「君が好き」
彼の口からそんな言葉を聞く日がくるなんて思ってもいなかった。
今日から3日前の出来事である。
私は思う。
(いやまて、私の聞き間違いかもしれない。)
もう一度確かめよう。
聞き間違いかもしれないという疑いの気持ち2割と、どうにかして私のことを好きだということをもう一度言わせてやりたいという気持ちが8割だったと今になって思う。
「だから単刀直入にいうよ、君が好きです。付き合ってください。」
足元の水たまりが街灯の光をキラキラと反射させる。
なんと、彼が告白してきた。
君の顔は見られなかったけれど、きっとすごく緊張していただろうなと愛おしく思う。
信じられない5割、嬉しすぎる5割。
1:1で混ざりあった感情は抑えきれられるほど単純なものではなかった。

湿気で広がった髪の毛を気にするより先に口が動いて
『私も好き!』
そう答えた。
周りが見えないとはこのことだ。
確実にあの瞬間、世界には私と君しかいなかった。
馬鹿げたことを言っている自覚はあるけれど、本当に告白された時のことを思い返しても人の姿が見当たらないのだ。
通行人たちは私が告白されていることに気づいていただろうし、私がお菓子を買ってもらった子供みたいに喜んでいるのもきっと見ていたことだろう。
通行人の記憶に残ればいい、その夜一番幸せな女の子の姿が。
その時の私はちゃんと可愛い女の子をやれていただろうか。
君が告白するだけの可愛らしい女の子になれていただろうか。
どうやら今この瞬間から彼は私の彼氏となり、私は彼の彼女となったらしい。
空模様は大雨だけれど私の気持ちは雲ひとつない晴天のようだった、なんて雨が降ってさえいれば誰にでも書けてしまうありふれた比喩を用いてみる。
言葉ひとつで私の心をこんなにも操れるなんて君はなかなかやるなと今度会った時に褒めてあげようと思う。

君が私の彼氏になった日から遡ること約1ヶ月、そのころは君と私がやっと互いの存在を知ったくらいの時だった。
私が君の友達に好意を寄せていたとき、友達と私の話に出てくる君の代名詞は"協力者"だったけれど、今ははれて"彼氏"となった。
実を言うと私はこのストーリーの展開を予想していなかったわけではない。
というのも正直、私が好意を寄せていた相手は確実に私と馬が合わない。
彼の好きなところと言えば容姿と読んでいた本の趣味が同じだったところくらいで、一緒にいても私が私らしくいられないだろうなと思っていた。
私の子供っぽいところとか、周りの目を気にしなさすぎて、後先を考えずに突拍子もなく行動してしまうところとか、好きな人の前ではつい饒舌になってしまうところとか、私は私のそういうところが嫌いじゃないけれど、人によっては短所として扱うであろう私の一面。
彼はきっとそんなところを愛してはくれないだろう。
むしろ私の横に立つことを恥だと思うことだろう。
後付けのように思われるかもしれないけれど、典型的な一目惚れにすぎなかった。
お揃いの価値観を身に纏って、色違いの価値観からは目を背けて。
そうやって君を好きになった私自身を、私は好きになることができなかった。
辛く苦い恋だったと思う。
対して、と君と彼を比べるのはなんだか悪い気がするけれど、君と話すのは本当に楽しい。
波長が合う上に容姿も好き。
過去のどの人たちよりも君といるのは落ち着くし、君といるときの私は自然な感じがする。
君の笑顔は本当に優しくて暖かくて、私の持ついろんな色を受け入れてくれるようなそんな人。
私の短所ともとれる部分を長所として、私と過ごす時間を一緒に楽しんでくれるそんな素敵な人。
人生はうまくできているなと年齢を重ねるごとに、日を重ねるごとに強く強く思う。
君のように誠実な男子高校生が私の知らないところに存在していたことに驚いた。
過言ではなく本当にそう思ったし今もそう思っている。
好きという気持ち故に盲目になっているのではないかという指摘は受け付けないが親バカとはこんな感じなのだろうかと自問する。
恥ずかしがり屋の君がせっかく私に告白してくれたんだから、世界で一番幸せにしてあげたいと思う。
そして私もその隣で宇宙で一番幸せな女の子になることだろう。

君と付き合った今になって考えてみれば君はかなり告白を早まったと思う。
君の友人が私の友人に告白したことに触発されたのかしら、それとも他になにか理由があるのかも。
そんなところも好きだと言えば君の照れた顔が見られるだろうか。
君が過去どんな恋をしてどんな人にその愛おしい表情を見せたのか私は知らないけれど、今後一生私以外に見せなくたっていいんじゃないかなと心の中でつぶやく。
君には言ってあげないし、言ったところで君の浮かれた口が君の友人たちに私の一挙手一投足を話してしまって、君にしか見せたくない私の姿が赤裸々になるだろうし、はたまた君の困った表情を見ることになるだろう。
そんな表情も興味深いけれど、困らせることは本望ではないので胸のうちにしまっておこう。

「重い女は嫌いだ」と過去の人は私に言った。
化粧をしていなかった頃の私に「化粧ぐらいした方がいいよ」と言った。
別れる時には「君の顔を可愛いと思ったことは無いよ」と言った。
その次に「もっと自分に自信を持った方がいいよ」って。
誰のせいでそうなったと思ってるんだと言わなかった私に大人だねと言ってくれる人はいるだろうか。
そんな言葉は聞きたくないな。
こんな話を私の大好きな友人、家族、君に話した暁にはひどい男だと彼を非難するだろうけれど、その人は私が本気で好きになった素敵な人だった。
本気で好きになった人から言われた言葉だからこそ私はショックだったし、その言葉を素直に受け止めてしまった。
自信と自意識過剰は紙一重で、彼が私のことを可愛らしいと思わないのであればたとえ私が容姿に自信をもっていたとしても、それはただの自意識過剰だ。
認識のズレというのは怖いもので、彼とお別れしたその瞬間から私は可愛くない可愛い私として生きることにした。
今では彼を少しも好きではないし、最低な人だけれど、素敵な人だったと今でもそう思ってしまうのは美化された思い出に感化されているのだろうか。
彼とキスをした時も、夜を超えた日も幸せは一瞬で、離れてしまえばまた彼の言葉に踊らされるだけの私だった。
彼の言葉は今でも私の心を抉るから、私は少しだけ、苦しくなる。
今、大好きな君が私に向けてくれている「可愛い」の言葉は私のどんな部分を可愛いと言ってくれているんだろうとか、もしかして本当は全然可愛いとかは思ってなかったらどうしようとか、あんまりたくさん君に好きと言うのは控えた方がいいのかもしれないとか、彼に言われた言葉を真に受けている私は本当にめんどくさい女でそんなところが嫌だと、次は君に嫌われてしまうかもしれない。
そうやって自分の中に隠しているはずの自信のなさが現れて、嫌になる時がたまにある。
私の口から出る自分を肯定する言葉は、彼と別れた時から自分を奮い起こす保身のための言葉でしかなくて、そこに本心はひとつも含まれていなくて、空っぽな言葉だけが口をついて地面にこぼれ落ちて、割れる。
こんな私が君に愛を伝えるのはおこがましいだろうか。
保身のための空っぽな言葉と私の君におくる愛の言葉はちゃんと違った素材でできているだろうか。
ほらまためんどくさい女。
過去の彼のことを思い出すと自分のことが大嫌いになってどうしたって涙が出てきて、息苦しくなる。
彼と一緒にいたときの私は泣いてばかりだったけれど、そんな自分が嫌いだったけれど、その当時はどうしようもなく彼が好きだった。
過去の人達と君との違うところはたくさんあるけれど、他と君との1番大きな違いはやっぱり私は私らしく、私自身を好きでいられる恋だってことで、この恋を大切にしたいと心から思う。
この恋は私が私と君を愛する恋だ。
でも彼の言葉に翻弄されるようでは君を世界一幸せにするというミッションはまだまだ達成できそうにもないなと力の抜けた笑みがこぼれる。
君と幸せになりたいなんて、私は君がいれば今のままが1番幸せでこれ以上を望むことは出来ない。
君が私に贈ってくれた言葉だけを抱えて、君の隣で心から笑いたいと思う。

来週の金曜日も君と一緒に帰ることができたらいいなを次の週もその次の週もずっとしよう。
たまには金曜日以外にも一緒に帰ったっていい。
君の足に私の自転車のペダルが当たらないように少し離れて歩いて、でも近づきたくて、笑い合って、そんな幸せを身に纏おう。
日常に君という花を、この物語をいつか君に。