花婿が入ってくる――。

 陽葉は両手を揃えて前につくと、姿勢を低くした。その前を、花婿が菫色の着物の裾を引きずって悠然と歩いていく。

 しばらくして、とすん、と隣に座る気配があった。

「白玖斗、その格好……全然準備できてないじゃねえか」

 頭を下げたままでいる陽葉の耳に、紅牙の呆れ声が届く。

「準備なら、もうできているが」

 応えたのは、気怠げな低い声。すぐ隣で聞こえた声に、陽葉の肌がブワッと粟立った。

 初めて聞く声のはず。それなのに、顔もまだ見ぬ男の声に、なぜか全身を震わすようななつかしさを感じる。

「どこが準備できてるんだよ。おもいっきり普段着じゃねえか。儀式なんだから、少しは体裁を気遣えよ」
「……紅牙、おまえは見かけに反して細かいことにうるさいな。毎回、わざわざ大袈裟に儀式を行う意味がわからん。人間の娘から霊力を受け取れさえすれば、体裁などどうでもいいだろう」

 紅牙の言葉を、白玖斗と呼ばれた花婿がふんっとあしらう。それから身体を陽葉のほうに向けると、面倒くさそうに「それで……?」と続けた。

「おまえはいつまでそうしている。それでは、儀式が始まらない」

 不躾にそう言われて、陽葉はおそるおそる顔をあげた。両手はまだ膝の前でついたまま、顔だけを白玖斗のほうに向ける。

 その瞬間、彼の金色の瞳と真っ直ぐに視線がぶつかって、陽葉の身体にビリッと電流が走った。

 銀の髪に、額の金のツノ。前髪の隙間から覗く切れ長の目。この島で出会った男たちはみんな整った顔立ちをしているが、特に白玖斗には人間離れした鋭く透明な美しさがある。

 入り江の洞窟に迷い込んだとき、震えるほどの威圧感のある瞳で陽葉を突き刺してきたのは間違いなくこの男だ。

 白玖斗を見上げた姿勢で固まっていると、彼の瞳孔がわずかに開く。それから、何かに引き寄せられたかのように白玖斗が陽葉の髪に手を伸ばしてきた。

 爪の長い、大きな手が、陽葉の耳を覆うようにして横顔に触れる。

 体温のあまり感じられない冷たい手。鋭いまなざしに囚われて、ビクッと肩を震わせた陽葉に白玖斗が顔を近付けて迫ってきた。

 鼻先をくすぐる、甘い花のような香のにおい。

 白玖斗の薄い唇がわずかに開くのが見えて、陽葉は咄嗟に目を閉じた。

 接吻される――。

 だが、陽葉の唇が奪われることはなかった。