事件が終えて、数日が経過した。昴の護衛を久水は終え、絵山も人間から元の通りの吸血鬼に戻った。五月も二週目が終わり、三週目の現在は紫陽花が綺麗に咲いている。もうすぐ帝都には梅雨がくる。
若葉が美しい庭に、この日澪は、昴と共に出ていた。相はお昼寝をしているようだ。
「相、大分元気になったんだよ」
白いテーブルクロスが掛けられた茶会の席で、嬉しそうに昴が言う。頷きながら、澪は今後相をどうするべきか思案した。この館に置いておくわけにはいかないだろうと腕を組む。どこかの孤児院を探すべきなのか、奉公先を探すべきなのか。具体的には思い浮かばないが、少なくとも西園寺家には、人間の使用人がいた歴史もない。澪はよくても、周囲や瑛がなんというか不明だ。
「それはなによりだな」
ただ、回復したというのは嬉しい知らせだ。それに今後、相が魔の手にかかる事も無い。闇オークションの開催者がどのように薬を手に入れていたのかは分からないが、今後は競売にかけられる事もないのではないかと思う。
「ニャァ」
か細い声がしたのはその時だった。澪と昴がそろって視線を向ける。
すると薔薇の茂みの下から、薄汚れた白い毛の仔猫が姿を現した。
「ん?」
胴の部分は、汚れているだけではなく、赤い血が滲んでいる。獣特有の血の匂いにすぐに怪我に気づいた澪が見ていると、立ち上がり昴が駆け寄った。仔猫は逃げるでもなく、弱々しく啼いている。
「怪我してる……」
「手当てをした方がよさそうだな。親猫は……」
澪が呟くと、そばにいた久水が、茂みの奥へと歩みよった。
「死んでるぞ、そこで成猫が一匹」
「っく」
澪が顔を歪めると、昴が泣きそうな顔をした。
「澪……手当てをしちゃ駄目か?」
「勿論構わない。中へ戻ろう」
こうしてお茶会を切り上げて、仔猫を連れて皆で邸宅の中へと戻る。居室で昴が抱く猫に、傷薬と包帯を持ってきた絵山が、手当てをしていく。久水はお湯で濡らしたタオルを手に、小さな仔猫の顔を拭いている。目は開いている。生後二ヶ月半くらいだろうか。
「傷は深くないから大丈夫だと思うよ」
絵山が述べると、昴が安心したように息を吐いた。それから澪を見る。
「飼ってもらえないか?」
「兄上が世話をするなら構わないが」
「……ここにいる間は、できる事はする」
昴は何か言いたそうな顔をした。口ぶりからして、帰るつもりなのだろうなと澪は思った。
どのようにして、ここで暮らすように言いくるめるか考えつつ、仔猫を撫でている昴を見る。
人間は、自分より弱い存在にも、このように優しい。いいや、違う。昴が優しいのかもしれない。人間とひとくくりにするのは違うだろう。中には、紫苑牧師のような悪しき存在もいる以上、同列には語れない。
コンコンとノックの音がしたのはその時だった。
「入れ」
澪が声をかけると、『失礼します』と声が返ってきて、火野が顔を出した。
「澪様、少々宜しいでしょうか?」
「ああ」
「できれば、書斎の方でお話を」
「構わないが」
火野の声に、澪は言いにくい話なのだろうかと考えながら立ち上がる。そして昴を見た。
「兄上、少し俺は出てくる。絵山、久水、兄上とその猫を頼んだぞ」
澪の声に二人が頷いた。
それを確認してから、澪は火野に先導させて居室を出る。そして階段を上がり、書斎へと向かった。重い音を立てて飴色の扉が閉まる。応接用のソファに澪が座ると、火野が歩みよった。
「お前も座るといい」
「失礼致します」
頷いて座った火野が、それからまじまじと澪を見た。
「それで? どんな話だ?」
「――ご命令通り、昴様のお母上について調べて参りました」
火野の声に、澪が息を呑む。調査を手伝ってくれるという話をした事を、澪は思い出した。澪はテーブルの上で身を乗り出す。
「何か分かったか?」
そんな澪を見て、テーブルの上のポットで紅茶を淹れながら、火野が頷いた。