私が絵に興味を持ったのは、幼いころ。

人見知りで、周りとうまくなじめなかった私に、両親が誕生日にクレヨンとスケッチブックを買ってくれたのが始まりだった。

最初は、両親のリクエストをただ描いていただけだったけれど、だんだん自分の好きなものを描くようになって――。

気づけば、周りに人が集まって、その子たちと仲よくなれることができたんだ。

その経験から、私は絵を描くことが好きになって。

小中学校に美術部がなくても、時間を見つけてはどこでも絵を描くのに没頭していた。

高校生になって、念願だった美術部に入部。

それからしばらく経ったある日、美術室で絵を描いていると、顧問の先生から声がかかった。


「桜庭さん、“世界絵画コンクール”の応募があるんだけど、ここにあなたが描いた絵を出してみない?」


世界絵画コンクールは、その名の通り、世界中から広く絵画作品を公募している。
有名美術大学出身者やプロのアーティストが多く参加し、作品のレベルは非常に高いコンクールだ。

そんな世界的なコンクールに私のような素人の絵を出すなんて……絶対に評価されるわけがない。

私は丁重に断ったけれど、毎日のように先生は熱心に私を説得した。


「桜庭さんの絵なら、きっと入賞できるわ。一度だけでいいから挑戦してみて!」

「……わかりました」


結局、私は先生の熱意に押されて、最終的には応募することにした。


そして、応募してから数ヶ月後。

忘れたころに、世界絵画コンクールの結果が発表された。


その年の大賞に選ばれた絵は――【夢】


桜並木の下のベンチに座っている女の子が、グラウンドでサッカーをする男の子をスケッチしている絵だ。


この結果に、私は驚きを隠せなかった。


だって、この絵は――私が描いたものだったから。


まさか、自分の作品が“世界絵画コンクール”の大賞に選ばれるなんて。

そんなことは夢にも思っていなかったので、最初は信じられなかった。

でも、授賞式に参加したり、自分の絵が美術館に展示されているのを見たりしているうちに、これは現実なんだと実感していった。

今まで自分の世界だけで完結していた絵。

それを誰かに評価されることが、こんなにもうれしいことだったなんて。


もっといろんなコンクールに挑戦してみたい。

自分の絵がどこまで通用するのかを――。


そのあと、応募したさまざまなコンクールで次々と入賞し、私は全校生徒の前で表彰されることが増えた。


「なぎって、本当に絵を描くのが上手だよね」

「次のコンクールも、絶対になぎちゃんの描いた絵が入賞するに決まってるよ!」

「将来、なぎは画家になれそうだな」

「桜庭さんは、我が校の(ほこ)りだわ」


周囲からの期待と賞賛。

応えようと、私はコンクールで結果を出すために努力を重ねた。


ところが、そんな強い気持ちはプレッシャーに変わり、次第に絵を描くことが苦痛になっていって――。

ついには、それが楽しいと思えなくなってしまった。

絵を描きたい気持ちはずっとあるのに、自分が納得する絵がうまく描けなくて。
何度も何度も描き直しては、そのたびにボツにしてしまうことのくり返しだった。


それでも、コンクールに応募し続けたのは、私を支えてくれた人々がいたからだ。

彼らの存在がなければ、私がコンクールで入賞し続けることはきっとできなかったと思う。


それなのに、もし入賞できなかったら……。
 

そう思うと、彼らの期待を裏切るのがただ怖くて。

だから、絶対にコンクールで結果を出さなければならなかった。

絵を描きたいという気持ちは十分あるのに、どうやって描けばいいのかわからない。

どうすれば、この窮地(きゅうち)(だっ)することができるのだろうか。


……そうだ。

今まで描いた絵の中でいちばん楽しいと思えたものを描けば、もしかして――。

そう思ったときに思い浮かんだのは、私が初めて入賞した“世界絵画コンクール”の【夢】という絵だった。

私がこの絵に選んだ風景は、桜並木だ。

それを描けば、また絵を描くことの楽しさを思い出せるかもしれない。

そう思って、今朝校内にある桜並木を描いてみた。


……あれ?

私って、今までどうやって桜の絵を描いていたんだっけ。

上手く描くどころか、描き方自体を忘れてしまうほど、私はスランプに陥っていたのだ。


桜並木の絵を描くことが、スランプから抜け出せる唯一の希望だったのに……。

それが描けないとなると、もうどうすることもできない。


こんなことになるのなら、自分の絵をコンクールに出すんじゃなかった……。


そんな後悔の念が押し寄せて、自暴自棄(じぼうじき)になる。


私、これからどうすればいいんだろう――。