ヒロノは、おもむろに右手を前に伸ばすと指差した。「あれ……」

 教室の隅で、ラクダというもじゃもじゃ頭の女子生徒が、例の三人グループに取り囲まれている。
 今は彼女があいつらのターゲットになったと、ヒロノは僕に耳打ちした。
 
 僕は感づいた。彼女は、自分の身代わりになろうとしているのだ。
 ヒロノは僕の心を読んだのだろう。
「安心したか?」
 そんなわけがない。
 とはいえ、すぐさま助けてやることもできない。

「ただ、見ているだけだったらお前もあいつらと同じだぜ?」

 僕は、小さく怯えているラクダを見た。
 このままだと彼女の目には、この僕さえも敵に映ることだろう。
 また自分が再びあいつらの標的になる覚悟で、割って入るべきなのだろうか。
 それが今まさに、僕の果たすべき正義なのだろうか。

 どう思ってみたところで、僕の足は立ちすくんだままだった。

「どうするんだ?」
 彼はきいた。怖気づいた僕を試すかのように。
「ヒ、ヒロノこそ……」
 がたいが大きいヒロノが行けば、僕よりはうまく行きそうなのに彼はまるで他人ごととして捨て置こうとしている。

「このままだとさ」ヒロノは呻いた。「最後はたぶん、オレやお前のようになるかもな」
「え……?」

 ヒロノもそうだが、いったい僕がどうなったというのだ?
 昨日の記憶がすっぽりと抜けている。
 過去をたどろうとすると、頭の中がしだいに、渦を巻き始めた。
 
 そもそも僕が何をしてもうまくいかない人間だったことは、もう思い出すまでもないことだった。
 小学生のころから勉強もスポーツも駄目で教師ににらまれ、級友らには虐められてきた。
 
「ヒロノ、ラクダはいったいどうなるっていいたいんだ?」
 彼は、あきれてため息をついてみせた。
「そんな野暮なこときくなよ」

 そのもったいつけた言い方には、さすがの僕もいらだってくる。
 このまま放置したら彼女が僕みたいって、どうなってしまうのか、端的に言うべきである。
 なぜって、こうしているあいだにも彼女はあいつらに頭や肩を小突かれ、せせら笑う輪の中に閉じ込められているからだ。