◇
「先に起きないでくださいよ」
しゃこしゃこと洗面で歯を磨いていたところで、うしろからのっそりとまだ眠たそうなシュンくんが起きてきた。相変わらず朝が弱いらしい。
「ごめん起こしちゃった? まだ寝てていいよ、時間あるし」
「……俺も歯磨きます」
目を擦りながらずかずかと横にやってくる。
先に起きたことが不機嫌なのか、それとも低血圧で朝が弱いだけなのか、或いは昨日のわたしの失態に呆れているのか。
いつもより低い声に、広い洗面の鏡越しにじっと彼を見る。
「……ごめんね昨日、怒ってる?」
「なにがですか?」
ばしゃばしゃと顔を洗いながら鏡越しにこちらを見上げる美少年。はだけた浴衣も少し寝癖のついた髪もきみなら全部かわいらしい。
「わたし、悪酔いして、寝落ちちゃったでしょ……」
「ああ、そんなこと」
「そんなことって」
「まあ、たち悪いなとは思いましたけど。横で寝るって、正直結構我慢必要なので」
しゃこしゃこと。今度はわたしの横に並びながらなんでもないみたいな顔をして歯を磨きはじめる。
わたしはその言葉に固まってしまった。だって、シュンくんからそういう話題が出たことなんて一度もない。
つまりそれは、そういうことであってる?
「……あのさ、いちおうきくけど」
「はい?」
一旦わたしはうがいをしてタオルで口を拭く。シュンくんは歯磨きをしながら器用に答える。朝から変な図だ。わたしたちっていつもこう。
「シュンくんとわたしって、付き合ってる、よね」
「まあ、世間で言えば、そうなんじゃないですかね」
「我慢必要っていうのはさ、その、シュンくんって、いやシュンくんにも? ……欲があったりするの?」
「逆にないと思ってましたか?」
なんだその返答。もっとわかりやすく言ってよ。いい歳してどうしてこんな会話をしなきゃならないの。
急に恥ずかしくなってきた。でももう後には引けない。忘れていたけど、この美少年は相手の気持ちを汲み取るのがやけに下手なコミュ障なんだった。
「……ていうことはさ、つまり、なんていうか」
「なんですか?」
「手、出してもいいんだよ? ……遠慮なく」
「………」
「………」
あれ、もしかして間違えた、かもしれない。
シュンくんは表情を変えずしゃこしゃこと歯を磨いて、それから口を濯いだ。何か言ってよ。さすがにわたし、恥ずかしい年上すぎるでしょ。
いますぐにでも言った言葉を取り消そうかと、うがい終わったシュンくんに声をかけようとした刹那。
ふわり、と。そういう効果音が正しいかどうかわからないけど、触れるだけのやさしいキスが落ちてきた。
わたしはそれにまた固まる。彼の鋭い視線に捕まったからだ。
絡んだ視線の先で、彼がわたしの表情を見定めているのがわかった。彼の瞳にそういう熱が籠る瞬間を初めて見た。
そして再びわたしより幾分か背の高いシュンくんの唇が噛み付くように降りてきた。瞬間、自身に熱が宿る。彼がこんなふうにキスをすること今まで知らなかった。ざらりとした舌の感覚が艶かしい。どうしよう、この人のこと全部欲しい。
暫くして顔を離すと、何も言わずに手を引かれる。そうしてそのまま、さっきまで寝ていた場所へぼすりと押し倒された。
わたしに覆い被さったシュンくんの顔を見て、はっと我に帰る。
まって。手を出していいとは言ったけど、ちょっと展開が早すぎるんじゃない? 第一、朝だし。旅館の朝ごはん食べたいし。
「ちょ、っと待って、」
「何?」
「展開早くない? 流されるところだった」
「……もしかしてここでまだ”待て”させる気ですか?」
布団の上でわたしに覆い被さったシュンくんの表情は至って穏やかだ。こいつ、恋愛したことがないなんて言っていたくせに。やけに肝がすわっている。
「りょ、旅館の朝ごはん食べたいし……」
「そんなのまたいつでも連れてきますよ」
「朝だし……」
「このタイミングで煽ったのはそっちじゃないですか」
「煽ったわけではないんだけど……」
「俺も男ですよ、好きな人にあんなこと言われて黙ってると思いますか」
珍しく強引だ。もしかしてもう後には引けないかもしれない。というかタイミングを図っていたのはわたしの方だったはずなのに、いざこうなると緊張してきたというのが本音だ。だって彼とは半年以上プラトニックに関係を続けてきたわけだし。
「いや、そうなんだけど、いざそうなると緊張してきたというか」
ムードが無さすぎる。全部わたしのせいだけど。でもシュンくんの熱のこもった視線には敵わない。わたしはきっと今後も彼のことを全部ゆるしてしまう。
だってあまりにも、好きすぎる、シュンくんのことが。
「……”待て”がうまい犬は誰より綺麗に餌を食べ尽くすと思いませんか?」
「い、犬飼ったことないし……」
「こっちは半年以上聖人だったんですけど、それは理解できてますか?」
「聖人でいてくれなんて言ってない……」
「じゃあもっと早く手出して良かったんだ」
「そりゃ、シュンくんなら、そうだよ、」
「……人を煽るのがうまいですね、そういうとこ本当気に食わない」
「で、でも、まって! 朝だから!」
「関係ないよ、もう黙って」
ああもう、この人にはきっと一生敵わないのだろう。
再び降ってきたキスは強引なようであまりにやさしくて、雪崩のようにそのまま彼に抱きついた。
溶けるようにあつい熱をこの先ずっと覚えているのだろう。好きだとか愛しているだとか簡単な言葉を滅多に使わない彼が珍しく何度も譫言のように「好きです」と呟いているのを聞いて、全身に水が溜まっていくようだった。
わたしがわたしとして生きていてこんなふうに愛されるのなら、今までの全部、きっとこの人と出会うためにあったのかもしれない。そんな馬鹿げたことを思ってしまうくらい、シュンくんはたっぷりと時間をかけて抱いてくれた。
「先に起きないでくださいよ」
しゃこしゃこと洗面で歯を磨いていたところで、うしろからのっそりとまだ眠たそうなシュンくんが起きてきた。相変わらず朝が弱いらしい。
「ごめん起こしちゃった? まだ寝てていいよ、時間あるし」
「……俺も歯磨きます」
目を擦りながらずかずかと横にやってくる。
先に起きたことが不機嫌なのか、それとも低血圧で朝が弱いだけなのか、或いは昨日のわたしの失態に呆れているのか。
いつもより低い声に、広い洗面の鏡越しにじっと彼を見る。
「……ごめんね昨日、怒ってる?」
「なにがですか?」
ばしゃばしゃと顔を洗いながら鏡越しにこちらを見上げる美少年。はだけた浴衣も少し寝癖のついた髪もきみなら全部かわいらしい。
「わたし、悪酔いして、寝落ちちゃったでしょ……」
「ああ、そんなこと」
「そんなことって」
「まあ、たち悪いなとは思いましたけど。横で寝るって、正直結構我慢必要なので」
しゃこしゃこと。今度はわたしの横に並びながらなんでもないみたいな顔をして歯を磨きはじめる。
わたしはその言葉に固まってしまった。だって、シュンくんからそういう話題が出たことなんて一度もない。
つまりそれは、そういうことであってる?
「……あのさ、いちおうきくけど」
「はい?」
一旦わたしはうがいをしてタオルで口を拭く。シュンくんは歯磨きをしながら器用に答える。朝から変な図だ。わたしたちっていつもこう。
「シュンくんとわたしって、付き合ってる、よね」
「まあ、世間で言えば、そうなんじゃないですかね」
「我慢必要っていうのはさ、その、シュンくんって、いやシュンくんにも? ……欲があったりするの?」
「逆にないと思ってましたか?」
なんだその返答。もっとわかりやすく言ってよ。いい歳してどうしてこんな会話をしなきゃならないの。
急に恥ずかしくなってきた。でももう後には引けない。忘れていたけど、この美少年は相手の気持ちを汲み取るのがやけに下手なコミュ障なんだった。
「……ていうことはさ、つまり、なんていうか」
「なんですか?」
「手、出してもいいんだよ? ……遠慮なく」
「………」
「………」
あれ、もしかして間違えた、かもしれない。
シュンくんは表情を変えずしゃこしゃこと歯を磨いて、それから口を濯いだ。何か言ってよ。さすがにわたし、恥ずかしい年上すぎるでしょ。
いますぐにでも言った言葉を取り消そうかと、うがい終わったシュンくんに声をかけようとした刹那。
ふわり、と。そういう効果音が正しいかどうかわからないけど、触れるだけのやさしいキスが落ちてきた。
わたしはそれにまた固まる。彼の鋭い視線に捕まったからだ。
絡んだ視線の先で、彼がわたしの表情を見定めているのがわかった。彼の瞳にそういう熱が籠る瞬間を初めて見た。
そして再びわたしより幾分か背の高いシュンくんの唇が噛み付くように降りてきた。瞬間、自身に熱が宿る。彼がこんなふうにキスをすること今まで知らなかった。ざらりとした舌の感覚が艶かしい。どうしよう、この人のこと全部欲しい。
暫くして顔を離すと、何も言わずに手を引かれる。そうしてそのまま、さっきまで寝ていた場所へぼすりと押し倒された。
わたしに覆い被さったシュンくんの顔を見て、はっと我に帰る。
まって。手を出していいとは言ったけど、ちょっと展開が早すぎるんじゃない? 第一、朝だし。旅館の朝ごはん食べたいし。
「ちょ、っと待って、」
「何?」
「展開早くない? 流されるところだった」
「……もしかしてここでまだ”待て”させる気ですか?」
布団の上でわたしに覆い被さったシュンくんの表情は至って穏やかだ。こいつ、恋愛したことがないなんて言っていたくせに。やけに肝がすわっている。
「りょ、旅館の朝ごはん食べたいし……」
「そんなのまたいつでも連れてきますよ」
「朝だし……」
「このタイミングで煽ったのはそっちじゃないですか」
「煽ったわけではないんだけど……」
「俺も男ですよ、好きな人にあんなこと言われて黙ってると思いますか」
珍しく強引だ。もしかしてもう後には引けないかもしれない。というかタイミングを図っていたのはわたしの方だったはずなのに、いざこうなると緊張してきたというのが本音だ。だって彼とは半年以上プラトニックに関係を続けてきたわけだし。
「いや、そうなんだけど、いざそうなると緊張してきたというか」
ムードが無さすぎる。全部わたしのせいだけど。でもシュンくんの熱のこもった視線には敵わない。わたしはきっと今後も彼のことを全部ゆるしてしまう。
だってあまりにも、好きすぎる、シュンくんのことが。
「……”待て”がうまい犬は誰より綺麗に餌を食べ尽くすと思いませんか?」
「い、犬飼ったことないし……」
「こっちは半年以上聖人だったんですけど、それは理解できてますか?」
「聖人でいてくれなんて言ってない……」
「じゃあもっと早く手出して良かったんだ」
「そりゃ、シュンくんなら、そうだよ、」
「……人を煽るのがうまいですね、そういうとこ本当気に食わない」
「で、でも、まって! 朝だから!」
「関係ないよ、もう黙って」
ああもう、この人にはきっと一生敵わないのだろう。
再び降ってきたキスは強引なようであまりにやさしくて、雪崩のようにそのまま彼に抱きついた。
溶けるようにあつい熱をこの先ずっと覚えているのだろう。好きだとか愛しているだとか簡単な言葉を滅多に使わない彼が珍しく何度も譫言のように「好きです」と呟いているのを聞いて、全身に水が溜まっていくようだった。
わたしがわたしとして生きていてこんなふうに愛されるのなら、今までの全部、きっとこの人と出会うためにあったのかもしれない。そんな馬鹿げたことを思ってしまうくらい、シュンくんはたっぷりと時間をかけて抱いてくれた。



