「で、きみの名前は? あと年齢と経歴と恋人の有無」
「……なんか面接みたいですね」
「きみが聞けって言ったんでしょう。悪用はしないと誓う。ちなみに恋人の有無を聞いたのは後々面倒くさいことになるのが嫌だからで下心はないよ。それではどうぞ」

 そこまで一息。目の前のレトルトカレーをあがっと口へ放り込んで美青年を見ると、スプーンを持ったまま目をぱちくりとさせていた。まつ毛長いな。

早川 駿(はやかわ しゅん)、22歳、大学4年、です」
「ほう。どこ大? 4年てことは就活は終わった?」
「K大経済学部です、就活は終わりました」
「想像以上に賢いな?! まあもう10月だし流石に就活も終わってるか」

 美少年でピュアボーイ、常識人で気も遣える。おまけに高学歴ときた。こうなれば恋人のひとりやふたりいて貰わなくては割に合わない、と言いたいところで。

「恋人はいません。ていうか、付き合ったことないです、一度も。なのでお姉さんが心配することは何もないですよ」
「……え?」

 今度はわたしが目を丸くして彼を見ると、お構いなしに表情ひとつ変えずカレーを食べている。さっきから思っていたけど、表情筋乏しいのかな。
 そんな彼をまじまじと見れば見るほど、その整った容姿に驚く。さらりとした黒髪とシュッとした骨格に、切れ長の目に堀の深い高い鼻。身長は平均よりも少し高めくらいだろうか。けれど顔が小さく手足が長くて身体バランスがいい。猫背気味なのが少し気になるけれど。ここまで容姿が整っている人間に出会うこともそうそうない。

「……お姉さんは?」
「え? ああ、そうだね、わたしも自己紹介するかあ」

 慌てて体制を整えてお茶をひとくち。それからこほんと一度咳払いして、カレーを食べ進める彼に向き直った。

水澄 冬乃(みすみ ふゆの)26歳、至ってフツーの会社員、恋人はいないしここは今ひとり暮らしだからきみが気にすることはひとつもない。以上」

 いざ自分の自己紹介となると何を話せばいいか難しいところだ。簡単なものだけ言ってとりあえず納めたものの、美少年は納得していないような顔を見せる。

「……シュンでいいですよ」
「おお、ではシュンくん。なんなんだいその納得いってない瞳は」
「だって、こんな広い家にひとり暮らし? いくら社会人とはいえ都内ですよ、フツーの会社員じゃ無理な話です。実家が太いか、或いは同居人の存在を隠しているか、」
「あああわかったわかった、ゴメンゴメン! 確かにきみ……シュンくんが気にするのも無理はないね」

  徒歩18分とはいえそれなりに路線も多い23区内2LDKマンション5階。26歳ひとり暮らしにしては確かに少々疑問点が多すぎるだろう。

「同棲してたの、一昨日まで。ああそうだ、ちょうどシュンくんに初めて会った大雨の日だね、あの日出て行ったんだよ、婚約者っていうのかな、5年付き合った彼氏がね」

 そう、だから今恋人がいないこともひとり暮らしであることも決して嘘ではない。いなくなった穴を埋めるように突然きみが降ってきたことを除けば、結婚間近で長く付き合った彼氏に捨てられる、こんなことよくある話だ。

「そう、ですか」
「ははは、聞いちゃまずい話だったって思ってる? だとしたら全然気にしないで! 26なんてまだまだ若いし、失恋ごときで死ぬわけでもないんだしさ!」
「そういうものですかね」
「シュンくんもそのうちわかるよ」
「……だからあの日泣いてたんですね」
「雨に濡れてただけかもよ?」
「そんなわけ、」
「少年よ、そういうことにするのが大人というものなのだよ」

 納得していない様子の美少年を黙らせて、レトルトのカレーを頬張る。彼が出ていったのは一昨日だけれど、関係はもうずっと前から破綻していたし、別れは突然ではなかったはず。だから、泣いていいのはあの日、大雨で隠れることのできる日だけだと決めていた。

「明日は大学?」
「はい、午後からですけど」
「じゃあ私は先に仕事に出るから、鍵置いてくね。出る時戸締りだけはちゃんとして! 鍵はポストにいれといてくれればいーから」

 明日はわたしも朝から出社だ。大学4年というシュンくんはきっとほぼ単位を取り終わっているんだろう。鍵を置いてポストに入れてもらえれば何も問題はない。今後も彼には会うことがあるかもしれないし、仲良くしておいて損はない。バスが同じだったということはきっと家も近いんだろうし。

「……俺のこと随分信用するんですね」
「信用?」
「悪い奴だったらどうするんですか? 今の自己紹介だって本当かどうかわかりませんよ。冬乃さんが優しいことはわかりましたけど、そんなに簡単に人を信用するのは危ないです。何かされても文句言えないですよ」
「うーんまあそう言われればそうだけどねえ」

 今、ナチュラルに下の名前で呼ばれたな。
 さっきも思ったけれど、大学生のくせにやたらと優しい子だ。わたしが自分で招き入れたのだから、とって食われたって文句は言えない、流石に26にもなればそんなことはわかってる。
 だけどそういうところも含めて説教じみたことを抜かしてくる美少年は、なんていうかこう、可愛げがないよね。別にわたしだって、そこまで馬鹿じゃない。

「全然わかってない返答しますね」
「そうだな、わたしは性善説を信じたいのかもね。それに、泣いてると思って声をかけてくれた少年を悪い人扱いは出来ないじゃない?」
「人に対して随分いい印象を持ってるんですね。世の中そんなにいい人間ばかりじゃないですよ」
「はは、じゃあ私は孟子(もうし)できみは荀子(じゅんし)だねえ」
「別に性悪説を唱えたいわけじゃないです」
「じゃあ言い方を変えるよ、きみの目が綺麗だから信用したくなった。困っているところを助けた理由なんてそんなもんだよ」
「……」

 第一、最初にわたしの涙を見て声をかけてきたのはそっちじゃないの。わたしがきみを助けたいと思うのはごく当然のことでしょう。

「さて少年、いやシュンくん、回答としてはこれで満足?」
「……不本意ですけど。俺がたまたま悪い奴じゃないので、冬乃さんの身が守られただけですけどね」
「心配性だなあきみは」

 大体、カバンを電車に忘れたきみが悪いんじゃないか。折角助けてあげたのに、笑顔のひとつも見せやしない。イケメンが台無しだ。

「ご飯食べたらお風呂入っちゃってね。わたしはちょっと仕事してから入るから。洗面の向かいの部屋が空いてるから好きに使っていいよ。リビングのソファで寝てもいいけど、それはきみに任せる」
「スウェットまで借りていいんですか」
「うん、どうせ捨てようと思ってたやつだし」
「ああ、空き部屋もこの服も別れた元彼のものですか」
「きみさ、そういうのは黙っておくのが流儀というものよ?」
「空気読めないってよく言われます」
「きみの周りの人たちはきみのことをよくわかってるね」

少しだけむすりとして、食べ終わった食器を持って立ち上がる。洗い物をしてくれるらしい。いい旦那になりそうだな。コミニケーション能力は低いけど。