翌日澪は、絵山と二人で、庭の白い椿の前に立っていた。午前中まで雨が降っていたせいで、白い花弁が濡れている。久水は邸内でお茶の準備中だ。その居室の窓から椿が見えたので、ふと近くで見たくなって、澪は絵山を伴い一緒に庭に出てきた。今日はこの後、高宮侯爵家の兄妹を招いて、茶会をする事になっている。

「不思議の國のアリスにもあったな。白い椿を赤く塗るんだったか」
「あったね」
「無理なことを命じる、理不尽な君主に仕えるというのはどういう気持ちなのだろうな」
「俺にはちょっと分かるかな」
「……それは俺が暴君だと言いたいのか?」

 目を据わらせて澪が振り返る。すると絵山が珍しく笑みを浮かべていた。

「澪様は、残忍ではないけどね。いいや、ある意味残酷かも」
「どういう事だ?」
「主人と使用人の間には、越えられない壁があるって事」
「? 俺は別にお前を差別しているつもりはないぞ? お前の職務が、俺の従僕と言うだけで、上下関係があるとしたらその部分だけだろう?」
「――いくら想っても伝わらないのは、主従関係にあるからではなくて、澪様が鈍いだけかも知れないな」
「うん? 想う?」
「そうです。なんて表現したらいいのかは分からないけど、いくら慈しんでも、それが仕事と捉えられるのは切ないものなんだよね」
「慈しむ、か」
「ただ幸いなことに、切なくはあれど、俺は無理に理解させて気持ちをぶつけるようなことを望まないから、まだ救われているかな」

 そう言うと、絵山は振り返り、窓から見える久水に視線を向けた。

「俺は久水ほど積極的ではないし」
「積極的? 久水は口調は乱暴だが、行動力は絵山のほうがある印象だが?」

 澪がそう訊くと、絵山が吹き出した。

「その行動力ある俺は、闇オークションの元締めだという青木屋を見に行ってきましたよ」
「お……さすがだな」
「ええ。褒めて下さい」
「どうだった?」
「いやぁ、堂々と若旦那の管理する応接間に、美術館から盗まれた田仲焼きの壺が飾ってあって、驚きましたよ」
「ほう」
「直接的には俺は聞きませんでしたけど、あちらが『また競りにいらして下さいね』とまで言っていました。隠す気もなさそうでしたよ」
「そうか」

 絵山の言葉に、澪は腕を組んで頷いた。それから椿へと振り返る。そうしていたら、絵山が言った。

「たとえ俺は、澪様が言うのならば、白い椿を赤に変えろと、澪様がそう言うのであれば、その通りに致します。決して暴君だと思う事はない。澪様のご命令が、俺の全てだからね」

 それを聞いて、椿を見たまま澪が薄く笑った。

「大げさだな。普段はやる気の片鱗も見えないというのに」
「白い椿が、俺の口を軽くさせたみたいだ。澪様、そろそろ中へ戻りましょう。久水が窓からこちらを睨んでます」

 澪が振り返ると、確かに久水の姿が見えたが、別に睨んでいるようには見えず、目が合うと顔を背けられた。

「そうだな、入るとするか」

 高宮侯爵家の兄妹が馬車で訪れたのは、それから少ししてのことである。