桔梗家の屋敷跡に柔い秋風が吹き込んだ。
枯れてしまった大木の横に植えた種を見ながら、沙雪は目を細める。
きっと数年後、柔らかな芳香を放つ花々が芽を出してくれるだろう。
「これから冬がきますが、本当にいま植えてよかったのですか?」
「いいの。春になったらきっと綺麗に咲いてくれるはずだから」
心配そうにこちらを見やる柊に、微笑みを返す。
あれから柊を連れて椿家を出た沙雪は、この桔梗の屋敷を住まいにすることを決めた。
廃屋同然になっていた屋敷だが、柊が復旧を手伝ってくれたおかげで何とか住めるまでになったのだ。
「沙雪さまを失った百花当主は黙っていないでしょうね」
「そうね、貴重な霊力源だから」
「無理矢理、取り返しにくるかもしれません」
「でも私にはあなたがいるでしょう」
そう言うと、柊は視線の先でわずかに目を見開いた。そして花がこぼれるような笑みを浮かべる。
柔らかな表情で手を伸ばす柊の指先に、自身の右手を重ねた。
すると、そのままぐいっと腕を引っ張られ、重心がかたむく。
驚いて上を見上げれば、いたずらに笑う柊の瞳と目が合う。
「……私だけの沙雪さま、この世で最も美しい魂を持つひと」
柊の澄んだ声が、沙雪の心に届く。
「この命はあなたのために捧げます。だからずっと、一番そばで私を照らしていてください」
細まった黄金のまなざしが、沙雪を見つめている。
沙雪の首元に浮かんだ赤い契約印が、ほんのりと染まった。
怒りにのまれた『悪鬼羅刹』はもういない。ここにいるのは、優しく強い沙雪だけの妖だ。
まどろみのような陽光が、まるでふたりを祝福するかのように降り注いでいた。
【完】