六月に入るとすぐ、梅雨の季節が到来した。
澪はなんとはなしに珈琲が飲みたくなり、自分の目で見たい気持ちがあって、久水に傘を差させて、その下を歩いている。絵山は本日は、緋波と二人で瑛の書類仕事を手伝っている。ピンチヒッターらしい。
相合い傘で進みながら、澪は久水を一瞥する。
「もう少し中に入ったらどうだ? 出ている方の肩が濡れているが?」
「これ以上近寄ったら噛んでいいというお許しが出たのかと勘違いするぞ」
「なんだそれは」
澪は苦笑しながら首を捻る。久水はそれ以上は何も言わない。
二人が小雨の中向かった珈琲豆の専門店は、今はなき三神男爵家が興した商店の系列店で、今は他の者が事業を続けている。昴にゆかりがある店という事だ。
鐘が音を響かせた店内へと入ると、店主が二人の出で立ちに、おどろいたような顔をする。傘を閉じた久水がそれを傘立てに立てる前を、澪は中へと進んだ。
様々な豆が陳列されている。
産地によって味が異なる豆の説明書きを見ながら、今はどのような味を自分が求めているのか、澪は考える。紅茶ならば久水の淹れたものならばなんでもいいし、絵山や火野のお茶も嫌いではないが、珈琲にはそれほど詳しいわけではない。
「久水はどれがいいと思う?」
「澪様の好みそうなのは、そうだな、これと――」
久水が珈琲豆の選別を始めた。コーヒーミルは西園寺家にもある。
「こんなところか」
「そうか。ではそれを買うとしよう。久水、会計を」
こうして澪は、珈琲豆を数種類購入させた。それらが入る紙袋を片手に、またもう一方の手で傘を持った久水の横を、店を出て澪は歩く。馬車は少し先に待たせてある。
「久水」
「ん?」
「帰ったら淹れてくれ」
「ああ」
頷いた久水の横顔を見ながら、澪は微笑した。すると久水が両目を眇めた。
「いつもそうやって笑っててくれればいいのにな」
「何故?」
「好きだからだよ、澪様のその顔が」
「ふぅん。俺は比較的笑顔を振りまいている方だと思うが」
「上辺の笑顔じゃなく。今みたいに自然なやつが、俺は好きだ」
そんなやりとりをしながら、二人は馬車まで戻った。乗り込んでから、走り出した馬車の中で、澪が言う。
「それを言うなら、久水。お前こそ笑わないじゃないか、あまり」
「笑うような場面が俺には少ない。それこそ澪様と二人きりの時くらいか」
「俺には面白みがあるのか?」
「ああ。澪様は見ていて飽きない。ずっと見ていられる」
そう言って久水は、しげしげと澪を見た。
目が合った澪は、久水の目に自分が映り込んでいるような錯覚を抱く。
「久水はちょくちょく俺を見ているが、それはやはり面白いからなのか? 俺は奇っ怪な行動をしているつもりはないが」
「見ちゃ悪いのか?」
「悪くはないが」
「好きだと慕うご主人様を視界に捉えておきたい従僕の俺にお目こぼしを」
「従僕だというんなら、もっと俺を敬ってくれてもいいと思うが?」
「十分敬ってる」
「もうちょっと目に見える形で頼む」
澪がそう言うと、久水がニッと口角を持ち上げて笑った。
「俺の愛情を目に見える形にしたら、澪様は重すぎて潰れるな」
「そうなのか? とてもそうとは思えないが」
澪が苦笑を返すと、久水が肩を竦める。
こうして二人で西園寺侯爵家へと帰還した。久水が淹れた珈琲は、まさに澪好みの味で、本当に美味だった。
澪はなんとはなしに珈琲が飲みたくなり、自分の目で見たい気持ちがあって、久水に傘を差させて、その下を歩いている。絵山は本日は、緋波と二人で瑛の書類仕事を手伝っている。ピンチヒッターらしい。
相合い傘で進みながら、澪は久水を一瞥する。
「もう少し中に入ったらどうだ? 出ている方の肩が濡れているが?」
「これ以上近寄ったら噛んでいいというお許しが出たのかと勘違いするぞ」
「なんだそれは」
澪は苦笑しながら首を捻る。久水はそれ以上は何も言わない。
二人が小雨の中向かった珈琲豆の専門店は、今はなき三神男爵家が興した商店の系列店で、今は他の者が事業を続けている。昴にゆかりがある店という事だ。
鐘が音を響かせた店内へと入ると、店主が二人の出で立ちに、おどろいたような顔をする。傘を閉じた久水がそれを傘立てに立てる前を、澪は中へと進んだ。
様々な豆が陳列されている。
産地によって味が異なる豆の説明書きを見ながら、今はどのような味を自分が求めているのか、澪は考える。紅茶ならば久水の淹れたものならばなんでもいいし、絵山や火野のお茶も嫌いではないが、珈琲にはそれほど詳しいわけではない。
「久水はどれがいいと思う?」
「澪様の好みそうなのは、そうだな、これと――」
久水が珈琲豆の選別を始めた。コーヒーミルは西園寺家にもある。
「こんなところか」
「そうか。ではそれを買うとしよう。久水、会計を」
こうして澪は、珈琲豆を数種類購入させた。それらが入る紙袋を片手に、またもう一方の手で傘を持った久水の横を、店を出て澪は歩く。馬車は少し先に待たせてある。
「久水」
「ん?」
「帰ったら淹れてくれ」
「ああ」
頷いた久水の横顔を見ながら、澪は微笑した。すると久水が両目を眇めた。
「いつもそうやって笑っててくれればいいのにな」
「何故?」
「好きだからだよ、澪様のその顔が」
「ふぅん。俺は比較的笑顔を振りまいている方だと思うが」
「上辺の笑顔じゃなく。今みたいに自然なやつが、俺は好きだ」
そんなやりとりをしながら、二人は馬車まで戻った。乗り込んでから、走り出した馬車の中で、澪が言う。
「それを言うなら、久水。お前こそ笑わないじゃないか、あまり」
「笑うような場面が俺には少ない。それこそ澪様と二人きりの時くらいか」
「俺には面白みがあるのか?」
「ああ。澪様は見ていて飽きない。ずっと見ていられる」
そう言って久水は、しげしげと澪を見た。
目が合った澪は、久水の目に自分が映り込んでいるような錯覚を抱く。
「久水はちょくちょく俺を見ているが、それはやはり面白いからなのか? 俺は奇っ怪な行動をしているつもりはないが」
「見ちゃ悪いのか?」
「悪くはないが」
「好きだと慕うご主人様を視界に捉えておきたい従僕の俺にお目こぼしを」
「従僕だというんなら、もっと俺を敬ってくれてもいいと思うが?」
「十分敬ってる」
「もうちょっと目に見える形で頼む」
澪がそう言うと、久水がニッと口角を持ち上げて笑った。
「俺の愛情を目に見える形にしたら、澪様は重すぎて潰れるな」
「そうなのか? とてもそうとは思えないが」
澪が苦笑を返すと、久水が肩を竦める。
こうして二人で西園寺侯爵家へと帰還した。久水が淹れた珈琲は、まさに澪好みの味で、本当に美味だった。