時は大正。
 大日本帝国が開国して暫く、現在この国は華族を主体とした絶対階級制が敷かれている。モデルとされたのは大英帝国の階級制度だ。上流階級と呼ばれる華族達は皆、平民から見れば煌びやかで気品に溢れた――吸血鬼である。

 西園寺(さいおんじ)侯爵家が嫡子である、西園寺(みお)伯爵もまた吸血鬼だ。
 いつかは侯爵の位を継ぐ予定の十八歳の青年は、応接間の一人掛けの椅子に座し、優雅に陶磁器のカップを持ち上げた。中に浸るダージリンの色は橙色で香りもよい。物憂げな瞳の色は深紅で、髪の色は甘い茶色だ。

 大日本帝国の多くの人間は黒い髪に黒い目をしているが、こと華族には変わった色彩の持ち主が多い。それは華族が特別だからだと一般的な人間達は考えているが、実際には吸血鬼が持つ特異な力が遺伝の法則をねじ曲げているだけだ。また平民でも一部の者は、個性的な色を持つが、この理由は異国の血が混じったのだろうと多くの場合は考えられている。

 吸血鬼が存在することを、多くの人間は知らない。古来より吸血鬼は存在してきたし、この日本列島に限らず世界を支配してきたのだが、吸血鬼は人間の血を糧とするため、人間を不安にさせないようにという暗黙の了解があるからだ。今では人間の体から直に吸血せずとも、間接的に血を摂取する方法も増えた。たとえば今、ダージリンにぽとりと落とした角砂糖の中にも、人間の血液を凝固させた結晶が入っている。

久水(ひさみ)、この紅茶は薄いな」

 澪は壁際に控えている従僕の一人、久水を見た。二十八歳の久水は、黒い髪に黒い目をしている。人間に多い色彩だが、彼もまた吸血鬼だ。華族の使用人も吸血鬼であることが多い。

「うるさい。だったら自分で淹れろ」

 従僕であるというのに、堂々と久水は言い返してきた。いつも彼は、澪に対して態度が大きい。

 その時、扉をノックする音が響き、すぐに開いた。澪が視線を向けると、銀色の盆を左の掌に載せ|絵山(えやま)が入ってきたところだった。黄金色の髪に緑色の瞳をした絵山もまた、吸血鬼である。

 絵山と久水が、現在の澪専属の使用人だ。父である西園寺(あきら)侯爵が西欧に遊学中の現在、西園寺家は澪が当主の代理をしている。

「澪様。手紙だよ」

 気怠げな、やる気の見えない声で、盆の上から手紙を右手で持ち上げた絵山が、澪に歩みよって正面に差し出した。こちらも、澪を敬う態度ではない。

「誰からだ?」

 しかし慣れているので、特に澪も二人を咎めない。というよりも、諦めつつある。

「普通差出人の名前を書くところには、『白兎《シロウサギ》』と書いてあるけど、それ?」
「白兎?」

 首を傾げつつカップを置いて、澪はその手紙を受け取った。それから続いて絵山が差し出したペーパーナイフを受け取り、手紙を開封する。中には一枚の便箋が入っていた。



 西園寺澪 様

 はじめまして、僕は白兎。
 導く者の一人だ。
 今回は西園寺澪伯爵に、大切なお知らせだよ。
 なんと、君には異母兄がいるんだ!
 驚いたかな?
 君のお父上の西園寺瑛侯爵と、夜鷹の間に生まれた異母兄!
 このことはまだ、西園寺瑛侯爵も知らないんだよ。
 僕は君だけに特別に教えてあげたんだ。
 伯爵のお兄さんの名前は、昴《すばる》牧師。
 帝都の貧民街のはずれにある、小さな教会で聖職者をしているよ。
 とてもとても、彼は甘いみたいだ。
 このままじゃきっと、すぐに見つかって、殺されてしまうと思うよ。
 ああ、可哀想。
 助けてあげたらどうだろう?

 白兎 より



 その文面を読み終えて、澪は眉を顰めた。

「……」

 怪訝そうな表情に変わった澪の様子に、見守っていた絵山と久水が、顔を見合わせる。それから絵山が先に口を開いた。

「どんな内容だったの?」
「……俺に兄がいるという内容だ。異母兄で昴というらしい」
「は?」

 すると久水が呆気にとられたように目を見開いた。

「あの瑛様に? 確かにおモテになるが、亡くなった奥様一筋で、奥様を溺愛していて、見ているこっちが恥ずかしくなるほどだったっていうのにか?」
「久水、異母兄というんだから、奥様と出会う前の話で、その頃にデキていたのかもしれないだろ? それよりも、なんで今さらそんな手紙が、それも澪様宛てにきたの? 異母兄がいるからなんだって?」

 呆れた様子の絵山の声に、澪が顔を向ける。説明が面倒だったので、手紙をそのまま渡して見せた。受け取った絵山と、近づいてきて覗きこんだ久水が、それぞれ視線で文章を追いかける。

「殺される? 不穏だな」

 久水がぽつりと零した。彼もまた眉間に皺を刻んだ。
 手紙を澪に向かって返してから、絵山は腕を組む。

「不審以外の何者でもない手紙ですね。それで? 澪様はどうするの?」

 絵山の声に、小さく首を傾げ、頬に手を添えてから、澪は答えた。

「異母兄がいるというのは、気になる。事実だとすれば、西園寺家の血縁者ということにもなる。父上がいない今、確認するのは俺の仕事だ。幸いまだ日が高い。早速見に行くことにしよう。絵山、馬車の手配を。久水、出かける用意を」

 二人がそれぞれ頷く。
 こうして三人で、貧民街へと出かけることになった。