次の日、珍しく早起きしてリビングへ向かうと寝起きのシュンくんがホットコーヒーを飲んでいた。
 いつでも泊まりに来ていいと言ったのは私のほうだけど、昨日スミくんに関係性を聞かれたからか少々面食らう。

「おはよ」
「あれ、今日は早いですね」
「……シュンくんこそ。いつも遅くまで本読んでるから朝起きてこないのに」
「朝読書もいいかなって」

 真面目そうに見えて、たぶんシュンくんは朝が弱い。読書好きで夜中まで本を読んでいるからということもあるのだろうけれど、私が仕事に行く日、同じ時間に起きていることは殆どない。鍵はいつもポストに入れられているか、夜までわたしの家にいることもある。
 まだ眠たい頭をなんとか起こしながら席に着くと、シュンくんが白湯を準備してくれた。温かいお湯を飲むのはわたしの毎日のルーティーンだ。こんなことまで知られているのはなんだか恥ずかしいけれど。

「トーストとヨーグルトでいいですか?」
「うん、そうしよっかな」

 朝は食べないことも多いけど、今日はまだ時間があるし。躊躇いもなく人の朝食をねだる年下美少年。身体の関係がないとはいえ、家に出入りさせているわたしもわたしで大概なのかもしれない。
 
 暫くするとシュンくんが焼いたトーストにキウイの乗ったヨーグルト、それから冷たいお茶がテーブルに並べられた。バターと杏ジャムも。
 彼も同じものを同じように並べる。わたしはその間今日のスケジュールを確認したり朝のニュースを観る時間が確保できるので、シュンくんがこの家にいるメリットとしては充分だ。

「冬乃さん」
「ん?」
「冬乃さんってもしかして、人に頼るの苦手ですか?」
「え、なんで?」

 きょとんとシュンくんを見ると、少し怪訝そうな顔をして、それからひょいとわたしが手にしていたジャムの瓶を取り上げた。
 ジャムの瓶があけられず手こずっていたことがバレたらしい。

「これ、さっきから固くて開けられないんじゃないですか」
「えーっと、うん、まあ?」

 わたしが答えるより先に一瞬でジャムの蓋を開けた彼は、それをなんでもないみたいにわたしの方へと差し出した。ありがとう、と小さく呟きながら受け取る。
 あれ、もしかして今、甘やかされているんだろうか。あまり意識していなかったけれど、いくら美少年とはいえ、力差はある。彼も男の子だ。

「塗らないんですか? ジャム」
「えっ、ああ、塗るけど……」
「けど?」
「人に頼るの苦手そうに見えてるのかなって、気になって」
「苦手かどうかは主観なのでわからないですけど、自分ですべてやろうとする癖があるのかなとは思ってます」

 人に頼ることが苦手、なんだろうか。そんなこと、自分で考えたこともなかったな。

「冬乃さんって、家族構成は?」
「え、突然?」
「そういえば、あなたのことをまだ何も知らないので」

 そこそこの時間は共有していた気がするけれど、確かにそうかもしれない。シュンくんとは、お互い無口でいる時間に気まずさがないから、特段踏み込んだ話題を出していないのだ。

「普通の家だよ、弟と妹がいて、長女」
「ああ、なんかイメージ通りです」
「シュンくんは?」
「兄弟はいないですね、数年前に離婚したので今は実家がふたつあって、まあどちらとも仲は普通です」

 意外な回答だ。飄々と答えてくれるけれど、仲のいい両親の元へ生まれたわたしは、この手の話題をひどくセンシティブなものだと思ってしまう。
 相手は意外と気にしていなかったりするのに、当事者が過度に反応するのには反対派だ。現代の日本では離婚率50%と言われているくらいだし、どちらが普通の家庭かは時代と共に移りゆくものなのにね。

「ひとりっ子なんだ、確かに言われてみればそうかも」
「そうですか?」
「うん、人に興味なさそうな感じが」
「まあ、興味はないですね。でも、冬乃さんこそじゃないですか」
「そう?」
「人に頼るのが苦手なんじゃないかって話、妹と弟がいると考えると、なんか納得できるなって」
「え、そんなことで?」
「偏見ですけどね。なんでもひとりでやろうとするから」

 ジャムの瓶を開けることを頼まなかっただけなのに、いやに根に持っている。頼られなかったことが悔しいのかな。そうだとしたらかわいい年下だ。

「何歳離れてるんですか?」
「弟が大学2年で、妹が高校2年。結構離れてるでしょ?」
「確かに」

 6歳下の弟と9歳下の妹。家族の中では頼られることが多い圧倒的長女だ。可愛げのない自分と違って愛嬌のある妹と弟を、両親はひどく可愛がった。
 家族の中では自分が一番しっかりしていなきゃ、という気持ちがいつもある。学生時代、勉強も運動も自分がいちばん出来が良かった。初めから出来たと言うより、出来るようにした、というのが正しいのかもしれないけれど。考えてみれば、両親にはいつも上手く甘えることができなかった。弟や妹たちの面倒を見ながら、わたしは一歩後ろで甘えて育てられている下を見ていた。勿論家族のことは大好きだけれど、人に頼ることが苦手だと言われれば、それは育った環境が大きく関係しているような気もする。

「確かに、昔から親にも上手く甘えられなかったかも」
「そんな感じはしますね」
「はは、そうかな。やっぱり弟と妹よりしっかりしなきゃって気持ちが強かったのかも。人に弱いところを見せるのが嫌なんだろうね」
「人に弱いところを見られたくないっていうのは、人間の本能のような気がしますけどね」

 そうかもしれない。でもだからこそ、弱さを人に見せられる人間というものは、誰よりも強かったりするものだ。

「ねえシュンくんさ、学生の頃勉強出来たでしょ?」
「まあ、そこそこには」

 K大に通っているということは、中高時代の勉強はかなりできた方だろう。
 シュンくんやスミくんには敵わないけれど、わたしもそこそこには学歴がある。でもそれは、自身が元から勉強が出来たわけではなく、ひとりで密かに努力を続けた結果であって、自分のことを頭がいいだとか賢いだとか思ったことは殆どない。

「中高の……特に中学のさ、あ、わたしは私立じゃなくて、地方の公立だったんだけどね。内申制度がすごく嫌いだったの」
「地方の公立だったのは同じなので、なんとなくわかりますよ。結果の他に過程を重視すると謳った謎の制度のことですよね」

 捻くれたシュンくんの物言いに心が軽くなる。何故なら私も同じようなことをずっと思っていたからだ。
 中高時代、内申点という制度が嫌いだった。結果より過程を大事にするあのカリキュラムがずっと理解できなかった。努力してとったテストの点数を、何の基準でつけられたのかわからない不明瞭な点数が易々と超えていくことに疑問を抱いていた。
 テストの点数が悪いのなら過程がどうであれ努力不足だ。逆も然りで、授業態度や教師に対する媚がなくても、結果は数字が出してくれる。
 そんな簡単な話を、どうして美談のように捻じ曲げようとするのか今でも理解ができない。甘えるという行為が苦手なわたしは、教師に媚を売ることも、努力を人に見せびらかすことも、授業で目立つように発言することも出来なかった。つまり、数字で確定している成績に対して、あまりに内申点というものがついてこなかったのだ。

「わたしも全く同じように思ってたな、テストの結果がすべてなのに何でって」
「冬乃さんが優秀だってことはよくわかりますけど、器用貧乏ですよね、実は」
「……そんなこと初めて言われた、わたしって人前ではデキる人間を演じちゃうから」

 見た目もいつだって綺麗でいたいし、仕事は同年代より異性より評価を得たい。周りの目はいつも気になる。それが結果に直結するなら尚更努力すべきだ。私の性格はこんな感じ。
 今まであまり意識したことなかったけれど、シュンくんと話していると自分のことが丸裸になるようで少しだけ恥ずかしい。

「……シュンくんは?」
「え?」
「どんな子供だったの?」

 バターとジャムをたっぷり塗ったトーストを齧りながら時計を見やる。まだまだ出社までには時間がある。

「どんな子供だったかって聞かれると難しいですね。昔からあまり人や物に興味や執着がなくて。ただ、幼馴染のことは、ずっと大事にしてきたつもりです」

 シュンくんも同じようにトーストを齧る。サクッという音が部屋中に響いた気がした。
 幼馴染。また出た、シュンくんの中での特別枠。
 スミくんは笑っていたけれど、わたしはやっぱり少しだけ気になっている。これだけ人に興味のなさそうなシュンくんが、唯一大切している”幼馴染”のこと。

「それは、スミくんの彼女の……ナツノ、ちゃん?」
「ああ、まあ、そうですね。でも、それだけじゃなくて」
「え、どういうこと?」
「ナツノだけじゃないんですよ、本当は、もうひとりいた(・・)んです」

 いた、と過去形で話すシュンくんの表情は変わらない。私と違ってジャムを塗っていないトーストはバターが溶けて斑だ。

「中学の時に亡くなったんです。交通事故で、突然。ずっと3人でいたんですけどね」

 シュンくんが飲んでいたコーヒーの湯気が、一瞬濃くなったような気がした。
 交通事故で、突然。身近な人が亡くなったことがない私は、聞いてごめんね、というへんな罪悪感が生まれる。

「3人で、仲良かったの?」
「そうですね、まあ、俺が人と関わるのが面倒くさいっていうのもあるんですけど。ナツノとハルカだけは、なんでかずっと構ってきて、小学校の時からずっと一緒にいたんですよね」

 やっぱり何でもないみたいにそう話す。
 小学生の時からずっと一緒にいた幼馴染が亡くなるってどんな感覚なんだろう。
 わたしは付き合っていた彼と別れただけで、何か大きなものを失った気でいたけれど。
 もう二度と会うことの出来ない突然な別れと、ただの口約束に終止符を打っただけの別れでは、きっと消失感の重みが違うはずだ。何だか急に自分が感じていた喪失感が陳腐に思えてくる。比べるものではないんだけどね。

「ごめんね、変なこと聞いて」
「いや、こちらこそ気を遣わせましたか? すみません」
「ううん、なんかつらい話題を無理やり聞いたのかなって反省して」
「つらい話題? あ、無理矢理とかでは全然ないですよ。ていうかハルカが亡くなったのなんてもう10年前の話ですし」
「10年前……中学生の時に友達が亡くなるなんて、私だったら耐えらないよ。凄いな、シュンくんもナツノちゃんも……」
「そうなんですかね、当時のあんまりハッキリした記憶がなくて。感情の言語化が難しいんですけど、まあ確かに、現実として受け入れられたのは高校生になってからかもしれないです」

 そこにはきっと、計り知れないほどの葛藤があったはずだ。そしてそれを一緒に乗り越えてきたナツノちゃんという存在が、シュンくんにとってどれだけ大きいものか、想像しただけでも到底敵わないなと思う。
 勝手に対抗心を持っていたことに驚きつつも。

「……ね、シュンくんさ、今度遠出しない?」
「いいですけど、どこに?」
「シュンくんの地元。行ってみたいなって」
「え、突然、ですか?」
「だってシュンくんが幼馴染の話をする時、すごい優しい顔になるんだよ、気づいてた?」
「いや、全然……てかそんなこと」
「だからわたしももう少しシュンくんのこと知りたいなって、わたしたちお互いのこと全然知らないって、今気づいたし」

 にこりと笑うと、普段滅多に表情を変えないシュンくんの目が少しだけ泳いだ。あ、これは多分、照れてる。美少年よ、きみは照れた顔もうつくしいね。
 わたしたちはたぶん、お互いのことも全くわからないし、同時に自分自身についてもひどく疎い気がする。
 シュン美少年と数週間いて気づいたこと。わたしと彼は、内面的なところが少しだけ似ている。自分に向き合ったり、自身を知ることが、きっとお互いとても苦手なのだ。