◇
いつまでそうしていたのだろう。
拓実がいた時もいなくなったあとも、厄介なことに涙がとまらず、仕方なく床に座ってソファへ突っ伏していた。嗚咽がする。泣きたいわけではないのにとまらないそれは、この際もう枯れるまで流れればいいとおもうほど。
「冬乃さん、ホットミルク、飲みますか」
だから、突然そう声をかけられて驚いた。
聞き馴染みのある無機質なその声が、まさかこのタイミングで降ってくるなんて思いもしなかったからだ。
「、え、」
「ひどい顔ですね」
「し、シュンくん……、い、いつの間、に」
最悪だ。こんな最低なビジュアルで顔を上げてしまったというのに、この少年は今日も変わらず顔がうつくしい。
というか、この2週間、全く顔を見せなかったくせに。こんな日に限ってやってくるなんて。てかどうやって入ったの。
「元彼いい人ですね」
「え……」
「前、平日の昼間ここで会った時、念の為連絡先交換しておいたんですよ。そしたら今日さっき連絡くれて、入れ違いに部屋も入れてくれました」
何それ全然聞いてないし、だとしたら拓実はけっこういろんなことがわかっていて、その上で気持ちを伝えてくれたのか。
別れた男女は男の方が未練が残りやすいというけれど、あながち間違いではないのかもしれない。
「寒くないですか」
「さむく、ない……」
「そんなに泣いたら綺麗な顔が台無しです」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなの……」
「ホットミルク飲みますか」
「……もう少し冷ましてから飲む」
わたしが項垂れるソファ横。
折角用意してくれたのであろうホットミルクをローテーブルに置いてから、わたしの横に同じように床に座ってコテンと頭をソファに降ろす。
視線が同じ高さになる。
そうだ、そういえばいつだって、シュンくんはこうやってわたしと視線を合わせてくれるのだ。
涙はまだ止まらない。けれどシュンくんのこの瞳に、空いた穴がやわらかく埋まっていく感覚がする。これは一体なんなのだろう。
「フられました?」
「フられてない」
「じゃあフッたんですね」
「……別にそういうわけじゃないよ、」
「教えてくれてもいいのに」
「この2週間ずっと無視してたくせによく言う」
「無視というか拗ねてたというか」
「……シュンくんって子供っぽいところあるよね」
「ガキなんで」
この間のこと、根に持ってるのだろうか。わたしが拓実と会うこと自体止めなかったくせによく言う。
「何かしてくれてもよかったのに」
「何かって?」
「べつに、なんでもいいけど、なんか、」
「冬乃さん、俺はね、何もできないです。貴女に何か出来るなんてこれっぽっちも思ってない。でも、何もできないから、だからこうして、側にいるんです」
側にいることしかできないというのは、ある意味、すごい愛情のような気がする。それはシュンくんが前に言っていた、100%の定義を思い出したからだ。
「……シュンくんって、わたしのことが好きなの?」
もう、痺れを切らして、言葉が落ちた。
シチュエーションは最悪だ。元恋人をフッた直後、訳の分からない涙をぼろぼろと流しながら、同じ目線でソファに頭を預ける2人。
「好きなんじゃないですかね、多分。人を好きになったことがないからわからないけど、もう二度とこんな風に泣いてほしくないとは思ってます」
やけにあっさりと、変わらない表情で、美少年はそう言ってのけた。
ぱちくりと目を瞬きしても彼の表情は変わらない。けれどやけに真っ直ぐわたしを見ている。この間まで、この感情がなんなのかわからないって言っていたくせに。
「……そんなにあっさり言うものなの」
「あっさりですかね」
「じゃあわたしが元彼と寄り戻してたらどうしてたの」
「冬乃さんが幸せなら仕方ないって思います」
ああそう。やけに引き際のいい年下。
なんて思ったのも束の間。
「っていうのは建前で、正直気が気じゃなかったですよ」
「え、」
「冬乃さん、こんな時に不謹慎ですけど、正直あなたが元彼をフッたこと、俺はガキだから、馬鹿みたいに嬉しいんですよ」
「えっ、と……」
「俺はね、冬乃さん、多分、貴女が思ってるよりも、自分が思ってるよりも、貴女に幸せでいて欲しいと思っているし、同時に自分が側にいたいなんていう独占欲まである、強欲な奴です」
あまりにストレートで、真っ直ぐで、それでいてわたしには指一本触れやしない。
真面目で律儀でコミュ力のかけらもない。だけどいつもわたしの深いところをついてくる。この恋を知らないという美少年は非常に厄介だ。
そしてわたしは、そんな年下に絆されている大馬鹿者かもしれない。
「……ねえ、前にさ、シュンくんの生まれ育った街に行きたいって話したでしょ」
「そうでしたっけ」
「覚えてるくせに」
「まあ、そうですね」
「大学卒業したら連れてってよ」
「じゃあ、卒業してもここに来ていいですか」
「そんなのいつでも来たらいいよ」
「……もう大学生じゃなくなるんですよ、家賃も払えるし、そういう意味だって、わかって言ってますか」
「それはさ、そういう話は、きみが大学を卒業したら、面と向かって話すよ」
「本当いつまでも子供扱いですね」
「学生はいつまで経っても子供なんだよ」
きみが思っているよりずっと、学生と社会人の社会的立場は違う。思考も判断も変わってくる。
いまの彼にすべてを委ねるのは酷であって、じっくりゆっくり選べばいい。これはわたしがきみより幾分か長く生きているからこその余裕だと思ってもらおう。
「わかりました、じゃあ卒業したら地元行きましょう」
「いいの?」
「別にいいですよ、帰るのが面倒くさかっただけなので」
少し不服そうに、けれども満足げに。
「卒業後も冬乃さんに会えるんなら、そんな約束いくらでも」
そう言ってわたしの視線を捉えて離さない美少年は、ちょっとだけ、いやかなり、狡賢いのかもしれない。
いつまでそうしていたのだろう。
拓実がいた時もいなくなったあとも、厄介なことに涙がとまらず、仕方なく床に座ってソファへ突っ伏していた。嗚咽がする。泣きたいわけではないのにとまらないそれは、この際もう枯れるまで流れればいいとおもうほど。
「冬乃さん、ホットミルク、飲みますか」
だから、突然そう声をかけられて驚いた。
聞き馴染みのある無機質なその声が、まさかこのタイミングで降ってくるなんて思いもしなかったからだ。
「、え、」
「ひどい顔ですね」
「し、シュンくん……、い、いつの間、に」
最悪だ。こんな最低なビジュアルで顔を上げてしまったというのに、この少年は今日も変わらず顔がうつくしい。
というか、この2週間、全く顔を見せなかったくせに。こんな日に限ってやってくるなんて。てかどうやって入ったの。
「元彼いい人ですね」
「え……」
「前、平日の昼間ここで会った時、念の為連絡先交換しておいたんですよ。そしたら今日さっき連絡くれて、入れ違いに部屋も入れてくれました」
何それ全然聞いてないし、だとしたら拓実はけっこういろんなことがわかっていて、その上で気持ちを伝えてくれたのか。
別れた男女は男の方が未練が残りやすいというけれど、あながち間違いではないのかもしれない。
「寒くないですか」
「さむく、ない……」
「そんなに泣いたら綺麗な顔が台無しです」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなの……」
「ホットミルク飲みますか」
「……もう少し冷ましてから飲む」
わたしが項垂れるソファ横。
折角用意してくれたのであろうホットミルクをローテーブルに置いてから、わたしの横に同じように床に座ってコテンと頭をソファに降ろす。
視線が同じ高さになる。
そうだ、そういえばいつだって、シュンくんはこうやってわたしと視線を合わせてくれるのだ。
涙はまだ止まらない。けれどシュンくんのこの瞳に、空いた穴がやわらかく埋まっていく感覚がする。これは一体なんなのだろう。
「フられました?」
「フられてない」
「じゃあフッたんですね」
「……別にそういうわけじゃないよ、」
「教えてくれてもいいのに」
「この2週間ずっと無視してたくせによく言う」
「無視というか拗ねてたというか」
「……シュンくんって子供っぽいところあるよね」
「ガキなんで」
この間のこと、根に持ってるのだろうか。わたしが拓実と会うこと自体止めなかったくせによく言う。
「何かしてくれてもよかったのに」
「何かって?」
「べつに、なんでもいいけど、なんか、」
「冬乃さん、俺はね、何もできないです。貴女に何か出来るなんてこれっぽっちも思ってない。でも、何もできないから、だからこうして、側にいるんです」
側にいることしかできないというのは、ある意味、すごい愛情のような気がする。それはシュンくんが前に言っていた、100%の定義を思い出したからだ。
「……シュンくんって、わたしのことが好きなの?」
もう、痺れを切らして、言葉が落ちた。
シチュエーションは最悪だ。元恋人をフッた直後、訳の分からない涙をぼろぼろと流しながら、同じ目線でソファに頭を預ける2人。
「好きなんじゃないですかね、多分。人を好きになったことがないからわからないけど、もう二度とこんな風に泣いてほしくないとは思ってます」
やけにあっさりと、変わらない表情で、美少年はそう言ってのけた。
ぱちくりと目を瞬きしても彼の表情は変わらない。けれどやけに真っ直ぐわたしを見ている。この間まで、この感情がなんなのかわからないって言っていたくせに。
「……そんなにあっさり言うものなの」
「あっさりですかね」
「じゃあわたしが元彼と寄り戻してたらどうしてたの」
「冬乃さんが幸せなら仕方ないって思います」
ああそう。やけに引き際のいい年下。
なんて思ったのも束の間。
「っていうのは建前で、正直気が気じゃなかったですよ」
「え、」
「冬乃さん、こんな時に不謹慎ですけど、正直あなたが元彼をフッたこと、俺はガキだから、馬鹿みたいに嬉しいんですよ」
「えっ、と……」
「俺はね、冬乃さん、多分、貴女が思ってるよりも、自分が思ってるよりも、貴女に幸せでいて欲しいと思っているし、同時に自分が側にいたいなんていう独占欲まである、強欲な奴です」
あまりにストレートで、真っ直ぐで、それでいてわたしには指一本触れやしない。
真面目で律儀でコミュ力のかけらもない。だけどいつもわたしの深いところをついてくる。この恋を知らないという美少年は非常に厄介だ。
そしてわたしは、そんな年下に絆されている大馬鹿者かもしれない。
「……ねえ、前にさ、シュンくんの生まれ育った街に行きたいって話したでしょ」
「そうでしたっけ」
「覚えてるくせに」
「まあ、そうですね」
「大学卒業したら連れてってよ」
「じゃあ、卒業してもここに来ていいですか」
「そんなのいつでも来たらいいよ」
「……もう大学生じゃなくなるんですよ、家賃も払えるし、そういう意味だって、わかって言ってますか」
「それはさ、そういう話は、きみが大学を卒業したら、面と向かって話すよ」
「本当いつまでも子供扱いですね」
「学生はいつまで経っても子供なんだよ」
きみが思っているよりずっと、学生と社会人の社会的立場は違う。思考も判断も変わってくる。
いまの彼にすべてを委ねるのは酷であって、じっくりゆっくり選べばいい。これはわたしがきみより幾分か長く生きているからこその余裕だと思ってもらおう。
「わかりました、じゃあ卒業したら地元行きましょう」
「いいの?」
「別にいいですよ、帰るのが面倒くさかっただけなので」
少し不服そうに、けれども満足げに。
「卒業後も冬乃さんに会えるんなら、そんな約束いくらでも」
そう言ってわたしの視線を捉えて離さない美少年は、ちょっとだけ、いやかなり、狡賢いのかもしれない。



