「これから東の邸宅に行くところです。それでは」
「は、東ぃ?」

 会釈して逃げようとすると、紅牙の瞳孔がカッと開いた。

「蒼樹のところに何しに行くんだ? まさか、あいつに囲われるつもりか?」

 さっきまでとうってかわって、紅牙の声がものすごく不機嫌になる。

「いえ。今日の残り物の米をもらいに行くだけです」
「米? 食べ物に不自由してるのか? それなら俺のところで面倒見てやるよ」

 そう言うと、紅牙が陽葉をひょいっと肩に担ぎ上げる。その拍子に、手からお櫃が転がり落ちた。

「だ、大丈夫です。おろしてください。私はここで何も不自由はしていないので……」
「遠慮しないでいい。おまえは少し軽すぎる。俺のところにくれば、米だって肉だって好きなだけ食わせてやれるぞ」

 ジタバタする陽葉を担いで、紅牙が西の邸宅を出ようとしたとき。

 バシンッ。

 あたりに、ものすごい音が響いた。

「ねえ、紅牙。誘拐って言葉知ってる?」

 回れ右した紅牙と、その肩の上で目を見開く陽葉の前には邸宅の戸にもたれかかる黄怜の姿。

 にっこりと口端を引き上げて首をかしげているが、怖いくらいに目が座っている。

「誘拐? んなわけねえだろ。陽葉が俺のところに来たがってるんだ。なあ、陽葉」

 紅牙が歯を見せてにこっと笑いかけてくる。

 ぶんぶんと首を横に振ると、紅牙が舌打ちして陽葉をおろした。

「今日もダメか……いつになったら、南の邸宅に来てくれるんだよ」
「紅牙のところには一生行かないと思うよ」
「黄怜には聞いてねえよ。おまえこそ、わざわざ外まで止めに出てくるなんて、ずいぶん陽葉に執着してるんだな」
「そんなわけないでしょ。僕はただ、自分のミスの修正をしてるだけ。その子はもともとここに来る予定じゃなかったんだよ。無事に帰す日まで保護しなきゃ」
「本気でそんなこと思ってるのか?」

 ふんっと笑う紅牙を、黄怜がにらむ。

 陽葉が紅牙と黄怜のにらみ合いにおろおろしていると、不意に空気がピリッと張り詰めた。

「最近の西の邸宅は騒がしいな」

 抑揚のない話し方。身体の中心に響いてくるような低い声。何の前触れもなく、ふらりと白玖斗が姿を現した。

「白玖斗、今日もこれから石祠(せきし)に参るのか? 毎日よく飽きもせずに続くなあ」

 呆れ顔で肩をすくめる紅牙に、白玖斗は口端を引きあげる。ふとした表情のひとつひとつが、陽葉の視線を惹きつけた。