Get rid of anger 〜怒り狩〜

 『Get rid of anger』という新作スマホゲームが、今、巷を賑わしている。

 と言っても、まだ、誰のスマホにも入っていないだろう。

 このゲームは、1ヶ月前からリリース予告と銘打って、至るところで宣伝を開始。その宣伝内容が、多くの注目を集めていた。

 大々的に宣伝をしているにも関わらず、ゲーム内容は、一切明かされず、先行予約ダウンロードなども行われない。

 そんなよく分からないゲームが、なぜリリース前から注目を集めているかと言うと、理由は、初回イベントの報酬にある。

 リリース開始とともに始まるイベントで得られる最高報酬は、1000万AG。

 これは、ゲーム内のポイントらしいのだが、なんと、このポイント、ゲーム内で日々変動するレートに従って現金に還元ができるようだ。イベント開始時点でのレートは、1AG=1円。つまり、初回イベントをクリアすると、最高額で1000万円が手に入ると言うのである。

 現金還元が出来るとあって、意欲的にリリースを待つ者、胡散臭いと訝しむ者、様々な意見や憶測が、SNSのみならず、動画配信やテレビ、巷の噂話に至るまで、(あら)ゆる所で話題に上っていた。

 人々の関心を集めるそのゲームは、リリース開始とともに、ユーザーが、一斉にダウンロードを開始することになっている。

 そんな事をすれば、サーバーがパンクし、ほとんどの人が、スムーズにダウンロードを行えない事は、火を見るより明らかなのだが、その混乱すらも、ゲームイベントに組み込まれているらしい。

 リリースを記念し、配信開始とともに行われる初回イベントは、参加可能人数が100人限定と決められており、いち早くクリアできた5名だけに特別なプレミアイベントが解放され、特別報酬が与えられるという触れ込みなのだ。

 この特別報酬が、おそらく、1000万だろうとの大方の予想である。

 そんな一攫千金を狙えるビッグイベントに、僕は、もちろん参戦するつもりだ。そのためにも、準備に抜かりはない。

 どんな準備かと言えば、もちろんリリースと同時のスタートダッシュ&クリアを決めるための準備である。

 配信開始は、今日の深夜3時。類をみない時間設定は、おそらくは、回線の混雑緩和と参加者を減らす狙いがあるのだろう。

 僕は来るべき時間に備えて、前日の夜7時には就寝した。

 アラームが鳴り、勢いよく目を開ける。時刻は午前2時50分。

 まもなく、一攫千金を夢見た、熾烈な戦いが始まろうとしていた。
 スマホの時計が深夜3時を告げる。

 それと同時に、僕は、アプリのダウンロードを開始した。しかし、深夜にも関わらず、やはり回線が混み合っているのか、なかなかダウンロードができない。予想していたことではあるけれど、何度もダウンロードに失敗。

 スマホ上部に表示されている時計を睨む。時間だけが刻々と過ぎていき、気持ちばかりが焦る。

 しかし、焦ったところで、スマホ画面には、もう何度目になるかわからないダウンロード待機を示す画面が、呑気にクルクルと廻り続けるばかりだった。

 ゲームの配信開始から30分が経った頃、ようやく、ダウンロード完了の文字が表示された。

「よしっ!」

 僕は小さくガッツポーズをすると、急いで、アプリをタップ。待ちに待ったゲームスタートである。

 先ずは、《《故人》》ステータスの入力っと……

「表記、いきなり間違ってるじゃん。まぁ、リリース直後だし、しょうがないか。後で、余裕ができたら、運営に報告しよ」

 1人でぶつぶつと言いながら、個人ステータスである、名前と生年月日、居住区の入力を手早く終える。すると、小気味良い音楽とともに、ブラックホールに吸い込まれていくような演出画面に切り替わり、表示されていた個人ステータスが、グニャリと飲み込まれていった。

 個人ステータスが全て飲み込まれ、暗転した画面には、次第にゆっくりと文字が浮かび上がってきた。

“現在イベント開催中
現在の参加人数 98人
クリア人数   0人
イベントに参加されますか?
参加希望の方は、スタートボタンを押してください”

 本編開始よりも、先にイベントの参加希望の確認なんて、変わった作り方をしてるなと瞬間的に思うが、アレコレと考えている暇はない。一攫千金を狙うには、イベントをクリアしてさらに、プレミアイベントに参加しなくてはいけないのだ。

 イベントクリア者はまだ出ていない。プレミアイベントへの参加は、まだ可能だ。

 僕は、表示されたイベントスタートボタンを勢いよく押す。すると、それを合図に、デフォルメされた悪魔のような黒い衣装を纏ったキャラが画面に現れた。

 悪魔が、ケケケと意地悪そうに笑いながら大鎌を振るう。

 悪魔の大鎌に斬られた画面は粉々に砕け散るエフェクトを撒き散らしながら、新たな画面へと切り替わった。

 新たに文字が浮かび上がる。どうやらこれがイベント開始画面らしい。新たな画面を、僕は食い入る様に見つめた。

“【ミッション】
20人の知人に怒りのメッセージを送れ”
 なんだ、コレ? 

 あまりにも唐突で、単純すぎるその一文に、僕は面食らう。眉間にシワを寄せつつ、画面をスクロールすると、下の方にルールが記載されていた。

“ただし、次のルールを守ること

1.メッセージの内容は、相手が理不尽だと感じる内容でなければならない
2.メッセージを送る相手は、自身が所有する携帯端末に連絡先が登録されている者でなければならない

※メッセージアプリは、端末内であれば、どのアプリを使用してもゲーム内で自動認証されます”

 さらに画面をスクロールしてみたが、それ以上の詳細は、何もない。

 僕は腕を組み、しばし考えを巡らすが、幾ら考えても、これまでにこの様な形式のゲームをした事がなく、この先、ゲームがどの様に展開していくのか、先が全く読めなかった。

 これ以上考えても埒が明かない。不思議なミッションだが、一攫千金のプレミアイベントに参加するためには、考えている暇などない。とにかく、ミッションをやるのみだ。

 僕はメッセージアプリを起動すると、友人達の名前を表示し、ミッション遂行に向けて、スマホ画面を睨みつけた。

 まずは、親友である(あずま)の個人画面を表示する。

 深夜に理不尽なメールを送りつけるのだ。普通に考えれば、大変迷惑な行為であって、謝ったところで、友情に多少の亀裂を生みかねない。

 しかし、東という友人は、ノリが軽く、大概のことは、気にするなと言って特に気に留める様子を見せない奴なのだ。きっと奴ならば、明日直接会って、事の次第と謝罪をすれば、快く許してくれるだろう。

 僕は、この不可解で、不可思議なミッションに対する小さな猜疑心を、自分に都合の良い言い訳で封じ込めると、素早く画面に文字を打ち込んだ。

『お前、友人が多い事自慢して、人徳だとか言ってるけど、お前のその軽いノリなんとかしろよ。一緒にいるオレまで、軽い奴だと思われるだろ!』

 理不尽な怒りとはこんな感じでいいだろうか?

 自分で打った文面を読み返して、首を傾げる。しかし、何が正解なのか分からない。僕は、深呼吸を1つすると、心にかかるモヤモヤを振り払う様に、ギュッと目を瞑り、勢いよく、紙飛行機型のアイコンをポンとタップした。

 画面に、今打った文章が吹き出しで表示された。これが既読になるのは、夜が明けてからだろう。目覚めて、この文を目にした時、奴はどんな思いをするのだろうか。

 チクリと痛む心を、見て見ぬフリをして、僕は、2人目のメッセージ画面を開いた。
 新橋は、勉強は出来過ぎな程に出来るのだが、大人しくて、僕からしたら、自己主張のない奴に見える。いつだって声をかけても、「ああ」とか「うん」とか、そんな単語しか返ってこない。酷い時には、単語すら返ってこない。

 彼ならば、明日会っても、多くの言葉で僕を責めてくることはないだろう。

 そんな身勝手な結論づけで自身を納得させると、僕は新橋にメッセージを送る。

『新橋、お前、勉強出来るくせに、「ああ」とか、「うん」とかの単語で、周りとコミュニケーション取れてると思ってるわけ? そんなわけねぇーから。英単語覚える前に、コミュニケーションの仕方覚えろや』

 これで良し。こんなメッセージが届いたら、僕なら、大きなお世話だと、苛立つだろう。

 自身で送った深夜の失礼極まりないメッセージに、苛立ちと納得を覚えつつ、3人目の個人画面へと移る。

 3人目は、田町。スポーツができる奴だ。スポーツなら何をやらせても平均以上のため、様々な運動部から助っ人としてお呼びがかかる。そんな彼は、見た目は、並みのクセに、女子に人気がある。本人もそれを分かっているのに、気がつかないフリをしているところが、正直鼻につく。

 本当は分かっている。こんなのはただの嫉妬。やっかみでしかない。

 でも、ちょうどいいチャンスだ。ゲームクリアの為に、仕方なく送った事にして、日頃の鬱憤を送ってしまおう。

『田町。本当は自分がモテるって思ってるんだろ? 女子にキャーキャー言われてるの気がつかないフリしちゃってさ。だけど、正直、いつも、顔がニヤついてるんだよ! 言っとくけど、お前の顔は、並みだからな! 勘違いしてんじゃねぇぞ』

 メッセージを送ってから、常日頃、僕はこんな事を思っているんだなと、嫉妬丸出しの文章にちょっと落ち込む。

 しかし、落ち込んでいる暇はない。急いで、4人目の友人を決める。

 4人目は、ポジティブ高輪。いつも彼のことをそう呼んでいるのだが、言い過ぎでない程に、彼はポジティブなのだ。そのポジティブさには、救われることが多い。本当は、見倣うべき、彼の長所。

 だか、理不尽な怒りのメッセージを送らなくてはいけない今は、その長所を欠点として捉える。

『お前のポジティブさは、落ち込んでいる時などは、正直、ウザい! 空気を読め』

 こんなメッセージを朝から見ても、彼は彼のままで居てくれるだろうか。なるべくポジティブに捉えて欲しい。

 やっと5人目。誰にしよう。品川とかどうだろうか。
 品川は、金持ちだ。金払いがいいから、友人という隠れ蓑を利用して、僕は常に奢ってもらっている。

 あいつは、いつもニコニコと支払いをしてくれる。

 だけど本当は、生まれつき一般庶民である僕のことを、腹の中では見下しているんじゃないだろうか。

『品川! お前本当は、いつもニコニコと支払いながら、僕のこと、ビンボー人だとか思ってるんだろ! ビンボー人に施しを与えてやってるとか思って、いい気になってるんじゃねぇーよ!』
 
 これでやっと5人。メッセージを送る度に、胸がチクリと痛むけれど、そんな事に構っていられない。

 急げ! 急いで、メッセージを送りまくれ!

 僕は、自分自身を鼓舞すると、次のメッセージ相手を検討する。

 そう言えば、大崎が、最近彼女ができたとニヤニヤしながら自慢してきてたな。正直、あのニヤケ顔には、ウンザリした。よし! 6人目は、コイツだ。

『彼女が出来たからって、勝ち組みたいな顔すんじゃねーよ。どうせこっちは、年齢イコールだよ。悪りぃか!』

 僕は、鼻息荒く、紙飛行機アイコンをタップする。

 チクショー。彼女、いいな……モテたいなぁ……

 つい本音がダダ漏れになってしまったが、ゲームをクリアして1000万を手に入れれば、僕だって、モテ組に入れるはず。

 目指せモテ組! 目指せ、1000万!

 次、五反田。コイツは、正直、面白い。いつもツッコミが、斜め上をいっている。しかし、そういう時は、大体本人に自覚がない。いい才能を持っているのに、ちょっと売れだしたお笑い芸人の真似なんかして、才能を潰している。もったいない奴だ。

『お前、いい加減、誰かのマネするのやめろよ! 笑えねぇ』

 8人目は、目黒。超絶イケメン。モデルばりのスタイル。勉強も、運動も並だが、それでも僕よりは出来る。コイツの欠点って、なんだ?

『…………足、長すぎなんだよ! 歩幅合わせるの大変なんだぞ!!』

 くそ。やっぱり、イケメンには、勝てねぇ……。

 気を取り直して、9人目、恵比寿。正義感が強すぎる。友達同士でちょっとふざけあったりするだけで、すごい剣幕で注意してくる。正直、苦手なタイプ。

『正義感を振りかざすんじゃねぇ! お前のせいで、場がシラけるんじゃ!』

 やっと折り返しの10人目。渋谷は、正直者にバカが付く奴。

『何でもかんでも、正直に話せばいいと思うな! 言わなくても良いことがある事を知れ!!』

 おや? なんだか、少しずつ理不尽な怒りが、スムーズに出てくる様になった気がするぞ。
 時計は、午前4時15分を表示していた。ゲームの配信開始から、既に1時間以上が経過している。他の人の進捗状況は、分からない。もうクリア者は出ただろうか。急がなくては。

 11人目、代々木。弁が立つ。コイツに口で勝てたことがない。

『いつもいつも、小難しい言葉を捲し立てやがって。唾が飛んでくるんだよ!』

 12人目、大久保。弁当が旨そう。しかも、自分で作っているらしい。

『毎日、旨そうな弁当持ってくんじゃねー。余計、腹減るだろーが!』

 13人目、高田。美意識高い系。あの化粧水がいいだ、この美顔器がどうだ。そんな事ばかり言ってくる。試しに、勧められたニキビケアをやってみた。

『お肌のケア? めんどくせぇんだよ。むしろ、変わったの塗ったせいで、ニキビ、増えたじゃねぇーか!』

 14人目、馬場。いつも音楽を聴いている。そして、たまに、鼻歌が漏れ出ている。

『いつも、ジャカジャカとうっさいんじゃ! 特に、鼻歌! 音外れると、気になるだろうが!』

 15人目、大塚。いつだって、何にだって全力投球。無駄に頑張っている。

『何でもかんでも頑張ればいいってもんじゃない! 頑張りがから回ってる時に、フォローさせられるこっちの身にもなれ!』

 よし! ラスト5人。ラストスパートだ。

 16人目、田端。『声がデカすぎるんだよ!』

 17人目、日暮。『男のくせに可愛すぎ! 惚れるわ!』

 18人目、上野。『本が好き! 本が友達!! って、じゃあ、僕はお前の何なんだ!?』

 19人目、秋葉。『オタ臭出すな! 布教とか言って、僕を巻き込むな!』

 ラスト20人目、神田。『いつも眠そうにするな! 見てるこっちが、眠くなるわ!!』

 僕は、肩を大きく上下させながら、最後の紙飛行機アイコンをタップした。

 時刻は、4時44分。

 20人にメッセージを送り終え、メッセージ画面を閉じる。なんだか、異様にバクバクと鳴る胸に、右手を置き、深呼吸を一つする。肩から、力が抜けた。

 それから、『Get rid of anger』をタップし、ゲームを開くと、ミッション完了という選択肢のみが表示されていた。何も考えずに、押す。

 すると、クリア1人目の文字と、ケケケと笑う悪魔の笑顔が、画面いっぱいに映し出された。

 クリア1人目!! どうやら、頑張った甲斐があったようだ。

 小さく拳を握っていると、“プレミアイベント開始までしばらくお待ち下さい”という、コメントが追加で浮かび上がった。そして、画面は唐突にブラックアウトした。
 アプリを再度タップするが、反応せず。一体何なんだとは思ったが、1人目のクリア者になれたことで、僕は、緊張の糸が切れたようだった。

 一息つくと、一瞬にして強烈な睡魔に襲われて、僕は、自分でも気がつかないうちに、眠りについていた。

 微睡(まどろみ)の中、何度か名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開ける。しばし視界を彷徨わせ、枕元の異変に目を止めた。

 枕元には、黒のスーツの上に、黒のマントを羽織った、全身黒ずくめの長身の男が立っていた。男の手には、つい先ほど見かけた悪魔キャラが持っていた物とそっくりな大鎌が握られている。

 びくりと体を震わせると、僕は瞬時に飛び起き、身を固くした。

「だ、誰だ?」

 黒尽くめの男は、僕の問いに至極端的に答える。

「死神だ」

 死神だと? そんなものがどうして僕のところに?

「は? 死神? なんで、そんな奴がここにいるんだよ? ……ああ、分かった。夢か。まぁ、夢だよな。死神なんて……」

 僕の短絡的な言葉を遮るように、死神は口を開く。

「夢ではない。プレミアイベントが開始されたため、ソナタを迎えに来た」
「は?」

 死神だと名乗る男の言葉の意味が分からず、僕は眉を顰める。

 プレミアイベントだと?

 そして、衝撃の事実が、死神の口から語られた。

 「怒りを無くす」という意味の『Get rid of anger』というゲームは、この死神が仕掛けたものだったらしい。

 人々があまりにも短気になり、自分勝手な怒りを人にぶつける様子に耐えられなくなった最高神ゼウスは、人々を穏やかな人種に作り替えたいと思い立ったそうだ。

 怒り遺伝子を滅することを決めると、怒り遺伝子を持っている者を消すようにと、死神に指示を下した。

 そうは言っても、人間を一掃するのならば簡単だが、怒り遺伝子を持つ者だけとなると、どのように選別するべきか、どのくらいの人数が対象に上がるのかと、死神は頭を悩ませたそうだ。

 そこでまずは、怒り遺伝子の保有が比較的簡単に分かる、「理不尽な怒り遺伝子」を色濃く著す者を見つけ出そうと、このゲームを企画したと言う。

 死神の突拍子もない話に、僕は、半信半疑だった。しかし、言い訳だけは、しっかりと言い返す。

「僕は、そんなゲームだって知らなかったんだ。だって、1000万が貰えるって……僕はただ、金持ちになりたくて……知っていたら、やってない! それに、そんなゲームだって、宣伝していなかったじゃないか!」

 僕は怒りを込めて、死神を睨みつけた。