夜更けになって帰宅した焔も、叶斗の姿を見て涙を滲ませた。
 ぎゅっと弟を抱きしめた焔の姿に、緋雨は心底よかったなと感じる。そのまま焔が緋雨を見たので目が合うと、優しい笑顔を向けられた。

「ありがとう、緋雨」
「いいえ。本当によかったです。私もどうして急に使えたのかは分からないのですけれど……叶斗くんが治ってよかった」
「その件なんだが、悪いがこれから、他の十一人の家も回って、力を使って欲しい」
「勿論です」

 緋雨が頷くと、焔は叶斗を見た。

「すまないな。叶斗、今日はゆっくり寝るように」
「うん!」

 こうして二人で馬車に乗り込んだ。すると隣で焔が話し始めた。

「今、紅飛沫家に家宅捜索が入っているんだ」
「そうなの?」
「ああ。そこの地下で、病に出る模様と同じ黒い兎の模様が刻まれた人型が丁度十二体見つかっていて、一つが壊れていた。その壊れたものは、呪い返しをされた――即ち浄癒の力で病を撥ね除けた叶斗のものだろう」

 つらつらとそう語る焔の顔は真剣だ。

「他に、申し訳ないが神屋敷家にも捜索が入った」
「いえ、当然だと思います」
「そこで、多恵夫人が証言した。本来ならば十四歳から十六歳で発現する異能――浄癒の力を封じるために、家にハンカチを置いていたと。勿論、緋雨の力のことだ」
「!」
「そのハンカチから離れて、今、俺の屋敷で過ごしていたから、本来の力が、封じられていた力が発現したんだ」

 驚きつつも緋雨は、その結果叶斗を助けられて本当によかったと考えた。

「黒兎病になったのは全て、軍のあやかし対策部隊の家の者だ。特定個人までは呪えなかったせいで、家族に呪術の結果が出たのだろうな」
「そうだったんですね……」
「ただし、捕らえた紅飛沫家の現当主の雷我が、解呪法を吐かない。だから、緋雨の手が必要だ」
「私に出来ることならば」

 こうして、二人で他の罹患者達をこの夜治して回った。
 幸い生存者は全て目を覚ました。先に亡くなっていた者はどうしようもないが、つなげる命はつないだといえる。

 朝方。
 まだ月が見える頃に帰宅した二人は、居室でほっと息をつきながら緑茶を飲んだ。

「浄癒の力で助けてくれて、ありがとう。緋雨」
「お礼を言われることではないです。私は出来ることをしただけだから」
「そうか」

 微笑した焔に頷き返し、緋雨は緑茶を飲み込む。

「それと、酷なことを言うかも知れないが、多恵夫人と主犯の雷我は拘束されたという一報が入った。今後は悠奈嬢も軍の監視下に置かれることになる」
「……っ」
「ただ、俺はそれでよかったと思っている。何故ならば、彼らは緋雨を虐げてもいたのだから。法が許しても、俺は許す気は無い」
「焔様……」

 焔にじっと見つめられた緋雨は、目が潤んでくるのを感じた。もう、どうやら焔があやかし達に聞いたらしく、自分の境遇を知っていたのは理解している。

「賢は未来が見える式神だ。だからこれを予期して、俺にお前を迎えに行くなと話していたらしいが――やはり俺は、行かなかったことを後悔しない日はない。許してくれ」
「いいえ、いいえ! 来て下さいました。それに、それに、みんな助かって、それで……私は、今、幸せです。なにより焔様の隣にいられるのだから」

 目を潤ませながら緋雨が告げると、立ち上がった焔が、緋雨の隣に座った。
 そして肩を抱き寄せる。

「ああ。生涯、隣にいよう。これからは、俺がお前を守るからな」

 その言葉に、小さく緋雨が頷く。するとその頬に触れてから、焔が緋雨の唇に、口づけを落とした。



 叶斗の快癒の一報を聞いた一週間後、焔の両親が帰国した。
 馬車で帰ってきた二人を、玄関に立ち、焔と叶斗と共に、並んで緋雨は出迎える。

「叶斗!」

 母である美野里(みのり)が、叶斗を抱きしめた。その隣から、二人ごと父の安都真(あずま)が抱きしめる。二人とも涙を目に滲ませてから、緋雨を見た。

「久しぶりだね、緋雨ちゃん」

 最初にそう声をかけたのは安都真だ。

「本当に、美人になって、まぁまぁ昔の面影もあって、まぁまぁ」

 続いて美野里がそう言った。
 記憶の中にある焔の両親と変わらぬ姿に、懐かしさを覚えながら緋雨は微笑する。

「ご無沙汰しております、緋雨です」

 すると焔が緋雨の肩を抱いた。

「プロポーズは済んでる。あとは祝言だけだ」

 それを聞くと、安都真が笑う。

「それは早くしなければ。焔? こんなに良い()に逃げられたら大変だぞ? 私も美野里を愛しているが、美野里に逃げられてしまったら泣いてしまう」
「あらまぁ、旦那様? 義父が鬱陶しいからと緋雨さんが逃げてしまったらどうするの? 私は緋雨さんを実の娘のように既に思っているけれど」

 美野里もころころと笑った。

「――緋雨。俺の気持ちは固まっている。お前は?」
「私も……いつでも構いません」

 緋雨は勇気を出して、答えた。すると焔が満面の笑みに変わった。
 冬空の下は寒かったけれど、心が温かい。
 緋雨が穏やかな気持ちで両頬を持ち上げると、不意にその頬に焔が口づけた。

「み、みんなの前です……!」
「見せつけないとな」

 焔が悪戯っぽく笑う。すると焔の両親と弟がくすくすと笑ったのだった。