「ちょっと待ちましょうか、紅牙。抜け駆けはいけません。それに、彼女にも選ぶ権利がありますよ」

 無害そうな優しい笑顔で、蒼樹が紅牙の腕から陽葉を乱暴にもぎ取る。

「すみませんねえ、陽葉さん。いきなり、何の説明もなく。見た目のとおり、紅牙は自分本位で強引なもので」
「陽葉は俺のだ。返せ、蒼樹」
「そういうわけにはいきません。陽葉さんがここに残るつもりなら、私も彼女がほしいので」

 苛立たしそうに舌打ちをする紅牙に、蒼樹が楽しげに微笑んでみせる。

「ふざけんな。前の花嫁も結局蒼樹が持ってっただろう。だから今度は俺の番だ」
「それは紅牙が荒っぽいから嫌われたのでしょう。何度も言いますが、ここに留まるかどうかを決めるのは陽葉さんです」

 落ち着いた声と笑顔で紅牙を黙らせると、蒼樹が陽葉を見て、ゆるりと口端を引き上げた。

「この島に送られてきた花嫁は、なぜか皆、恐ろしい龍の化け物に喰われてしまうと思っています。陽葉さん、貴女もそう思っていたでしょう? けれど、それは正しくありません」

 龍神島に存在するのは、人里で五頭龍と呼ばれる者たち。白玖斗(はくと)蒼樹(そうじゅ)紅牙(こうが)黄怜(きれん)の四人の龍神だ。

 彼らは兄弟で、白玖斗を頭領として、千年以上の昔から龍神島と周囲の海を支配してきた。

 暴れ龍だった彼らのもとに、あるとき天から遣わされた女が現れた。その女の名が天音(あまね)

 彼女は五頭龍に海の平和を守ることを約束させて、白玖斗の花嫁となった。それ以降、海の平穏は守られてきたが、彼女の命が尽きて消えるとふたたび海が荒れ始めた。

 天音を愛していた白玖斗の力は、彼女の喪失により衰えてしまったのだ。

 年を追うごとに弱まっていく白玖斗の力を補うために呼ばれることになったのが、龍神島の花嫁。

 十年に一度、黄怜の眼が海の村の娘から花嫁を見極める。選ばれるのは、生まれながらに強い霊力を持った者。

 海が凪ぐ朔の夜、白玖斗は海の村からきた花嫁から霊力を受けとる。定期的に霊力を受け取らなければ、白玖斗の神力はやがて尽きてしまうからだ。

 龍神島と陽葉の育った村の周囲は、海があまり穏やかではない。それでも村の人たちは近海であれば漁を行うことができる。

 それは、白玖斗の神力で海を押さえているからだ。

 もし白玖斗の神力が尽きれば、島と村を嵐が襲い、一瞬のうちに海に呑み込まれる。

 龍神島と村を守るために、人間の花嫁の霊力は必要不可欠なのだ。

 白玖斗に霊力を渡したあと、花嫁にはふたつの選択肢が与えられる。

 ひとつは、龍神島での記憶を消して、次にくる朔の夜に人里に帰ること。

 もうひとつは、龍神島に残り、五頭龍の誰かの妻となり、生涯を捧げること。

 これまで人里に戻った花嫁は数人。ほとんどの花嫁は、龍神島に残り、蒼樹や紅牙の邸宅で不自由ない生活を送っているという。