何故吸血鬼は、招かれないと中へとは入れないのか。
 ――逆に言えば、何故吸血鬼を招いてはならないのか。

 吸血鬼は、招かれた敷地の中において、その場にある人間と動物、全ての血液を支配下におく事が出来る。これがどういう事かといえば、相手の全身を支配下におけるということだ。血液は、脳がある動物であれば、脳にも、そして心臓がある動物であれば、心臓にも、当然めぐっている。

「うぐ」

 突如として、紫苑牧師が胸を押さえた。流れている血液が、ざわりと波を立てたせいで、心臓が締め付けられたような痛みを覚えたせいだ。他の者達は、ばたりばたりと倒れていく。耳の奥から血が垂れ始めた者も多い。鼻血は出していない者の方が少ない。

「うあ」

 続いて紫苑牧師が、両手で頭を抱えた。脳をめぐる血液が、またざわりと波を立てたせいだ。ただその揺らぎはごく微かなものだから、脳を破壊するには至らない。その時、絵山の支配下になった紫苑牧師の血液が、紫苑牧師の前頭葉を刺激した。するとくねくねと体を動かし、紫苑牧師が踊り始める。その眼球は血走り、これでもかと見開かれた目では、瞳がぎょろぎょろと揺れている。

「あ……あ……うあああああ」

 紫苑牧師が涎をだらだらと零しながら呻く。今、彼の脳裏には、鎌を持ちローブを羽織った骸骨が浮かび、そして視覚はそれがその場にあるように捉えているはずだ。マルセイユ版のタロットカードの死神のモデルとなった骸骨だ。

 幻視、幻覚、そして自分の意図せぬ身体動作。
 思考も動きも、人間は吸血鬼を招いた時、このように支配される。吸血鬼が日常的にそうしない理由は一つで、この力を使うと、使い終わって半日から一日程度は、体が人間のものへと変化するからだ。その機序は、明らかにはなっていない。それに、わざわざ無力になる必要も無いので、吸血鬼は普段はこの力を使わない。

 一度力を使うと、使われた人間は、生涯支配される事になる。血はいつでもどこでも、支配した吸血鬼に従う生き物(・・・)へと変わる。意志を得た血液を宿した人間は、その時こそただの家畜に変化する。そしてその体は、純粋な人間とは言えなくなり、火葬しても灰も残らない。死した際に、霧散して消失する。

「錬金術師の異能とやらを見る暇もなかったな」

 澪が呟くと、絵山がパチンと指を鳴らした。すると倒れていた他の者も起き上がり、皆がぐねぐねと動きながら、輪舞曲(ロンド)を踊り始める。軽快にはほど遠いステップだ。

「見せて歩こう。きっと周囲の人間は、見世物だと思うはずだ」

 澪はそう述べ、ゆっくりと歩きはじめる。その後ろに絵山が続いた。
 少し距離を置いてから、その後ろを躍りながら、既に自発的に言葉を述べられなくなった紫苑牧師達がゆらゆらと踊ってついてくる。これはハーメルンの笛吹き男のモデルでもある。澪と絵山はその後馬車へと乗り込み、御者にいつもより馬車をゆっくりと走らせるように告げた。踊り狂う人々は、逆に早足で、歩道をくねくねと進み始める。通行人達はぎょっとした顔をし、不気味なダンスを見ているが、誰も何も言わない。見て見ぬフリだ。

 御者には、帝都の警察署へ行くように指示を出し、そのまま澪達は、馬車に乗っていた。

「なにあれー? 変なのー!」

 通行人の子供が指を指して笑ったが、母親が慌てたように口を閉じさせ、足早に去る。その光景に、澪はくすくすと笑っていた。