「次にこれは、二十八年前から二十五年前にかけての瑛様のお話となります」
「父上の……」
「はい。当時をよく知る有沢医師に尋ねて参りました」
火野はそう言うと、ティースタンドの位置を直しながら続ける。
「有沢医師によると、その三年間、確かに瑛様には恋人がおられたそうです。ただし秘密の恋であるため、周囲には秘匿しているのだと、特別に有沢医師に打ち明けられたそうです」
「有沢先生は、その秘密をお前に暴露したのか?」
「……その」
「まぁ、彼は火野を気に入っているからな」
「……」
火野が沈黙した。有沢は前々より、無表情の火野の顔を変えてみたいと公言してやまず、火野はたびたび嫌そうな顔をしていたものである。
「それで?」
「有沢医師は、人間の華族にも顔が広い医師ですので、ある時その女性が足を捻挫した際、瑛様がお連れになったので、紹介を受けたと話していました。写真をお見せしたところ、間違いなくこの女性だとも。その際、昴様のことをご存じの様子で、澪様は有沢医師のもとへお連れになったのだとか?」
「ああ、少しな」
「お連れになったとしか聞いておりませんが、昴様はなにかお具合が?」
「そういうわけではない。心配は不要だ。とすると、父上の恋人が、莉奈嬢で、兄上が生まれたという事か。一体何故、莉奈嬢は姿を消したんだ?」
澪の素朴な疑問に、火野が淡々と答える。
「やはりお立場が違いますし、道ならぬ恋です。実際には、西園寺家のがわは比較的高位華族にしては自由な部分があるので受け入れたかもしれませんが、男爵家の彼女が瑛様に仮にそう言われたとしても、信じることが出来たかと言えば疑問です。仮に信じたとしても、瑛様の事を想い、身をひいたのかもしれません」
「俺ならば愛する相手がいなくなる方が、想われていたとしても辛いが」
「――瑛様も相当ショックだったご様子で、当時から働いている津田によりますと二十五年前から、澪様のお母上である弓削侯爵令嬢真理亜様に出会われて、慰められるまで、ずっと塞ぎ込んでいて、恋愛からは遠ざかっており、生涯結婚しないのでは無いかと周囲が危惧していたと聞いています。津田も失恋したらしいと言う話だけは聞いていたそうです」
火野の声に哀れみが混じった。澪も、父が不憫に思えた。
「その後は、真理亜様と大恋愛をなされて、旦那様は澪様を設けられました。以後、莉奈様との接点は見つかりません」
「なるほど、よく分かった。ならばやはり兄上は、正しく西園寺家の血を引く、俺の兄だと言うことだな」
元々確信はあったが、澪は火野が固めてきてくれた情報証拠を、書類でも改めて見ながら頷いた。
「そのようです。旦那様にも至急ご連絡を」
「そうだな。そろそろ伝えるとするか」
澪が頷いた時、ノックの音がした。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは津田だった。手には紙片を持っている。
「今、電報が届きました。旦那様がお帰りになります。瑛様が遊学中に休暇を得たとの事で、一時帰国なさるとの事です。緋波さんより連絡がありました」
家令の緋波の名に、彼ならば父のことをさらに知っているだろうと思いつつ、それ以上に当人が帰ってくるのならば、これは話を聞くまたとない機会だと思いながら、澪は頷いた。
「いつ戻るんだ?」
「明日の午後には、こちらに到着するそうです」
「分かった。津田、準備を頼む。火野もそちらに専念してくれ。本当に助かった」
「畏まりました……が、澪様」
火野は頷きつつ、津田を一瞥してから声を潜める。
「貧民街などには遊びに行かないでください。お分かりですね?」
「――ああ。もう用は済んだ」
濁すように澪が上辺だけの笑みを浮かべると、火野の目が据わった。しかし火野は嘆息し、津田と共に部屋を出て行く。澪は受け取った電報を見る。
「父上に昴兄上のことを話すのも一苦労だろうが、昴兄上に吸血鬼であることを伝えるのも……どうしたものか……」
澪の呟きは、一人きりの室内で、宙へと溶けていった。
「父上の……」
「はい。当時をよく知る有沢医師に尋ねて参りました」
火野はそう言うと、ティースタンドの位置を直しながら続ける。
「有沢医師によると、その三年間、確かに瑛様には恋人がおられたそうです。ただし秘密の恋であるため、周囲には秘匿しているのだと、特別に有沢医師に打ち明けられたそうです」
「有沢先生は、その秘密をお前に暴露したのか?」
「……その」
「まぁ、彼は火野を気に入っているからな」
「……」
火野が沈黙した。有沢は前々より、無表情の火野の顔を変えてみたいと公言してやまず、火野はたびたび嫌そうな顔をしていたものである。
「それで?」
「有沢医師は、人間の華族にも顔が広い医師ですので、ある時その女性が足を捻挫した際、瑛様がお連れになったので、紹介を受けたと話していました。写真をお見せしたところ、間違いなくこの女性だとも。その際、昴様のことをご存じの様子で、澪様は有沢医師のもとへお連れになったのだとか?」
「ああ、少しな」
「お連れになったとしか聞いておりませんが、昴様はなにかお具合が?」
「そういうわけではない。心配は不要だ。とすると、父上の恋人が、莉奈嬢で、兄上が生まれたという事か。一体何故、莉奈嬢は姿を消したんだ?」
澪の素朴な疑問に、火野が淡々と答える。
「やはりお立場が違いますし、道ならぬ恋です。実際には、西園寺家のがわは比較的高位華族にしては自由な部分があるので受け入れたかもしれませんが、男爵家の彼女が瑛様に仮にそう言われたとしても、信じることが出来たかと言えば疑問です。仮に信じたとしても、瑛様の事を想い、身をひいたのかもしれません」
「俺ならば愛する相手がいなくなる方が、想われていたとしても辛いが」
「――瑛様も相当ショックだったご様子で、当時から働いている津田によりますと二十五年前から、澪様のお母上である弓削侯爵令嬢真理亜様に出会われて、慰められるまで、ずっと塞ぎ込んでいて、恋愛からは遠ざかっており、生涯結婚しないのでは無いかと周囲が危惧していたと聞いています。津田も失恋したらしいと言う話だけは聞いていたそうです」
火野の声に哀れみが混じった。澪も、父が不憫に思えた。
「その後は、真理亜様と大恋愛をなされて、旦那様は澪様を設けられました。以後、莉奈様との接点は見つかりません」
「なるほど、よく分かった。ならばやはり兄上は、正しく西園寺家の血を引く、俺の兄だと言うことだな」
元々確信はあったが、澪は火野が固めてきてくれた情報証拠を、書類でも改めて見ながら頷いた。
「そのようです。旦那様にも至急ご連絡を」
「そうだな。そろそろ伝えるとするか」
澪が頷いた時、ノックの音がした。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは津田だった。手には紙片を持っている。
「今、電報が届きました。旦那様がお帰りになります。瑛様が遊学中に休暇を得たとの事で、一時帰国なさるとの事です。緋波さんより連絡がありました」
家令の緋波の名に、彼ならば父のことをさらに知っているだろうと思いつつ、それ以上に当人が帰ってくるのならば、これは話を聞くまたとない機会だと思いながら、澪は頷いた。
「いつ戻るんだ?」
「明日の午後には、こちらに到着するそうです」
「分かった。津田、準備を頼む。火野もそちらに専念してくれ。本当に助かった」
「畏まりました……が、澪様」
火野は頷きつつ、津田を一瞥してから声を潜める。
「貧民街などには遊びに行かないでください。お分かりですね?」
「――ああ。もう用は済んだ」
濁すように澪が上辺だけの笑みを浮かべると、火野の目が据わった。しかし火野は嘆息し、津田と共に部屋を出て行く。澪は受け取った電報を見る。
「父上に昴兄上のことを話すのも一苦労だろうが、昴兄上に吸血鬼であることを伝えるのも……どうしたものか……」
澪の呟きは、一人きりの室内で、宙へと溶けていった。