ソクラテスと林檎の木



 よくよく考えてみればの話だけれど。
 わたしは本来しっかり者でもなければ強い人間でもなく、失敗やミスを恐れて人一倍努力して来ただけの凡人で、努力の裏には見栄やプライドといった醜い感情が確かに存在している。
 わたしが周りに賢くて強くて優秀だと言われるのなら、それはひとにそう見せることが得意だっただけだ。
 家族の中でお姉ちゃんでいることも、不真面目な友人たちよりいい成績を取ることも、愛嬌でのらりくらりと生きている人間より上でありたいと思うことも、ずっと当たり前だと思って生きてきたからこそ。
 自身がほんとうは誰よりも弱くてちっぽけで、中身のない空っぽな人間だと思い出すたびに、あまりに情けなくてひどく泣きたくなることがある。
 飛び抜けた才能や人に頼れる愛嬌や自慢できる特技なんて何もない。あるのは必死に取り繕ってきた見せかけの自分だけなのだ。

 そしてタイミング悪く、1年に数回くるそんなネガティブな日を、あろうことかわたしは美少年の晴れの日に引き当ててしまったらしい。
 
 シュン美少年の卒業式。
 まず仕事のミスが発覚して、午前中出社になったことがすべての発端だ。いつもならこんなミスしないのに。
 急いで仕事を終えたものの碌に準備もできず、今日のために新調したワンピースを着ることができなかった。
 慌てて買いに走った花束は急いで包んで貰ったからか色合いが気に入らず、かと思えば地下鉄の階段で思いっきりコケる始末。パンプスは無事だったものの、足は盛大に捻挫するし、花束はよれよれだし、そもそも横切った通行人に笑われた時点で結構限界だったのだけれど。
 無駄な根性と諦めの悪さが仇となって、痛い足を引き摺りながら訪れた美少年の卒業式は、正直言って、地獄だった。

 幸か不幸か数百人を超える卒業生があちこちで戯れる大学敷地内にて美少年をすぐに見つけた。いや、見つけてしまった、と言った方が正しいかもしれない。

 身体バランスがよく人より随分と整った顔をしたスーツ姿のシュン美少年は、相変わらず爽やかな笑顔を浮かべたスミくんの横にいて、───まあ想定内ではあったけれど───数多(あまた)の異性に囲まれていた。それはもう、そこそこのインフルエンサーと言っても過言ではないくらい。

「早川くんってもっと話しにくい人かと思ってたー」
「ね、勇気出して最後に話しかけてよかったよね」
「ほんと! 話したら普通に優しいし、絶対どっかから連絡先仕入れるわ」
「あの顔は反則すぎる」
 
 颯爽と横を通り抜けていく女の子たち。そういえばシュンくんの苗字って早川だったな。忘れかけていた。
 人嫌いって言っていたくせに、満更でもなさそうな顔をして写真に応じる美少年の姿を見て、「ああそうだ、シュンくんって4つも年下の、ただの男の子だったんだった」と、落胆する自分がいた。
 なあんだ、そっか、そりゃそうだよ。
 いつも2人でいるから忘れかけていた。
 シュンくんにはシュンくんの生活があって、コミニティがあって、わたしには知ることができない時間がある。
 そんな当たり前のことを、どうして忘れていたのだろう。
 よれた花束をぎゅっと抱えて立ちすくむ。この花、結構高かったんだからな、ばかやろう。