最寄駅スタバのドリンク受け取り口にて。頼んだティーラテを受け取りながら、珍しく深く被っていた帽子からゆっくり瞳を覗かせる。
目があった店員───もといシュンくんの親友だというスミくんが驚いたように口を開いた。
「あ! 冬乃さん! すみません全然気が付かなかった!」
軽く頭を下げて微笑んでから、「突然ごめんね、今日ってバイトの後時間あったりする?」と問うと、爽やかイケメンはきょとんと目を丸くした。
◇
「ごめんねいきなり、しかもバイト終わりに」
「いえいえ、まさか冬乃さんから誘われると思ってなかったので嬉しいですよ。シュンのことですよね」
スミくんのバイトが終わった平日20時過ぎ。バイト終わりに付き合ってもらうのは少々気が引けるけれど、彼と話すチャンスはこれくらいしかなかったから仕方がないと思うことにする。
「あは、そう。そんなことできみを呼び出すのはちょっと大人気ないんだけどね」
「そうですかね? 随分大人だと思いますよ。世の中適当に恋愛してる人の方がずっと多いですから」
「……まあとりあえず、奢るから好きなの頼んで?」
「はは、さすが年上お姉さん、お言葉に甘えさせていただきます」
駅ビル内のチェーンイタリアン。
スミくんは人懐っこい笑顔の割に意外と芯をつくようなことを言う。
わたしはアラビアータ、スミくんはジュノベーゼを頼んで向き直ると、それで、といきなり本題に入ろうとする。
「シュンと何かあったんですか?」
「いや……何かあったとかそういうわけじゃないんだけど」
彼と話したいと思ったのには理由がある。
それはもちろん、シュン美少年のことに決まっているのだけれど。
「あー、じゃあそろそろ、関係に名前をつけようとか、そんな感じですか?」
「……スミくんってわたしのことあんまり好きじゃないよね」
「そんなことないですよ。でも、シュンは友人だから」
スミくんの言いたいことはわかっている。
以前、彼と初めて会った時も少し牽制されたことがあった。スミくんからしてみれば、得体の知れない年上の家に大事な友人が入り浸っているのだ。不思議に思うのも不快に思うのも無理はない話。
しかも、シュン美少年とわたしの間には確かな関係性がない。説明しろと言われても難しいというのが正直なところだ。
「スミくんが心配してるようなことは本当に何もないよ。それにわたしも……ちゃんとしなきゃなって、だから今日、こうしてスミくんに話を聞きにきたんだし」
「冬乃さんの言いたいことはわかるし、別にシュンのことなので勝手にしろとも思いますけど、脈がないなら早く切りつけてあげて欲しいなって、おれは思いますけどね」
脈があるとかないとかそういう次元の話ではもうない気がする。
シュンくんとわたしの間には関係性としての名前はない。けれどこの半年間、ひどくやわらかくゆるやかに、それでいてどの季節よりも色濃く、彼の優しさに触れてしまった。
「うん、そうだね。でもね、大事に思ってるからこそ、シュンくんとのことに、簡単に踏み入れたくないなって気持ちもある」
「……」
「スミくん、わたし、きみたちよりも4歳も年上で、こんなこと言うのは恥ずかしいけどね。シュンくんのことは、もし彼が自分を選んでくれるなら、誰より大事にしたいって思ってる」
そんな陳腐な言葉しか出てこない自分を恨むけれど。
彼ができるだけ傷付かず、まるで鳥の羽が宙に浮くように、夕焼けの雨が暖かい温度であるように、目には見えないやさしさが彼の周りを包んだらいい。もしわたしとシュンくんがこの先一緒にいる未来がなくても、どうやってか、どうしてか、彼の周りで幸福の鐘が鳴っていればいい。
大事にしたいの定義はうまく出てこない。けれどそれくらいに、わたしはシュンくんのことを心のひどく深いところに置いてしまっている。
それがいつからか、もう判断のつきようがないけれど。
「……はは、冬乃さん、ごめんなさい、試すようなこと言いましたよね」
「ううん、わたしがスミくんの立場でも同じ態度取ると思う」
「シュンってああ見えて傷が多いタイプだから、冬乃さんみたいな強い人に惹かれるのかもしれないですね」
強い、のだろうか。
そういえば、元彼の拓実にもよく言われたし、家族にも職場でも友人にも、しっかりしているだとか、強いだとか、そういうことをよく言われる。
けれど本質はきっと違うんだろう。
シュンくんはわたしによく”甘え下手”だと言うし、”強がり”だと攻め立てる。つまり本当は誰よりよわくて、そういう部分をどうにか見えないように埋めているだけなのだ。
そしてシュンくんはいつだって、わたしの弱さに漬け込んで、まるで真珠を撫でるようにそっと触れてくる。
「それで、すみません、本題にずっと入れなくて。おれに聞きたいことがあったんですよね?」
わたしに少し心を開いてくれたんだろうか。
スミくんの視線が少しだけ真っ直ぐと私を射抜いた。
「うん……そうだね、聞きたいというか。今度、シュンくんが卒業したら、だけど……シュンくんの地元に行きたいなって思ってて」
それを約束してから既に数週間。3月上旬。
シュンくんの卒業式は来週に迫っていて、地元に連れて行ってくれるという話も順調に進んでいた。早ければ3月最終週、そうでなくとも4月の土日には訪れることになるだろう。
「あ、そうなんですか?」
「うん、それでさ、多分……シュンくんとナツノちゃんのことも、聞くことになると思うから」
スミくんが目を丸くしたのがわかった。彼は案外わかりやすい。
シュンくんのことでずっと引っかかっていることがある。
それは普段人に興味を見せない彼が時々溢す幼馴染たちについてのことだ。
ナツノと呼ばれるスミくんの恋人のことも、もうひとりいたという幼馴染のことも、彼の中でどう昇華されているのか、わたしにはわからないし、わかろうだなんて傲慢なことを思っているわけでもない。
けれど、シュン美少年は、きっとひどく自身の感情に疎い。彼が蓋をしている部分に触れることになるのは、たぶんわたしも、すこしだけ不安なのだ。
「冬乃さん、ネオンテトラって知ってますか?」
「え?」
伏せていた視線をあげると、にこりと笑うスミくんがいる。
ネオンテトラ。初めて聞いた単語だ。
「はは、その反応だと知らないですか」
「えーっと、ごめん、何のことかさっぱり」
「熱帯魚の名前です、ほら、半分が青色で、半分が赤色の、アマゾン川に生息してるサカナなんですけど」
突然何を言うのだろう。笑顔を絶やさずスマホの画面向けてくる爽やかイケメン。
そこには確かに青色の線が入っていて、お腹から尾びれにかけて赤色の小さなサカナが映っている。鮮やかな色をした熱帯魚。
「おれ、ずっとこのネオンテトラが、シュンみたいだなって思ってるんです」
「え?」
スマホのちいさな画面を見つめながら微笑む彼の目線はおだやかだ。冗談の類ではないのだろう。
「シュンってこう、この、真っ直ぐ入った青い線みたいに自分の軸がしっかりあって、良くも悪くも曲げないんですよね。それでいて、自分の感情にはけっこう疎かったりする。それはこの、尾びれの赤い部分です。本人には見えない情熱みたいなもの。本当はすげえ優しくて人想いな奴なのに、自分でそれを見失ってたりするから」
饒舌なスミくんの表情でわかってしまう。
彼らがどれほど濃い時間を共にしてきたのか。友情というにはすこし言葉が軽すぎるかもしれない。
「それか、自分で気づかないようにしているだけなのかもしれないけど。シュンって、人に頼るのが苦手なんですよ。だからその分、シュンにとって、冬乃さんみたいに心を開ける人が特別なんだと思います」
そうかな。
本当にそうだろうか。
わたしはシュンくんにとってなんだろう。好きかもしれないと言った美少年の言葉に惑わされているだけかもしれない。けれど、どうしようもない。いつだって彼のことが脳内にチラついて仕方がないのだ。
「シュンって孤高な奴なんです、人に弱さを見せたがらない。だからこそおれは、ずっと、シュンにこそ早くナツノたち以外の大事な人ができればいいって思ってました」
冬乃さん、貴女がシュンにとってそうであるなら、おれはすごくうれしい。
スミくんがそう言葉を続けたと同時に店員さんがパスタを持ってやって来た。
アラビアータにジュノベーゼ。湯気の上がるお皿をことりと置いて去っていく。いいにおいにつられて早速フォークを握った。いま、すごくいい話をしている途中だった気もするけれど。
「スミくん、わたしね、シュンくんが過去に大事な幼馴染を亡くしてることとか、上辺でしか知らないし、彼がどんな人かとか、そういうことも多分まだよくわからない」
「まあそりゃ、そうですよね」
「だから、わたしが彼に何かできるなんて思ってないの。何もできない。でも、だからこそ、側にいたいと思ってる」
ああこれは、完全に、いつかの美少年の受け売りだ。
─────『何もできないですよ、何かできるだなんて思ってない。でも、だからこそ、こうして側にいるんです』
彼がそう愛情を注いでくれるのなら、わたしも同じかたちで返そう。
スミくんがふっとわらった。彼には全部見透かされているような気がする。
「そうだ。地元帰るなら、カメラ、持ってきてもらった方がいいかもしれないです」
「カメラ?」
「高校の時───あの街にいた頃は、シュン、いつも持ってたんですよ。相棒みたいに」
なんだそれ、初めて聞いた。
でも、確かに─────あの大雨の日、差し出された1枚の写真のことを思い出した。今でも栞として使っているそれは、もしかしたらシュンくんが撮ったものなのかもしれない。
今度聞いてみよう。雨が降っていない日に。



