「そうです! 今日はまだ血を吸われてませんよね。お飲みになりますか?」
「いや、別に毎日必要なわけではない。女は貧血になりやすいしな」
「けれど、昨日はほんの少ししか口にしていなかったように思います。わたしも慣れておきたいですし、今日は……本当にユリウス様と夫婦になった、という気がしますから。記念にいかがですか?」
「何の記念だ。だが……そうだな。今日が本当の結婚初夜、という意見には賛成だ」

 そういうつもりではなかったリリアーヌは顔を赤らめ、それを誤魔化すように首筋を晒した。

「でっ、では、ご遠慮なさらずどうぞ!」
「ここでは吸わん。寝室に行くぞ」
「え? でも、吸血は人の食事と同じなのでしょう? なら食堂でも」
「ムードのない奴だな。初夜だと言っただろう」
「えっでも、それは、ええっ?」

 混乱するリリアーヌの手を引いて、ユリウスは寝室へ向かった。

 

 リリアーヌの部屋に着くと、ユリウスはリリアーヌの体を抱え上げて、広いベッドの上に降ろした。
 真っ赤な顔のリリアーヌに、楽し気な表情のユリウスが覆い被さる。
 ユリウスの長い指がそっとリリアーヌの頬を撫でると、緊張からリリアーヌがぎゅっと唇を引き結んだ。

「そんなに力を入れるな。口を開け」
「む、無理ですぅ……」
「お前な……」

 呆れたように言われて、リリアーヌはふと気になっていたことを尋ねた。

「そういえば、どうして名前を呼んでくださらないのですか? ムードがと言うのであれば、こんな時くらい名前を呼んでください」
 
 そんな指摘をされるとは思っていなかったようで、ユリウスは気まずそうに視線を逸らした。
 しかしリリアーヌが聞くまで引く気を見せないので、渋々といった風情で答える。

「リリアーヌと呼んだ時に、お前はリリアと呼べと言っただろう。愛称で呼ぶのは、愛着が湧きそうでできなかった。けれど、頼まれているのに無視してリリアーヌと呼び続けるのは、意地が悪いだろう。迷っていたら、お前という呼び方に落ち着いてしまった。二人きりだから、誰を指しているのか困ることもなかったしな」
「まぁ……」

 なんて不器用な。
 呼び方一つで、そんなに迷っていたとは。困らせるつもりは一切なかったリリアーヌは、予想外の回答に驚いていた。
 そしてユリウスの誠実さに、顔を綻ばせた。これほど優しい人だから、血を吸われることにも恐怖はないのだ。
 緊張が解れたリリアーヌは、そっとユリウスの首に腕を回した。

「なら、もう何も迷うことはありませんね」
「……リリア」
「はい」

 花が咲くように微笑んだリリアに、ユリウスはそっと唇を重ねた。
 触れて、啄んで、どんどんそれが深くなっていく。ユリウスが牙が当たらないように気をつけているのがわかって、リリアーヌは小さく笑った。

「余裕だな」
「いえ、そんなことは……っ」

 唇が移動して、首筋を辿る。熱い息がかかって、噛まれるのだとわかった。
 ほんの少しだけ強張った体に、宥めるように舌が這う。そしてゆっくりと牙が肌に沈んでいく。

「――――ッ」

 痛みはある。けれどそれ以上に、幸福感があった。
 キスも、吸血も、今は互いの意思が伴って行われている。そこに信頼関係がある。
 これからは自分の血がこの人の体を作っていくのだと思うと、リリアーヌは不思議な多幸感に包まれた。

「リリア、大丈夫か」

 いくらか血を吸って口を離したユリウスが、心配そうにリリアーヌを見下ろす。
 ユリウスの不安を拭うように、リリアーヌは優しく微笑むとユリウスの頬を撫でた。

「平気です。ユリウス様にされて怖いことはありません。だからどうか、怯えないでください」

 リリアーヌの言葉に、ユリウスは僅かに息を呑むと、額にキスを落とした。

「もう唇にはしないのですか?」
「暫くは血の味がするからな。人間には美味いものじゃない」
「わたしは気にしませんが」
「キスよりもっと気持ち良くしてやるから、安心しろ」
「そ、そういうことではありませんっ!」

 真っ赤な顔で抗議をしたリリアーヌにユリウスは声を出して笑うと、彼女の服に手をかけた。

 ***

 朝を迎えると、リリアーヌは体のだるさを感じながらものそりと身を起こした。
 隣を見れば、もうユリウスの姿はない。そのことに少しだけ寂しさを感じながら、シーツを撫でる。
 リリアーヌの部屋は、普通の人間が暮らすための作りになっている。朝日が差せば、カーテンを閉め切っていても多少は光が漏れる。
 ユリウスの部屋は、日中も完全に暗室になるようになっている。だから日が差す時間帯は、そこに籠っているらしかった。
 朝まで居られないことを詫びていたが、ユリウスは行為が終わった後も、リリアーヌが眠るまでずっと優しくしてくれていた。だからリリアーヌに不満はない。
 だらだらとベッドで過ごしていても怒る者はいない。今日ぐらいは良いだろうか、とリリアーヌは再びベッドに転がった。そのまま横に視線をやると、ベッドサイドに何か置かれていることに気が付いた。

「……あら?」

 手を伸ばしてみると、それは百合の花だった。
 メッセージカードも何も付いていないが、差出人は一人しかいない。
 花に顔を近づけて、思いきり息を吸う。

「いい香り」

 太陽が高く昇るまで。
 リリアーヌは百合を眺めたまま、ずっとベッドで幸せの余韻を楽しんだ。