こうして四月の最後の金曜日の夜が訪れた。闇オークションが行われるのは、日付が変わってすぐの事だ。行われる場所は、華族御用達の歌劇場の地下に設けられた専用の会場だ。普段は地下に空間があることすら、公にはされていない。昼間の支配人達も知らない様子だ。
昴が寝静まってから、まだ薄らと寒いので、澪は闇に紛れるような黒い外套を纏った。首元を赤い紐リボンで留める。絵山と久水を伴い、馬車へと乗り込んだ。闇夜には、控えめな月と銀色の星々が見える。夜の街もまた寝静まっているようで、あまり灯りは見えない。車輪が時折小石を踏む。その音くらいだ、響いてくるのは。
会場のそばで馬車を停めて、そこからは徒歩で会場へと向かう。乗りつけないというのも一つの条件とされている。父と何度か来た事もあるが、御者や絵山と久水も、そのことを熟知していた。
招待状を見せると、白い仮面をつけた受付の者が、深く腰を折った。
それを確認してから、この日だけ特別に扉が開けられる、地下へと向かう階段のホールへと進む。そして螺旋階段を降りていき、地下一階の会場に到着した。席順は自由なので、澪は空いている二列目の左端へと向かう。
「あ」
すると少し進んだところで、座っていた客が声を上げた。視線を向けて、澪は疲れたような顔をした。
「宏人《ひろと》」
「澪も来てたのか」
宏人は高宮《たかみや》侯爵家の長男で、澪が習っていたヴァイオリンの家庭教師に、同じように習っていた。その縁で、幼少時から幾度も顔を合わせてきた。同じ歳で、同じ爵位状態ということもあり、なにかと関わりがあるのだが、正直親しいわけではない。なお澪の上辺が偽りだと熟知している宏人の前では、澪は笑顔を浮かべる気が起きない。
「澪を見てると、気が滅入る。とっとと行け」
「俺の方こそ、お前の顔を見て、気分が鬱屈としたものに変わった。俺に指図するな」
「お前みたいなののどこが格好いいのか気がしれん」
ぼそりと呟いた宏人の声に、澪はふと思い出した。実は宏人の妹の高宮沙羅もまた、年齢は異なるがヴァイオリンを習っているので、何度か顔を合わせたのだが、その際に、『格好いい』と澪本人に向かって言ったことがある。宏人は沙羅を溺愛している様子なので、それもまた気に食わないのだろうと、澪は思っている。
「妹は元気か?」
「……うるさい。お前に話すことは何もない」
するとなにやら重々しい空気を醸しだしながら、宏人が険しい顔をした。なんだろうか、妹とは喧嘩でもしているのだろうか。いやに硬い空気を、宏人は放った。
だが別段興味も無かったので、澪はそのまま素通りする。
そして空席に座した。
それからすぐに、闇オークションが始まった。
様々な品が競りにかけられていく。
「次は、これまた珍しい、リンゴの香りの血を持つ人間です。鑑賞用に、部屋の匂いをよくする用途などでも、ぜひぜひ」
笑みを含んだ声が響き、檻に入れられた一人の青年が、台車で運ばれてきた。虚ろな目をしているから、暗示がかけられているのは間違いない。人間の取引など違法中の違法だが、いちいち目くじらを立てていたら追い出されてしまうので、澪は内心では嫌な気分になったが、それは顔には出さない。無表情で眺めていた。
「さてこちらは、先日まで帝都心花美術館にて飾られていたエノワールの絵画」
堂々と盗品の紹介まで行われている。
競売にかける方もかける方だが、罪悪感を抱く様子もなく、札を上げて名乗りを上げる者達も十分あくどいと澪は思う。だが、黒薔薇病の治療薬を競り落とすつもりで、黒いトランクに札束を入れさせて、絵山に運ばせている自分も同じ穴の狢かと考え直す。
「最後に……黒薔薇病の治療薬について、残念なお知らせがございます。実は、残念ながら治療薬の材料の一部が手違いで消失してしまい、今回は生成が出来ず、競売にはかけられない事と相成りました。近日中には再度、きちんとご用意し、再び当オークションを開催予定ですので、お待ち頂きたく思います」
出てきた仮面をつけている夜の支配人による申し訳なさそうな声を聞き、目を瞠ってから澪は落胆した。それにしても最近どこかで聞いた事のある声だったが、どこで聞いたのかは思い出せない。その時だった。
「ちょっともないのか!? 少しくらいあるだろ!」
声を上げたのは宏人伯爵だった。澪も含めて、周囲の視線が宏人に集まる。
「ご静粛に。大変申し訳ございません」
取り尽くし間もない様子で言いきった支配人の声に、ぐっと詰まった様子を見せてから、すとんと宏人が座り込んだ。その後、他の者も何も言わなかったので、この日の闇オークションは終幕を迎えた。
会場を出て階段を上り、馬車まで歩いて澪は中に乗り込む。
家に着く頃には、朝の四時半を過ぎていた。
「無駄な時間を過ごしたな」
そう呟いてから、澪は入浴し、今日は昼頃まで起こさないようにと命じて、就寝した。
昴が寝静まってから、まだ薄らと寒いので、澪は闇に紛れるような黒い外套を纏った。首元を赤い紐リボンで留める。絵山と久水を伴い、馬車へと乗り込んだ。闇夜には、控えめな月と銀色の星々が見える。夜の街もまた寝静まっているようで、あまり灯りは見えない。車輪が時折小石を踏む。その音くらいだ、響いてくるのは。
会場のそばで馬車を停めて、そこからは徒歩で会場へと向かう。乗りつけないというのも一つの条件とされている。父と何度か来た事もあるが、御者や絵山と久水も、そのことを熟知していた。
招待状を見せると、白い仮面をつけた受付の者が、深く腰を折った。
それを確認してから、この日だけ特別に扉が開けられる、地下へと向かう階段のホールへと進む。そして螺旋階段を降りていき、地下一階の会場に到着した。席順は自由なので、澪は空いている二列目の左端へと向かう。
「あ」
すると少し進んだところで、座っていた客が声を上げた。視線を向けて、澪は疲れたような顔をした。
「宏人《ひろと》」
「澪も来てたのか」
宏人は高宮《たかみや》侯爵家の長男で、澪が習っていたヴァイオリンの家庭教師に、同じように習っていた。その縁で、幼少時から幾度も顔を合わせてきた。同じ歳で、同じ爵位状態ということもあり、なにかと関わりがあるのだが、正直親しいわけではない。なお澪の上辺が偽りだと熟知している宏人の前では、澪は笑顔を浮かべる気が起きない。
「澪を見てると、気が滅入る。とっとと行け」
「俺の方こそ、お前の顔を見て、気分が鬱屈としたものに変わった。俺に指図するな」
「お前みたいなののどこが格好いいのか気がしれん」
ぼそりと呟いた宏人の声に、澪はふと思い出した。実は宏人の妹の高宮沙羅もまた、年齢は異なるがヴァイオリンを習っているので、何度か顔を合わせたのだが、その際に、『格好いい』と澪本人に向かって言ったことがある。宏人は沙羅を溺愛している様子なので、それもまた気に食わないのだろうと、澪は思っている。
「妹は元気か?」
「……うるさい。お前に話すことは何もない」
するとなにやら重々しい空気を醸しだしながら、宏人が険しい顔をした。なんだろうか、妹とは喧嘩でもしているのだろうか。いやに硬い空気を、宏人は放った。
だが別段興味も無かったので、澪はそのまま素通りする。
そして空席に座した。
それからすぐに、闇オークションが始まった。
様々な品が競りにかけられていく。
「次は、これまた珍しい、リンゴの香りの血を持つ人間です。鑑賞用に、部屋の匂いをよくする用途などでも、ぜひぜひ」
笑みを含んだ声が響き、檻に入れられた一人の青年が、台車で運ばれてきた。虚ろな目をしているから、暗示がかけられているのは間違いない。人間の取引など違法中の違法だが、いちいち目くじらを立てていたら追い出されてしまうので、澪は内心では嫌な気分になったが、それは顔には出さない。無表情で眺めていた。
「さてこちらは、先日まで帝都心花美術館にて飾られていたエノワールの絵画」
堂々と盗品の紹介まで行われている。
競売にかける方もかける方だが、罪悪感を抱く様子もなく、札を上げて名乗りを上げる者達も十分あくどいと澪は思う。だが、黒薔薇病の治療薬を競り落とすつもりで、黒いトランクに札束を入れさせて、絵山に運ばせている自分も同じ穴の狢かと考え直す。
「最後に……黒薔薇病の治療薬について、残念なお知らせがございます。実は、残念ながら治療薬の材料の一部が手違いで消失してしまい、今回は生成が出来ず、競売にはかけられない事と相成りました。近日中には再度、きちんとご用意し、再び当オークションを開催予定ですので、お待ち頂きたく思います」
出てきた仮面をつけている夜の支配人による申し訳なさそうな声を聞き、目を瞠ってから澪は落胆した。それにしても最近どこかで聞いた事のある声だったが、どこで聞いたのかは思い出せない。その時だった。
「ちょっともないのか!? 少しくらいあるだろ!」
声を上げたのは宏人伯爵だった。澪も含めて、周囲の視線が宏人に集まる。
「ご静粛に。大変申し訳ございません」
取り尽くし間もない様子で言いきった支配人の声に、ぐっと詰まった様子を見せてから、すとんと宏人が座り込んだ。その後、他の者も何も言わなかったので、この日の闇オークションは終幕を迎えた。
会場を出て階段を上り、馬車まで歩いて澪は中に乗り込む。
家に着く頃には、朝の四時半を過ぎていた。
「無駄な時間を過ごしたな」
そう呟いてから、澪は入浴し、今日は昼頃まで起こさないようにと命じて、就寝した。