「これはまた、生きの良い食材だな」
西園寺家に帰宅すると、丁度玄関の正面を、食材の入る箱を持って通りかかろうとしていたシェフの風原が立ち止まった。
澪達三人が伴ってきた昴を、茶色の瞳でまじまじと見ている。三十歳の風原は、金色の短髪を揺らすと、思案するような顔をした。きっとどのように料理に使うか考えているのだろう、昴の血を。違うと明言しておかなければと、澪が言う。
「風原、こちらは客人だ」
そして澪は歩み寄り、少し背伸びして囁く。
「今宵は血の入っていない食事も作ってくれ、こちらの客人のために。いいや、今夜に限らず、今後はずっと」
「ん? どういうことです?」
風原がきょとんとした。澪は小声で続ける。
「事情は後で説明する」
「分かりました」
不思議そうな顔をしている風原だったが、頷くと食材の箱を持って厨房へと向かっていった。それを見送り、澪は昴に振り返る。
「部屋に案内する」
西園寺家には、いつ客が訪れても問題ないように常に整えてある客間がいくつもある。
昴を促し、澪は階段を上る。絵山が先導した。
絵山が扉を開けた部屋は、長期滞在用の、奥にある客間だった。中に入ってすぐ、絵山がカーテンを開ける。澪は昴を連れて中に入ると、豪奢な長椅子を手で示した。
「兄上、座ってくれ」
「あ、ああ……」
目に見えて動揺している様子の昴は、西園寺家の外観を見た時、いいや馬車に乗り込んだその時から、ずっとビクビクしている。そこへ久水が、ティーセットを持って入ってきた。絵山は部屋の細部を確認中だ。
「兄上、気を楽にしてくれ」
「……そう言われても……と、ところで、父上は?」
昴の声に、澪が柔らかく笑う。
「今、出かけているんだ。帰ってくるまで待っていてほしい」
帰る予定は、だいぶ先であるが、それは伝えない。
「分かった」
その後は、絵山と久水が壁際に控える中、夕食までの時、澪はあれやこれやと昴に話しかけた。おどおどしながら答える昴は、怯えた草食動物の様相を呈していた。
コンコンとノックの音が響いたのは、日が完全に落ちた頃の事だった。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは、西園寺家の従僕である津田だった。澪専属というわけではなく、代々西園寺家に仕えている。見た目は十代半ばの少年であるが、御年八十六歳だ。金髪に緑色の瞳をしていて、見た目こそ愛くるしい少年であるが、老獪だ。
「夕食の準備が整いました」
「そうか、すぐに行く」
答えてから澪は、昴を見た。
「行こう、兄上」
「は、はい……」
肩を跳ねさせ、ビクリとしながら昴が答えた。
立ち上がった澪に続き、慌てたように昴が歩きはじめる。
長い廊下を歩き、階段を降りてダイニングへ向かうと、本日はフレンチが並んでいた。和食のこともあれば、英国風の料理のこともある。最近では牛肉などを食べる文化が入ってきているから、テーブルに並ぶ料理は様々だ。
澪は仔羊のステーキにかけられているソースから、人間の血の匂いを感じ取る。
一方、昴の皿を見れば、見た目は同じだが、そちらからは香りがしない。
吸血鬼は、人間と同じ食事も取れるが、それは娯楽だ。基本的に、人間の血液を摂取しなければ、生命維持は出来ない。なお吸血鬼は、別段死人ではない。人間が噛まれて死んで吸血鬼になるというのも、人間が考え出した伝承だ。
「食べよう、兄上」
微笑し、澪が座る。後ろから絵山が澪のグラスに、ノンアルコールのシャンパンを注ぐ。泡が弾ける音がする。昴のグラスには、久水が赤ワインを注いでいる。それから澪は、ナプキンを手に取った。そのようにして準備を整えてから、ナイフとフォークを手に取る。
こうして澪は食べ始めたのだが、昴は何も手にしない。
「兄上? どうかしたのか?」
「マ、マナーが分からなくて……」
「ああ、気にする事は無い」
そうは言いつつも、今後は西園寺家の縁者として生きていってもらう事になるだろうから、あとでマナーは誰かに教えさせようと、澪は内心で考えた。
「どうぞ」
そこへ津田が、箸を持ってきた。すると昴が目に見えて安堵した顔に変わる。
「有難うございます」
昴の声に、津田がにっこりと笑ってから、壁際へと下がった。
こうして漸く夕食が始まった。