒントがあるのではないかと思う。
しかし、父さんが海に行ったなんて話聞いたことがない。
浜名湖も汚いと父さんは言っていた。
気賀から見る浜名湖は綺麗なのに。
気賀駅にもどり美苗と合流する。
「寸座駅を見に行きたい」
愛香は昔、モデルになったという無人駅に行きたいらしい。
天浜線のため車で向かえばすぐのところにある。
夕暮れ。寸座駅の近くで車を停め、寸座駅に入る。
改札はなく、誰も立ち入ることができるのでズケズケと入っていく。
「緑が綺麗だな」
「ここ、他の作家がモデルにしてたから」
「他の作家ね……」
「関連で出てきたからつい読んでみたの。いい作品だなぁって」
スマホの画面を向け、あらすじを軽く彼女はいう。
なんでもその無人駅では何かすると何かが起きて死んだやつに一回だけ会えるらしい。
「小説ならではの設定だな」
「もし、本当にそんなことできるならどうする?」
「嘘くさいことに付き合いたくない」
「もし本当だったらどうする?」
二度も言う圧に負けた。
「会いたいな……。会って、会ったら……」
何を伝えたらいいだろう。
自殺するほどの精神面。父さんに何を伝えたら傷つかずに笑ってくれるだろう。
三人で食卓を囲んで、笑い合っていた日々。
「また、飯でも食べたいかも」
僕を見やる彼女はクスッと笑った。
「伝えたいことじゃないんだ」
「またなにかできたらいいよ」
風がうるさく吹いている。
髪が靡く。目を細めてしまう。
「あの当時、会話が減った。僕は、中学のやつと遊んでばっかで、母も芸能の仕事を再開させた。父さんは、……小説の創作に行き詰まってた」
「……」
「忙しそうにしてるから……考えないようにした……。終わるまで、一人にさせた方がいい気がして……」
それが間違いだと知るのは、死んでからだった。
あの時、何を思い苦しんでいたのか考えていたら、行動を変えていたら、また別の未来が見えたのだろうか。
「この景色を見て思ったの」
愛香が口を開く。
「私は、あなたとこの景色が見たかった」
「……」
「また見に行きたい。そう思えるのは、死が遠くに感じるからなのかな。また、会えるって勝手に思っちゃってるからなのかな」
「……何があっても生きるよ」
父さんと違うのは、その意思の強さかもしれない。
自殺はしない。生きていたい。
生きて、この世界を知っていきたい。
この景色に何度でも会いたい。
「良かった。空が、死にたいって思ってたらどうしようかと」
お互いに目があう。どちらともなく笑う。
しかし、ふと思う。
父さんが死にたいと思っていたら?
大人な分、知りたくないことも知りたいこともたくさん知ってきたはず。
その過程で、死にたいと思うことはあったのだろうか。
海を見たいのは、そのままの意味じゃなくて、どこでもいいからどこかへ行きたかったのか?
父さんの作品には自傷の描写が多々存在する。
それは、父さん自身も感じていたこと?
いや、そんな話聞いたことがない。
考えすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
「とりあえず戻ろうか」
ぼーっと浜名湖を見ていると電車が来たので車に戻った。
「見たいのは見れた?」
美苗の言葉に愛香はうんと頷いていた。
「綺麗でした。今度、美苗さん一緒に行きましょ」
コミュ力お化けが何やら言っている。
「えぇでも」
「絶対に後悔しないんで!」
「わかったわ、また今度行きましょう」
次があるかわからないと言っていた割に、約束を取り付けるあたり。
これが社交辞令なのかどうかは置いておこう。
「ここ、無人駅じゃないよな。人いるし」
「車通りは多いね」と、美苗。
「ちょっと。つまんないこと言わないでよ」
愛香は、ムッと言い返していた。
「だって、本当じゃん。めっちゃ通ってる」
「……それはそうだけど」
「空、宏哉に似てきたわね」
ルームミラー越しに目が合う。
細めている目には、僕に父さんの面影を重ねているからなのかもしれない。
そう思ってしまうのはきっと、どこかでこの目を見たことあるから。誰がこんな目で見ていたのか思い出せない。
「誰かに襲われないといいわ……」
ボソッとつぶやく声は僕らに届いていた。
「え、私が何かするとでも!」
愛香は怒っているわけではないのだろうが、面白くしようとしているわけでもない。
それはつまり、圧があるわけで。
「そうじゃないわ」
「ですよね」
チラッと僕を見る彼女。言い返せずにいると彼女は僕の腕を殴った。
……なんでぇ!?
「ありえない。最低」
やはりさっきから様子がおかしい。
え、僕ら友達でしょ?
「ごめん」
わからないが、謝っておいた方がいいと言うのは父さんの教え。
「気持ちがこもってない」
「……ごめん」
父さんの教え、本当に正しいのだろうか。
死んでる父さんが、生きてほしいと願う小説を書いている時点で説得力はない。
笑えないジョークだ。
「気持ち込めるの上手だね」
それは褒めてるわけではなかった。
故に、殴られるのも察するわけで。
「痛っっっっ!!」
美苗は後ろのやりとりに興味がないのか、家に引き返した。
夕方はやることがない。愛香が風呂に入っている間にリビングのソファに腰をかける美苗と話す。
「今日はありがと」
「いいえ」
「あのさ、明日、弁天島の方へ行きたいんだけど」
「弁天島?」
今日行った気賀駅とは真逆の方向で海が近い。と言うより、すぐそこだ。
「明日、空いてたりする?」
「ええ、もちろん」
どうやって生計を立てているの?と聞いてみたかったけれど、ふれぬ神に祟りなし。
愛香のように叩かれたくないので、聞くのはやめた。
「良かった。じゃあ」
「昼頃でいい?」
「うん」
耳を澄ます。風呂場の方からシャワーの音が聞こえる。
まだ出てくることはないだろう。
「ばあちゃん、襲われるって何?」
立ったまま動かない僕とようやく目を合わせた美苗。
「帰り、愛香が反応しなければ聞くつもりはなかったんだけどさ」
「なんの話?」
「ううん。父さんと同じ道を辿って欲しくないってどう言うことかなって。僕が、芸能界に入ると思ってる?」
どちらかといえば、小説家だろうか。
「そう言うことよ。芸能界に入るものじゃない。今、働かなくても生計が立てられるのは宏哉の仕送りがあるからよ」
「仕送り?」
「えぇ。親孝行だと思うわ」
テレビに目を向ける美苗は、それ以上答えるつもりはなさそうだった。
「そか。忠告ありがとね」
それが嘘だと言うことくらいよくわかっていた。
人は、嘘をつく時目が合わない。最初から目を合わせなければ嘘か本当かもわからない。
しかし、襲われると言った時に目があって、視線が少し揺れたのは見逃さなかった。
決定的な証拠を見つけて突き出せば、必ず美苗は口を開く。
それまでは下手に問い詰めたりしない。
「隣、座っていい」
不自然に終わるくらいなら話を続ける。コミュニケーション能力はこう言う時に役に立つ。
「僕は、夢がないんだ」
ソファに座る。美苗の言葉に聞く気はない。
「将来どうしたらいいかわからない。未来ってなんだろう。夢ってなんだろう。最近ずっと考えてる」
自己開示をすれば、人は心をゆるす。弱音を吐くことは自分を有利に持っていくために必要だと心理学の本に書いてあった。
「だから、前を向くために父さんの死の真相を知ろうと思った。そしたら、少しは身が軽くなるのかなって。気持ちは和らぐかなって」
アドバイスをもらえたらそれでいい。実際、将来どうしたらいいのかわからないのだから。
「夢は大事って聞くけどさ。時間が経っていざ決めなきゃって思うとわかんないんだ。やりたいことなんてないし、それなら愛香のように無理矢理でも芸能界にいた方が良かった。でもさ、父さんがそれを止めた」
言うことを聞いていれば良かったのだと思う。
空っぽなままなのは怖い。
何かしていた方がいい。
今こうして動いていているのも現実から逃げたい気持ちがあるのかもしれない。
「父さんがどうして芸能界を止めたのかわからないけど、なら僕はどんな仕事が向いているのか。わかんないんだ……」
「……いろんな可能性があるわ」
テレビを見ていた美苗はこちらを向く。眼差しが揺れることはない。それはつまり本音を語る。
「大学に行けば、そう言った悩みに寄り添うカウンセラーの資格も取れる。大学っていう称号だけで有名企業に行けたりする。今も変わらないの」
だけど、と続けた。
「芸能界や小説家は違うの。何か結果を残せば生き残る。その茨の道を乗り越えたのはあなたのお父さん、宏哉と真里さん。リスクのある道をわざわざ選ぶ必要ない。二世だからって必ずしも売れるわけじゃない。多少は優遇してもらえるかもしれない。でもね、愛香ちゃんのように努力していないと実力はない。あなたにその実力があるなら別。宏哉も、もしかしたら本気じゃないものに触れさせたいとは思ってないのかもね」
だって。
「本気なら、とことんやれって宏哉なら言いそうじゃない?」
お金もあって都会に住んでいて人脈もある。
そんな父さんの息子なのだから成長しようもんなら速度は段違いだと美苗はいいたいのだろう。
美苗だからわかることがとことんやれなら、父さんの印象に対する解釈は不一致だ。
世間一般の父さんを示しているような気がして、満足に頷けないが。
「うん!確かに。父さんならそう言ってくれそう」
どこで身につけたのか知りもしない演技で美苗を安心させる。父親譲りの演技力だろうか。
きっとこの発言に不安を抱いていたことは今にも目を逸らしたそうな彼女には十分。
安心したように笑みを浮かべる美苗に安堵する。求められたように言葉を返せたはず。
「相談して良かったかも。家にいたら、進路のことばっかりで。適当なこと言ってはぐらかしてたから……。これから、母さんにちゃんと伝えられる」
「そう。良かった」
風呂場から出る音が聞こえる。愛香が出たらしい。
ソファから立ち上がり、風呂の準備をするためにリビングの扉を開く。
「ねぇ、弁天島は……どうしていくの?」
どうして?
六作目の主人公は海に行きたがって、その先に見つけたのが弁天島。
それはフラフラと歩き続けた先に見えた赤鳥居。橋を渡りきり、海浜公園までくる。
日が上がる頃の赤鳥居はまるで異世界にでも連れて行ってくれるような雰囲気があり妄信的に向かう。
しかし、その日は満潮で海の高さに溺れ、葛藤の末、戻る考えも捨て、死ぬ。死ぬ時はまるで幸せかのような笑顔を見せていたらしい。
「観光名所だし、見てみたくて」
嘘をついた。
しかし、それに気づかなかったのか美苗はそうというだけでそれ以上聞くことはなかった。
準備をしに部屋に戻る。
娯楽として読んでいた小説のモデルが父さんなら、もっと早くに聞いてしまえば良かったと今更後悔する。
この件で理解した。
父さんは死にたい、消えたいという気持ちを理解している。
自殺願望者の気持ちをここまで書き切れるのはその気持ちを知っているから。
五作目との違いは、消えたいか死にたいか。
五作目は死にたくないけど、あの浜名湖の景色を見ていたい気持ちが全面にでていた。
あの景色を見てて飽きないなと思う。
違う角度から見ればまた新しい表情を見せる。それが五作目の主人公の楽しみの一つであったように思う。
ちゃんと区別できていなかったから似てると思って一緒くたに考えてしまったのだ。
二作目、三作目のように。
となるとやはり聞いておきたいのは、あのユーチューバーたちの動画について。
性犯罪と家庭環境。
その関係性をどこでどうやって入手したのか。
SNSで仕事依頼のメアドが添付されていたので、連絡を送った。
彼らを調べていくと浜松在住だということがわかる。
今、浜松にいる僕にとって都合がいい。
コメント欄に、それらしい情報源はない。
この人たちを放っておくのは将来を考えた時に危険な気がした。
僕がどこかで仕事を始めた時、付き纏われたりしたら迷惑だ。
「こんな部屋暗くして、電気つけないの?」
廊下から顔を覗かせる愛香。電気のせいで表情が掴めない。
「あぁ、風呂の準備してた」
「暗かったら準備できなくない?」
「廊下の光があるから大丈夫」
スマホのライトをつけて荷物を取り出す。
「電気つけちゃえばいいのに」
と、部屋の電気をつける。
スマホのライトを切る。思いの外散らかっていた部屋に驚きを隠せない。
「あぁ!?」
慌ててキャリーケースに服などを詰め込んで隠した彼女。
「見た!?」
「いや、何も」
「変態!」
「何も見てないって!」
「そういうの興味あるなら言ってよ!」
「ないって!何言ってんのさっきから!」
「嘘つき」
「嘘じゃない。なんで、愛香のそんなものに興味を示さなきゃならないんだ。ありえない。おかしい」
「……そこまで否定しなくても」
怒っていたくせに今はもう悲しそうな顔をしている。
なぜ?
「興味ないんだぁ……。私のことなんてどうせ……」
「……」
めんど。
「ねぇ、私のこと好き?」
幼馴染で友達のこいつになぜ好きかどうか聞かれなければならないのかわからない。
もしかすると、今日、愛香に伝えたあの言葉、勘違いさせてしまっているのではないだろうか。
「うん」
「本当?」
「うん」
「ん?」
「好きだよ」
好きといえと圧を受けたので言われた通りに答える。
「良かった」
ススっと近づくと膝をついたままハグをする彼女。
何がしたいのか全くわからないけれど、やはり勘違いさせたことだけは確かだった。
彼女は僕のことを恋の対象として好きなのだ。
友達だと思ってた。
「ね、風呂入る前に、してよ」
耳元で囁くと顔を近づけて、待っている。
そう、待っているのだ。
こんなことなら電気くらい消しておくべきだった。
「ばあちゃんにバレるから」
着替えを持って立ち上がる。
「じゃあ」
と、何か言いたそうな彼女。
電気を消して、彼女の前に立ち、人差し指を彼女の口に当てる。
「ん……」
指を離してから、また後でと告げると顔も見ずに風呂に向かった。
これがキスだと思うことはないだろうけれど、時間稼ぎにはなったと思う。
好きじゃないことさえ気づかれなければいい。
だけど、好きな人としたい彼女にとって今の関係性のままでいることは何の問題もない。
今の彼女にとって、あとでしてくれるんじゃないかという気持ちさえ作っておけば、また何度もその流れを作る必要はない。
一体僕はこんな酷いやり方をどこで覚えたというのだろう。
彼女とほとんど接点のなかった中学時代に遡ることになるけれど、父さんの死の真相には関係ないので置いておく。
風呂から出てもユーチューバーたちから連絡はなかった。
すぐに返信が来るわけではないのかと落胆する。
ここさえアポ取って話を聞けたら一気に父さんの死の真相に近づけたと思うのに。
夕飯も摂り終え、歯を磨き寝る準備を済ませた。
布団に座りスマホを操作する。
メールに返信はない。
もう一度送ろうか迷うけれど、彼らも忙しいのだろう。やめた。
「ねぇ、あのさ」
部屋の前でポツンと手をモジモジさせる愛香。
彼女を見やると目が合って、二の句をつぐかと思ったけれど口を閉じてしまった。
何か恥ずかしいのだろうか。
こういう経験初めてだ。
ドアを閉めて、袖で手の甲を隠している彼女は、前の前まで来て座りこむ。
ルームウェアのショートの短パンを履いている彼女の太ももに目がいった。
「どこ見てんの」
「……どうかした?」
以前彼女はキスしたことがないと言っていた。
もしかするとこの先の流れを考えてしまい寝るに寝れないのかもしれない。
先ほど、人差し指を彼女の唇に押し当ててしまったから。
「続きを……その……」
「したいの?」
躊躇わずに言って仕舞えばいいのにと思ったけれど、彼女の気持ちを優先させないと一気に冷めてしまう可能性があるので気を使う。
「でも、私」
「……」
「空もやっぱり、初めて?」
愛香とすることは初めてだ。
頷くと彼女は少し顔を近づけた。
「綺麗な顔してる。食べちゃいたいくらい」
愛情表現が歪んでいるような気がしたけれど、触れない方が身のため。
「私、ずっと好きだったから。もう我慢できないよ」
僕の頬に彼女の手が触れる。
いつか見た光景。
その先があるから躊躇ったりするものらしいけれど。
ゆっくりと丁寧に、静かな音で唇に触れる。
勢いよく体を起こして彼女を壁に押さえつける。
両手を頭の上に右手で壁に押し当てた。
すぐそこにある電気を消して、真っ暗な環境の中、唇に指を触れさせる。
感覚を掴むと彼女の両頬に触れ、唇を奪う。
久しくしていなかった経験。感覚が戻っていくよう。
それからは長く彼女の気持ちに寄り添いながら最後まで終えた。
痛いかどうかも確認したけれど、彼女はそれ以上に求めるようにキスやハグをねだるので指示に従った。
女の気持ちを否定して良かったことなど今まで一度もないのだから。
美苗が寝静まっている間にシャワーを浴びた。愛香も後から浴びていた。
汗かいたまま寝るのは少し嫌だということはお互い同じだった。
布団に入っていると彼女が僕を見ていた。
背を向けて寝ようと目を瞑る。
これを嫌う女が多いのはなぜだろう。知ったことではないとかぶりを振る。
「ねぇ……、背、向けないでよ」
目を開けてしまったとして、彼女には見えないのだから寝てしまえばいい。
「何だかすごく頭がポワポワする。今までしたことなかったから。好きな人とできてなんだか嬉しい」
ガサガサと音がする。
背中に手が触れる。ゾクっとした。愛香がこの後何かしてくるとしても気にしない。無関心でいればいい。
今までと同じように。
なのに、寒気は止まらない。
「もう、寝よう。明日も行きたいところあるからさ」
聞く気のない彼女は爆弾を投下する。
「あのさ、空は経験あるの?手慣れているように見えたから」
これだから女の勘は嫌なのだ。
「ないよ」
振り返って彼女の頬を摘んだ。
「ふぇ」
変な声を出すのは少しでも自分を可愛く見せようとしているだけでそれ以上の感情などないだろう。
「本当?」
「恥ずかしいけど……、今日、結構頑張った」
「……気持ち良くしてくれてありがと。もう一回する?」
「寝てくれ。眠い」
「えー」
グイッと強めにつねると彼女はペシペシ僕の胸を叩いた。
「痛い痛い」
「全く。寝てくれますか?」
「うん、うん!」
「よろしい」
手を離し、背を向けようとする肩を必死に止める彼女。
「向かい合って寝てくれないなら、意地悪する」
女の指示には従っておく。
「わかったよ。おやすみ。愛香」
愛でるように頬を撫でると嬉しそうな声を出す。
犬みたいだ。ペットはこんなにも可愛いのだろうか。
僕の手を頬にすりすりとさせながら目を瞑る彼女。
やはりペットのようだと思う。
挙句、僕の胸に頭をぐりぐりとやりながら眠りにつくあたり本気で惚れさせようとしている。
僕のことが好きというのは自意識過剰でも何でもなく本当のことなんだろう。
考えてみれば、友達くらいであの墓のある寺の前で感情的になるわけがないのだ。
もっと早く気づいていれば、やりようはあったというのに。
愛香には友達として好きだという感情はバレないようにしておこう。
翌朝彼女はまだポワポワしているのか、僕をみるなり恥ずかしそうに部屋でて行ってしまった。
朝というか昼だけど。
美苗には、昨日何があったのか問い詰められるのかと思っていたけれど、そうではなかった。野暮なことは聞かないらしい。
この流れで弁天島に行くのは、デートのようなもの。
赤鳥居まで見に行って海はもはやデートだ。しかも夏。
「水着とか大丈夫?」
美苗はいう。
付き合っているかどうかを聞くよりも先にそれを聞くのは確信したような意味を持つのだろう。
全くお付き合いはしていない。
弁天島に着くと昨日と同様美苗は車にいるという。
彼女は脈絡なく貝殻つなぎをしてきた。
いかんせん付き合っている体にした方が色々都合がいいのでは?
「なんだ愛香。バレちゃってもいいのか?」
イタズラっぽくいうと、思いの外真面目な返しが来た。
「嫌だった?」
離そうとする手をこちらから握る。
「僕は気にしないよ」
「何だよ!」
肩を当てに来る彼女にやられふらつく。
彼女はちょっとと言って握っている手をぐりぐりと痛めつけた。
「あぁぁぁぁぁ!?」
こういう時はSっ気たっぷりなのどうかしている。
しているときは、受け身のくせに。
「昨日の夜、男らしさを感じれてすごく嬉しかったよ?」
耳元で囁く彼女。
もしかして、遊ばれているのは僕の方なのではないだろうかと疑問を抱く。
しかし、腰をつねると変な声を出して顔を真っ赤にする彼女を見て、ただ普段はSっ気があるだけなのだと知る。
「最低!ひどい!人の多い場所で!!この!!」
バシンっと鞭に打たれたような痛みに悶えているとそこに見えてきたのは赤鳥居。
父さんが小説に書いた異世界への扉。
目の前で見てみると大きい。
異世界に行ってしまいそうなほど、圧倒されている。
このまま歩いて向かっていけば、父さんの気持ちを理解できたりするのだろうか。
このシーンさえ父さんのモデルになっているのなら、きっと……。
「そろそろ父さんの死の真相も知るチャンス」
愛香の気持ちは置いておいて、ようやくと言った感じだ。
この先を異世界だと思うほどの精神状態。
海を見た先に見えた弁天島の赤鳥居。
たった一つの言葉ですれ違ってしまう。
愛香は何を思ったのかどんどん距離が近づいていく。
可愛いとは思うけれど、何もそこまでしなくてもいいのではないだろうか。
僕らは友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。
彼女もまた父さんの死の真相を知りたいと協力してくれる。
これ以上、彼女が傷つくような言葉は言わないようにしたい。
大人だと思っていた分、見落としていたことが多かった。
彼女が素直でいられるのは、僕と幼馴染で友達だから。
それを忘れちゃいけない。
五作目の舞台である浜名湖は綺麗な円の形をしているわけもなく入り組んでいて、それなのにツーリングのために道が整備されている。綺麗な道を走るのはとてもいい気持ちなのだろう。
そんな街中を歩く主人公の気持ちは綺麗ではないし、澄んだ海のような輝きもない。
濁っていて、汚い。
気賀駅の方は綺麗に見えるけれど、父さんが見たのはこの辺のはずなのにどうして不一致なのだろう。
そして六作目である舞台は細江町。
井伊谷で有名なイメージがあるけれど、それも随分と前の話。
今は過疎化が進んでいる。
六作目にも気賀が出るのでやはりこのエリアと父さんは何かしらの接点があるはず。
浜名湖よりも海をテーマにしているあたり、訴えたいものがあるのだろう。
『家にいるのに、帰りたいと思う。帰りたいくせに、海に行きたいと思ってしまうのはどうして』
この文章が、主人公の本来の想いが込められているとしたら。
浜名湖を見るだけじゃ足りない何かがある。
モデルが自分として描かれているのなら、父さんのこれまでの行動に何かにヒントがあるのではないかと思う。
しかし、父さんが海に行ったなんて話聞いたことがない。
浜名湖も汚いと父さんは言っていた。
気賀から見る浜名湖は綺麗なのに。
気賀駅にもどり美苗と合流する。
「寸座駅を見に行きたい」
愛香は昔、モデルになったという無人駅に行きたいらしい。
天浜線のため車で向かえばすぐのところにある。
夕暮れ。寸座駅の近くで車を停め、寸座駅に入る。
改札はなく、誰も立ち入ることができるのでズケズケと入っていく。
「緑が綺麗だな」
「ここ、他の作家がモデルにしてたから」
「他の作家ね……」
「関連で出てきたからつい読んでみたの。いい作品だなぁって」
スマホの画面を向け、あらすじを軽く彼女はいう。
なんでもその無人駅では何かすると何かが起きて死んだやつに一回だけ会えるらしい。
「小説ならではの設定だな」
「もし、本当にそんなことできるならどうする?」
「嘘くさいことに付き合いたくない」
「もし本当だったらどうする?」
二度も言う圧に負けた。
「会いたいな……。会って、会ったら……」
何を伝えたらいいだろう。
自殺するほどの精神面。父さんに何を伝えたら傷つかずに笑ってくれるだろう。
三人で食卓を囲んで、笑い合っていた日々。
「また、飯でも食べたいかも」
僕を見やる彼女はクスッと笑った。
「伝えたいことじゃないんだ」
「またなにかできたらいいよ」
風がうるさく吹いている。
髪が靡く。目を細めてしまう。
「あの当時、会話が減った。僕は、中学のやつと遊んでばっかで、母も芸能の仕事を再開させた。父さんは、……小説の創作に行き詰まってた」
「……」
「忙しそうにしてるから……考えないようにした……。終わるまで、一人にさせた方がいい気がして……」
それが間違いだと知るのは、死んでからだった。
あの時、何を思い苦しんでいたのか考えていたら、行動を変えていたら、また別の未来が見えたのだろうか。
「この景色を見て思ったの」
愛香が口を開く。
「私は、あなたとこの景色が見たかった」
「……」
「また見に行きたい。そう思えるのは、死が遠くに感じるからなのかな。また、会えるって勝手に思っちゃってるからなのかな」
「……何があっても生きるよ」
父さんと違うのは、その意思の強さかもしれない。
自殺はしない。生きていたい。
生きて、この世界を知っていきたい。
この景色に何度でも会いたい。
「良かった。空が、死にたいって思ってたらどうしようかと」
お互いに目があう。どちらともなく笑う。
しかし、ふと思う。
父さんが死にたいと思っていたら?
大人な分、知りたくないことも知りたいこともたくさん知ってきたはず。
その過程で、死にたいと思うことはあったのだろうか。
海を見たいのは、そのままの意味じゃなくて、どこでもいいからどこかへ行きたかったのか?
父さんの作品には自傷の描写が多々存在する。
それは、父さん自身も感じていたこと?
いや、そんな話聞いたことがない。
考えすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
「とりあえず戻ろうか」
ぼーっと浜名湖を見ていると電車が来たので車に戻った。
「見たいのは見れた?」
美苗の言葉に愛香はうんと頷いていた。
「綺麗でした。今度、美苗さん一緒に行きましょ」
コミュ力お化けが何やら言っている。
「えぇでも」
「絶対に後悔しないんで!」
「わかったわ、また今度行きましょう」
次があるかわからないと言っていた割に、約束を取り付けるあたり。
これが社交辞令なのかどうかは置いておこう。
「ここ、無人駅じゃないよな。人いるし」
「車通りは多いね」と、美苗。
「ちょっと。つまんないこと言わないでよ」
愛香は、ムッと言い返していた。
「だって、本当じゃん。めっちゃ通ってる」
「……それはそうだけど」
「空、宏哉に似てきたわね」
ルームミラー越しに目が合う。
細めている目には、僕に父さんの面影を重ねているからなのかもしれない。
そう思ってしまうのはきっと、どこかでこの目を見たことあるから。誰がこんな目で見ていたのか思い出せない。
「誰かに襲われないといいわ……」
ボソッとつぶやく声は僕らに届いていた。
「え、私が何かするとでも!」
愛香は怒っているわけではないのだろうが、面白くしようとしているわけでもない。
それはつまり、圧があるわけで。
「そうじゃないわ」
「ですよね」
チラッと僕を見る彼女。言い返せずにいると彼女は僕の腕を殴った。
……なんでぇ!?
「ありえない。最低」
やはりさっきから様子がおかしい。
え、僕ら友達でしょ?
「ごめん」
わからないが、謝っておいた方がいいと言うのは父さんの教え。
「気持ちがこもってない」
「……ごめん」
父さんの教え、本当に正しいのだろうか。
死んでる父さんが、生きてほしいと願う小説を書いている時点で説得力はない。
笑えないジョークだ。
「気持ち込めるの上手だね」
それは褒めてるわけではなかった。
故に、殴られるのも察するわけで。
「痛っっっっ!!」
美苗は後ろのやりとりに興味がないのか、家に引き返した。
夕方はやることがない。愛香が風呂に入っている間にリビングのソファに腰をかける美苗と話す。
「今日はありがと」
「いいえ」
「あのさ、明日、弁天島の方へ行きたいんだけど」
「弁天島?」
今日行った気賀駅とは真逆の方向で海が近い。と言うより、すぐそこだ。
「明日、空いてたりする?」
「ええ、もちろん」
どうやって生計を立てているの?と聞いてみたかったけれど、ふれぬ神に祟りなし。
愛香のように叩かれたくないので、聞くのはやめた。
「良かった。じゃあ」
「昼頃でいい?」
「うん」
耳を澄ます。風呂場の方からシャワーの音が聞こえる。
まだ出てくることはないだろう。
「ばあちゃん、襲われるって何?」
立ったまま動かない僕とようやく目を合わせた美苗。
「帰り、愛香が反応しなければ聞くつもりはなかったんだけどさ」
「なんの話?」
「ううん。父さんと同じ道を辿って欲しくないってどう言うことかなって。僕が、芸能界に入ると思ってる?」
どちらかといえば、小説家だろうか。
「そう言うことよ。芸能界に入るものじゃない。今、働かなくても生計が立てられるのは宏哉の仕送りがあるからよ」
「仕送り?」
「えぇ。親孝行だと思うわ」
テレビに目を向ける美苗は、それ以上答えるつもりはなさそうだった。
「そか。忠告ありがとね」
それが嘘だと言うことくらいよくわかっていた。
人は、嘘をつく時目が合わない。最初から目を合わせなければ嘘か本当かもわからない。
しかし、襲われると言った時に目があって、視線が少し揺れたのは見逃さなかった。
決定的な証拠を見つけて突き出せば、必ず美苗は口を開く。
それまでは下手に問い詰めたりしない。
「隣、座っていい」
不自然に終わるくらいなら話を続ける。コミュニケーション能力はこう言う時に役に立つ。
「僕は、夢がないんだ」
ソファに座る。美苗の言葉に聞く気はない。
「将来どうしたらいいかわからない。未来ってなんだろう。夢ってなんだろう。最近ずっと考えてる」
自己開示をすれば、人は心をゆるす。弱音を吐くことは自分を有利に持っていくために必要だと心理学の本に書いてあった。
「だから、前を向くために父さんの死の真相を知ろうと思った。そしたら、少しは身が軽くなるのかなって。気持ちは和らぐかなって」
アドバイスをもらえたらそれでいい。実際、将来どうしたらいいのかわからないのだから。
「夢は大事って聞くけどさ。時間が経っていざ決めなきゃって思うとわかんないんだ。やりたいことなんてないし、それなら愛香のように無理矢理でも芸能界にいた方が良かった。でもさ、父さんがそれを止めた」
言うことを聞いていれば良かったのだと思う。
空っぽなままなのは怖い。
何かしていた方がいい。
今こうして動いていているのも現実から逃げたい気持ちがあるのかもしれない。
「父さんがどうして芸能界を止めたのかわからないけど、なら僕はどんな仕事が向いているのか。わかんないんだ……」
「……いろんな可能性があるわ」
テレビを見ていた美苗はこちらを向く。眼差しが揺れることはない。それはつまり本音を語る。
「大学に行けば、そう言った悩みに寄り添うカウンセラーの資格も取れる。大学っていう称号だけで有名企業に行けたりする。今も変わらないの」
だけど、と続けた。
「芸能界や小説家は違うの。何か結果を残せば生き残る。その茨の道を乗り越えたのはあなたのお父さん、宏哉と真里さん。リスクのある道をわざわざ選ぶ必要ない。二世だからって必ずしも売れるわけじゃない。多少は優遇してもらえるかもしれない。でもね、愛香ちゃんのように努力していないと実力はない。あなたにその実力があるなら別。宏哉も、もしかしたら本気じゃないものに触れさせたいとは思ってないのかもね」
だって。
「本気なら、とことんやれって宏哉なら言いそうじゃない?」
お金もあって都会に住んでいて人脈もある。
そんな父さんの息子なのだから成長しようもんなら速度は段違いだと美苗はいいたいのだろう。
美苗だからわかることがとことんやれなら、父さんの印象に対する解釈は不一致だ。
世間一般の父さんを示しているような気がして、満足に頷けないが。
「うん!確かに。父さんならそう言ってくれそう」
どこで身につけたのか知りもしない演技で美苗を安心させる。父親譲りの演技力だろうか。
きっとこの発言に不安を抱いていたことは今にも目を逸らしたそうな彼女には十分。
安心したように笑みを浮かべる美苗に安堵する。求められたように言葉を返せたはず。
「相談して良かったかも。家にいたら、進路のことばっかりで。適当なこと言ってはぐらかしてたから……。これから、母さんにちゃんと伝えられる」
「そう。良かった」
風呂場から出る音が聞こえる。愛香が出たらしい。
ソファから立ち上がり、風呂の準備をするためにリビングの扉を開く。
「ねぇ、弁天島は……どうしていくの?」
どうして?
六作目の主人公は海に行きたがって、その先に見つけたのが弁天島。
それはフラフラと歩き続けた先に見えた赤鳥居。橋を渡りきり、海浜公園までくる。
日が上がる頃の赤鳥居はまるで異世界にでも連れて行ってくれるような雰囲気があり妄信的に向かう。
しかし、その日は満潮で海の高さに溺れ、葛藤の末、戻る考えも捨て、死ぬ。死ぬ時はまるで幸せかのような笑顔を見せていたらしい。
「観光名所だし、見てみたくて」
嘘をついた。
しかし、それに気づかなかったのか美苗はそうというだけでそれ以上聞くことはなかった。
準備をしに部屋に戻る。
娯楽として読んでいた小説のモデルが父さんなら、もっと早くに聞いてしまえば良かったと今更後悔する。
この件で理解した。
父さんは死にたい、消えたいという気持ちを理解している。
自殺願望者の気持ちをここまで書き切れるのはその気持ちを知っているから。
五作目との違いは、消えたいか死にたいか。
五作目は死にたくないけど、あの浜名湖の景色を見ていたい気持ちが全面にでていた。
あの景色を見てて飽きないなと思う。
違う角度から見ればまた新しい表情を見せる。それが五作目の主人公の楽しみの一つであったように思う。
ちゃんと区別できていなかったから似てると思って一緒くたに考えてしまったのだ。
二作目、三作目のように。
となるとやはり聞いておきたいのは、あのユーチューバーたちの動画について。
性犯罪と家庭環境。
その関係性をどこでどうやって入手したのか。
SNSで仕事依頼のメアドが添付されていたので、連絡を送った。
彼らを調べていくと浜松在住だということがわかる。
今、浜松にいる僕にとって都合がいい。
コメント欄に、それらしい情報源はない。
この人たちを放っておくのは将来を考えた時に危険な気がした。
僕がどこかで仕事を始めた時、付き纏われたりしたら迷惑だ。
「こんな部屋暗くして、電気つけないの?」
廊下から顔を覗かせる愛香。電気のせいで表情が掴めない。
「あぁ、風呂の準備してた」
「暗かったら準備できなくない?」
「廊下の光があるから大丈夫」
スマホのライトをつけて荷物を取り出す。
「電気つけちゃえばいいのに」
と、部屋の電気をつける。
スマホのライトを切る。思いの外散らかっていた部屋に驚きを隠せない。
「あぁ!?」
慌ててキャリーケースに服などを詰め込んで隠した彼女。
「見た!?」
「いや、何も」
「変態!」
「何も見てないって!」
「そういうの興味あるなら言ってよ!」
「ないって!何言ってんのさっきから!」
「嘘つき」
「嘘じゃない。なんで、愛香のそんなものに興味を示さなきゃならないんだ。ありえない。おかしい」
「……そこまで否定しなくても」
怒っていたくせに今はもう悲しそうな顔をしている。
なぜ?
「興味ないんだぁ……。私のことなんてどうせ……」
「……」
めんど。
「ねぇ、私のこと好き?」
幼馴染で友達のこいつになぜ好きかどうか聞かれなければならないのかわからない。
もしかすると、今日、愛香に伝えたあの言葉、勘違いさせてしまっているのではないだろうか。
「うん」
「本当?」
「うん」
「ん?」
「好きだよ」
好きといえと圧を受けたので言われた通りに答える。
「良かった」
ススっと近づくと膝をついたままハグをする彼女。
何がしたいのか全くわからないけれど、やはり勘違いさせたことだけは確かだった。
彼女は僕のことを恋の対象として好きなのだ。
友達だと思ってた。
「ね、風呂入る前に、してよ」
耳元で囁くと顔を近づけて、待っている。
そう、待っているのだ。
こんなことなら電気くらい消しておくべきだった。
「ばあちゃんにバレるから」
着替えを持って立ち上がる。
「じゃあ」
と、何か言いたそうな彼女。
電気を消して、彼女の前に立ち、人差し指を彼女の口に当てる。
「ん……」
指を離してから、また後でと告げると顔も見ずに風呂に向かった。
これがキスだと思うことはないだろうけれど、時間稼ぎにはなったと思う。
好きじゃないことさえ気づかれなければいい。
だけど、好きな人としたい彼女にとって今の関係性のままでいることは何の問題もない。
今の彼女にとって、あとでしてくれるんじゃないかという気持ちさえ作っておけば、また何度もその流れを作る必要はない。
一体僕はこんな酷いやり方をどこで覚えたというのだろう。
彼女とほとんど接点のなかった中学時代に遡ることになるけれど、父さんの死の真相には関係ないので置いておく。
風呂から出てもユーチューバーたちから連絡はなかった。
すぐに返信が来るわけではないのかと落胆する。
ここさえアポ取って話を聞けたら一気に父さんの死の真相に近づけたと思うのに。
夕飯も摂り終え、歯を磨き寝る準備を済ませた。
布団に座りスマホを操作する。
メールに返信はない。
もう一度送ろうか迷うけれど、彼らも忙しいのだろう。やめた。
「ねぇ、あのさ」
部屋の前でポツンと手をモジモジさせる愛香。
彼女を見やると目が合って、二の句をつぐかと思ったけれど口を閉じてしまった。
何か恥ずかしいのだろうか。
こういう経験初めてだ。
ドアを閉めて、袖で手の甲を隠している彼女は、前の前まで来て座りこむ。
ルームウェアのショートの短パンを履いている彼女の太ももに目がいった。
「どこ見てんの」
「……どうかした?」
以前彼女はキスしたことがないと言っていた。
もしかするとこの先の流れを考えてしまい寝るに寝れないのかもしれない。
先ほど、人差し指を彼女の唇に押し当ててしまったから。
「続きを……その……」
「したいの?」
躊躇わずに言って仕舞えばいいのにと思ったけれど、彼女の気持ちを優先させないと一気に冷めてしまう可能性があるので気を使う。
「でも、私」
「……」
「空もやっぱり、初めて?」
愛香とすることは初めてだ。
頷くと彼女は少し顔を近づけた。
「綺麗な顔してる。食べちゃいたいくらい」
愛情表現が歪んでいるような気がしたけれど、触れない方が身のため。
「私、ずっと好きだったから。もう我慢できないよ」
僕の頬に彼女の手が触れる。
いつか見た光景。
その先があるから躊躇ったりするものらしいけれど。
ゆっくりと丁寧に、静かな音で唇に触れる。
勢いよく体を起こして彼女を壁に押さえつける。
両手を頭の上に右手で壁に押し当てた。
すぐそこにある電気を消して、真っ暗な環境の中、唇に指を触れさせる。
感覚を掴むと彼女の両頬に触れ、唇を奪う。
久しくしていなかった経験。感覚が戻っていくよう。
それからは長く彼女の気持ちに寄り添いながら最後まで終えた。
痛いかどうかも確認したけれど、彼女はそれ以上に求めるようにキスやハグをねだるので指示に従った。
女の気持ちを否定して良かったことなど今まで一度もないのだから。
美苗が寝静まっている間にシャワーを浴びた。愛香も後から浴びていた。
汗かいたまま寝るのは少し嫌だということはお互い同じだった。
布団に入っていると彼女が僕を見ていた。
背を向けて寝ようと目を瞑る。
これを嫌う女が多いのはなぜだろう。知ったことではないとかぶりを振る。
「ねぇ……、背、向けないでよ」
目を開けてしまったとして、彼女には見えないのだから寝てしまえばいい。
「何だかすごく頭がポワポワする。今までしたことなかったから。好きな人とできてなんだか嬉しい」
ガサガサと音がする。
背中に手が触れる。ゾクっとした。愛香がこの後何かしてくるとしても気にしない。無関心でいればいい。
今までと同じように。
なのに、寒気は止まらない。
「もう、寝よう。明日も行きたいところあるからさ」
聞く気のない彼女は爆弾を投下する。
「あのさ、空は経験あるの?手慣れているように見えたから」
これだから女の勘は嫌なのだ。
「ないよ」
振り返って彼女の頬を摘んだ。
「ふぇ」
変な声を出すのは少しでも自分を可愛く見せようとしているだけでそれ以上の感情などないだろう。
「本当?」
「恥ずかしいけど……、今日、結構頑張った」
「……気持ち良くしてくれてありがと。もう一回する?」
「寝てくれ。眠い」
「えー」
グイッと強めにつねると彼女はペシペシ僕の胸を叩いた。
「痛い痛い」
「全く。寝てくれますか?」
「うん、うん!」
「よろしい」
手を離し、背を向けようとする肩を必死に止める彼女。
「向かい合って寝てくれないなら、意地悪する」
女の指示には従っておく。
「わかったよ。おやすみ。愛香」
愛でるように頬を撫でると嬉しそうな声を出す。
犬みたいだ。ペットはこんなにも可愛いのだろうか。
僕の手を頬にすりすりとさせながら目を瞑る彼女。
やはりペットのようだと思う。
挙句、僕の胸に頭をぐりぐりとやりながら眠りにつくあたり本気で惚れさせようとしている。
僕のことが好きというのは自意識過剰でも何でもなく本当のことなんだろう。
考えてみれば、友達くらいであの墓のある寺の前で感情的になるわけがないのだ。
もっと早く気づいていれば、やりようはあったというのに。
愛香には友達として好きだという感情はバレないようにしておこう。
翌朝彼女はまだポワポワしているのか、僕をみるなり恥ずかしそうに部屋でて行ってしまった。
朝というか昼だけど。
美苗には、昨日何があったのか問い詰められるのかと思っていたけれど、そうではなかった。野暮なことは聞かないらしい。
この流れで弁天島に行くのは、デートのようなもの。
赤鳥居まで見に行って海はもはやデートだ。しかも夏。
「水着とか大丈夫?」
美苗はいう。
付き合っているかどうかを聞くよりも先にそれを聞くのは確信したような意味を持つのだろう。
全くお付き合いはしていない。
弁天島に着くと昨日と同様美苗は車にいるという。
彼女は脈絡なく貝殻つなぎをしてきた。
いかんせん付き合っている体にした方が色々都合がいいのでは?
「なんだ愛香。バレちゃってもいいのか?」
イタズラっぽくいうと、思いの外真面目な返しが来た。
「嫌だった?」
離そうとする手をこちらから握る。
「僕は気にしないよ」
「何だよ!」
肩を当てに来る彼女にやられふらつく。
彼女はちょっとと言って握っている手をぐりぐりと痛めつけた。
「あぁぁぁぁぁ!?」
こういう時はSっ気たっぷりなのどうかしている。
しているときは、受け身のくせに。
「昨日の夜、男らしさを感じれてすごく嬉しかったよ?」
耳元で囁く彼女。
もしかして、遊ばれているのは僕の方なのではないだろうかと疑問を抱く。
しかし、腰をつねると変な声を出して顔を真っ赤にする彼女を見て、ただ普段はSっ気があるだけなのだと知る。
「最低!ひどい!人の多い場所で!!この!!」
バシンっと鞭に打たれたような痛みに悶えているとそこに見えてきたのは赤鳥居。
父さんが小説に書いた異世界への扉。
目の前で見てみると大きい。
異世界に行ってしまいそうなほど、圧倒されている。
このまま歩いて向かっていけば、父さんの気持ちを理解できたりするのだろうか。
このシーンさえ父さんのモデルになっているのなら、きっと……。
「そろそろ父さんの死の真相も知るチャンス」
愛香の気持ちは置いておいて、ようやくと言った感じだ。
この先を異世界だと思うほどの精神状態。
海を見た先に見えた弁天島の赤鳥居。