そのようにして日々を過ごし、五月の下旬が訪れた。
 本日は、貧民街の教会に、絵山と久水を伴い、澪は昴と共に訪れた。
 本格的に昴の引っ越しを手伝うためだ。

 質素な教会のボロボロの壁を見ながら、澪は応接間に座っている。この木の椅子も今となっては懐かしい。絵山と久水が両手で、桐箪笥を運び出している。元々は教会付属の品だったそうで、持っていっていいか昴は悩んでいたが、よいだろうと澪が判断した。

「次は、礼拝堂に行ってくる」

 少数の衣類の入った鞄をテーブルに載せて、昴が言った。

「俺も行く」

 頷きながら澪も立ち上がる。そうして二人で、横の礼拝堂へと入った。ステンドグラスが日の光を透かしている。その正面には祭壇があり、今は摘発対象の聖フルール教の聖典と、その横には地獄の國のアリスが置かれていた。昴はそれに触れると視線を落とす。

「伊織はどうなったんだろうな」

 呟いた昴の腕に、澪が触れる。

「きっと元気にしているだろう。今頃懐中時計でも見ているかもしれない」
「それもそうだな」

 気を取り直したように昴が微笑した。
 ステンドグラスの左の横にある、聖フルール教の主神である片翼の女神像の微笑みよりも、よほど神々しく見える表情だった。

「兄上、その聖典は持っていっては駄目だ。残念だが」
「うん、分かった。アリスは?」
「それは、構わないだろう。西園寺の書庫にもあるしな」
「ありがとう」

 嬉しそうな顔をした昴が、肩に横掛けしている鞄に、本をしまう。それから、聖典の上に置かれていた月を背負った十字架を手に取った。そのモティーフは、聖フルール教に限ったものではないから、持っていっても問題ない。その銀細工を、昴が鞄へとしまう。

「あまり持っていく物はないや」
「ああ。もしなにかあれば、また取りに来ればいい。俺がついてくる」

 澪の声に、柔らかに笑って昴が頷いた。
 それから二人が応接間へと戻ると、絵山と久水が家具を運び終えたところだった。

「あとはそこの鞄と、お二人を連れて行くだけだよ」

 絵山の声に、久水が衣類の入った鞄を持ち上げる。

「本当にありがとうございます」

 昴が頭を下げる。こうして一同は、馬車へと戻る。柳橋が扉を開けてくれた。
 中に乗り込み、馬車が走り出してすぐ、昴が一つの写真立てを取り出した。

「澪、これが俺の母親の写真なんだ」

 昴がそう言って微笑しながら、澪に写真を見せる。白黒の写真に写る莉奈は、澪が火野に見せてもらった写真よりも、ずっと歳を取っていたが、とても美人だった。

「そうか、綺麗な人だな。兄上にそっくりだ。兄上は、目元は少し父上に似ているが」

 澪はそう告げてから、まじまじと写真を見る。

「帰ったら、俺の母上の写真も見てくれ」
「ああ。沢山みたい。澪はお母さん似だと聞いた。でも口元は、澪は父上そっくりだよな」

 昴の声に澪が苦笑する。

「昔から言われるんだ。自分ではよく分からないけどな」

 そんなやりとりをしながら帰宅し、改めて昴の部屋になると決まった場所へと、荷物を皆で運んだ。火野や津田、風原も手伝いに出てきて、相も一生懸命頑張った。

 それが済んでから、瑛も加えて共にアルバムを囲み、澪は昴に母・真理亜のことを紹介した。写真の中で笑う真理亜もまた、太陽のように眩しかった。