馬車を降りて、急ぎ足で澪達は坂道を下る。そして寝静まっている様子の聖フルール・エトワール大教会の敷地に入り、息を殺して扉の前に立つ。鍵は開いていた。中へと滑り込み、迷わず地下室へと向かう。そして深呼吸してから中へと入った時、硬直して澪は目を見開いた。
金色の巨大な魔法陣が刻まれている、灰色のコンクリートの床の上。
そこには十五・六歳くらいの裸体の少年達が倒れている。
皆、腹部を回復されていて、てらてらとピンクに光る小腸が床に引き摺り出されていた。胃や心臓は見当たらず、折られた肋骨や肺は欠損している。以前路地裏で見た惨殺体と同様の惨状だった。
「なんだこれは」
「澪様……ここは危険なのでは?」
「だが薬を手に入れるべきだ、手に入れられる可能性がある以上」
澪が険しい顔で言うと、不服そうな目をしつつ、絵山が頷いた。絵山は周囲を見渡すと、光が漏れてくる奥の小さな扉を見た。
「あちらから、嫌な臭いがするね」
「行くぞ」
こうして二人は、気配を押し殺して扉へと向かった。中には人の気配はない。鍵が掛かっている扉のドアノブに、澪が顔を顰めると、絵山が針金を取り出した。それを鍵穴へと入れ、ガチャガチャと動かす。するとすぐに、ガチャンと音がして扉が開いた。
ギギと音を立てて扉を開け、澪はそのまま、絵山は屈んで中へと入る。
そこには巨大な作業用らしきテーブルがあり、ランプが明るい光を放っていた。すり鉢があり、ティーポットといくつかの瓶、そのほかに羊皮紙の束や、その他の種類の紙の束が、乱雑に並んでいる。周囲には書架と戸棚がある。
歩みよると、特殊な薬液につけられている様子の心臓が、五つほどあった。先程倒れていた者達の心臓かもしれない。だとすれば、孤児は皆、こうして殺されるのだろうか? ここにいる孤児達には、皆危険があるのかもしれない。考えてみると、惨殺体の身元が新聞に記載されているのを、澪は見た覚えがなかった。孤児ならば、詳しくは捜査されない可能性が高い。街の聞き込みをしても、貧民街の孤児に関する情報は得られないだろう。
澪は机に並ぶアンプルを見る。青や紫、黄色や緑の、カラフルなアンプルがそこにはある。横のフラスコの中には、胃とおぼしき臓器の破片が、波うつ薬液に浸っていた。
「澪様」
絵山がその時、不意に後ろから澪を抱き寄せて、顔だけで振り返る。
澪は集中してその場を観察していたせいで、部屋に誰かが入ってきた事に、この瞬間まで気がつかなかった。狼狽えながら、澪もそちらを見る。絵山の腕に力がこもる。
「おや、こんばんは」
「伊織牧師……」
現れた黒い祭服姿の伊織を見て、澪が目を見開く。すると後ろ手に扉を閉めて、伊織が施錠した。
「お知り合いなんですか?」
絵山が小声で澪に尋ねる。
「兄上の親友だと聞いている」
即ち、昴は本当に危険な場所に居たのだろうと、澪はそう考え、下ろしている手で拳を握る。
「澪伯爵。こちらでなにを?」
すると軽やかな声で、伊織が述べた。澪は伊織を睨めつける。
「こちらに【黒薔薇病】の薬が無いかと思ってな」
率直に答えた。何かを知っているのは明らかな様子の伊織だ。ここは暗示をかけてでも、聞き出すべきところだと考える。その時、伊織が両頬を持ち上げた。
「伯爵の目の前にあるよ」
「っ」
「ただ調合したものを飲ませる作法があるから、それは目で見て覚えた方がいいかな」
歩みよってきた伊織は、二人の横を通り過ぎる。絵山がその姿に、澪を腕から解放した。安全だと判断したらしい。澪は伊織に近づく。伊織はアンプルの中の、青色のものを指で示した。
「これが、【黒薔薇病】の治療薬となる、特殊な力を持つ人間の臓器を生成するために、人間に摂取させる、治癒の異能を持つ者の血液から抽出したエキスだよ。そしてその臓器に十分に治癒の異能の力が染みこんでから、開腹して取り出して、それをすり潰して、最後にまたこのエキスをかけると、【黒薔薇病】の【治療薬】が完成するんだ」
あっさりと語った伊織は、それからティーポットと傍らの瓶の茶葉を見る。
「それを、この吸血鬼のみが飲む茶葉で淹れた紅茶に入れるんだ。温度はきっちり六十度。それ以上でも以下でもいけないし、別の茶葉では効果がない。このルナティックという紅茶でなければ駄目なんです」
詳しく語る伊織を見て、澪は驚く。
「どうしてそれを俺に教えてくれるんだ?」
「どうして? 薬を探しに来たんでしょう?」
「それは……そうだが……」
「それでね、この瓶に入っているのが、生成したものを完成させた【黒薔薇病】の薬の粉。紅茶を淹れてから、これを入れるんだ。どうぞ、ティーポットごとお持ち下さい」
「――毒でない証拠は?」
「さぁ? 試して確かめればいいんじゃないかな」
伊織はそう言ってクスクスと笑ってから、そばにあった羊皮紙の中から、紐で綴られた束を一つ取り出す。
「ここに今渡す薬の生成方法が書いてあるよ。まぁ、どうして効くのかといった知識は欠いてないけど、少なくとも紅茶の淹れ方は書いてある」
「……そうか」
受け取った澪は、それを絵山に渡した。
「本物だった場合は恩に着る。偽物だった場合は絶対に許さない」
「ああ、怖い」
「まさかこの後俺達の口封じをするから、ペラペラと喋ったんじゃないだろうな?」
「さぁねぇ。とりあえず僕個人は、何かをしようとは思わないよ」
伊織はそう言って懐中時計を取り出すと、時刻を見た。
「十時かぁ。そろそろ僕は、行こうかな」
「その前に、失礼する。行くぞ、絵山」
澪はドアノブの前へと向かい、内鍵を開けて外へと出た。絵山が無言でついてくる。
そして凄惨な遺体の脇を通り抜けて、澪は地上に繋がる階段を上ってから、教会の外へと出た。月の無い夜空を進んで、馬車へと戻る。
「高宮侯爵家へと急いで戻ってくれ。なるべく早く」
夜会は夜の十二時まで行われるのが決まりだ。澪達が乗り込むと、すぐに馬車は走り出した。伊織には色々聞きたい事があったが、まずは、沙羅を治療するのが先決だと澪は考える。あくまでも、薬が本物の場合にかぎる話だが。
金色の巨大な魔法陣が刻まれている、灰色のコンクリートの床の上。
そこには十五・六歳くらいの裸体の少年達が倒れている。
皆、腹部を回復されていて、てらてらとピンクに光る小腸が床に引き摺り出されていた。胃や心臓は見当たらず、折られた肋骨や肺は欠損している。以前路地裏で見た惨殺体と同様の惨状だった。
「なんだこれは」
「澪様……ここは危険なのでは?」
「だが薬を手に入れるべきだ、手に入れられる可能性がある以上」
澪が険しい顔で言うと、不服そうな目をしつつ、絵山が頷いた。絵山は周囲を見渡すと、光が漏れてくる奥の小さな扉を見た。
「あちらから、嫌な臭いがするね」
「行くぞ」
こうして二人は、気配を押し殺して扉へと向かった。中には人の気配はない。鍵が掛かっている扉のドアノブに、澪が顔を顰めると、絵山が針金を取り出した。それを鍵穴へと入れ、ガチャガチャと動かす。するとすぐに、ガチャンと音がして扉が開いた。
ギギと音を立てて扉を開け、澪はそのまま、絵山は屈んで中へと入る。
そこには巨大な作業用らしきテーブルがあり、ランプが明るい光を放っていた。すり鉢があり、ティーポットといくつかの瓶、そのほかに羊皮紙の束や、その他の種類の紙の束が、乱雑に並んでいる。周囲には書架と戸棚がある。
歩みよると、特殊な薬液につけられている様子の心臓が、五つほどあった。先程倒れていた者達の心臓かもしれない。だとすれば、孤児は皆、こうして殺されるのだろうか? ここにいる孤児達には、皆危険があるのかもしれない。考えてみると、惨殺体の身元が新聞に記載されているのを、澪は見た覚えがなかった。孤児ならば、詳しくは捜査されない可能性が高い。街の聞き込みをしても、貧民街の孤児に関する情報は得られないだろう。
澪は机に並ぶアンプルを見る。青や紫、黄色や緑の、カラフルなアンプルがそこにはある。横のフラスコの中には、胃とおぼしき臓器の破片が、波うつ薬液に浸っていた。
「澪様」
絵山がその時、不意に後ろから澪を抱き寄せて、顔だけで振り返る。
澪は集中してその場を観察していたせいで、部屋に誰かが入ってきた事に、この瞬間まで気がつかなかった。狼狽えながら、澪もそちらを見る。絵山の腕に力がこもる。
「おや、こんばんは」
「伊織牧師……」
現れた黒い祭服姿の伊織を見て、澪が目を見開く。すると後ろ手に扉を閉めて、伊織が施錠した。
「お知り合いなんですか?」
絵山が小声で澪に尋ねる。
「兄上の親友だと聞いている」
即ち、昴は本当に危険な場所に居たのだろうと、澪はそう考え、下ろしている手で拳を握る。
「澪伯爵。こちらでなにを?」
すると軽やかな声で、伊織が述べた。澪は伊織を睨めつける。
「こちらに【黒薔薇病】の薬が無いかと思ってな」
率直に答えた。何かを知っているのは明らかな様子の伊織だ。ここは暗示をかけてでも、聞き出すべきところだと考える。その時、伊織が両頬を持ち上げた。
「伯爵の目の前にあるよ」
「っ」
「ただ調合したものを飲ませる作法があるから、それは目で見て覚えた方がいいかな」
歩みよってきた伊織は、二人の横を通り過ぎる。絵山がその姿に、澪を腕から解放した。安全だと判断したらしい。澪は伊織に近づく。伊織はアンプルの中の、青色のものを指で示した。
「これが、【黒薔薇病】の治療薬となる、特殊な力を持つ人間の臓器を生成するために、人間に摂取させる、治癒の異能を持つ者の血液から抽出したエキスだよ。そしてその臓器に十分に治癒の異能の力が染みこんでから、開腹して取り出して、それをすり潰して、最後にまたこのエキスをかけると、【黒薔薇病】の【治療薬】が完成するんだ」
あっさりと語った伊織は、それからティーポットと傍らの瓶の茶葉を見る。
「それを、この吸血鬼のみが飲む茶葉で淹れた紅茶に入れるんだ。温度はきっちり六十度。それ以上でも以下でもいけないし、別の茶葉では効果がない。このルナティックという紅茶でなければ駄目なんです」
詳しく語る伊織を見て、澪は驚く。
「どうしてそれを俺に教えてくれるんだ?」
「どうして? 薬を探しに来たんでしょう?」
「それは……そうだが……」
「それでね、この瓶に入っているのが、生成したものを完成させた【黒薔薇病】の薬の粉。紅茶を淹れてから、これを入れるんだ。どうぞ、ティーポットごとお持ち下さい」
「――毒でない証拠は?」
「さぁ? 試して確かめればいいんじゃないかな」
伊織はそう言ってクスクスと笑ってから、そばにあった羊皮紙の中から、紐で綴られた束を一つ取り出す。
「ここに今渡す薬の生成方法が書いてあるよ。まぁ、どうして効くのかといった知識は欠いてないけど、少なくとも紅茶の淹れ方は書いてある」
「……そうか」
受け取った澪は、それを絵山に渡した。
「本物だった場合は恩に着る。偽物だった場合は絶対に許さない」
「ああ、怖い」
「まさかこの後俺達の口封じをするから、ペラペラと喋ったんじゃないだろうな?」
「さぁねぇ。とりあえず僕個人は、何かをしようとは思わないよ」
伊織はそう言って懐中時計を取り出すと、時刻を見た。
「十時かぁ。そろそろ僕は、行こうかな」
「その前に、失礼する。行くぞ、絵山」
澪はドアノブの前へと向かい、内鍵を開けて外へと出た。絵山が無言でついてくる。
そして凄惨な遺体の脇を通り抜けて、澪は地上に繋がる階段を上ってから、教会の外へと出た。月の無い夜空を進んで、馬車へと戻る。
「高宮侯爵家へと急いで戻ってくれ。なるべく早く」
夜会は夜の十二時まで行われるのが決まりだ。澪達が乗り込むと、すぐに馬車は走り出した。伊織には色々聞きたい事があったが、まずは、沙羅を治療するのが先決だと澪は考える。あくまでも、薬が本物の場合にかぎる話だが。