シュンくんが大学を卒業してから1ヶ月と少しが経過した。4月下旬。長袖一枚で外に出られるほど暖かくなって、遅咲きの桜が満開を迎えている。4月中旬には彼の誕生日があって、小さなホールケーキでお祝いした。プレゼントはまだあげていない。
慣れないスーツを見に纏ったシュン美少年は大手IT企業のSEとして就職した。とはいえ新卒新入社員だ、半年間はリモート研修で本配属はその後らしい。IT業界には疎いので仕事の内容は聞いてもよくわからなかった。
わたしとシュンくんの距離感はずっと変わらない。社会人になったらそのへんはおいおい話をするつもりだったけれど、年度始めということもあってお互い新生活は忙しく中々時間が合わなかった。
シュンくんはそんな忙しい間を縫ってわたしの家へとやってきたけれど、お互いご飯を食べてお風呂に入って別の部屋で寝ることがルーティーン化してしまった。正直週の3〜4日はうちにいるので、もう一緒に住んでもなんら問題はない。シュンくんもずっと家賃や生活費について気にしているし(ほんと律儀だよね、年下なんだから甘えておきなさいといつも言うのだけど)。
そんなこんなで怒涛の4月最終週。なんとか仕事に折り合いをつけて、彼の地元で行われるという桜まつりに向かっていた。もちろん日帰りだけど小旅行気分だ。
「ていうかさ、毎年ナツノちゃんと行ってるって言ってたけど、いいの? 今年はわたしとで」
「おれがそうしたいから誘ったので、冬乃さんはそんなこと気にしなくていいと思いますけど」
またずれた回答をするなあ。知りたいのはそこじゃない。
揺れる電車のボックス席で隣同士。シュンくんは本を読んでいた。春の気温がやけに心地いい。淡いブルーが似合う季節だ。
わたしは乗り物酔いしそうなので窓の外を眺めることくらいしかやることがない。いい加減暇だ。
「シュンくんはいいかもしれないけど、向こうはどう思ってるかわからないよ」
「むしろ喜んでましたよ、ナツノとスミ以外に自己開示すること今までなかったので」
「……そういうものなの?」
「理解され難い関係性なんですかね、俺とナツノって」
どうだろう。その関係性に踏み込んだことが無いからわからない。
「……わたしには幼馴染とかいないから羨ましくも思うけど、異性である以上理解されないことはあるかもしれないね」
それは本心だ。
電車が長いトンネルへと入る。都内から離れるにつれて車内は人が減っていった。同じ車両にはほとんど人の気配がない。
「まあ、言いたいことはわかります」
「そうなんだ」
「理解はできるけど、共感はできないってやつですかね」
「小難しいこと言うね」
「異性とか同性とかそういうものは、見た目で判断されるものでしかないですよ。普通の人が想像もし得ないところで生きてる人間もいる」
珍しく饒舌になるシュンくんの横顔を見ると、読んでいる本から目を離さずにそう話していた。器用な少年だ。
「……でも、冬乃さんが少しでも不安になったり違和感を覚えたりするなら、それは本望じゃないので、今日ここへきたんですよ」
ゴオ、と。風の抜ける強い音がした。長いトンネルを抜けて視界が再び春の空に包まれる。
わたしは彼に気持ちを何ひとつ伝えていないのに、この美少年はあらゆることを見透かしている。出会った時は会話が下手で人の気持ちを汲み取るのがやけに下手くそだと思っていたのに、長い時間をかけてわたしのことを理解したようだった。
そうか、それならばきっと、シュンくんが毎年幼馴染である”ナツノ”と訪れていた桜まつりにわざわざわたしを呼んだことは、かなり意味のあることだったのか。
「……シュンくんってさ、写真撮るの好きなの?」
「ああ、まあ、そうですね。言ってなかったですっけ」
「なんとなくは知ってたよ、出会った時写真くれたことは覚えてるし」
「大学入ってからはスマホでしか撮ってないですけど、中高の頃は写真部だったのでよく撮ってましたよ」
写真部だったのか。そういえばスミくんがそんなことを言っていたような気がする。同時に、スミくんにカメラを持っていった方がいいとアドバイスされたことをすっかり忘れていた。今度謝ろう。
桜まつりに誘われた時、シュン美少年がわたしに見せてくれた写真を思い出していた。通りで画角や色合いがとても綺麗だった。わたしが言うとチープになりそうだけれど、彼が撮るものには儚さがある。
桜まつりは昼から夜にかけて夜通し行われるようで、わたしたちはちょうど提灯の明かりが灯る夕方着を目指していた。シュンくん曰く昼間よりもそっちの方が綺麗なんだとか。
「そっかー、全然知らなかったな。でも、最初にくれた1枚もプロが撮ったのかと思ったよ。売物だと思ってた。わたし本格的なカメラとか触ったことないから難しさがよくわかんないけど」
「結構奥深いですよ。おれが持ってたのは古いフィルムカメラなので割と誰がとってもそれなりに見えますけど」
そんなふうに謙遜しなくたっていいのに。
「いつから写真撮ってるの?」
「中1くらいですかね、父親に貰って」
あれ、そういえば、シュンくんの両親は離婚している。あまりよくない話題を振ったかもしれない。気にすることが逆に彼の気に触るかもしれないし、私はこういう時いつも自分がいかに平凡な人生を送ってきたか実感してしまう。
「あー、そうなんだ、」
「……まずい話題振ったなって思ってます?」
「え? いやいや、そんなことないよ」
「冬乃さん意外と顔に出やすいって自分で気づいてますか」
そんなこと初めて言われた。
シュンくんが本から目を離してくすりとわらう。もうすぐ乗り換えの駅に着く。
「大丈夫ですよ、冬乃さんに言いたくない話題なんて俺にはひとつもないです。親とか家族とか、そういうものをセンシティブに捉えている貴女の価値観もいいなと思ってますから」
なんだそれ。全部わかったような口を聞く。
「……わたしは逆に、そういうことに過剰に反応する方が失礼かなと思う。失礼、という言葉を使うこと自体適切じゃない気もするし」
「別に普通じゃないですか? 自分と生きてきた環境が違う人のことを気にするのはむしろ優しさだと思いますけど」
でもそれは、わたしが心のどこかで他人と違うマイノリティ側であるひとたちのことを、可哀想、若しくはそれに似た感情をもっているからだ。
心の底から対等に見ているのであれば本来気にも留めないだろう。
大衆側である自分の傲慢さに嫌気がさすときがある。
「想像し得ないことを理解しようとするより、あえて触れない選択をする貴方のことが俺は好きですよ。自分もそういうふうに生きたいとすら思います」
じわり、効果音で表すのならそんな類の言葉だろうか。
まるで白い紙にインクが滲んでいくよう。シュンくんの言葉はいつも水分を含んでいる。枯渇したわたしの思考にいつもたっぷりとそれを流し込んでくる。
「あ、この駅で乗り換えです」
なんでもないように彼が立ち上がる。その後ろ姿とすこしはねた後ろ髪を見ながら、このひとのことをきっと一生嫌いになることなんてないのだろうとおもった。もし今後隣にいない日があったとしても、彼にはどこかで幸せでいて欲しい。
こんなこと感じたことがない。こういう気持ちをひとはなんと呼ぶのだろう。



