そして迎えた嫁入りの日。
夕暮れの中、ひたすらに馬車は行く。
ユリウスは日が落ちてからでないと活動しないとのことだったので、到着が夜になるように出発していた。
森はどんどん深くなっていく。本当にこんな人里離れて暮らしているのかと、リリアーヌは少々驚いていた。自ら望んだことではあるが、これほど離れていて、買い出しはどうしているのだろう。
馬車も入れないような獣道であったら、とも心配したのだが、マイヤー家の者がたまに訪れるため、最低限道は確保されているようであった。
「お嬢様、到着いたしました」
既に日は落ちて、近づくまでは暗さでわかりにくかったが、そこは大きな洋館だった。
話ではユリウスは一人で暮らしているはずだ。これほどの屋敷が必要だとは思えなかった。
「それでは、わたくしどもはこれで」
リリアーヌを送ってきたマイヤー家の使用人達は、礼儀正しく頭を下げて、元来た道を戻っていった。ユリウスとは会って行かないらしい。
大きな荷物は既に屋敷に運び込まれているし、リリアーヌの手荷物はトランク一つだ。別に付いてきてもらわなければならない理由は無いし、結婚の話は通っているはずだが、一人では少々心細いのも事実だった。
風で葉が擦れる音が聞こえる。何かの鳴き声がした気がして、リリアーヌはびくりと肩を揺らした。
まるで幽霊屋敷だ。廃墟でも、老朽しているわけでもないのに、何故か不気味さが漂う。
纏わりつく嫌な空気を振り払うように首を振って、リリアーヌは門を潜り、敷地内へと足を踏み入れた。
玄関前に立つと、ドアノッカーを叩く。どきどきしながら扉が開くのを待つが、開かない。再度、強めに叩く。やはりなんの音も気配もしない。
不安になって扉に手をかけると、ゆっくりと扉が開く。鍵が開いている。
「おじゃましまーす……」
小声で告げて、リリアーヌはそっと窺うようにしながら屋敷内へと足を踏み入れた。
大きな音を立てないように慎重に扉を閉める。
深呼吸をしてトランクを持ち直し、顔を上げると。
「っ!?」
思わず悲鳴を上げそうになって、すんでのところで飲み込む。
玄関を入ってすぐの階段の上に、人影がある。逆光で顔ははっきりと見えなかったが、月明かりを受けたシルエットはすらりとしていて、立ち姿が美しく、きっとそのかんばせも美しいのだろうと思わせた。
この屋敷にいるのは、家主一人きりであるはずだ。であれば、あの人影はユリウス・マイヤーに違いない。
未だうるさい心臓をなんとか宥めて、リリアーヌは深呼吸をした。あれは自分の夫となる人物だ。ならばせめて最初の挨拶くらいは、きちんとしなければ。
「本日よりこちらでお世話になります、リリアーヌ・オラールと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げたまま暫く待ってみるものの、反応がない。早速何か粗相でもしでかしたのだろうかと不安になって、リリアーヌはそろそろと顔を上げた。
「あの……?」
こちらを見下ろす人物に目をやってぎくりとした。
――瞳の色が。
それは血を思わせるほど赤々としていた。薄暗い屋敷の中で、瞳だけが輝いていた。
思わず目を奪われていると、人影はゆったりとした動きで階段を降りてきた。
「聞いている。また随分と風変わりなのを寄越したものだ」
「な……っ!」
あまりの言いように、リリアーヌはかちんときた。
確かに、自分は美人ではない。髪は金髪ではなく栗色だし、手は貴族にあるまじき水仕事で荒れているし、ドレスは流行りものではなく母のものを自分で仕立て直している。
けれどユリウスとて、変わり者だから相手が見つからなかったのだ。言われる筋合いはない。
こつりと靴音を立てて目の前に立ったユリウスは、リリアーヌよりも頭一つ分背が高かった。なるほど顔立ちはリリアーヌの父親が言った通り美しく、さらりと絹のような黒髪が揺れた。
じっと見下ろす瞳は品定めをしているようで、リリアーヌは居心地の悪さに身じろぎした。
「まぁ、見目はどうでもいい。餌だからな。重要なのは味だ」
「は……?」
「さすがに喰うに耐えかねる味だったら追い返すからな」
餌。味。
言われた単語が結婚と何ら繋がらず、リリアーヌは間抜けな顔で口を開けるしかなかった。
混乱するリリアーヌを置き去りに、ユリウスはぐいとリリアーヌの腰を引き寄せると、その首筋に顔を近づけた。
生ぬるい吐息が肌にかかって、リリアーヌがびくりと肩を揺らす。
次の瞬間。
リリアーヌの柔肌を、鋭い牙が突き破った。
夕暮れの中、ひたすらに馬車は行く。
ユリウスは日が落ちてからでないと活動しないとのことだったので、到着が夜になるように出発していた。
森はどんどん深くなっていく。本当にこんな人里離れて暮らしているのかと、リリアーヌは少々驚いていた。自ら望んだことではあるが、これほど離れていて、買い出しはどうしているのだろう。
馬車も入れないような獣道であったら、とも心配したのだが、マイヤー家の者がたまに訪れるため、最低限道は確保されているようであった。
「お嬢様、到着いたしました」
既に日は落ちて、近づくまでは暗さでわかりにくかったが、そこは大きな洋館だった。
話ではユリウスは一人で暮らしているはずだ。これほどの屋敷が必要だとは思えなかった。
「それでは、わたくしどもはこれで」
リリアーヌを送ってきたマイヤー家の使用人達は、礼儀正しく頭を下げて、元来た道を戻っていった。ユリウスとは会って行かないらしい。
大きな荷物は既に屋敷に運び込まれているし、リリアーヌの手荷物はトランク一つだ。別に付いてきてもらわなければならない理由は無いし、結婚の話は通っているはずだが、一人では少々心細いのも事実だった。
風で葉が擦れる音が聞こえる。何かの鳴き声がした気がして、リリアーヌはびくりと肩を揺らした。
まるで幽霊屋敷だ。廃墟でも、老朽しているわけでもないのに、何故か不気味さが漂う。
纏わりつく嫌な空気を振り払うように首を振って、リリアーヌは門を潜り、敷地内へと足を踏み入れた。
玄関前に立つと、ドアノッカーを叩く。どきどきしながら扉が開くのを待つが、開かない。再度、強めに叩く。やはりなんの音も気配もしない。
不安になって扉に手をかけると、ゆっくりと扉が開く。鍵が開いている。
「おじゃましまーす……」
小声で告げて、リリアーヌはそっと窺うようにしながら屋敷内へと足を踏み入れた。
大きな音を立てないように慎重に扉を閉める。
深呼吸をしてトランクを持ち直し、顔を上げると。
「っ!?」
思わず悲鳴を上げそうになって、すんでのところで飲み込む。
玄関を入ってすぐの階段の上に、人影がある。逆光で顔ははっきりと見えなかったが、月明かりを受けたシルエットはすらりとしていて、立ち姿が美しく、きっとそのかんばせも美しいのだろうと思わせた。
この屋敷にいるのは、家主一人きりであるはずだ。であれば、あの人影はユリウス・マイヤーに違いない。
未だうるさい心臓をなんとか宥めて、リリアーヌは深呼吸をした。あれは自分の夫となる人物だ。ならばせめて最初の挨拶くらいは、きちんとしなければ。
「本日よりこちらでお世話になります、リリアーヌ・オラールと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げたまま暫く待ってみるものの、反応がない。早速何か粗相でもしでかしたのだろうかと不安になって、リリアーヌはそろそろと顔を上げた。
「あの……?」
こちらを見下ろす人物に目をやってぎくりとした。
――瞳の色が。
それは血を思わせるほど赤々としていた。薄暗い屋敷の中で、瞳だけが輝いていた。
思わず目を奪われていると、人影はゆったりとした動きで階段を降りてきた。
「聞いている。また随分と風変わりなのを寄越したものだ」
「な……っ!」
あまりの言いように、リリアーヌはかちんときた。
確かに、自分は美人ではない。髪は金髪ではなく栗色だし、手は貴族にあるまじき水仕事で荒れているし、ドレスは流行りものではなく母のものを自分で仕立て直している。
けれどユリウスとて、変わり者だから相手が見つからなかったのだ。言われる筋合いはない。
こつりと靴音を立てて目の前に立ったユリウスは、リリアーヌよりも頭一つ分背が高かった。なるほど顔立ちはリリアーヌの父親が言った通り美しく、さらりと絹のような黒髪が揺れた。
じっと見下ろす瞳は品定めをしているようで、リリアーヌは居心地の悪さに身じろぎした。
「まぁ、見目はどうでもいい。餌だからな。重要なのは味だ」
「は……?」
「さすがに喰うに耐えかねる味だったら追い返すからな」
餌。味。
言われた単語が結婚と何ら繋がらず、リリアーヌは間抜けな顔で口を開けるしかなかった。
混乱するリリアーヌを置き去りに、ユリウスはぐいとリリアーヌの腰を引き寄せると、その首筋に顔を近づけた。
生ぬるい吐息が肌にかかって、リリアーヌがびくりと肩を揺らす。
次の瞬間。
リリアーヌの柔肌を、鋭い牙が突き破った。