「……ねえ!お願い!行かないでよ!」
そう言って、アタシはケンジの左腕を掴んだ。 アタシに対して背を向けてる彼は、じっとうつむいて、何も言わずに黙っていた。
「ケンジ!アタシ……その、アタシ、“今は本気”だよ!」
「……………………」
「本気でアタシ、ケンジのこと……!いや、その、確かに最初は違ったかも知んないけど……」
「……………………」
「ねえやだ!お願いだから行かないで!別れるなんて、そんなこと言わないで!」
アタシが放つ悲鳴のような叫びが、夕暮れの教室に響いた。 アタシの長い金髪が、窓の外から入ってくる風に揺られてなびいた。
なんだか、眼がうるうるする。息も荒いし、唇がぶるぶる震えてる。 アタシ、もしかして……泣きそうになってんのかな?
「う、嘘やろ?あの佳奈が……?」
「あの佳奈が、あんなになるなんて……」
アタシの後ろで、友だちの真由と亜梨沙が狼狽えていた。 そーだよね……アタシが泣くところなんて、みんな……見たことなかったはずだから。
「……田代さん」
ケンジが、背中越しにアタシの名前を呼んだので、思わずドキッとした。
そのドキッていうのは……嬉しい方のドキッじゃなくて、ヤな方の……怖い映画とか観てたらなる方のドキッだった。 だって……だっていつも、下の名前の“佳奈さん”って呼んでくれるのに……今は、今は名字で……。 まるで、初めて会った人みたいに……。今までの思い出が、全部なくなっちゃったみたいに……。
「僕は……田代さんのこと、本気で好きだったよ」
「……好き、“だった”って……」
「……告白された時、本当に本当に嬉しくって……凄く舞い上がってた。家に帰ってからも、何回も君の言葉を思い出して……」
「……ケンジ」
「いいんだ、田代さん。気を使わないで。1ヶ月っていう短い期間だったけど……僕は、良い夢を見られたよ。だから、ありがとう」
「やだ!やだやだやだ!アタシだって!アタシだってこの1ヶ月……楽しくって……!楽しくて……ううう……!」
「もういいんだ田代さん。もう……僕のこと、好きでいるフリなんて、しなくていいんだ。君は優しい人だから、僕が傷つかないようにしてくれてるんだろうけど……もうそんなこと、しなくていいんだ」
「違う!違う違う~!そんなんじゃないって!アタシ……!アタシ本当に酷い子で……!ケンジのこと!ケンジのこと傷つけちゃって!」
「……………………」
「お願い!ケンジお願い!アタシ、謝るから!本気で謝るから!だから……!また一緒に花火しよーよ!一緒に図書館とか博物館とか行こーよ!ね!ケンジ!」
「……………………」
「アタシ、図書館なんて全然興味なかったし、博物館なんて一生行かないって思ってたけど……!ケンジのお陰で好きになれたんだって!ケンジと一緒に!また行きたい!ねえ!ケンジ!ケンジ!一緒に居てよケンジーーー!!」
「……………………」
……ケンジは、何も言わないまま、ゆっくりと後ろを振り返ってきた。
「────!」
その時のケンジの顔は、アタシ、絶対一生忘れられない。
ケンジは、本当にびっくりするくらい、泣いていた。
眼からたくさん涙を溢れさせて、頬がすっごい濡れてて……。
涙で濡れたその瞳で見つめられた瞬間、アタシはケンジの心の痛みがビリビリ伝わってきた。 ぎゅ~っ!と心臓を捕まれたような感覚。何もケンジは言っていないのに、ケンジの悲しみがダイレクトにアタシへ届いてくる。
ケンジは、アタシを恨むように睨むわけでも、何か怒りをぶつけてくるわけでもなかった。ただただ、悲しそうに見つめてくるだけだった。 それがケンジっぽい優しさで……それが余計、辛かった。
「……………………」
アタシは思わず、ケンジの腕を離してしまった。そして、また彼はくるりと背中を向けて……そのまま教室からいなくなってしまった。
ボーゼンと立ち尽くすアタシを置いて、後ろにいた真由と亜梨沙が、いそいそと荷物をまとめて教室から出ていった。
ぽつんと一人残されたアタシは、肩にかけたカバンの中から、スマホを取り出した。 そして、その中にある写真をたくさん見返した。
ケンジと一緒に撮った写真が、たくさんたくさん入ってる。指でスクロールしながら、新しいものから古いものへと遡っていく。
そして、一番最初に……ケンジと撮った写真が出てきた。 学校の屋上で撮った、ツーショット写真。アタシは下手くそな作り笑いを浮かべていて、一方のケンジは顔を真っ赤にして照れていた。
「……………………」
スマホの画面に、ぽたっと水滴が落ちてきた。 アタシの涙だった。
「……うう、ううう……」
立っているのが辛くなったアタシは、その場にしゃがみこんだ。 スマホを持つ手がぶるぶると震えて、止まらない。視界の先も、なんだか滲んできちゃった。
……この写真は、今から1ヶ月前に撮ったもの。 アタシがケンジと、初めて話して……そして、恋人になった日だった。
「あーーー!もうマジダルい~~~!」
7月24日の、お昼休み。アタシと真由と亜梨沙は、教室ん中でUNOをやってた。
結果は、アタシの大負け。畳み掛けるようにしてカード引かされまくて死んだ。
「はっはっはー!ほな佳奈、約束通り罰ゲームやるでー!」
真由の嬉しそーな顔が憎たらしくてしょーがなかった。真由のせいで関西弁すらもウザく思えてきた。
「ねー、マジでやんの真由?」
「なんやー?“女”に二言はないはずやでー?ウチも前、ちゃんと二人に寿司奢ったんやからなー!佳奈だけ特別っていうのは通らへんよ!」
「え~?でもさ~……“クラスの奴と1ヶ月恋人のフリする”とか、寿司奢るよりキツくない?」
「うだうだ言わんと、腹くくり!さてさて、ほな誰にしましょか~?」
真由がニヤニヤしながら、教室にいる男子を見渡している。 すると亜梨沙が、「ねえねえ~真由」と言って黒板を指差した。
「今日って24日でしょう?出席番号で決めても、面白いんじゃない~?」
亜梨沙の提案に真由が「おもろいやん!」と言って、一度席を立ち、教卓にある出席番号一覧を持って、また席に戻ってきた。
「えーと、24番は……『斎藤 健治』って奴やわ」
アタシはその時は彼の名前を知らなかったので、「誰それ?」と言って二人に尋ねた。 彼女らもよく分かっていないらしく、みんなして頭を傾げていた。
「まーええか。とりあえずその斎藤とかいうのを屋上に呼ぶから!佳奈、後は二人っきりで頑張ってや~♡」
「もう!マジでダルい~!」
私がそう言うと、二人はケタケタと声を上げて笑った。
「あ、あの……よ、用事って、なんでしょうか……?」
屋上に呼び出した「斎藤 健治」なる男子は、まるで子犬みたいなヤツだった。
オドオドした眼でアタシを見て、額に冷や汗をたくさん流してる。 あんまり整ってない髪に、華奢な身体つき、そして自信なさげな態度……。
(も~マジかよ~!THE 陰キャって感じのヤツじゃん~!)
会うまではどんなヤツか分かんなかったから、ワンチャン……超カッコいい!ってほどではないにしろ、「付き合えなくもないな」ってくらいのヤツならいいなと思ってた。 しっかし、出てきたのがこのド陰キャとは……。
はあ、もうこの1ヶ月は終ったわ。アタシ、陰キャが一番キライなんだよね。何を訊いても返事がパッとしないし、よく分かんないこと早口で喋るし、いっつも自信なさげだし……。見ててイライラすんだよね。
(あれ?つーかよく考えたら、明日から夏休みだよね……?は?ってことはこいつのせいで夏休み潰れんの!?)
屋上に吹くなまぬる~い風を受けながら、アタシは盛大にため息をついた。そして、この場にはいない真由と亜梨沙をめちゃくちゃ恨んだ。
「あ、あの……田代、さん。どうかしたんですか?」
陰キャくんがアタシにそう声をかけてきたので、「あー、えーと……」と言って、視線を足元に下ろした。
「……あれ、誰だっけ?あんた」
「誰……って、僕のことですか?」
「そー。名前なんだっけ?」
「……あの、斎藤 健治ですけど……」
「あーそうだったそうだった。えーと、そっすねー。アタシと良かったら~、付き合ってくんないかな~って」
「……え?」
「いやだから~、付き合わない?フツーに」
「え!?えええ!?あ、あの田代さんと!?ク、クラス1可愛いって評判の……」
「そーそー、光栄でしょ?」
「…………つ、付き合……って、その、いわゆるその、こ、こい、恋人のそれ……ってことですよね?なんか買い物に付き合うとか、そういうのじゃないですよね?」
うわ~……いかにも陰キャ臭い返事……。それ以外に付き合うってこと言わねーっつの。
ここで素直に「そうだよ」って言うのもなんか癪だし、ちょっと困らせてやろーかな。
「もしかして、もう彼女とかいる系?」
「いやいや!そんな!僕には全然……今までそんな方は一度も……」
でしょーね。生涯いなくても驚かねーって。
「じゃあ、付き合うのとりあえずオッケーってことでいい?」
「も、もちろん!ありがとうございます!僕なんかでよければ、ぜひ!」
顔を真っ赤にして、斎藤はアタシにそう言った。
はあ……マジでなんでこんなことしてんだろ?たかだかUNOに負けただけでこんな目に遭うなんて……。付き合ってるノリではあるけど、デートとかすっぽかしちゃえばいいかな?
あ、でもそう言えばなんか、真由が言ってたっけ。
『付き合ってる期間に、ツーショットを少なくとも五枚は撮り!それを、ちゃんとデートした証拠にするんやから』
ちぇ、ダリ~。なんでこんなダルいことばっかり思いつくのかねえ、真由は。
『それから、相手に絶対、罰ゲームってバレへんこと!バレたらおもろくないし、興ざめするやん?』
興ざめって……。アタシは既に冷めまくってるつーの。
「……あの、田代さん?」
斎藤がおそるおそるアタシに尋ねてきた。それに対してぶっきらぼうに「なに?」と返すと、じっとアタシの顔を見つめて、こう言った。
「どうして……僕のこと、その……」
「……………………」
「えーと、つまり……」
「……なに?早く言ってくんない?」
「ああ、ごめんなさい!つまりその、なんで僕を、す、好きになってくれたのかな?と……」
「……………………」
「すみません……ちょ、ちょっとその、なんで僕なのかなって思っちゃって……」
はあ~……。もう、理由なんてあるわけねーって。一番困る質問してくんなってば。
「……………………」
「た、田代さん?」
「んー……ちょっと……ほら、言うの恥ずかしいかな~」
「あ、そ、そっか!変に掘り下げてごめんなさい!」
よし、どうやら、上手く誤魔化せたっぽい。これで最終日まで乗りきればいいっしょ。
「あー、えっと斎藤さー、記念に一枚写真撮んない?」
「写真?」
「そーそー、付き合った記念的な?」
ここで真由の言った五枚のノルマを一枚消化しとくか~。あーあ、さっさと早くこの茶番を終わらせたい。
「しゃ、写真……ですか」
斎藤は、不器用な苦笑を浮かべてた。
「なに?どったの?」
「いや、僕……写真、ちょっと苦手で」
「へー?なんで?」
「その……恥ずかしくって……」
「ぷっ、何その理由。いいじゃん、別に恥ずかしがることないって」
「いや……それはほら、田代さんみたいに可愛い人だったら……写るの恥ずかしくないかも知れないけど、僕みたいな陰キャは、写ったところで華もないですし……醜態を晒すだけですよ」 「……………………」
出たよ……陰キャ特有の自己コーテー感のなさすぎる答え。まあ別にいいけどさ……こいつがどれだけ自信がなかろうが、アタシには全然カンケーない話だし。
「まあまあいいじゃんって、アタシとの恋人記念じゃん?」
「……田代さんは、どうですか?」
「は?」
「えっと、田代さんは写真撮るの、好きですか?」
「そりゃトーゼン、好きだけど?」
「……わ、分かりました。なら、僕も撮ります」
「え?」
「田代さんが楽しんでもらえるなら、それが一番です。で、では……お願いします」
斎藤は眼をぎゅっと瞑って、気をつけの姿勢で固まった。
……くそ真面目というか、なんというか。こんな写真ごときで何をテンパってんだか。
(まあいいや……もういろいろ考えるのも面倒くさい。さっさと撮って、さっさと終わらせる)
そうして、アタシたちは初めてのツーショットを撮った。 アタシはそれなりの作り笑いを浮かべて、斎藤は顔を真っ赤にして照れ臭そうにしていた。
……ケンジ、ごめんね。
アタシこの時……告白するまでケンジの顔すら知らなかった。
同じクラスメイトなのに、顔も名前も把握してなかった。 本当に、なにやってんだって感じだよね。人の気持ちを弄ぶことなのに、全然平気でそういうこともやってて……。自分さえ良ければ他はどーでもいいって……そんな生き方だった。
でも……でもさ、アタシこの日が……24日で良かったって、今なら思えるよ。 だって、そうじゃなきゃ……ケンジと付き合えなかったもん。
……ケンジ。 本当に、ごめんなさい。