今年の五月の新月は、第一週目の終わりと共に訪れた。
いつもより格式張った洋装に着替えた澪は、柔らかなミルクチョコレート色の髪に櫛を通してから、首元の紐リボンを締め直す。夜会は七時からなので、そろそろ出ようかと考える。
相は保護して以来、昴が心配してそちらを気にしてばかりいる事もあり、昴と一緒に過ごしている。そちらには津田と久水がついている。なので夜会にも絵山を伴って出かける事になっていた。
「絵山、馬車の用意は?」
部屋から出て澪が問いかけると、絵山が頷いた。
「準備は万端だよ」
「そうか。では行くか」
こうして廊下を歩き、澪は肖像画の前を通り過ぎてから階段を降りる。銀の燭台に灯る火を一瞥してから、エントランスホールを扉に向かって進んだ。
外に出ると初夏の夜風が心地よかった。たった数日で、今年は気温が上がった。今宵は風が強い。折角梳かした髪を乱されながら、澪は御者が開けてくれた扉から馬車へと乗りこむ。絵山も乗り込んでからすぐに、馬車は走り出した。
それから四十分ほど走ると、高宮侯爵家に到着した。ステッキをついて馬車を降りた澪は、帽子の位置を直してから、招待状を、高宮侯爵家で受付をしていた侍従に見せる。
「どうぞ中へお入りください。当主がお招きしております」
そう声をかけられた。招待状を見せても、『招く』という語を受け付けが述べるのは、吸血鬼同士の礼儀のようなものだ。既に何度も来ているが、『招かれないとは入れない』という特性から、形だけでもこうした催しの時は、敢えて『招く』という言葉を、吸血鬼は好んで使う。
会場は二階の大広間だった。
絵山が一歩後ろを進んでくる前で、澪は堂々と会場に入る。そして周囲を見渡し、高宮侯爵家の当主に挨拶をする準備をした。すると当主の高宮甚左侯爵の横に、先日闇オークションで顔を合わせた長男の宏人伯爵の姿があった。あちらも澪に気づいた様子で、宏人が澪へと歩みよってくる。
「お招きに預かり感謝する」
義務的に澪が述べると、宏人が顔を向けて吐き捨てるように息をする。
「お前の顔なんて見たくもないけどな、仕方ない。しきたりだからな」
「いちいち癪に障る言い方をする奴だな」
会いたくないのは己も同じだと思いつつ、澪が眉間に皺を寄せる。
「貴殿のお父上に、ご挨拶するところだ」
「ああ、案内してやるよ。顔見知りの俺が案内しない方が不自然だろ」
それもそうかと考え直し、宏人の先導で澪は甚左の元へと向かう。甚左は宏人に反して人格者を絵に描いたような優しげな壮年の男性で、色黒の肌をしている。目尻にある皺が、さらに彼を優しげに見せている。
「やぁ、澪くん。当主代理として、君のように立派な跡取りがいて、瑛くんも安心だろう」
「過分なお言葉光栄です、高宮侯爵。今宵はお招きありがとうございます」
「こちらこそ来てくれてありがとう。宏人とも久しぶりに会うだろう? どうぞ話してやってくれ」
「ええ。宏人伯爵とは懇意にさせて頂いておりますので」
澪が上辺の笑みでそう述べる隣で、宏人がしらっとした顔をした。
久しぶり、と、そんな言葉に、闇オークションの事を甚左が知らないようだと澪は判断する。闇オークションは必ずしも、当主宛が招待されるわけではない。
「宏人も塞ぎ込んでいるからな、沙羅のことで。心を開ける友達がいてなによりだ。宏人、澪くんにならば話しても構わないだろう。元々隠すようなことでもない。心が軽くなるように、打ち明けてみるのも手だぞ」
甚左がそう言うと、宏人が息を呑んだ。なんの話だろうかと、澪は首を傾げる。
すると次の挨拶客が来た。
澪は一礼して、その場から踵を返す。その際、宏人の腕の服を引っ張った。
「おい、ご当主の意向だ。聞いてやる、来い」
小声で澪がそう告げると、しぶしぶといった様子で、宏人がついてきた。
いつもより格式張った洋装に着替えた澪は、柔らかなミルクチョコレート色の髪に櫛を通してから、首元の紐リボンを締め直す。夜会は七時からなので、そろそろ出ようかと考える。
相は保護して以来、昴が心配してそちらを気にしてばかりいる事もあり、昴と一緒に過ごしている。そちらには津田と久水がついている。なので夜会にも絵山を伴って出かける事になっていた。
「絵山、馬車の用意は?」
部屋から出て澪が問いかけると、絵山が頷いた。
「準備は万端だよ」
「そうか。では行くか」
こうして廊下を歩き、澪は肖像画の前を通り過ぎてから階段を降りる。銀の燭台に灯る火を一瞥してから、エントランスホールを扉に向かって進んだ。
外に出ると初夏の夜風が心地よかった。たった数日で、今年は気温が上がった。今宵は風が強い。折角梳かした髪を乱されながら、澪は御者が開けてくれた扉から馬車へと乗りこむ。絵山も乗り込んでからすぐに、馬車は走り出した。
それから四十分ほど走ると、高宮侯爵家に到着した。ステッキをついて馬車を降りた澪は、帽子の位置を直してから、招待状を、高宮侯爵家で受付をしていた侍従に見せる。
「どうぞ中へお入りください。当主がお招きしております」
そう声をかけられた。招待状を見せても、『招く』という語を受け付けが述べるのは、吸血鬼同士の礼儀のようなものだ。既に何度も来ているが、『招かれないとは入れない』という特性から、形だけでもこうした催しの時は、敢えて『招く』という言葉を、吸血鬼は好んで使う。
会場は二階の大広間だった。
絵山が一歩後ろを進んでくる前で、澪は堂々と会場に入る。そして周囲を見渡し、高宮侯爵家の当主に挨拶をする準備をした。すると当主の高宮甚左侯爵の横に、先日闇オークションで顔を合わせた長男の宏人伯爵の姿があった。あちらも澪に気づいた様子で、宏人が澪へと歩みよってくる。
「お招きに預かり感謝する」
義務的に澪が述べると、宏人が顔を向けて吐き捨てるように息をする。
「お前の顔なんて見たくもないけどな、仕方ない。しきたりだからな」
「いちいち癪に障る言い方をする奴だな」
会いたくないのは己も同じだと思いつつ、澪が眉間に皺を寄せる。
「貴殿のお父上に、ご挨拶するところだ」
「ああ、案内してやるよ。顔見知りの俺が案内しない方が不自然だろ」
それもそうかと考え直し、宏人の先導で澪は甚左の元へと向かう。甚左は宏人に反して人格者を絵に描いたような優しげな壮年の男性で、色黒の肌をしている。目尻にある皺が、さらに彼を優しげに見せている。
「やぁ、澪くん。当主代理として、君のように立派な跡取りがいて、瑛くんも安心だろう」
「過分なお言葉光栄です、高宮侯爵。今宵はお招きありがとうございます」
「こちらこそ来てくれてありがとう。宏人とも久しぶりに会うだろう? どうぞ話してやってくれ」
「ええ。宏人伯爵とは懇意にさせて頂いておりますので」
澪が上辺の笑みでそう述べる隣で、宏人がしらっとした顔をした。
久しぶり、と、そんな言葉に、闇オークションの事を甚左が知らないようだと澪は判断する。闇オークションは必ずしも、当主宛が招待されるわけではない。
「宏人も塞ぎ込んでいるからな、沙羅のことで。心を開ける友達がいてなによりだ。宏人、澪くんにならば話しても構わないだろう。元々隠すようなことでもない。心が軽くなるように、打ち明けてみるのも手だぞ」
甚左がそう言うと、宏人が息を呑んだ。なんの話だろうかと、澪は首を傾げる。
すると次の挨拶客が来た。
澪は一礼して、その場から踵を返す。その際、宏人の腕の服を引っ張った。
「おい、ご当主の意向だ。聞いてやる、来い」
小声で澪がそう告げると、しぶしぶといった様子で、宏人がついてきた。