❁
「なぎ、おはよう!」
考え事をしながら教室に入ると、心地よいあいさつの声が教室に響く。
誰かと思ったら、三池沙夜が笑顔で手を振っていた。
沙夜は1年生のときからずっと同じクラスで、親友だ。
「おはよう、沙夜」
私も沙夜にあいさつをして、手を振り返す。
「高校3年間、なぎと同じクラスで本当にうれしい!」
「私もだよ!」
入学したときから沙夜とクラスが一度も離れなかったのは、もはや奇跡としか言いようがない。
「なぎ、三池、おはよう」
沙夜と何気なく会話をしていると、九条敦也くんがやってきた。
九条くんとは、2年生のときに初めて同じクラスになったけど、入学してからずっと同じ美術部に所属していたので、おたがいのことはよく知っている。
「「おはよう」」
沙夜と声を揃えて九条くんにあいさつしたあと、私はふたりと他愛のない話をした。
「今年も桜がきれいに咲いたわね」
教室の窓から見える桜並木をうっとりと眺めながらつぶやく沙夜。
「そういえば、なぎは今年の世界絵画コンクールで桜の絵を描くって言ってたけど、もう描けたのか?」
九条くんが興味津々でたずねる。
でも、その質問は耳を塞ぎたくなるほど聞かれたくないことだった。
「……うん。もう少しで完成するよ」
咄嗟にそう言ってしまったけれど、実際は全然そんなことはない。
今朝描いた桜並木の絵は、ただの失敗作だ。
とてもじゃないけど、人に見せられるような出来ではない。
「わぁー! もう描けたんだ! 私、なぎの描く絵の中で桜の絵がいちばん好きなんだよね」
「わかる! 俺もなぎの桜の絵がいちばん好きだよ」
私の絵について楽しそうに話す沙夜と九条くん。
「同じ美術部の特権で、先になぎの絵を見られるなんてラッキー!」
「敦也くん、いいなぁ! ねぇ、なぎ。完成したら、私にも見せてね?」
どうしよう……。
本当は断りたいのに……。
「う、うん、わかった……」
ふたりに期待の眼差しを向けられて、本音が言えずに嘘をついてしまった。
まるで罪を犯したような気分になる。
この罪悪感と苦しみから解放されるには、沙夜と九条くんに本当のことを言えばいい。
頭ではわかっているのに、ふたりの期待を裏切るのが怖くて――。
私は自分の気持ちを吞みこむしかなかった。