首筋に顔を埋めたまま肌に吸いつくユリウスに、リリアーヌは声も上げられなかった。
 あつい。いたい。こわい。
 恐怖からなのか、血の気が引いて頭がくらくらする。
 やっと解放されると、力の抜けたリリアーヌはそのままぺたりと床に座り込んだ。

「味はまぁ悪くないか。都会の脂ぎった女どもに比べればな。ただ少し薄いな。もっと食え。だからそんな骨みたいなんだ」
「な……な……っ!」

 容姿を馬鹿にされたことに対してなのか、それとも今更されたことが呑み込めてきたのか、じわじわとリリアーヌの表情は怒りに染まった。

「なんてことをするんですか、いきなり!」
「味見をしないことには結婚を受け入れるかどうか決められないだろう」
「だからなんですか、その味見って! あ、あなた、今、なにを……!」
「妻の血を吸って何が悪い。それを条件に多額の結納金をせしめたんだろう」
「……なんですって?」
「……聞いていないのか」

 リリアーヌの反応を見ると、ユリウスは顔を背けて舌打ちをした。
 なんて態度の悪い。
 思い切り顔を顰めたリリアーヌに構わず、ユリウスはリリアーヌのトランクを持ち上げた。

「まずは部屋に案内する。ついて来い」
「えっあ、ちょっと!」

 床に座るリリアーヌに手を貸すこともなく、ユリウスはすたすたと歩き出してしまう。
 置いていかれないようにと、リリアーヌは足に力を込め、慌ててユリウスの背中を追いかけたのだった。

 

「ここがお前の部屋だ」
「あ、ありがとうございます……」

 案内された部屋は、リリアーヌ用に設えられていた。
 華美過ぎないものの拘った調度品。鏡台に手を滑らせると、それがウォルナット材であることにリリアーヌは目を瞠った。
 しかしそれ以上に驚いたことがある。鏡に映った自身の首筋に、二つの穴が空いている。僅かに流れる血は既に止まりかけているが、感じていた痛みが気のせいではなかったことにぞっとした。

「足りないものがあれば言え。使いの者に持ってこさせる」
「ありがとう、ございます」

 リリアーヌの様子を気にも留めずにトランクを置くと、ユリウスはすぐに部屋を出て行こうとした。
 このまま休んで良いのだろうか、と見送る体勢でいたリリアーヌに、振り返ったユリウスが声をかける。

「何をしている。食堂へ行くぞ」
「え? あ、あの、わたし、食欲は」
「食えと言っただろ。それとも夕食は済ませてきたのか?」
「いえ……」
「なら来い」

 有無を言わさぬユリウスに、リリアーヌは小走りでついていくしかなかった。

 リリアーヌが食堂の椅子に腰掛けると、ユリウスは席に着かずにどこかへ姿を消した。
 居心地の悪さを感じながら、蝋燭の明かりに照らされた室内をきょろきょろと忙しなく見回していると、ほどなくしてユリウスが皿を手に現れた。
 湯気の立つ皿を目の前に置かれて、思わずリリアーヌは声を上げた。

「フリカッセ……!」

 それはリリアーヌの好物だった。肉や野菜をバターで炒め、クリームで煮たもの。
 けれど貧乏だったリリアーヌは、こんなに具沢山のものは食べたことがない。

「わたしが好きだと知って、用意してくださったんですか?」
「いや、別に。肉も野菜も一度に取れるし、乳製品は血液に近い成分が含まれるから俺にとっても都合がいい」
「そう……ですか……」

 一瞬だけ期待をしたものの、自分のために用意されたわけではないことを知り、リリアーヌは肩を落とした。好物を用意して待っていてくれたのだとしたら、少なくとも歓迎する気があるのではないかと思えたのだが。
 けれど料理に罪はない。ユリウスが手をつけたのを確認し、リリアーヌもフリカッセを口に運んだ。

(美味しい……!)

 食材がふんだんに使われていることもあるだろうが、それを差し引いても料理人の腕の良さが窺えた。
 肉はほろほろと柔らかく、とろとろのクリームが絡んで口の中で溶けていく。
 さすがマイヤー家は優秀な料理人を抱えている、と羨みながら、リリアーヌはあっという間にフリカッセを完食した。

「とても美味しかったです。使用人は雇われていないとお聞きしましたが、料理人は通いで来ているのでしょうか?」
「いや。使用人はいない」
「では、どなたがこれを?」
「俺だが」
「え!?」

 思わず大きな声を上げて、はしたない、と口を塞ぐ。
 ちらりと視線をやったユリウスは、気分を害した様子はなかった。
 そのことにほっとしながら、おそるおそる尋ねる。

「ユリウス様が、手ずから……?」
「吸血鬼というのは料理が得意なものだ。一人も長いしな」

 吸血鬼。
 想定外の言葉に、リリアーヌが目を丸くする。
 その表情に、ユリウスは深く溜息を吐いた。