大和に夜の帳が下りた。
 炊事場の方からパチパチと火を起こす音が聞こえてくる。柊が夕餉を用意してくれているのだ。
 
 ふわりと吹き込んだ夜風に、沙雪は柊から借りた羽織をかけ直した。

 ――昼は恥ずかしいところを見せてしまったわ。

 白檀の香りに包まれながら、きゅっと唇を噛む。
 あんな風に誰かの前で泣くなんて、前までの自分じゃなくなってしまったみたいだ。

 それでも、柊がかつての桔梗家へ連れていってくれたことで色々な事実が浮き彫りになった。
 やはり全ての元凶は、百花当主である父だったのだ。

 畳の上に置いた弥生の日記をめくりながら、ゆっくりと瞬きをした。
 弥生が死の間際に願った‟やりたいこと”とは何だったのか。沙雪に託された思いはどのようなものだったのか。
 それが、なんとなく理解できたような気がする。

 日記に書かれた弥生の文字をなぞり、書き留められた文章が目に留まる。
 幼い沙雪を抱きかかえながら、月食を見たという内容だ。

 ――そういえば、今日はちょうど月食が起こる日だったっけ。

 いつか弥生と一緒に覚えた指文字で、日数を計算する。
 やはり間違いない。沙雪の読みが正しければ、あと数時間後に月食がはじまるはずだ。
 
 障子のすき間から差し込んだ月明かりが、縁側を照らしている。
 澄んだ秋の夜空には真ん丸とした満月が上がっていた。
 
 その時、カタンと何かが動いたかのような音が後ろから鳴る。
 柊が戻ってきたのだろう。そう思って振り返り、ピタリと止まった。

「……こんなところに、鏡なんてなかったはずなのに」

 沙雪の後ろにあったのは、戻ってきた柊ではなく大きな姿見だった。
 柊が持ってきてくれたのだろうか。いや、そんな話は聞いていない。

 違和感を覚えながらも、殺風景な座敷にぽつんと置かれた鏡に近付く。
 すると次の瞬間、鏡に映った自分が水紋のようにゆらりと揺らいだ。
 輪を描きながら広がった歪みは、ひとつの光景を映し出す。そこに映った人物を見て、思わずあっと声が出た。

 柊だ。ここに柊が映っている。
 少し雰囲気が違って見える柊の腕が動き、こちらに手招きをした。

『未練が、ここに残っているのでしょう』

 先ほど聞いた柊の言葉が脳内でこだまする。
 行っては駄目だと分かっているのに、まるで何かに導かれるかのように動く沙雪の指先。

 やがて鏡に映った柊と手が重なった刹那、沙雪の身体は音もなく、鏡が見せる未練のなかへ吸い込まれていった。